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新コロ詐欺世界は戦時下社会

下に引用するのはこの前「徽宗皇帝のブログ」に載せたばかりの伊丹万作の「戦争責任者の問題」の一節だが、この社会状況は、政府に完全に統制され、その統制が人々を「自発的統制」にまで追いやった全体主義社会である。つまり、戦時下の日本社会はスターリン支配下のソ連(私は西側の流した情報でしかその姿を知らないが)と酷似していたというわけだ。
戦前から戦中の日本政府は日本の共産主義化を死ぬほど恐れてコミュニストを捕えて拷問し転向させるか死に追いやったが、その結果(か?)、自ら共産主義国家以上の冷酷な全体主義国家になっていったというのは皮肉である。というより、統制社会というのは警察国家になり密告主義国家になり、自発的に統制に従う従順な家畜の国になる、ということだろう。
面白いのは、新コロ社会の現実が、まさにこの「戦時下の日本」と実にそっくりであることだ。

たまに外出するとき、マスクをせずに出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。

まあ、そこまで憎悪の目で見られるというのは大袈裟だが、いずれそうなってもおかしくない。それが「全体主義社会」の自然の成り行きだからだ。ワクチンを打たないのは「非国民」扱いされるのはもはや目に見えている。

(以下引用)


 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

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