記事内容はありきたりの「専門家談話」が多くて物足りないが、タイトルだけはいい。今の日本の最大の問題は、保育所問題よりも介護問題だろう。そして、この問題は、日本全体の貧困化に伴って、今後拡大深刻化していくのは確実だ。
で、解決策としては麻生財務大臣流に「老人は死ねばいいんじゃね?」で行くのか、それとも、あくまで生かす方向で行くのかどうかである。
私の予測はだいたい当たるのだが、現政権の重鎮が、老人は死ね、という思想である以上は、その方向で行くことは確実だと思う。実際、老人介護をしている家庭の人間も
「『長く生きて』という気持ちと、『早く死んで』という矛盾した気持ちの葛藤に悩まされた」というのが正直な気持ちだろう。
「リソース(原資)」という、内田樹好みの言葉を使うならば、
個人の生活の精神的物質的リソースが、認知症老人一人のために蕩尽されている、というのが老人介護家庭の現実だと思う。いや、老人には限らず、難病患者や身体(精神)障碍者を持つ家庭はすべてそうではないか。
それを救うのが社会福祉制度であるのだが、その制度がどんどんやせ細っている。カネはカネのあるところにしか行かず、カネの無いところから吸収してカネのあるところに流れ込むのが今の社会体制である。
まあ、私としては、「安楽死」を認めるように法を作ることが現実的な解だと思っている。たとえば、自力で生きる能力の無い老人や病人や障碍者に年金を打ち切ったり、生活保護認定を拒否したりするのは、これは「殺人相当行為」であるが、現実には堂々と行われている。ならば、もっとはっきりと、「自力で生きる能力の無い人間(の家庭)には安楽死を認める」ことにするべきではないか。それによって救われる家庭がどれほどたくさんあることか。
もちろん、「安楽死」を認めることは、「殺人を公認する」ことである。自分の手でやれば自殺だが、現実には、医者や家族が安楽死対象者の殺害を遂行することになるはずだ。
だが、「人を殺してはいけない」と言いながら、実際には「状況的に人を殺すように強制している」のが今の社会ではないだろうか。
いい加減、偽善をやめないと、下の記事のような不幸はこれから増大していく一方だろう
ついでに言っておく。
11年以上介護した寝たきりの妻=当時(69)=を絞殺したとして今年5月に懲役3年6月の実刑判決を受けた70代の夫のような事件については、今後は「緊急避難の原則」つまり、「相手を殺さないと自分が死ぬという状況での殺人は無罪とされる」という原則の拡大援用が行われるべきである。これは「カルネアデスの舟板」として知られる原則だが、海で遭難して一枚の舟板に二人の人間がつかまり、その板は一人の体重しか支えられないなら、相手を板からひきはがして自分だけ助かっても無罪である、ということである。この70代の夫は、まさにその状況ではないか。いや、自分だけ助かりたいとは思っていなかったかもしれないが、少なくとも、この事件でこの夫が「有罪か無罪か」と言えば、無罪に決まっている、ということなのである。
(以下引用)
相次ぐ介護疲れによる高齢家族殺害 「孤立化」が悲劇招く
長年の介護疲れから、高齢の家族を殺害する事件が後を絶たない。
終わりが見えないことから「ゴールのないマラソン」「生き地獄」とも表現される過酷な介護生活。専門家は「独りで抱え込まず周囲や行政に相談を」と訴える。
「介護が終わるのは、その人が亡くなるとき。子育てのような達成感も明るい未来もない中で、24時間心身ともに休まらずに消耗し続ける生き地獄のような介護生活が続くと、そのむなしさと悲しさから鬱状態となるケースが少なくない」
NPO法人「心の健康相談室」(東京)代表で、心理カウンセラーの和田由里子さんは指摘する。自身も認知症の母親を介護した経験がある和田さんは「『長く生きて』という気持ちと、『早く死んで』という矛盾した気持ちの葛藤に悩まされた」と振り返る。
警察庁によると、「介護・看病疲れ」が動機の殺人事件(未遂を含む)は統計を取り始めた平成19年の30件から年々増加。22年の57件をピークに、その後も40~50件台で推移している。
介護問題に詳しい淑徳大の結城康博教授(社会福祉学)によると、介護殺人の加害者に共通する点は、(1)責任感が強く熱心に介護してきた人(2)仕事と思って手を抜くことができない男性が多い(3)親戚(しんせき)や介護サービスなどの支援を受けず孤立化した人-だという。
昨年12月、栃木県で11年以上介護した寝たきりの妻=当時(69)=を絞殺したとして今年5月に懲役3年6月の実刑判決を受けた70代の夫の裁判では、検察側が「ケアマネジャーに相談し、ショートステイや施設の利用を検討すべきだった。独り善がりの考えでストレスを抱え込んだ」と指摘。夫も「ケアマネジャーの人にもっと話しておけばよかった」と後悔した。
和田さんは「介護は独りで抱え込まず、各自治体にある地域包括支援センターなどに相談し、介護体制を整えることが重要」と強調する。結城教授は「介護サービスを受けたり、施設に預けたりすることは、恥ずかしいことではなく、当然のことという啓発をして社会全体に浸透させる必要がある」と指摘している。

(追記)これから、毎日のようにどこかでこういう事件が起こるだろう。
利根川心中です。「そうか、あかんのか、一緒やで」です。痴呆の婆さんと、歩けなくなった爺さんを抱えた中年の行かず後家が、生活保護の役人に虐められて死を決意。アベノミクスの被害者がまた、ここにも。何が「介護離職ゼロ」だよ。社会保障を削りまくっているから、こうやって弱者が死に追いやられる。
埼玉県深谷市を流れる利根川で昨年11月、両親を溺死させたとして殺人と自殺幇助(ほうじょ)の罪で起訴された三女、波方被告(47)=同市稲荷町北=に、さいたま地裁は6月23日、懲役4年の実刑判決を言い渡した。母は認知症、一家を養ってきた父も病気に倒れ、生活保護を申請しながら一家心中の道を選んだ3人家族。「死んじゃうよ」「ごめんね」-。生き残った娘は、法廷で心中に至る様子を生々しく語った。 カネの問題だけじゃない。日本の今の社会には、弱者に対する優しい視線というのが存在しない。カネがないのはクビがないのも同じという、ガリガリの拝金主義だけ。江戸時代、明治時代には、年取って食い詰めて、他人の厄介になって死ぬ人もたくさんいた。今は、食い詰めても、誰も面倒見てくれない。足りないのはカネじゃない、「心」だ。 |

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