「シャア! 謀ったな、シャアっ!」
「君はよい友人であったが、君のドイツ語がいけないのだよ」
…皆様いかがお過ごしでしょうか? ドイツ的職場と日本的住居の間を毎日高速移動する機動戦士マライです。
ガンダムといえば。
実はむかし、知人の付き合いでアキバの某巨大家電量販店のプラモ売り場に行った際、ガンプラ箱に書かれていた「ノイエ・ジール(Neue Ziel)」という、文法的にも発音的にも超アウトアウトアウト! スリーアウトチェンジ! なニセドイツ語と遭遇してしまったのが、なんと私とガンダムの最初の出会いでした。あまりハッピーとは言いかねるシチュエーションです。
ちなみに、「ノイエ・ジール」がいかにドイツ語としてヤバいかというのはWikipediaにも明記されているほどなので本稿では繰り返しませんが、これについてオタ系の知人に対し啓蒙を図ってみたところ、以下のような実に興味深い&勇気ある反応をいただきました。
①「ノイエ・ジール」も充分ドイツ語っぽいのでオレ的にはノープロブレム。
②「ノイエス・ツィール」よりも「ノイエ・ジール」のほうが大型モビルアーマーの名前としてカッコイイじゃないか。
…つまり。
こーゆー業界文脈においては、「正確なドイツ語」よりも、「ドイツ語っぽいカッコよさ」のほうが重要度が高い、という心理現象がうかがえるのです。ナルホド。リアルドイツよりも「脳内ドイツ」イメージを優先する主義、ともいえるでしょうか。
この場合ドイツ人としては、ついつい正しいドイツ語の普及&誤用の矯正に邁進したくなりますけど、なんとなくそういうアクションは商業市場的にお呼びでない予感がします。もし強行すると小うるさいロッテンマイヤーさん扱いを受けてしまいそうです。ううむ、この局面、一体どうしたらよいものか?
ただ、かくいう在日ドイツ人の間でも、たとえばグラニフ(graniph)の変てこドイツ語まみれTシャツが、最近の製品は以前と違い文法的に正しくなっていてつまらん! という逆説的な意見を聞いたりするので、根本的には似たようなものかもしれません(笑)
…とか思っていたところ、次なる事態が勃発!
私の友人の内田弘樹先生がノベライズを担当している『シュヴァルツェスマーケン』シリーズというメディアミックス作品があって、製作サイドからドイツ語協力を依頼されたのです。で、最初に私が述べたのが、「そのタイトルはそもそもドイツ語文法的におかしいDeath!」でした。はい。ラウンド開始前の金的攻撃みたいなものだったのですが…
「いやもう決まっちゃってるんで、て言うか、日本人からみると語感的にイケてるので…」
ということで、こちらも日本人から観たドイツ語の格好良さ優先という根拠があったため、呆気なく了承してしまった次第です。物分りいいなあ私。
ちなみに『シュヴァルツェスマーケン』は、東独が存続している(つまり歴史が異なっている)並行世界にエイリアンが攻撃を仕掛けてきて、世界各国がそれぞれ立ち向かうという内容です。この「東独」というのが大きなポイントですね。
なお余談ですが、最近ドイツ本国では旧東独のアレコレが社会派サスペンスのテーマとして旬を迎えつつある(ちょうどそういう年代)ので、日本でこのような動きが生じてくるのは大変興味深い…文法的にはアレなんだが(笑)
…とか思っていたところ、さらなる事態が勃発!
公益財団法人日独協会にて、リアルドイツ語を超えた「装飾ドイツ語」を追究する『中二病で学ぶドイツ語』というイベントが2015年12月に開催されました。企画・プロデュースは『ニセドイツ』で有名な伸井太一さんです。
これがヤフーニュースヘッドラインでも取り上げられるほどの大反響を呼び、ドイツ大使館が積極的にバックアップする展開に至りました。もちろん「中二病ドイツ語」は「誤用」とは違いますが、上記リンク先を見れば窺えるとおり、明らかに「ネタ」としてのイレギュラーなドイツ語を全面展開する知的遊戯です。素敵におかしいのは間違いない。大袈裟に言えば、伝統的ルール・価値観逆転のポテンシャルを内包するイベントをドイツ大使館が後援したわけで、これは文化的になかなか画期的な出来事だったといえるでしょう。
…と、ここまで事態が展開してくると、この手の文化ベクトルも一時的趣味的なイレギュラー事例として扱えなくなってきたなあ、というのが最近の率直な実感です。
ひとつ確実に言えるのは、SF的な名称にしてもTシャツのロゴにしても、誤用でむしろソレっぽくなってカッコよい、というのはある種の特殊なセンスの介在によって初めて成立する現象だろうということです。
厳しげな単語ならOK、という安直なものではない。何らかの共有幻想の核となるパワーが宿っていなくてはなりません。その源泉はどこなのか? ということで、有力なイレギュラー語を支える動機、つまり背景の世界観の構成に探りを入れることが重要、という気がいたします。
たとえば、そもそもガンダムは何故OVAや派生作品でジオン軍の「ドイツ軍化」が進んだのか、『シュヴァルツェスマーケン』は何故「東ドイツ」なのか、といった点ですね。その考察によって比較文化的な美味しさが増すともいえるでしょう。
リアルドイツ語よりも「俺ドイツ語っぽさ」を追究する、という文脈で思い出すのが、アルゼンチンが誇る文豪ボルヘスの短編小説『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』です。これは要するに、たとえば窃盗事件のニュースで良く出る言葉「バールのようなもの」が具体化して「バール」の座を奪い、さらに諸事そのように「…のようなもの」がオリジナルを乗っ取って現実を侵食していく、という話です。ぶっちゃけ、共有幻想が現実を乗っ取ることは可能か、というすごい現代的な内容の作品ですね。上記ウィキペディアだと何を言っているのかわかりにくいけど、短編集『伝奇集』に収められた原典は読みやすいので必読です。この物語は、メインカルチャーに対するサブカルの逆襲と浸透がどのように成されるか、ということの秘伝書みたいな側面を有している気がします。
爛熟しきってある意味「何でもあり」状態になってきた現代エンタメ業界にて、「知的に効果的な次の一手」を打つとしたら、それは意外とボルヘス系とかかもしれないんだよねー、とはちょっと前からつれづれ思うところだったりします。ラテンアメリカ文学恐るべし! ということで今回は、アニメがらみの「ドイツ文化」問題のオモシロな解が、意外や意外、岩波文庫にあったよー、というお話でした。
…あ、最後の最後に入ってきた情報ですが、㈱イクストル様によると、なんと、『シュヴァルツェスマーケン』のドイツでの放映が決定したそうです。おめでとうございます。まさに、「ドイツ語のようなもの」によるドイツ逆上陸作戦! ああ、ボルヘス的な現実侵食がこんな形で加速してしまうとは!(笑)
それでは、今回はこれにて Tschüss!
※今回、㈱イクストル様、および公益財団法人日独協会様から画像提供をいただきました。改めて感謝いたします。
(2016.01.29)
マライ・メントライン
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語が話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。 まあ、それもなかなかオツなものですが。
twitterアカウントは @marei_de_pon 。