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読書の創造性

推理小説家北村薫のインタビューだが、書物(文字文化)と映像文化の違いを語っていて面白い。まあ、特に珍しいことを言ってはいないが、これからの文化や社会がどうなるかについて示唆的でもある。「やたらに物事の味付けが濃い」あるいは「お仕着せで満足する」社会になりそうな気がする。
同じ映像文化でも、たとえば初期のテレビゲームのRPGはドット絵の素朴な画面を見ながら、実はプレイヤーは自分の頭の中で奥行きも深みもある物語や映像を「想像」、いや「創造」していたのではないか。
まあ、時代が変われば、新しい創造や創造者が自然と生まれてくるものではあるから、別に悲観的になる必要もないだろうが、「自分の頭で考える」習慣の無い人間が多数になる社会はあまりいい社会ではないだろう。
念のために言えば、映像や絵も見る人がどれだけ頭を使うかで見て取る内容には大きな違いが出てくる。だが、同じ絵を10分も見ていられる人は少ないと思う。ものを見るのにも熱意と努力が必要なのである。要するに「心ここにあらざれば見れども見ず、聞けども聞かず」である。漫画などを読んでも、そこに話の筋しか読み取らない人もいるし、ひとつのコマの一本の線の効果に感嘆し感動する人もいる。


(以下引用)



 確かに、絵や映像の持つ力は圧倒的なものがありますね。



 「反対に、小説の文字による情報は理解するのに人に努力を強いる面がある。慣れていないと文字を見ただけでイヤになる。でも、文字による理解は、小説を読みながら人物像を自分の脳の中で自分が描き出す作業ができる。これは大変ぜいたくなことです。自分でキャスティングでき、演出も自分でできるから。これは非常にクリエーティブな作業ですよ」



 自分の頭の中で、小説の中の登場人物の声や顔を想像し、創造していますよね。



 「コミック作品をアニメ化した場合、登場人物の声をある声優が担当するでしょう。原作であるコミック作品を読んでいない人は初めから声優の声とキャラクターとを同一視しますが、すでにコミック原作を読んでいる人は、一度自分の脳内でそのキャラクターの声を創造していますから、アニメの声に違和感を抱く場合がある。つまり自分の内なる世界の声が、悪くいえば奪われたと思う。小説を読んで自分の世界をクリエートしていく面白さを知ってほしいです。読者が100人いたら、100通りの物語が描かれる、ということです」



 うれしい、悲しいといっても、人によっていろいろな表現があるのに、映像表現の場合は、その演出家、監督の選んだものに限定、制約されてしまう。それにデジタル時代になって、刺激的な場面でもCGなどではっきりとわかるように映像が作れてしまう。



 「醜いものがあって、別に映さなくても見る人が想像すればわかるようなものまで映像で見せないとお客さんが満足しないと思っている。ひと昔前の携帯電話がない頃、恋人と1カ月会わなくてもどうということはなかったのに、今はのべつ恋人と会っているのにメールのやり取りを頻繁にする。人情もそうなっている。濃い味付けじゃないと満足しないようになっていますね」



 活字文化の将来はどうですか。



 「すべて他人がかみ砕いて、全部わかりやすいように見せてくれることが今は多い。でも、活字を読めば自分の脳内で想像しながら自分の物語を創造できる、というクリエーティブな作業が可能になります。今の時代、近くの店に買い物に行くのにも、自分の足で歩かずに、ひょいと車で行ってしまう。歩くのがおっくうになっちゃうのは恐ろしいことです。健康のためには自分の足で歩きましょう、とよく言われているでしょう。ならば、健康のために脳を歩かせましょう。読書とは脳を歩かせることです」










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職業:
仙人
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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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