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新コロは世界をどう変えるか

「東海アマ」ブログから転載。
ところどころにあまり賛成できない部分もあるが、公平を期して省略無しに転載する。
前半はほとんど賛成である。
ただし、毎度言うが、「利他思想」はいいとして、それは「主義」というようなものではないだろう。自然な同情や共感から生まれる「惻隠の情」は「主義」などではない。「利己主義」が自分の利益を最優先させるものならば、「利他主義」は他人の利益を最優先させる主義であるはずだ。そんな人間がいたら奇跡である。

(以下引用)

洗脳された価値観から解き放たれる日

カテゴリ : 未分類

 私は新型コロナ禍が、人々の人生観・価値観を根底から変えると何度も書いてきた。それは、コロナ禍にあって、これまでの金儲け一辺倒の利己主義的価値観では生き抜いてゆけないからだ。
 「生きて行くだけで必死にならなければならず、とてもじゃないが金儲けなど考えている余裕がない」というのが、新型コロナ禍がもたらした社会情勢だ。

 中曽根康弘・竹中平蔵らが日本社会に持ち込んだ新自由主義に代表される今の価値観・人生観=例えば、堀江貴文・孫正義・橋下徹・柳井正・前沢友作などが、自分が社会の勝者になったつもりで「金儲けこそ人生最高の価値」という幻想を振りまいている。

 堀江や前沢は、「人々を宇宙に連れて行ってやる」という究極の優越目線で、「特権階級としての自己顕示欲」を見せびらかしているが、新型コロナ禍の現実は、「宇宙などどうでもいい、今日明日の食事が問題」という状況なのだ。
 名誉欲の空想が少しも腹を満たしてくれない現実を、人々は知ってしまった。

 新自由主義は、他人を蹴落とし、競争社会のなかで自分だけが勝者になるという人生観だ。いってみれば、利己主義の究極型なのだが、そんな発想で生き抜いて行けるほどコロナ禍社会は甘くない。「助け合う」という利他思想を共有しなければ、本当に飢え死にしてしまう。

 「セレブ」が人間社会でもっとも高い価値なのだと……いう思想は、コロナ禍では通用しない。
 だが、たくさんの若者たちが、こうした特権階級への憧れに馴致洗脳されてしまい、人間にとって本当に大切な価値を見失ってしまっている。
 しかし、セレブであれば、新型コロナ禍がスルーしてくれるわけではない。皆同じように罹患し、死んでゆかねばならない。
 
 その対極にいる「自由な価値観=利他主義」を代表する人々を示すことで、新自由主義=利己主義の愚かさを示したいが、あいにく彼らは、有名人であることを拒否しているので、名前が表に出てくることはない。新自由主義への反対者は、金儲けを軽蔑しているから、のきなみ質素で売名的活動もしないので、世間に知られることはない。
 強いて言うなら、尾畠春男さんの名前を挙げておきたい。

 それでは、「新自由主義的価値観=金儲けが人生最高の価値」という一種の宗教が、どうして人類を席巻しているかといえば、その原因は競争社会にある。
 我々は、幼い頃から、「他人と比較される人生」を強要されてきた。保育園、幼稚園でさえ、子供たちを比較の価値観に叩き落とし、絵を描いたり、競争したり、個人に評価をつけ、序列化することが「教育」であると思い込まされてきた。

 もちろん、これは戦前からの習慣・風習のような序列・差別化の価値観なのだが、本当は戦前どころか、たぶん奈良時代には民衆の序列化が始まっている。
 奈良時代は、朝鮮半島にあった百済という国が、7世紀後半に国ぐるみ日本に移住してきて、政権を乗っ取ってしまったのだが、このとき、中国・朝鮮で行われていた序列化の思想=儒教が、そっくり律令制として日本社会に持ち込まれている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6#:~:text=%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6%EF%BC%88%E3%82%8A%E3%81%A4%E3%82%8A%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%9B%E3%81%84%EF%BC%89%E3%81%AF,%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%82%93%E3%81%A0%E3%80%82
 
