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明治維新とグローバリズム

海音寺潮五郎の「寺田屋事件」を読んでいるのだが、幕末の情勢を改めて考えると、現代の我々にはとうてい実感できない激動の時代だったのだろうなあ、と思う。学校の授業で聞く、維新前の尊王攘夷が一転して明治政府で開国方針に転換したことなど、「へえ」としか思わないが、当時の人間は相当に首をひねったのではないか。現代人だと、明治政府の中枢の人間が西洋社会を自分の目で見て「開国すべきだ」と実感したからそうなった、で納得するだろうが、当時の人間には明治政府による裏切り行為と思われたのではないだろうか。何しろ、相手は東洋の国々を侵略し、中でもイギリスなどは「阿片戦争」という悪辣な行為を行う連中である。それとまともに付き合えるはずがない、と思うのが自然だろう。攘夷論というのは、そういう西洋国家への不信感と危機意識によるもので、単に後進国家(日本)の異人嫌いというものではない。開国すると日本は西洋国家に侵略されるという危機意識があったはずだ。
孝明天皇の異人嫌いというのはよく知られているが、それは生理的嫌悪ではなく、開国によって「西洋に侵略され、占領されるか、そこまで行かなくても西洋文化が流入し、日本が日本であるアイデンティティ(すなわち、皇統)が失われるのではないか」という考えからのものではなかったかと思う。それは少し後に太平洋戦争の敗戦で(天皇という制度が象徴天皇制になった以外は)現実化したわけだ。まあ、日本人全体にとっては、太平洋戦争の敗戦は民主主義の導入となって、幸福な出来事だったと私は思っているが、それで死んだ膨大な人間にとっては幸福どころではない。
孝明天皇が急死せずに明治維新後まで生きていたら、明治政府の開国方針には大きな支障となっていたはずで、やはり孝明天皇の死は開国主義者、現代で言えばグローバリストによる暗殺だったのではないか、というのは自然な推理だと思う。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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