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「条件文」での約束の罠

私は、乙武洋匡という人間は(その言行をネットで知る限り、嫌な性格の人物で)嫌いなのだが、下の発言(記事タイトル)は非常に鋭いと思う。やはり頭はいい人間で、障害者の立場から社会に発信するには得難い人物なのかもしれない。
とは言っても、下の記事(有料記事)を読んだわけではない。この一文だけで内容は想像がつく。中学生の国語の試験で使ってみたい一文だ。

Q:この一文から「頑張れば報われる社会」というメッセージに潜む罠の内容を推定して200字以内で書きなさい。


といった感じ。
もちろん、そのメッセージが「~すれば」という仮定形で書かれている「条件文」であるところに罠があるわけだろう。つまり、

「頑張れば報われる」と約束したけど、あなたは頑張っていないからダメ。

ということで、多くの人間が「報われ枠」から排除されるということだ。当然、頑張ったかどうかは上の人間が恣意的に判断を下すから、報われる人はほんの一握りになる。そして、その結果、「あいつは報われていないのだから、頑張らなかったダメな奴だ」という周囲の評価が彼ら「報われなかった人々」の上に積もっていく。これは一種の地獄かもしれない。
で、今の社会が「年功序列」から「実力主義評価」になったのも、これと同じだ。「評価」は上の人間が恣意的に行うから、上の人間へのゴマすりが上手い「陽キャラ」が高く評価されることになり、世渡りの下手な人間は下に沈んでいく。
そもそも、世の中には最初からハンディを持って生まれた人(家柄、財産などもそれだ。)がたくさんおり、そのハンディは努力で克服できないものも多い。身体的障害などはそれだろう。そういう人が「頑張る」のと普通の人が「頑張る」のとではまったく条件が違う。私は年よりで物凄い鈍足だが、乙武氏と50メートル走をしたら、多分勝てると思うwww  しかし、乙武氏が車椅子に乗っての勝負なら、たぶん負ける。さて、これは「不公平な勝負」だろうか。
要するに、勝負事というのは最初からすべてハンディがあるのであり、その中の上位者(健常者)だけを前提にして社会の「競争」を論じるのはインチキだ、ということだ。
ここでは「競争」と書いたが、この「頑張った人が報われる」は、まさしく競争を前提としているのである。「頑張った人が報われる」という言葉はその背後に「頑張らなかった人は報われないのが当然」を含意しているということだ。
まあ、競争を前提としなくても、条件文というのは、その条件内容が漠然としていたら、それで詐欺ができる。
あなたが親なら、子供にたとえば「お祖父ちゃんちでいい子にしてたらお小遣いをあげる」と約束してみたらいい。幼い子供なら、その「いい子」の定義や内容も分からないまま、必死でいい子にしたつもりになるだろう。そうして後で子供が「お小遣いは?」と言ってきたら、子供の些細なミスを取り上げて「あなた、御挨拶、ちゃんとしなかったでしょ。だからお小遣いはだ~め」とか言うわけだ。子供は確実に親への不信感を持つことになるだろう。
しかし、大の大人の会社員なども案外、この幼児と同じ行動をするのである。自慢ではないが、私もたぶん騙される。




(以下引用)

「頑張れば報われる社会」というメッセージに潜む罠。




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