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思い出を呼び返すまでもない、か

私の脳が一番せわしなく活動するのは、寝覚めの少し前かと思う。その時には夢うつつのうちにいろいろな想念が脳の中で動く。ほとんどはくだらない浮遊思考だが、意識的思考に縛られない放漫さが、かえって創造的でもある。で、そういう夢うつつの思考の中でも意識的にコントロールしている部分があるのだが、最近の問題は、その思考の中で固有名詞が出てこなくなったことだ。つまり、ボケである。年齢的にはまだまだボケる実年齢ではないのだが、何かの原因で松果体の石灰化が起こっているのかもしれない。いや、松果体が記憶を司る器官かどうかはまだ確定した説ではないと思うが、私はそう思っているのだ。なお、短期記憶は海馬が司ると思っている。
私はもともと記憶力のいい方ではないのだが、社会生活や人間関係にあまり関係の無い「書物的(ブッキッシュ)」な事柄については、わりと覚えている方だった。それが思い出せなくなってきたのは、少し困ったことだ。何しろ、それでは文章など書けなくなる。社会生活や人間関係は、この年になれば最小限にするのがいい、と思っていたから、それは問題ないのだが、考えるのが趣味という人間に、考えることの土台である記憶そのものが無くなれば、もはや生ける屍だろう。
ということで、記憶力を保持し、できれば高める手段が無いものかどうか思案中である。
もっとも、記憶力と一言で言っても、記憶することと思い出すことは別の機能ではないか、と思う。私が今困っているのは、「思い出す」能力の減退だろう。まあ、思い出す必要性が本当には無いからこそ思い出せないのかもしれない。
なお、私が今、思い出せないもの(つまり、今朝の目覚め前の想念の中で思い出そうと空しく努力したこと)は大島弓子の漫画「雨の音が聞こえる」のタイトルにもなっている「雨の音が聞こえる」という詩を書いた詩人の名前である。その詩人は「いちめんのなのはな」というひらがな書きの行が幾つも続く有名な詩の作者でもある。
今朝の覚醒時思考の中で連想的に考えた「海にいるのは」(これも大島弓子の漫画の題名に使われた)の作者が中原中也だったことは、少し考えて思い出せたのだが。
私の頭の中の海も、今は人魚などおらず、ただ「波ばかり」なのだろうか。
そう言えば、「雨の音が聞こえる」の中で、「思い出を呼び返すまでもない」というフレーズもあったようだ。バイロンの詩「思い起こさすな」の引用だったか。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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