今でも、学生や児童への推薦図書という習慣はあるのだろうか。たとえば、「夏休み推薦図書」とか。まあ、ああいったリストを渡されて真面目に読んだ生徒はほとんどいないのではないかと思うが、あれはあれで、頭の片隅に「こういう真面目な本は読んだほうがいいのだろうな」という気持ちを残すと思うので、悪い習慣ではなかったと思う。文学的な作品は「他者の内面への想像力」を育てる、ほとんど唯一の手段だと思うからだ。テレビドラマや映画では内面描写がかなり困難であり、それは漫画でも同じだろう。子供のころに宮沢賢治や浜田広助や新見南吉や小川未明などの童話(の内面描写)を読むことで、自己犠牲とか他者への愛情とか人間の弱さ、苦しみ、喜びなどを理解した人間と、そういう文章にまったく無縁で成長した人間では、「人間の質」が違うと私は思っている。人間になるか、「愛情もカネで買える」と言うような、冷酷なモンスターになるかだ。
とは言え、「夏休み課題図書」を出した教師たちが、自分で本当にそれらの本を読んでいたとは私は思わない。どうせどこかから探してきたリストだったのだろう。そうでなければ、「読むのに一年かかりそうな長い作品」を50冊も指定するはずがない。もっとも、本当に読むのに一年かかるか、というと、そんなはずはないだろう。たとえば「大菩薩峠」なんて、長いことは長いが、あまりに面白いので私は読み終わるのが残念なほどだった。おそらく、長いだけでなく退屈な作品だから「読むのに一年かかる」のだろうから、そんなのは読む必要はないと思う。「戦争と平和」にしろ、「カラマーゾフの兄弟」にしろ、とてつもなく面白いのだから、若くて体力のある時代に読むべき本だろう。それらの中には読む前と読んだ後では「頭の中身」ががらりと変わるものもある。あるいは「世界の見方」が変わる、と言ってもいい。
とは言え、「夏休み課題図書」を出した教師たちが、自分で本当にそれらの本を読んでいたとは私は思わない。どうせどこかから探してきたリストだったのだろう。そうでなければ、「読むのに一年かかりそうな長い作品」を50冊も指定するはずがない。もっとも、本当に読むのに一年かかるか、というと、そんなはずはないだろう。たとえば「大菩薩峠」なんて、長いことは長いが、あまりに面白いので私は読み終わるのが残念なほどだった。おそらく、長いだけでなく退屈な作品だから「読むのに一年かかる」のだろうから、そんなのは読む必要はないと思う。「戦争と平和」にしろ、「カラマーゾフの兄弟」にしろ、とてつもなく面白いのだから、若くて体力のある時代に読むべき本だろう。それらの中には読む前と読んだ後では「頭の中身」ががらりと変わるものもある。あるいは「世界の見方」が変わる、と言ってもいい。
『10代はこれを読め』みたいなリストはぼくの学生時分にもあったが『ジャン・クリストフ』とか『ベートーベンの生涯』とか読むのに一年かかりそうな途方もなく長い作品が50連ねてあったりした…こういうリストを作るひとはアホだと思った方がいい…10代を無駄にしてしまうよ
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