マルクスなどよりよほど早い「資本主義批判」であり、その歴史的意義もマルクスより大きいと思うが、あちらは「科学的」という衣装をまとって人々を幻惑したのである。
(以下引用)下線部は夢人による強調で、まさにこれが資本主義の本質だろう。
『人間不平等起源論』の執筆[編集]
1753年、ディジョンのアカデミーが再び「人々の間における不平等の起源は何であるか、そしてそれは自然法によって容認されるか」という主題のもと懸賞論文を募った[54][55]。ルソーは論文執筆のためにサンジェルマンに行った。かの地で、ルソーは彼にとってさらに本質的な問いに対して『人間不平等起源論』(Discours sur l'orgine de l'inégalité parmi les hommes, 1755)を著した。ルソーは『学問芸術論』の論文の文明批判の思想を更に展開させた。『人間不平等起源論』は41歳にして書き上げたルソー初の大作であり、懸賞論文への解答であった[56]。
ルソーは、原初の自然人は与えられた自然環境のもとでその日暮らしをしており、自己愛と同情心以外の感情は何も持たない無垢な精神の持ち主であったと想像した。冒頭に登場する自然人の描写は「原始人」といってもよい段階である。ルソーは本書において進化論を採用しなかったものの、現代科学でいうなら旧石器時代に現れた化石人類に相当する種をイメージしたと考えられる。先史時代における平等で争いのない自然状態を描きだしていった[57][58]。
しかし、こうした理想の状態は人間自身の技術的な進歩によって失われていったと見た。狩猟の道具が高度になり、獲物の数も増え人口も増加した。狩猟採集段階に到達した人類の「自然人」イメージはインディアンやコイサン族など現存する未開人をモデルに描かれた。やがて、人々が農業を始め土地を耕し家畜を飼い文明化していく中で、生産物から「余剰」が、すなわち不平等の原因となる富が作り出され、富をめぐって人々がしだいに競い合いながら不正と争いを引き起こしていったと考えた[59]。「私有財産制度がホッブス的闘争状態を招いた」と指摘したのである[60][61]。また、文明化によって人間は「協力か死か」という状況に遭遇するが、相互不信のため協力することは難しいと喝破した。これは一般的にルソーの「鹿狩りの寓話」として知られる。
やがて、こうした状況への対処として争いで人間が滅亡しないように「欺瞞の社会契約」がなされる。その結果、富の私有を公認する私有財産制が法になり、国家によって財産が守られるようになる。かくして不平等が制度化され、現在の社会状態へと移行したのだと結論付けた[62]。富の格差とこれを肯定する法が強者による弱者への搾取と支配を擁護し、専制に基づく政治体制が成立する。「徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽」に基づく桎梏に人々を閉ざし、不平等という弊害が拡大していくにつれて悪が社会に蔓延していくのだと述べた[63]。ルソーはこうした仮説に基づいて、文明化によって人民が本源的な自由を失い、社会的不平等に陥った過程を追究、現存社会の不法を批判した[64]。
不平等によって人間にとっての自然が破壊され、やがて道徳的な退廃に至るという倫理的メッセージを含んだ迫力は人々のこころに恐怖感を煽るほどの強烈な衝撃となった。その後この書はヴォルテールなど進歩的知識人の反発を強めさせ、進歩の背後に堕落という負の側面を指摘する犬儒性の故に「世紀の奇書」とも評された[65]。