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あの戦争の犠牲を無にする、現代日本という愚劣な社会

「先人たちが命をかけて戦ってくれたお陰で私たちが生きている」

というロジックもネトウヨ論法としてよく見るが、ちゃんと検討してみると面白い命題文(真偽の判断が可能な文)かもしれない。
さて、先人たちが命をかけて戦ってくれた結果として私たちは生きているのだろうか。つまり、彼らが戦わなければ日本人は皆殺しにされ、その子孫はひとりも存在しなくなったのだろうか。
もちろん、そんなことは有り得ないが、「そういう意味ではない」と言うのなら、この命題文は何を意味しているのだろうか。
あの戦争は事実上、「日本が起こした戦争」であり、そのために多くの日本人が戦場で死に、あるいは民間地域の空爆や原爆や沖縄の地上戦で死んだ。(日本人以外の人も膨大に死んだ。)そうすると、彼らが死んだおかげで(現在の)私たちが生きている」というのはどういうロジックなのだろうか。多くの人が死ねば、敵国が「まあ、これだけ殺せば十分だから残りは助けてやるか」と思ったとでも言うのだろうか。
この問題を言い換えれば、「戦場で戦った人たち」の行為(つまり、敵を殺すという行為)が、現在の人間が生きている、ということとどういう論理でつながるのか、ということである。
なお、私は戦場で亡くなった人たちを気の毒だとしか思わない。彼らが戦ったという行為にはべつに感謝はしないのである。むしろ国民全員が徴兵拒否をする「勇気」を持っていてほしかったくらいだ。
今の私が生きているのは、戦地から生きて帰ってくることができた亡父の幸運(まあ、戦後の苦労より、戦地で死んだほうが当人自身には幸運だったかもしれないが。)のおかげであり、その父親に対しては「私のために戦ってくれてありがとう」ではなく、(そもそも、父親が戦地にいた時に私は生まれてもいない。74歳以下の人間はすべてそうだ。)「戦わされて気の毒だったなあ」「(戦地での話はまったく聞いていないが、かりに敵兵をひとりでも殺していたら)一生の心の傷になっただろうなあ」「戦争があったために戦後も大変な苦労をしただろうなあ」という感情だけだ。

あの戦争の犠牲者たちの死を無にするのは、日本が再び戦争をすることであり、そのように仕向ける言説がはびこることである。まあ、私が戦死者なら、空の上で、あるいは草葉の陰で「お前らのような糞馬鹿のために俺は死んだのかよ」と思うだろう。



(以下引用)





「先人達が命をかけて戦ってくれたお陰で私達が生きている」って、具体的に何のことですか?  ちなみに日本が起こした第二次世界大戦では日本人が300万人亡くなりました。





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