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時代や状況の変化と「言葉の保守性」

tanuki氏の知性と教養が伺えるコメントだが、これに関して、あまり誰も指摘していない日本語の欠陥をひとつ書いておく。
それは、「顔見知り、特に仕事仲間に対し、午後になってその日初めて顔を合わせる時の挨拶の言葉として適当なものが存在しない」ということだ。「おはよう」はあくまで朝いちばんで顔を合わせる時の挨拶なのである。では、午後だったら「今日は」ならいいか。職場の顔見知りの相手に、「今日は」と言いながら職場に入っていくと馬鹿みたいである。つまり、かつての日本は「仕事仲間と午後になってから顔を合わせる」ことがほとんど無かったから、その際の挨拶の言葉が存在しなかったのである。
日本で一番最初(重言か?)にこの問題に逢着したのが芸能界、特にテレビ界である。そこで、その世界において、朝だろうが昼だろうが夜だろうが、その日最初に顔を合わせる相手にはみな「おはようございます」で済ませるという暗黙の了解が出来上がったわけだ。
なお、時代や状況の変化で新しい言葉が必要になることはよくあるが、「自分たちは時代の先端を行っている」ことのアピールのために新語やカタカナ言葉をやたらに使う馬鹿が論外であるのは言うまでもない。これは官公庁やマスコミ人種に多い。
ちなみに、tanuki氏の文章冒頭に出てくるmadhenは「キチガイ牝鶏」ではなく、ドイツ語の「メイデン」つまり一般的には「少女」と訳される言葉だろう。(綴りは初めて知った。)下の記述を見ると、若年の婦人全体に用いる言葉のようだ。


(以下引用)


大学時代ドイツ語の授業中madhenの使い方で、年下の女性に対してなら年齢関係なく使えると言ってましたな。
先生が留学時代、混んだトラムで空席を見つけた老紳士が、年配の女性に向かって Madchen! と手招きして座らせてたなんて話をしてましたなあ。先生は女の子がどこにいるのかキョロキョロしてたら白髪の老女がトコトコ歩いてきて座ったと。


但し若い人が年上女性に対しては失礼だから駄目だぞ。と。


要するに言葉はつねに相対的なものであって、相手を尊重しいたわる気持ちがあるかどうかなんですな。下品に嘲笑ったり、コケにする気持ちで言葉を使うから世間一般の顰蹙を買う。
これも普段からの心の持ちようですなあ。
まあアタシもジジババとは言うが、自分もそうだからギリギリセーフか。


まあこのあたり石原慎太郎なんかも同じようなこと言っていた。性格の根っこに男尊女卑、女性の価値を性的にしか捉えられない精神的欠陥があるのでそれが事あるごとに破れ出るだけですな。


そういや未だ日本人はgood nightとgood eveningの使い方がわかってないんですな。
夜間のこんにちはがgood evening、さようなら(おやすみ)がgood nightというのは大体シチュエーションとしては間違いないんだが、eveningはまだまだこれから活動する(だろう)人に対して、nightはこれから休む人に向かって使う言葉なんですな。だから時間は関係ない。
深夜のバーでもナンパするときはgood eveningだし、夕方日のある時間でも帰宅する人にはgood night。
相手次第で使う言葉が決まる、ということは相手に対する想像力が必要なんですな。


森元や自民党幹部バカ似非保守連中には根本的に欠けた能力ともいえるわけです。


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