 例えば、朝鮮では無官者=一般人は有色衣類の着用が許されず、必ず白衣をまとわねばならない。これを「白丁」といっていて、被支配階級の代名詞だった。
 秦氏(弓月氏)は、こうした差別システムをそのまま日本に持ち込んでいる。だから、日本でも無官白衣=白丁を「底辺の者」と認識する風習があった。
 律令における位階制度は、その反対側にあって国家権力に強大な権威を与えるものだった。

 儒教が本格的に権力政治に採用されたのは、徳川家康の指示により、新井白石が体系化した朱子学によってである。これは、「生まれながらに差別の序列がある」という、儒教の本質を国家権力の根底に置く思想であった。
 これは、国家権力を維持するための根拠を説明するのに、すこぶる説得力のある理屈だった。この儒教=序列主義の呪いが、現代に至るまで競争社会の価値観を我々に押しつけている。

 人間に序列のラベルをつける社会、「あいつは優秀、格が上」という強烈なコンプレックスで人々を縛り付ける社会では、人々は必死になって「優秀」を競いあうことになる。
 学校での成績からはじまって、出身校の評判、地位や蓄財の多寡、豪邸、高級車や妻の美貌など、生まれてから死ぬまで他人との比較に追い回されるのである。

 例えば、私をネット上で誹謗中傷している全員が、身元をこそこそと隠しながら学歴や地位や蓄財を神の如く崇めていることから、実は他人に対する誹謗中傷が、すべてコンプレックスから生まれるものであることが分かる。

 こうした「コンプレックスの囚人」というべき人物は、他人と出会うとき、最初に、「自分より上か下か」という比較の視点でのみ相手を見回そうとする。
 自分より強そう、大きそうならへりくだり、弱そうとみれば侮って見下すという何とも人間性の矮小な対人価値観で洗脳されてしまっている。
 人を比較の尺度でしか見ることができず、その人の持っている本当の価値が目に入らないという「序列の呪い」に縛られた人生になってしまう。

 新自由主義=金儲け競争という思想は、まさに、こうした序列の価値観が生み出した「最期の資本主義」というべきものだ。
 こうした呪縛から完全に自由な日本人はいるだろうか? 序列主義に洗脳された人は、麻生太郎や大西つねきのように「政治家が社会的弱者の命を定める」という凄まじい思い上がりにはまり込んでゆくのだ。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/496049d7085b1e05097feadf8b9c7ad4bf8e32e6
 https://www.asahi.com/articles/ASJ6L4T7QJ6LIIPE016.html

 周囲を見渡せば、必ず「自分より上か下か」の視点でしか相手を見られない気の毒な「心の未解放囚人」がたくさんいるものだ。
 日本の犯罪者の99%は、そのような「コンプレックスからの未解放囚人」なのだろうと私は思う。でなければ、犯罪者になる理由がない。

 逆に、コンプレックスから解放された「自由な人々」は、相手の地位や蓄財など何の興味もない。地位や蓄財が、社会の役に立つどころか害悪しかもたらさないことを思い知っているからだ。
 もちろん、それ以前に「自分より上か下か」と詮索するような人物との接点が存在しない。
 バシャールは、2020年に、そうした「心の囚人」とでもいうべき利己主義者たちと、社会的コンプレックスから自由な「解放された人々=利他主義者」は、互いに交わらず、邂逅せず、それぞれの世界を生み出してゆき、前者は、2050年頃、この世から消え去ってしまうと予言している。

 「自分は他人より上か下か?」という愚かなコンプレックスに洗脳されてしまった人は、必ず「命の選別」に手を染めることになる。
 1940年前後のドイツでは、40万人を超える障害者が「国の役に立たない足手まとい」という評価を与えられて、ガス室で処刑された。
 日本では「優生保護」という名の下に、障害者が強制的に断種手術を受けさせられた。これを推進したのは、保守よりも、むしろ革新側だった。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-492.html

