週末の部活を外部に任せる、本当にそれで解決するのか?
「文部科学省が、休日の部活を地域や民間団体など外部指導員に任せる改革案を作った」とのニュースが9月1日に報じられたのを目にして、疑問ばかりが頭に浮かんだ。外部指導員に任せるならば、平日の部活動との連携はどうなるのか? 生徒は教員と外部指導員の間で板挟みにならないのか? 外部指導員の導入で、部活の勝利至上主義がいっそう加速しないのか?
というのも、私の知る限りではあるが、外部指導員の多くは「勝つことに意味がある」と考えがちで、勝負にこだわるという印象がある。例えば野球の場合、打つこと、投げることはそれなりにうまくても、野球を通して子どもたちの人格形成をどう支援するか、具体的な方法論や発想を持っている人は少ない。また、教育的な学習機会もなく、自らの競技経験や思い込みを頼りに指導する人が大半だ。そんな彼らが、平日の部活を担当する教員と指導理念や方向性を共有し、生徒をサポートするのは簡単ではない。
かくいう私も、外部指導員的な立場で部活の指導に携わった経験がある。正直なところ、数年前までは、「どうやって強くするか」「どうやって勝たせるか」ばかりを考えていた。
そこで必ず起こるのが、教員や他のコーチとの綱引きだった。生徒が誰の指導を一番信じるのか。コーチを引き受ける以上、自分の指導こそ最高だと思いがちだ。そのため、生徒は板挟みに遭い、誰を信じたらいいか、悩む場合が多い。
こうした数々の不安がすぐ想起される中で、なぜ文科省はこの方針を決めたのか。私は、2人の専門家に聞いてみようと考え、取材を依頼した。
教員を忙しさから救えるが子どもはもっと忙しくなる!?
「これは働き方改革のため取られた方向性です」
そう教えてくれたのは、名古屋大学准教授の内田良さんだ。専門は教育社会学で、組体操の危険性や柔道事故の問題を提起し、ブラック部活の改善にも力を尽くしている。内田さんは「忙しすぎる教員を救うために、週末の部活動を外部指導員に任せる。でもこれは、子ども側からの視点が欠けています。子どもはかえって忙しくなる心配があります」と指摘する。
平日は教員と部活を行い、週末は土日とも外部指導員と部活を行う。子どもは休む暇がなくなる。
「外部指導員は教員以上に長くたくさんやりたがる傾向があるため、子どもの疲弊が心配です」
『ブラック部活』という言葉が、一般的に知られるようになった。だが、同じ言葉で、まったく別の2つの事象を表していることも忘れてはならない。1つは、忙しすぎる教員の職場環境をさらに悪化させる要因という意味でのブラック部活。この被害者は教員だ。一方、勝利至上主義に支配され、体罰やパワハラも含んだ厳しすぎる指導が常態化するブラック部活。この被害者は生徒だ。
この両面から部活を見直す必要があるのだが、今回の『外部指導員への移行』は、教員を守るための措置のようだ。単純に言えば、週末の外部指導員導入は、教員をブラック部活から守るけれど、生徒をさらなるブラック部活の犠牲者にする恐れがある、ということになる。
「学校の管理下」に長時間、子どもを置く弊害を知る必要がある
そこで、内田さんは一つの方向性を提案している。
「子どもが忙しすぎる。それはより長い時間、子どもが学校の管理下に置かれるという意味です。そんなに長い時間、子どもを『学校の価値観の管理下』に置いていいのか。部活の外部化にひとつの救いがあるとすれば、月曜から金曜までは学校、土日は外部のクラブ、活動を別物にするという方向性です」
