殺人告白の死刑囚に無罪判決 東京地裁
死刑囚の元暴力団会長が、男性2人の殺害を告白する手紙を警察に送って発覚した殺人事件の裁判員裁判で、東京地方裁判所は「手紙の内容は信用できない」として無罪を言い渡しました。
無罪を言い渡されたのは、住吉会系の元暴力団会長、矢野治死刑囚(69)です。平成8年と10年に当時60歳と49歳の男性2人を殺害した罪に問われていました。
矢野死刑囚は、平成15年に前橋市のスナックで4人を殺害した罪で平成26年に死刑が確定し、その後、警察に行方不明の2人の殺害を告白する手紙を送って遺体が発見されるなど、2つの事件が発覚しましたが、裁判では一転して「手紙は出したが、内容はうそだった」などとして無罪を主張していました。
13日の判決で、東京地方裁判所の楡井英夫裁判長は、「20年以上の時がたち、主要な関係者が死亡し、発見された遺体から事件を解明することも困難な状況で、間接的な事実から判断するには限界がある」と指摘しました。
そのうえで、「手紙による告白が唯一の直接的な証拠だが、被告には死刑執行を引き延ばすためにうその告白をする動機が十分にあり、信用できない。殺人の実行犯などと認定するには合理的な疑いが残る」と指摘し、いずれの事件についても無罪を言い渡しました。
刑法では、死刑囚に対して新たに懲役などの刑を執行できないと定めていて、13日の判決にかかわらず、死刑囚の立場であることに変わりはありません。
裁判長は判決を言い渡したあと死刑囚に対して、「20年ぶりに告白して遺体が発見されましたが、遺族の方を混乱させ、つらい思いをさせたことについて私は大変遺憾に思います」と強い口調で語りかけました。
これに対して矢野死刑囚は、「ご迷惑をおかけしました。すみません」と述べて法廷をあとにしました。
無罪の判決について東京地方検察庁は、「判決内容を十分検討して適切に対処したい」というコメントを出しました。
遺族側「控訴しないで」
無罪の判決を受けて、平成10年に殺害された不動産会社社長の斎藤衛さん(当時49)の姉の代理人を務める米田龍玄弁護士が記者会見を開きました。
米田弁護士は「遺族の心境を代弁する」としたうえで、「矢野死刑囚は手紙で告白したにもかかわらず、裁判では否認に転じて何も語らなかった。殺害の実行犯は誰だったのかなど、真相が結局わからないまま無罪となったことは残念です」と話しました。
一方で、「告白によっておよそ20年ぶりに遺体が戻ってきたことは救いでしたし、被害者参加制度で裁判に参加して矢野死刑囚と法廷の場で対面できたことも1つの区切りとなりました。今後、検察が控訴してさらに裁判が長引けば、遺族が再び事件に振り回されて苦しみが続くことになります」と述べ、判決のあと、東京地方検察庁に対して控訴しないよう申し入れたことを明らかにしました。
米田弁護士は「遺族の心境を代弁する」としたうえで、「矢野死刑囚は手紙で告白したにもかかわらず、裁判では否認に転じて何も語らなかった。殺害の実行犯は誰だったのかなど、真相が結局わからないまま無罪となったことは残念です」と話しました。
一方で、「告白によっておよそ20年ぶりに遺体が戻ってきたことは救いでしたし、被害者参加制度で裁判に参加して矢野死刑囚と法廷の場で対面できたことも1つの区切りとなりました。今後、検察が控訴してさらに裁判が長引けば、遺族が再び事件に振り回されて苦しみが続くことになります」と述べ、判決のあと、東京地方検察庁に対して控訴しないよう申し入れたことを明らかにしました。
裁判員の反応
確定死刑囚が被告となった裁判員裁判は初めてで、判決のあと裁判員と補充裁判員の合わせて7人が会見に臨みました。
裁判員を務めた50代の男性は、「被告が死刑囚なので、この事件で刑が執行されないことについて『これでいいのか』と自問自答を続けていましたが、被害者の遺族のためにも真実を追究して、明らかにしなければいけないと考えて、裁判に臨みました」と話しました。
また、補充裁判員の30代の女性は、「被告が死刑の先延ばしを目的としているという指摘もあったので、正直なところ、裁判をやることで死刑囚の『思うつぼ』になるのではないかとも考えました。遺族は、行方不明のままだった被害者の命日や、誰に殺害されたのかなどを知りたかったと思います。結果として無罪となり、悔しさはあると思いますが、裁判を開くことは必要だったと思います」と話していました。
裁判員を務めた50代の男性は、「被告が死刑囚なので、この事件で刑が執行されないことについて『これでいいのか』と自問自答を続けていましたが、被害者の遺族のためにも真実を追究して、明らかにしなければいけないと考えて、裁判に臨みました」と話しました。
また、補充裁判員の30代の女性は、「被告が死刑の先延ばしを目的としているという指摘もあったので、正直なところ、裁判をやることで死刑囚の『思うつぼ』になるのではないかとも考えました。遺族は、行方不明のままだった被害者の命日や、誰に殺害されたのかなどを知りたかったと思います。結果として無罪となり、悔しさはあると思いますが、裁判を開くことは必要だったと思います」と話していました。
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