「環境保護」というのであれば、貿易や市場経済は、あまり自由にやってはいけない…
だから、「規制緩和」なんて、もってのほかなわけ。
それを「脱炭素」と掲げるだけで、
これまで通りの環境破壊経済がいくらでもできてしまう。
グレタは、そういう環境破壊経済を後押しする運動をやっているのである。
まったく、「バカ丸出し」でしかない「地球を守れ」運動である。
わたしは、ウソツキがきらいなだけで、
辻褄が合っていれば、相互尊重、多様性尊重で、こだわらないほうである。
自分に看過できない実害が生じないかぎりはね…
それで、サタニストの手口について、指摘しておこうと思うわけである。
「脱炭素」と掲げるだけで、環境破壊経済が「地球を守る」かのような幻想をかもしだす。
これ、一種の魔術であり、有象無象の連中が面白いように引っかかっているのである。
怪異ものの先駆者である西尾維新の作品のなかのネタで、
「ネガティヴなことばの最後に
「勇気」ということばを付け加えると、とてもポジティヴに聞こえるようになる」
…というのがある。
「学校をサボる」⇒「学校をサボる勇気」
「親友を裏切る」⇒「親友を裏切る勇気」
…
いろいろやっても、みごとにろくでもない行為がかっこよく聞こえてしまうのである。
政治でも、商売でも、こうしたトリックがいっぱい使われており、
ザコブタ君たちは、片っ端から引っかかってしまっている。
そして、「奴隷として生きる勇気」や「クズとして生きる勇気」をもって日々を過ごし、
「頑張っている自分は、かっこいい!(あるいは、エライ!)」とイメージして過ごしているのである。
ある意味、「庶民」とか「民草」というのも、その手のことばかもしれないと疑うべきである。
「ジェンダー」問題の本来の核心は、「思い込み」から自由になることであるが…
(…というのも、「偏見」や「思い込み」は、差別の始まりだから)
「偏見」から「思い込み」から自由になるということは、「悟りを開く」ということであり、
一般凡夫の有象無象の出来損ないどもに、ほぼ半永久的に無理なことなのである。
それが、どうして「運動」で、「できる」と思うのだろうか?
結局、活動家たちは「ジェンダー論・バイアス」という偏見で世の中を見て、
「あいつはいいやつ。こいつはわるいやつ」と「区別」して、裁いているだけである。
つまり、彼らのやっていること自体が、すでに「差別」である。
「悟りを開く」というのは、当ブログのテーマのひとつであるから、
それすら読んで理解できない連中に、まともなことができるはずはないのである。
彼らの運動は、当ブログによって縦横に斬られてしまっているのだが…
「怪異」を斬る斬撃というのは、斬られた側はほとんど斬られたこと自体に気づかないものなのである。
だから、出来損ないどもは、斬られても斬られても、同じ間違いを永遠に繰り返す。
これが…「神仏に見捨てられている」状態なのである。
ま…鬼畜外道のクズどもが、どうなろうと知ったことではない。
興味はない。
モノ好きな観音や阿弥陀や弥勒に「救い」を求めればよかろう。
ま…ムリだと思うケド…
それは、ともかく…
サタニストたちは、「脱炭素」というマジックワードで、ボンクラどもを惑わして、踊らせているわけだが…
ジェンダーにおいても、彼らは同じようなトリックを駆使している。
さすがは、「悪魔」…魔術をそれなりに使ってくるわけである。
「マジックワード」のひとつが、「性の多様性」である。
ただのヘンタイ運動が、すごく人道的な運動であるかのように聞こえてしまう。
たとえば、「血液型の多様性」などと言ってみた場合、それはなにを意味するのだろうか?
単純に「OAB&AB」の4種類だけではないよってことくらいである。
そうしたことを知らないと、あるいは認めないと「差別」だったりするのだろうか?
「性の多様性」なんてことばに、ほとんど何の意味もない。
そういうことで悩んでいる人だけに言ってやればよい。
どうして、その他大勢までいちいち巻き込まれなければいけないのか?
「LBGTの権利」なんてのは、そうしたトリックワードのひとつにすぎない。
そんな「権利」など存在しない。
念のために言っておくが、「LBGTに権利はない」と言っているわけではないので…
なぜ、サタニストたちは、わざわざ「LBGTの権利」などという表現を使うのだろうか?
もちろん、人類家畜化のためである。
中国の皇帝は、宦官に側近のしごとをさせたが、それに通じるところがある。
そうでなくても、ペットでも…
イヌやネコが、どんどん子どもを作って増えてしまうと飼い主は困るわけである。
やはり、「去勢」、「不妊手術」が必要になる。
われわれは、魚を食べたり、肉を食べたりするときに、いちいち「オスかメスか」とか考えない。
食べ物に「性別」なんぞ、ふつう必要ない。
また、「労働力」も、あまり「男性性」、「女性性」が目立つと仕事をさせにくい。
きちんと労働をこなしてくれるのであれば、男であろうと女であろうとカンケーないことである。
だから…「ジェンダー・フリー」ではなく、彼らは「ジェンダー・レス」をもちこんでくる。
「自由」とか「平等」ということばも、ネガティヴをポジティヴに反転させるマジックワードである。
ポンコツ連中ほど、そのマジックワードに、ホイホイ引っかかる。
前回記事で述べたとおり…
奴隷労働は家族労働を駆逐する。(=ゲゼルシャフトはゲマインシャフトを駆逐する)
機能集団、組織は、地縁の自然の人間ネットワークより「効率的」なのである。
競合すれば、奴隷社会が必ず勝つ。
自由競争だの自由貿易だのとやれば、ますますそうなる。
そして、いまAI の時代を迎えた。
組織の「上司」は、これからAI が務めるのである。
AI が部下を使役する際に問題になるのが、「男性性」や「女性性」である。
人間もロボットのように感情を持たずに、合理的にはたらいてもらわなければならない。
さて、こうした将来がみえてきたときに…
はたして、「ジェンダーの平等」は、人権的、人道的なものだったと言えるだろうか?
そして、
だから、もういちど言っておく…
この程度の魔術に引っかかってしまうクソ凡夫どもが、
当ブログの発動した呪術から逃げられるものだろうかと…
まあ、ムリだよな…