副島隆彦の「学問道場」投稿で知った、ウクライナ在住日本人(ウクライナ女性と結婚)のブログである。同じ家族の中でも思想の違いがあるのが分かって興味深い。
(以下引用)
耐え難きもの3つ。①ルーシの地で兄弟が殺し合っていることそのもの。②この期に及んでロシアに心情的に加担しロシアを正当化する言説。③飛行音の幻聴。(思弁的→感覚的の順)
②については、これはもう言ってしまうが、家族の中での話だ。今私たちはオデッサ郊外のダーチャに義父母と私と妻と子の5人で暮らしているわけだが、戦況の推移など論じていると、どうしても皆さん(以前からの慣性で)ウクライナに対して皮肉的・嘲弄的で、逆にロシアへの批難の言葉は口の端に上らないのだ。敵の侵入を阻むためと称してのどこそこの橋の爆破はナンセンスだとか、むしろウクライナの対空兵器によって人が死傷しているとか、そういうことばかり言揚げする。しかし、このすべてを始めたのは誰なんだ、どれかひとつ、このカナメの要素がなければこれらすべてのことはなかったと言えるたったひとつのものを指摘するとしたらそれは何か、ロシアの侵攻、それ以外にないであろうが、どうして、どうしてその事実に目をつぶる?
イルミの針、抜けない棘。一度作られた世界観は、それを防衛するために脳髄はあらゆる詐術を用いる。あと何があればロシアへの盲信を捨てる?村に爆弾が落とされ爆風で窓ガラスが割れ、たまたま窓辺にいた私がズタズタになれば、そのときはさすがにロシアを憎んでくれるか?それとも、その責任も自動的にNATOの東方拡大とかアメリカの覇権主義とかに向くかな。
事の複雑さを示すために、ざっと我が家のメンバーを紹介する。義母は正教とロシア語とプーチンの国ロシアを愛する「ロシア人」で、米帝の走狗=バンデラ主義者どもの政府を心の底から憎み、その統治下で8年間不幸であった。23日にロシア軍の侵攻が始まると随喜の涙を流した:「ついに曙光が」。義父は生え抜きのニコラエフっ子(※オデッサの隣町)でシェフチェンコの詩句を誦す「ウクライナ人」であるが基本的にウクライナ語は解せど話せない、政治的にもマイダン以降の政権よりは圧倒的にプーチンを支持する(義母と違って心酔はしていないが)。妻は義父に似てプーチンロシアに対して是々非々というところはあるがその世界観におけるウクライナ、ロシア、アメリカ、NATOといったものの性格付けは義母におけるそれと何ら変わらない。
この人たちとも連帯は可能である。私はたとえば、私にもささやかながら信条というものはあり、その信条は私の感受性と緊密に結びついてはいるが、それを度外視して、オデッサがついにロシアに併合され、義母が喜びの涙を流すなら、義母のために泣ける。大切な人の命・健康・安心・幸福を守りたいという願いひとつで、連帯できる、ともに戦える。
ペチカの準備をしながら、義父がいつになくしおらしく、私たちは間違っていたということだね、おまえ(私)が心配してたのに、大使館からも言われてたそうなのに、戦争なんかあるわけないとか言って、でも戦争は起こったじゃないか。1か月前にウクライナから出ることもできたのに、私たちの言うことを聞いて出国しなかったこと、いま後悔していないか、と問うので、していない、お義父さんお義母さんの言にもかかわらず、戦争が起こるという可能性を排除したことは一度もなかった、仮に戦争が起こったとしても村でなら十分子供の幸福が守れると結論した、げんに守れている、と答えた。
そのあとの会話の流れを再現してみようと思ったが、ちょっとしんどい。我ながらムチャクチャだと思うから。とにかく、私は子供のいる場で声を荒らげてしまった。ふだん私は義父母の前で相容れないことが分かり切っている政治的主張をすることは慎んでるのだが、バカな私、はじめに挑発的なことを口走ったのは私なのだ、「ある意味では(自分たち家族の安全と幸福が一番大事というエゴイスティックな観点からは)オデッサがロシア領になろうが自分にとってはどうでもいい」などと。応えて義父「お前に分かるだろうか、私はね、ウクライナは飽くまでウクライナのままであってほしいんだ、私が望むのは当たり前に親ロシアなウクライナ(нормальная пророссиская Украина)であって、それ以外のものではない。それに、ロシアが仮にオデッサ併合などしたら、ロシアはいよいよ世界の批難の的になってしまう。でもキエフを奪って、政権を変えて、すっといなくなるのであれば」「ロシアは潔白なままでいられる?(Россия останется чистой?)」「まぁ、な(В общем-то, да)」この瞬間ブチギレてしまったのだ。ロシアが今現にやっていることは絶対に肯定されない、ウクライナの街々の破壊も人死にも、ロシアが攻めてきさえしなければなかったことだ、自分はプーチンのロシアを絶対的に憎む、と喚き散らした。
義父はあえて論駁などしなかった。ごく静かに、そんなこと考えながら私たちの会話を聞いてるのは辛かっただろうねと言った。「そうだね、たしかに・・こんなふうに入ってこられるのは、不快なことだ」
連帯は可能である。だが私もよほど気をつけないといけない。
(以下引用)
耐え難きもの3つ。①ルーシの地で兄弟が殺し合っていることそのもの。②この期に及んでロシアに心情的に加担しロシアを正当化する言説。③飛行音の幻聴。(思弁的→感覚的の順)
②については、これはもう言ってしまうが、家族の中での話だ。今私たちはオデッサ郊外のダーチャに義父母と私と妻と子の5人で暮らしているわけだが、戦況の推移など論じていると、どうしても皆さん(以前からの慣性で)ウクライナに対して皮肉的・嘲弄的で、逆にロシアへの批難の言葉は口の端に上らないのだ。敵の侵入を阻むためと称してのどこそこの橋の爆破はナンセンスだとか、むしろウクライナの対空兵器によって人が死傷しているとか、そういうことばかり言揚げする。しかし、このすべてを始めたのは誰なんだ、どれかひとつ、このカナメの要素がなければこれらすべてのことはなかったと言えるたったひとつのものを指摘するとしたらそれは何か、ロシアの侵攻、それ以外にないであろうが、どうして、どうしてその事実に目をつぶる?
