ただ、ローマに征服された当時のユダヤ王国民が農耕民だったというのは正しいのかどうか。もちろん、遊牧と牧畜を区別し、さらに牧畜は農業であるとして、当時のユダヤ人は定住的農業民族だったとは言えるだろう。まあ、「農耕民」という言葉の定義次第か。
(以下「逝きし世の面影」から抜粋)
教えて池上さん
ユダヤ人たちは2000年前にエルサレムに神殿を持っていましたが、ローマ帝国と戦争して神殿を破壊されエルサレムを追い出されて、ユダヤ人の多くはヨーロッパに移り住んだのです。
「牽強付会」による贔屓の引き倒し
まさに子供騙しの真っ赤な嘘で、2000年前当時のローマ帝国に負けて国を失ったのはパレスチナのユダヤ王国だけではない。ヨーロッパのスペイン、イギリスやフランス、長い長い独自の文明を誇っていたギリシャやエジプトを含む北アフリカ全域や中東まで数十カ国の全てがローマ帝国に併呑されているのですよ。
しかし、誰も「流浪の民」なんぞにはならない。不可解な「流浪の民」になったのはロシア帝国が指定した「ユダヤ人定住地域」の非セム族白人「改宗ユダヤ人」カザールの末裔(白人「ユダヤ人」アシュケナージ)だけなのです。遊牧民ならいざ知らず、農耕民であるユダヤ王国市民は国を失っても大部分がローマ帝国市民権を得て今までと同じように平穏に暮らし続けていた。そもそもローマ帝国内ではユダヤに限らず少数民族保護が徹底していたので大帝国を建設出来たのである。