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富永仲基の「真の道」

私の別ブログに載せた、富永仲基の「翁の文」(私が大雑把に現代語訳したもの)の一部だが、「神無き世界の道徳」としてはこれくらいが常識的で健全で、自分をも周囲をも社会をも幸福にする指針ではないだろうか。もちろん、江戸時代の人間の思想だから、「主君に心を尽くす」「妻を率いる」など、今ではピンと来ない部分もあるだろうが、短絡的に否定せず、外面ではなくその主旨を見るべきだろう。たとえば、「主君に尽くす」とは、組織やプロジェクトチームのリーダーを信じて部下として誠実に行動する、などの意味に取ればいい。「妻を率いる」は、男が先頭に立って家庭を守る、ということと解すればいい。それも、かつては「家庭内存在であった」女性が「社会化」した現代社会では、「なるべくなら」という程度でいいのではないか。

下に書かれたことの、私が考える最重要点だけ先に抜き出しておく。

1.物事の「当たり前」のことを務める。
2.今の仕事を生活の中心とする。
3.心をまっすぐにする。
4.身持ちを正しくする。
5.物の言い方を丁重にする。
6.ふるまいを慎む。

などである。べつに難しいことは何も書かれていないが、これを守ることができたら、実に立派で尊敬できる人間になるだろうな、と思う。そして、そういう人間がほとんどである社会は理想社会だろうな、と思う。いわば「市民的道徳」の理想だ。
まあ、市民的道徳と言うと何だか小さく見えるが、それは儒仏神などのような大仰な飾りがないからそう見えるだけで、平凡だから価値が無い、と思うこと自体が思考の出発点として間違っているのである。(儒教仏教神道の「飾り」については『翁の文』の他の部分で説明されている。)



翁の文(第六節)

それでは、その真の道の、今の世の日本で行われるべき道はどうかと言うのなら、ただ物事の当たり前のことを務め、今の仕事を本として、心をまっすぐにし、身持ちを正しくし、物の言い方を丁重にし、ふるまいを慎み、親がいる者はよくこれに仕え、(翁の自注に言う、六向拝教を見るべし、もっぱら五倫のことを説いている、また儒者もこれを重んじている、また神令にもこの五種を載せておられる、これは真の道は三教の道にも欠かせないものである印である、と。)主君がある者は、よくこれに心を尽くし、子がある者はよくこれを教え、臣下がある者はよくこれを治め、夫がある者はよくこれに従い、妻がある者はよくこれを率い、兄がある者はよくこれを敬い、弟がある者はよくこれを憐れみ、年寄りに対してはよくこれを大切にし、幼い者に対してはよくこれを慈しみ、先祖のことを忘れず、一家の親しみを疎かにせず、人と交わってはまごころからの誠意を尽くし、悪い遊び(注:遊蕩のことだろう。)をせず、優れたものを尊び、愚かな者をあなどらず、おおよそ我が身に当てはめて(考え)、悪いことを人に為さず、鋭く角々しいことをせず、僻んで頑なにならず、せかせかと余裕の無い態度をせず、怒ってもその際限を誤らず、喜んでもその守りを失わず、楽しんでもそれに淫せず(溺れず)、悲しんでも迷いに至らず、十分なことも不十分なことも、みな自分の幸福だと心を満足させ、受けてはならないことは塵ほどのものも受け取らず、与えるべき場合には国や天下でも惜しまず、衣食の良い悪いも、自分の身の程に従い、贅沢をせず、吝嗇でなく、盗まず、偽らず、色を好んでも理性を失わず、酒を飲んでも乱れず、人に害の無いものを殺さず、食物を慎み、悪いものを食わず、多くは食べず、(翁の自注に言う、云々:この段の論拠が古典や経などにあることを述べているだけなので省略する。)暇な時には自分の身に利益のある芸を学び、賢くなることを務め、(翁の自注に言う、云々:同様に省略)今の文字を書き、今の言葉を使い、今の食物を食い、今の衣服を着、今の調度を用い、今の家に住み、今の風俗習慣に従い、今の掟を守り、今の人と交際し、さまざまな悪いことをせず、さまざまな良いことを行うのを真の道と言い、また今の世の日本で行われるべき道とも言うべきである。


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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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