イルミの針、抜けない棘。一度作られた世界観は、それを防衛するために脳髄はあらゆる詐術を用いる。あと何があればロシアへの盲信を捨てる?村に爆弾が落とされ爆風で窓ガラスが割れ、たまたま窓辺にいた私がズタズタになれば、そのときはさすがにロシアを憎んでくれるか?それとも、その責任も自動的にNATOの東方拡大とかアメリカの覇権主義とかに向くかな。
事の複雑さを示すために、ざっと我が家のメンバーを紹介する。義母は正教とロシア語とプーチンの国ロシアを愛する「ロシア人」で、米帝の走狗=バンデラ主義者どもの政府を心の底から憎み、その統治下で8年間不幸であった。23日にロシア軍の侵攻が始まると随喜の涙を流した:「ついに曙光が」。義父は生え抜きのニコラエフっ子(※オデッサの隣町)でシェフチェンコの詩句を誦す「ウクライナ人」であるが基本的にウクライナ語は解せど話せない、政治的にもマイダン以降の政権よりは圧倒的にプーチンを支持する(義母と違って心酔はしていないが)。妻は義父に似てプーチンロシアに対して是々非々というところはあるがその世界観におけるウクライナ、ロシア、アメリカ、NATOといったものの性格付けは義母におけるそれと何ら変わらない。
この人たちとも連帯は可能である。私はたとえば、私にもささやかながら信条というものはあり、その信条は私の感受性と緊密に結びついてはいるが、それを度外視して、オデッサがついにロシアに併合され、義母が喜びの涙を流すなら、義母のために泣ける。大切な人の命・健康・安心・幸福を守りたいという願いひとつで、連帯できる、ともに戦える。
ペチカの準備をしながら、義父がいつになくしおらしく、私たちは間違っていたということだね、おまえ(私)が心配してたのに、大使館からも言われてたそうなのに、戦争なんかあるわけないとか言って、でも戦争は起こったじゃないか。1か月前にウクライナから出ることもできたのに、私たちの言うことを聞いて出国しなかったこと、いま後悔していないか、と問うので、していない、お義父さんお義母さんの言にもかかわらず、戦争が起こるという可能性を排除したことは一度もなかった、仮に戦争が起こったとしても村でなら十分子供の幸福が守れると結論した、げんに守れている、と答えた。
そのあとの会話の流れを再現してみようと思ったが、ちょっとしんどい。我ながらムチャクチャだと思うから。とにかく、私は子供のいる場で声を荒らげてしまった。ふだん私は義父母の前で相容れないことが分かり切っている政治的主張をすることは慎んでるのだが、バカな私、はじめに挑発的なことを口走ったのは私なのだ、「ある意味では(自分たち家族の安全と幸福が一番大事というエゴイスティックな観点からは)オデッサがロシア領になろうが自分にとってはどうでもいい」などと。応えて義父「お前に分かるだろうか、私はね、ウクライナは飽くまでウクライナのままであってほしいんだ、私が望むのは当たり前に親ロシアなウクライナ(нормальная пророссиская Украина)であって、それ以外のものではない。それに、ロシアが仮にオデッサ併合などしたら、ロシアはいよいよ世界の批難の的になってしまう。でもキエフを奪って、政権を変えて、すっといなくなるのであれば」「ロシアは潔白なままでいられる?(Россия останется чистой?)」「まぁ、な(В общем-то, да)」この瞬間ブチギレてしまったのだ。ロシアが今現にやっていることは絶対に肯定されない、ウクライナの街々の破壊も人死にも、ロシアが攻めてきさえしなければなかったことだ、自分はプーチンのロシアを絶対的に憎む、と喚き散らした。
義父はあえて論駁などしなかった。ごく静かに、そんなこと考えながら私たちの会話を聞いてるのは辛かっただろうねと言った。「そうだね、たしかに・・こんなふうに入ってこられるのは、不快なことだ」
連帯は可能である。だが私もよほど気をつけないといけない。
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