 だが、優生保護の思想は、今現在も消えていない。学歴の高い者、社会的地位の高い者が優先的に生き残る価値があるという錯覚は、コロナワクチン接種にあたって、7県、自治体首長が真っ先に接種権を主張したことから、社会に根強く残っている現実を示した。
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/104287

 「新型コロナ禍で、人々の人生観・価値観が根底から変わる」
 と考える根拠は、新型コロナ禍が、地位や特権や蓄財で作用を変えるものではないからだ。金持ちも貧乏人も平等に罹患し、死んでゆく。
 だから、自民党の権力者や金持ちにひれ伏し、忖度し、ヨイショすれば命が延命できるわけではない。

 ワクチンを優先的に受ければ延命可能と勘違いしている人も多いが、事実はそうではない。ワクチンの効果は、変異度の大きなウイルスには通用しない。最新のインド型の場合は、ファイザーワクチンの有効率は30%にすぎないのだ。
 さらに変異が進めば、おそらくワクチンの効果はほとんど失われるだろう。
 つまり、優先順位や接種の便宜など、何の役にも立たなくなる。

 人間序列化の思想を妄信している人々は、序列位階や特権に期待するだろうが、そうは問屋が卸さないのだ。新型コロナ禍は人を差別しない。
 新型コロナ禍を利用して権力の施政に食い込めば、竹中平蔵のパソナのようにボロ儲けすることができるかもしれないが、これも政権と一蓮托生で、竹中は、やがて自民党と運命を共にして日本社会から追放されることになるだろう。

 これは放射能汚染と似ているかもしれない。原発事故を利用して自民党系の権力企業は除染などでボロ儲けしたが、放射能は本質的に人を差別しない。だから、やがて放射能利権企業には、恐ろしいカルマが還ってくる。
 「放射能は安全」と勘違いしてしまった人には、10年という潜伏期間を経て癌や膠原病などの遺伝子病が激発することになる。
 放射能を恐怖し、逃げ回ってきた人だけが恐ろしい癌や遺伝病から逃れることができる。

 新型コロナも放射能も、特権や序列を許さない。今、我々はそれを思い知らされようとしている。人間の序列が虚構にすぎないこと。皇族もタダの人にすぎず、放射能被曝をまともに受けていた実態が、これから暴露される。
 また、自民党政権が、利権と金儲けのためにオリンピックを強行しようとしていることで、」世にも恐ろしい全員感染が起きて、凄まじい人々が死んでゆくこと。

 こんな現実の前に、利己主義や事態の軽視による妄想は一切通用しない。ひたすら災厄から逃げ、自分の免疫力を高める以外に対策が存在しないことを人々は思い知らされる。
 金儲けの利己主義では、新型コロナ禍を克服できない。もしも感染を本気で逃れようとするなら、他人との接触の機会の極めて少ない過疎の田舎に行くしかなく、利他主義的人生観に生きるしかない。
 それは放射能汚染と同じだ。

 これから、我々は相当な大企業まで、コロナ禍における連鎖倒産に巻き込まれる恐ろしい情勢を目にすることだろう。みんなが予想しているほど甘くはない。
 社会は、たくさんの歯車が回っているが、互いに連鎖していて、一つだけ無事な歯車は存在しない。中小零細の大規模倒産を横目で見ている大企業も、必ず「需要減退」という恐ろしい大津波に巻き込まれて、存続基盤を脅かされてゆく。
 もう「親方日の丸」は通用しない。

 日本どころか、世界中が巨大企業のくびきから離れて、自由な生産活動に向かわねばならないが、それは差し迫った生活に追い立てられてなのだ。
 もう金儲けの論理は通用しない。だから原発の復権もない。コンピュータによるAI先進社会の夢も潰える。ただ、食って生き延びてゆかねばならない世界なのだ。

 こんな時代は、かつての第二次世界大戦の敗戦時に似ている。人々は、「本当に大切なものは何か?」という視点だけで生き抜いてゆかねばならず、序列や選別の愚かしいr秩序意識は社会から追放されるのだ。
 本当の哲学、思想だけが生き残れる。究極の追い詰められる社会がやってくる。

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