で、昔の女性週刊誌購買者は政治記事を好まなかったことは確かだろう。なぜだろうか。それは、ほとんどが専業主婦だったからではないか、というのが私の推定だ。現在のように、働く女性が過半数であるという状態では、女性も政治に興味を持たざるをえない。つまり、政治が「自分の問題」「自分自身の生活の問題」として意味を持つようになってきたからだ。いつまでも「嫁舅問題」だけで頭を一杯にしているわけにはいかないのだろう。
(以下引用)
「まあ、自慢の息子じゃった。でも、これで息子ひとりが何か悪いことでもしたんじゃないかと、そう思われるのが心配です」
そうつぶやくと、ありし日の息子の姿が浮かんだのだろうか。父親(83)は、こみあげてくるものを抑えるように、遠くを見つめた――。
3月7日、神戸市灘区の自宅マンションで自殺しているのが見つかった、近畿財務局の50代職員Aさん。財務省が森友学園への国有地売却に関する決裁文書を改ざんした問題に、Aさんは上席国有財産管理官として関与。残されたメモには上からの指示で「書き換えをさせられた」と書かれていたことが、報道で明らかになっている。
Aさんの実家は岡山県内にある。実家を訪ねると、ちょうど父親が家の前でマイカーを拭いているところだった。取材を申しこむと最初はためらいを見せたが、記者の質問にぽつぽつと語り始めた。父親の物腰は実直そのもの。亡くなったAさんの「生真面目だった」と知人が口を揃える人柄をしのばせた。
「まあ、“くそ真面目”がつくほうじゃろう。でも親に似ず、向こう気が強いところもあった。自分で死を選ぶようなことはないじゃろうと、そんなことは考えもせんかったですけどね……」
父親はあふれる涙を抑えるように、まばたきを繰り返す。
「親のことをいつもいつも思ってくれてました。やさしかったです。盆と正月はいつも帰ってきて。でも去年のお盆も、今年の正月も帰らんかった。最後に会ったのは去年の正月です。電車で帰ってきた息子が『今から神戸連れてったる』と言うと、この車で送ってくれたんです。私も年で、(神戸まで)1人で電車に乗るのは心細いんじゃろうと思ったんでしょう(笑)。あのころは息子は元気でふだんと全然変わらないころ。生田神社や名所を回って、映画もいっしょに見に行きましたよ。……いい思い出になりました」
だがその1カ月後の昨年2月、森友学園問題が初めて報じられる。それ以後、Aさんの里帰りはなくなった――。最初は取材に口ごもりがちだった父親は、思い出を語るにつれ、息子への思いを抑えきれなくなったようだった。
――そんな息子さんならば、上から書類の改ざんを命令されたとしたら、すごくつらかったでしょうね。
「それがいちばんいやだったんでしょう。とにかく、真っ正直一本の男でしたから。ああいう(役所の)仕事は息子ひとりでやっていたわけじゃないんで。何人かのグループで書類を作ったりしてたんじゃろうから。他の人たちは心臓が強いのか、うまいこと他に移ったのか知りませんが……。まあ、息子は世渡りがへたじゃったんじゃろう。べつに1人で責任を感じることはないのに、まあ気が弱かったんか、こんなことに……」
息子の死から8日め。ようやくテレビのニュースを見られるようになったという。
「ニュースで森友の文書のことをやってますね。それを見てると、昭恵さんは何も関わってないように言うてたのに、(書類には)『前に進めてください』と言ったように書かれてたみたいですね。総理大臣まで、これまで昭恵さんは何も言うてないと言ってたのに、ああいう人はどんな神経しとるんかなと。麻生(太郎)さんも全然知らんようなこと言って白切りよるでしょう。あんな上に立つような人が……。もう麻生さんも(大臣を)辞めりゃええような気がするけど、それこそ(国税庁長官だった)佐川(宣寿)さんも結局辞職せなあかんようにさせられてしまった」
野党が解明を求める昭恵夫人の関与の有無や文書改ざんの詳細についてはいまだ事実が明らかではないが、父親は無念の気持ちを抑えきれないように見えた。父親は、最後に乾いた笑いを見せた。
「まあ、おそらく政治家の上のほうの人らは、これ(自殺)ぐらいのことは、何とも思うとらんのでしょう。ハハハ」
Aさんを死にまで追い詰めた森友学園問題も、いよいよ佐川前国税庁長官の証人喚問が決まった。その佐川前長官を「適材適所」と強弁して国税庁長官に任命し、公文書改ざんが明らかになるや切り捨てた麻生財務大臣は、いまも大臣の座に居座ったままだ。
Aさんの遺骨は、いま実家に安置されているという。いまだ「つらいだけで、息子にかける言葉は思いつかんです」という父親の慟哭に、この国はどう答えるのか――。