学校は、基礎的な学問を学び、団体生活を経験する貴重な場だが、親が求める以上の価値観を植え付けてしまう恐れがある。その観点からも、平日と週末に、別の環境を持つことは重要かもしれない。そう考えれば、週末の部活指導を外部指導員に任せるのではなく、週末は地域のスポーツクラブで活動する方向性を拡充する方が健全ではないだろうか。
地域のスポーツクラブは、部活より競技性や専門性が高くなる場合が多いだろう。生徒や親は、それを理解して選択する。そこまでの活動を望まない生徒は週末、スポーツ以外の時間を過ごせばいい。また、学校の部活動は、勝利を目指すより、その競技に親しむ、学校の友人たちや教員との交流を深めることを主な目的にする方向性こそふさわしいだろう。それならば、学校での部活動は週に1~3度程度に減らして、生徒にも教員にも余裕を与えたらいい。
週3回の部活で花園に出場、静岡聖光学院ラグビー部
もう一人、話を聞いたのは、部活は週3回、それでいてラグビー部が全国大会(花園)にしばしば出場することで話題となっている静岡聖光学院の星野明宏校長だ。校長になる前、星野校長はラグビー部の監督を務め、初めての花園出場を果たした。週3回で十分に強化できることを証明した先駆けだ。ちなみに、高校日本代表テクニカルコーチ、U18日本代表監督なども歴任している。
「うちは昭和44年の開校以来、もう50年も前から、部活動は週3回でやっています。いまも火、木、土曜の3回。火、木は放課後4時から5時半の90分。土曜は2時間です。11月からは冬時間になり、部活は4時から5時の60分。日曜日は季節によって試合などがあれば活動します」
週3回、しかも短時間の練習。それで静岡県大会を制し、花園(全国大会)でも既に4勝を挙げている。
「さらに強烈なのは」と、星野校長が苦笑しながら教えてくれた。強烈なのは、という表現は、高校の部活動の常識を念頭に置いての形容だ。
「3連休以上の休みの時は寮を閉鎖するため、部活は休みになります。つまり、春休み、夏休み、冬休みにはほとんど練習がありません。一部の部活、例えばラグビー部は春休みの最初に2泊の合宿を、夏休みは菅平で1週間の合宿をしますが、それ以外は休みです。そのため、教員もたっぷりと家族サービスができますし、休みが取れます」
例えば高校の野球部の監督が、その条件で「甲子園を目指せ」と言われたら、どうだろう? 不可能だと考えるのではないか。それを静岡聖光学院はラグビーで実現可能にしているのだ。
大切なのは「生徒一人ひとりの成長」
「私も試合をする以上は勝ちたいです。でも、どうやって勝つか? この環境で強くすることに『教育の可能性が広がる』と考えました。お金をかけ、実績のある指導者を呼び、練習に時間をかけて勝つという方法ではなく、週3日で工夫して勝つ。この方針で花園に出場できただけでなく、部員の多くが志望大学に進学し、部員の中から生徒会長も出ています」
全国的に、「東大も甲子園も」というキャッチフレーズで生徒募集をする高校が増えている。東大合格者も多く、野球部は甲子園に出場する。だが、実態はそれぞれ別の部隊である場合が大半で、進学コースは部活をほとんどせず勉強、野球部は進学より野球に注力する。
「私たちは、一人の生徒が勉強も部活もそれ以外の活動にも情熱を燃やせる、そういう環境を目指しています」(星野校長)
全国大会出場や優勝を目指す多くの高校が勝利至上主義に走り、それでいて勝てない悪循環に陥る中、静岡聖光学院はなぜ常識を覆すことができているのか?
