◆ハナタレ小僧時代から付きまとってきた違和感
私がハナタレ小僧だった昭和30年代は、交通事故があると必ずお互いが「すみません」から話がスタートしていたが、昭和40年代に入ったころから、アメリカ文化の伝道士みたいなタレントなどが、アメリカでは絶対にスミマセンと言ってはならない、言ったら自分で非を認めたことになるとTVで言い始めると、程なく街中の事故現場ではお前が悪い、いやアンタだとなって、スミマセンという人は居なくなった。
こうしたことをはじめ、盛んに表面的な合理主義がTVを通じて喧伝されはじめたので、私は子供心に、何か不自然な、それこそ宗主国アメリカ様にオトナ達が忖度したような違和感を感じていた。
その反面同じように、伝統的な日本人の常識にも強い違和感を感じていた。たとえば「集合時間の10分前には来るように」とか、怒られて何が悪いのか聞くと「それくらい自分で考えろ」とさらに怒られたりすることだ。
じゃ10分前を集合時間にすればいいじゃないか、反省すべき点を聞いてるのになぜそれを言わないのか、子供心に非常に不可解だった。だから欧米式の合理主義が一日も早く定着してくれるように願っていたが、結局肝心要の、他人の自由を尊重してこその自由とか、自己責任、論理的思考はさっぱり置き忘れて自己中な合理主義が定着してしまったように思う。
はっきり言うと、日本人に根っこが無くなり、権威にひたすら従順な民族になってしまったように感じられてならないのだ。その権威とは社会的地位や学歴に始まり頂点がアメリカだ。湾岸戦争はじめ常にアメリカが正しいとする世の中の論調には違和感が付きまとう。
その結果だろうか、国防の危機を訴え憲法違反の安保法制を通しながら、一方では攻撃されたら核爆弾以上の災害をもたらす原発を日本中に配置したまま再稼動しようとする。到底まじめに国防を考えているとは思えない矛盾を平気でやろうとするのは、国防よりもどこかの国の利権のためにしか見えない違和感が付きまとう。
沖縄に基地を集中させているのにも、本当に国防のためなのかと同じ違和感が付きまとう。
毎年確実に経済成長していた日本はジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われたが、90年代以降ピタリと止まり、この20年以上GDPが500兆円付近を上下しているさまは、あがったら下げ、下がったら上げてと誰かが、生かさず殺さず日本にこれ以上チカラをつけさせないよう人為的に調整してるように見えて、気味の悪い違和感が付きまとう。
ニュース報道などを見聞きしても、一見アメリカを批判するような部分もあるが、根底にはアメリカが正しいというのがあって論理が構成されている、先のアメリカ軍のシリア攻撃報道がいい例だ。あたかも世界の警察よろしく、化学兵器を使用したからアサド軍を攻撃したと報道されているが、それはアメリカの勝手な言い分で単なる内政干渉に過ぎない。
アメリカがそんなこと言うなら、同盟国日本の民を拉致し、自国民を弾圧している北朝鮮を、イラク同様さっさと攻撃して崩壊させろよといいたい。どう見てもアメリカのご都合主義なのにアメリカのやることは正しいかのような報道には違和感が付きまとう。
これらの違和感を総合すると、日本と日本人は敗戦以来今日までのアメリカの高度な占領政策によって、巧みに心を支配されてしまっていて、それに気づいていないように思えてしまうのだ。