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他人の信じる対象を足蹴にできる人間とできない人間

私も無信心な人間だが、「仏教哲学」を人生観の一部にしているし、聖書の中には素晴らしい知恵の言葉がたくさんあり、詩として美しいところもあると思っている。つまり、人生を精神的に豊かにしてくれるものが、そういう「東西の文化的伝統」の中に膨大にあるわけで、新しいとされるものもそこからしか生まれてこない。
私が神も仏も信じないのに宗教書からの引用をしばしばするのは、それは「人類の偉大な文化遺産」であり、しかもそれが無料で万人に開放されていることを素晴らしいと思っているからだ。実際、宗教は多くの人を破滅させると同時に多くの人の命を救ってきたと思う。ただ、問題なのは無信心な相手を「折伏」しようとする連中で、そういう行動に出ることじたい、その宗教のいかがわしさの証拠だと思っている。
とにかく、カネの上納や教団への奉仕活動を強要する宗教は、だいたいが教団上層部の懐にカネが入っている、と私は思っている。
下のツィートについて言えば、私も、「自分は信じていなくても、その不信に100%の正当性が無いなら、他人の信仰の対象を足蹴にしてはいけない」と思っている。それができる人間は、或る種の勇気もあるだろうが、ひどく粗雑な神経と冷酷な本性を持っているように思う。
ただし、安倍総理に信者がいたとしても、私が自分のブログで安倍総理を「足蹴にする」のは、ここでの話とはまったく別問題であるwww



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私はこの話が本当に好き、というか大事に思っている。
これが「人として生きること」のとても大切な要素のような気がしている。







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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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