「ラグビー部の勝利を学校経営や生徒募集に利用しようと考えていないからでしょうか」と星野校長が笑った。多くの高校は、甲子園出場や東大合格者数を喧伝(けんでん)し、学校のイメージアップや生徒数確保の重要な柱に据えている。静岡聖光学院にはその考えがないという。
「ラグビーをやりたいと言って来る志願者には、『ラグビーがやりたいなら、ほかの高校に行った方がいいですよ。うちは週3回しかできないから』と断ります。それでも、と希望してくれれば受け入れます」
部活最大の目的がチームの勝利でも高校の宣伝でもなく、「生徒一人ひとりの成長にある」ことが徹底されている。一人で3つ(勉強、部活、その他の活動)をすることでむしろ忙しくならないのか? その手がかりは、建学の模範となったイギリスのパブリックスクールにあった。
「イギリスのイートン校に研修に行った経験があります。イートン校では、毎週火曜と木曜の授業は午前中だけ。午後は生徒たちがそれぞれスポーツや芸術に打ち込みます」
忙しすぎる授業の弊害にも、伝統的に配慮がなされているのだ。
本質を問いかける勇気が必要ではないか
内田良さんは、静岡聖光学院ラグビー部の佐々木陽平監督と、ある番組で出会ったのをきっかけに同校を訪問している。その時、内田さんが感激したのは吹奏楽部の活動スタンスだった。なお、一般的に吹奏楽部は、スポーツの部活以上に体育会的で、いじめや体罰、パワハラに満ちていると言われるのだが、星野校長は次のように話した。
「うちの吹奏楽部は、コンクールに出ないのです。毎年、春のゴールデンウイークに開催される校内の演奏発表会が目標です。3年生はこの演奏会を終えると、受験中心の学校生活にシフトします。外部のコンクールには出ませんが、部員たちは十分に満足し、やりがいをもって取り組んでいます」(星野校長)
さらに内田さんは、静岡聖光学院ラグビー部の静岡県決勝戦でのエピソードを教えてくれた。
「結果は優勝で、花園に出場しました。ただ私が感動したのは、その結果ではなく、佐々木監督から聞いた、監督の姿勢です」
というのは、静岡聖光学院は前半、相手にリードを許してハーフタイムに入った。通常のチームなら、監督が厳しく叱咤し、何らかの助言を与える。ところが、佐々木監督は一切、選手に助言をしなかったという。選手たちは佐々木監督から少し距離を取り、監督に背中を向けて自分たちで後半の戦略を話し合った。そして後半、逆転して勝ったのだ。
「なぜ選手に任せることができるのか? 私は佐々木監督に聞きました。そうしたら『部活で人を育てる、考える子どもを育てる、それが私たちの部活の目的ですから』と、当然のように答えが返ってきました。あの場面でもそれが徹底できるのは素晴らしい。感動しました」(内田さん)
部活で何を育むか、その目的が明確に共有されているのだ。
部活が教員の自己実現に使われる弊害も
「部活を担当したくない」と訴える教員が多くいる一方で、「部活の顧問になりたくて教師になった」という『部活命!』の教員も少なくない。彼らが外部指導員に週末の指導を奪われるのは忸怩(じくじ)たるものだろうし、週末は教員の立場でなく、外部指導員として地域のスポーツ指導に携わるという選択肢も用意される可能性がある。いずれにせよ、部活動に情熱を燃やす教員にも問題の火種がある。パワハラ指導をしがちなのは、こうした教員たちだ。
星野校長は次のように指摘する。
「教員が部活動にのめり込むのは、教師が自分のできなかった夢を、生徒を使って実現しようとするからです。部活が『教師の自己実現』に使われる場合があるのです。このような教員が率いる部活は、チャンピオンシップに出るべきではないと思います」
2人に話を聞き、日頃から感じていた学校の問題点の根幹が明確に見えた気がする。学校はいたずらに忙しすぎないか? カリキュラムのどれほどが本当に必要なのか? 円滑な学校運営のため、学校は自分たちの都合で生徒や制度を動かしていないか? そして、部活が本来の目的を大きく逸脱し、時間的にも、体力的、精神的にも負荷が大きすぎる活動になってはいないか。
外部指導員への委託が是か非かを論じる前に、部活の意義、生徒も教師も忙しすぎる学校の改革など、本質的なところをもっと語り合い、共有する必要があると強く感じた。
(作家・スポーツライター 小林信也)