人は、何に従って生きているのでしょうか?
まことの意味で「神を信じる人」は多分、理性にしたがって生きているでしょう。
「ユダヤ」の影響を受けて、「理性」を「打算」と思っている人がいるので、別のことばで補えば…
良心にしたがって生きている…でしょう。
しかし、周囲を見渡してみて…
「この人は、何にしたがって生きているのだろう?」と思って観察していますと、どうも理性とか、良心にしたがっているようにはみえません…
その人を動かしているものは、欲望や恐怖、興味や打算、世間体、もしくは「世間の常識」等々の”掟”であり、そのときどきの気分と感情にしたがっているようにみえます。
とりわけ、「日本人は、何にしたがっているか?」と問うてみたとき、浮かんでくるのは…
”習性”…ということばです。
日本人は、ある種の”習性”にしたがって生きているにすぎない…
「いろいろ考えて」はいるらしいが、それは「思考」というよりは、去来する様々な”思い”や”心配”のことで、ちょうど仏教で言うところの”煩悩”がピッタリくる気がいたします。
その”煩悩”に煩わせられまいとして、日本人は…
「人に嫌われる」ことを恐れ、「ひとりぼっち」の孤独を恐れ、その結果…
「長いものに巻かれ」「権威に服従し」「みんなといっしょ」だと安心するような”習性”を…
骨髄にまで刻み付けてきたのではないでしょうか?
それはちょうど、前のクルマに何も考えずについていく運転をしているドライバーみたいなものです。
自分で判断するとか…
自分の考えを作り上げるとか…
”自分自身”の核となるべきものが… ”ない”のです…
その薄気味悪さが、太宰治の『人間失格』には描かれていましたね?…
自分を殺して(それでいて”我”は強いw)、思考停止のまま生きている…
欧米人が「日本人は何を考えているかわからない」というのと同じ”違和感”を…
太宰も感じていたのでしょうか?
太宰の感じた”違和感”は、たとえば食事時…
「人間は、どうしてごはんを食べなければいけないの?」
「人間は、めしを食べなければ死ぬからだよ」
それでは…「死にたくない」という一心で、人ははたらき、食事をしているのか?」
「まるで”脅迫”ではないか!!」
私も感じ続けてきた日本社会に対する”違和感”の一面を見事に描き出している気がします。
日本が、人間を家畜として扱い、人民も「よき家畜」であることを”誇り”にさえしているという…
この倒錯しきった狂気の社会は、明治にはすでに存在していたということなのです。
黒人奴隷やネイティブアメリカンの悲劇の歴史と日本人民の歴史に本質的な違いはあるでしょうか?
あるとすれば、自分たちが奴隷であり、支配されているという自覚があるかないかというだけでしょう。
その狂気の人間支配のなかでとった主人公葉蔵のとった戦略は…
本当のことは、何も言わない…でした…
笑わせておけばよいのだ。本当のことを言えば、みんなに嫌われてしまう…
私もしばしば、(日本人相手だと)何も言いたくない気分にさせられます…
のっぺらぼうの中身ぴーまん日本人に嫌われないようにするために…
結局、葉蔵も『ウソ』で固めて、自分という中身を殺してしまったのです…
神様から授かったかけがえのない”自分自身”を…
どうしてのっぺらぼうに「嫌われたくない」「仲間外れにされたくない」という理由で捨ててしまうのか?
大切なものを捨て去って、『ウソ』のなかで安寧に生きている日本の庶民…これは”善”でしょうか?
対米英戦突入を、むしろ痛快として捉えていたフシのある太宰ですが、「ユダヤ」による茶番だったということまでは思い至らぬものの「ヤケクソの戦争」とは思っていたようです…
アジア人同士を殺し合わせる…
日本人というゴイムを殺処分する…
そのための茶番の戦争だった…
しかし、日本人も茶番の民族…
『ウソ』は信じるくせに…
自分が本当に苦しくて、心の底からうめいたことばを日本人は信じない…
川・ε・川9m いまもそうですね…ウソツキを信じ、真実を語る者を迫害する…
裁判所の闇、企業や政治家のインチキを暴く者に敵意を表すのが日本人という鬼畜民族なのです…
そんな鬼畜外道に調子を合わせていたり、媚び諂っていて、”人間の自由”がどこにあるでしょう?
あなたが本当に”人間の自由”を求めるのであれば…
この闇民族とは、決別すべきでしょう…
ただし、太宰は決別できなかったようですね…
そこが、私と太宰との決定的な違いなのでしょう…