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全能と無能の主観的価値

澁澤龍彦の或る評論というか、随筆のようなものを読んでいたら、

「化け物は全能なので、何かを望めば即座にそれが手に入る。したがって、『あきらめる』ということだけが不可能であり、そこが人間が化け物に優越しているところである」

という趣旨のことが書いてあり、興味深い逆説だな、と思ったが、まあ、単なる言葉遊びと思う人のほうが多いだろう。
これを「化け物」ではなく、「全能の神」に置き換えたら、人間という無能な存在は、その無能さゆえに神に勝っている、ということになる。まったく、全能の神であることほど退屈なものはないだろう。人間は無能だからこそ、何かを得るために努力をする。その過程でいろいろな喜びに遭遇するわけだ。とすれば、望めば即座にすべてが手に入る全能の神は退屈さのあまりニヒリズムに陥るのではないかwww 
ところで、澁澤龍彦はここで「あきらめる」ことを価値ある行為だと見做しているわけだが、人間があきらめるものの中で最大のものは、自分自身の生命であり自分自身の人生だろう。自分の生命や人生を犠牲にしても得たい何かがあって、そのために自己犠牲をするというのは、人間のもっとも困難な、勇気の要る行為であり、それができる人間はほとんどいない。だからこそ、自己犠牲のドラマは常に多くの人を感動させるのである。

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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