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内臓大好き人間

例のコロシテ君を選んだメンバーに松井冬子という画家がいて、猟奇的な絵を描く人らしいという情報があったので、彼女に関するネット情報を探すと、或るブログにこういう記事があった。記事筆者は絵画に趣味のある人らしい。
まあ、ビアズレーやムンクなどのように、怪奇趣味と言うか、怪奇性も人間の感情を強く刺激するものであり、美術の一テーマたりうるが、万民向けの大阪万博のロゴマークに目玉付き内臓を使ってはいかんでしょうwww 衛生大博覧会かよ。ちなみに、コロシテ君とは、あまりにひどい虐待や拷問を受けた人間(身体を極度に毀損され、絶望の極致に陥った人間)が、「……シテ……コロシテ……」と呻く描写から来ているらしい。

(以下引用)

松井冬子さんの画集を購入し、後悔したことについて


人気がある画家と聞いて松井冬子さんの画集を購入した。




よくあることだが、人気がある作品を見もせずに軽蔑して遠ざけ、それを誉める人をバカにして、自分はマイナーな作品に入れ込み、自分だけは本物を知っていると陶酔する人がいる。
私はそんな態度をとることがないように自戒し、人気のあるものにはなるべく目を通すようにしている。
それで、その画集を見た感想であるが次の一言に尽きる。




買わなくてもいいものを、また買ってしまった。




松井さんの絵には内臓をむき出しにした死体の絵とかグロテスクな幽玄美の絵が多い。
そんな絵が若い女性に人気があり、その絵を見ると癒されるそうである。
高度な日本画の技術で、死体とか幽霊の奇抜な題材を描く。
面白いと言えば、面白い試みである。
だがそれらは画家の自己主張を託す題材としては、安易過ぎるのではないだろうか。




平和をテーマにした絵で鳩の絵を描いたり、
神秘をテーマにした絵で宇宙の絵を描いたり、
絶望を表わす絵で、キャンバスを黒く塗りつぶしたりするのと似たような陳腐さを感じる。




衝撃的な作品であることは確かだ。
しかし緻密な筆で死体とか幽霊を描けば衝撃的になるのは当たり前のことである。
例えば、内容のくだらない小説や三流ドラマでも家族や恋人の死ぬシーンでは泣けてくる。
死とかを調味料に加えれば、人の感情は簡単に刺激できる。
どんなマズイ料理でもワサビを大量に入れておけば涙腺が刺激されて泣けてくるのと同じことだ。
だが、それで料理の価値が高まることはない。




私の定義では「テーマ」を持つものが芸術である。
デュシャンが便器にサインしただけの物を芸術と呼べるのも、テーマがあるからである。
(その作品の良し悪しとは別に、芸術であるか否かを論じれば、それは私の芸術の定義を満たすので芸術と言える。)
そして表現されたテーマが心を捉えて離さないのが、美味な作品だ。
テーマのある落書きになら100万円でも払えるが、テーマのない落書きはシンナーで消すだけである。




さて松井さんのテーマは「痛み」だそうだ。特に女性の視点から見た痛みを扱っていると主張する。それについていろいろ語っているNHKの対談を見たこともある。
だが作品のテーマについて語れば、その作品が本当にそのテーマを持ってくれるわけではない。
子供が下手な落書きをして「この作品のテーマは怒りにも似た劣情です」とか言い出しても、その落書きが本当にそのテーマを持っていることにはならない。




私は松井さんの絵を見ても「痛み」を感じなかった。
松井さんが自分の絵について語った説明を思い出して、「痛み」がテーマなのだとようやく分かった。
そして改めて絵を見ても、そんなテーマを絵から汲み取ることはまるでできなかった。
まさか内臓や筋肉をむき出しにしていて、痛そうだから「痛み」を表現していることになるわけでもあるまい。
松井さんの絵は自分の解説に負けてしまっているように感じられる。
テーマを感じるか否かは個人の感性の問題なので、他人が松井さんの作品を芸術とみなすことに異を唱えるつもりはないが、飽くまでも私にとっては松井さんの絵はテーマある芸術ではない。




男社会で女性に生まれてしまったことの葛藤と困難への痛みをこの絵が表現しているとは思えない。
昔に私は斉藤美奈子さんの「モダンガール論」を読んで女性という生き方の困難さを知ったとき、強い「痛み」を覚えた。
自分がこんな痛みを現実に経験する必要のない男に生まれたことを感謝したほどだ。
松井さんの絵からはそのとき感じた痛みの片鱗さえも味わえなかった。


モダンガール論―女の子には出世の道が二つある

モダンガール論―女の子には出世の道が二つある




松井さんの作品が人気がある理由について私は以下を推測する。
それは、松井さんの絵がグロテスクなものに惹かれる感情を刺激する娯楽作品だからだ。
しかもグロを楽しむという悪趣味に対して、芸術鑑賞という上品な言い訳を与えてくれる。




この趣向はマニアックな大人のホラーファンだけのものではない。
子供にだって残虐な絵や物語を好む性質がある。
女子向けのホラーマンガ雑誌や「ねこぢる」の人気からそのことが伺える。
殺人鬼が暴れまわって、哀れな犠牲者が内臓をぶちまけて死んでいくようなマンガが沢山ある。
私はそれを読んで、当然のように「これは大人のマニアが面白がって読むマンガだな」と思う。
しかし本屋をのぞくと、まだ10歳程度の女の子がそれを熱心に読んでいたりするのだ。
そして雑誌のイラストコーナには子供のつたないタッチで描かれた残酷マンガのキャラクターの投稿ハガキが掲載されている。




私はいつの間にか「健全な子供は清く正しい情報のみを摂取するものだ」という偏見を抱いていたようだ。
私だって子供の頃、町の図書館で死産した奇形胎児のホルマリン漬け満載の医学書を見つけて、同級生十数人で回し読みをしていたではないか。
身近にありふれているはずなのに、目にすることを忌まれている死と血と臓物の世界を覗いて見たいという欲求はそう珍しいものではない。




松井さんの絵はそういう欲求を満たしてくれる。
だから見ていて楽しい。
しかしその楽しみ方は芸術作品としてのそれではなくて、娯楽作品としてのそれである。
松井さんの作品は私にとっては芸術品ではなく娯楽品である。




娯楽で何が悪いのか?少しも悪くはない。
だが娯楽としての内臓ならば、ホラーマンガのそれの方が娯楽としてより優れている。
ホラーマンガの秀作である「ゾンビ屋れい子」とかでも見ていればいいのだ。
悪趣味で低俗の極みと嫌われるダリオ・アルジェントゾンビ映画でもいい。
画集代の1万7000円があれば、そういう作品をいくらでも見ることができた。
私にとって松井さんの絵は費用対効果が悪いものだ。
だから私はその画集を購入して後悔したのである。


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