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レギオンに満ちた世界

別ブログに書いたものを自己引用しておく。
「神が存在しなければ作る必要がある」と言ったのはヴォルテールだと思うが、無信仰の時代とは無道徳の時代でもあるということを予見した優れた言葉だと思う。
ただし、私は「神無き時代の道徳」を、きちんとした根拠のもとに倫理学者や哲学者が作り上げる必要があると思っている。

(以下自己引用)

「in deep」の一節で「レギオン」という言葉が聖書のマルコによる福音書の中に出てくるということに関する記述である。

(以下引用)


先ほどの「マルコによる福音書」は、この映画の中に出てきて、当時聖書など知らない私は、この下りをこの映画ではじめて知ります。映画での場面の説明的に書きますと、以下のように出てきます。


エクソシスト3の場面より説明


老刑事が、悪魔的な殺人事件の現場で、「部分的に焼かれている聖書」を見つける。刑事は「聖書の焼かれている部分」に着目し、その部分を家にある聖書で読み直す。


刑事 「イエスは悪霊の取りついた男の名を聞かれた。その者は答えて言った。レギオン・・・大勢だから・・・」


刑事 「・・・大勢・・・・・」


このように、刑事は、


「大勢」


という言葉を呟くのですけれど、これが意味するところは、


「悪魔の代行者がこの世にはたくさんいる」


という意味でもあるはずで、つまり、


「この世は、悪魔の手先のような存在で満ちている」


と。


では、


「どのような存在が悪魔の手先なのか」


ということについて、エクソシスト3では明確に書かれているのです。それは、


「一般の人間」


なのです。


どんな人間なのかといいますと、その内容が、今のような時代には大っぴらには表現しにくいかと思いますが、


「心の弱い人間たち」


なのです。


エクソシスト3では、途中から精神病院が舞台になりますが、


・精神を病んでいる
・意志が弱い
・良心が弱い


というような人たちは容易に悪魔にコントロールされるというような雰囲気の描写が続きます。



(以上引用)

英和辞書でregionは「地方、範囲、領域」だが、regを語頭に持つ語の中でregiment「連隊、大勢」、あるいはregnant「統治する、優勢の、流行の」などが、「大勢の」のニュアンスを持つ言葉だろうか。
で、レギオンは悪魔そのものではなく、「悪魔に憑(と)りつかれた者」の意味があるかと思うが、ドストエフスキーの「悪霊」も、悪霊そのものを主題とするものではなく、悪霊に憑りつかれた者、つまりレギオンとしてのスタヴローギンを描いたものではないか。そのスタヴローギンは、能力的には何でも為しうる人間でありながら、「精神を病んでいる」「意思が弱い」「良心が弱い」ために、何事もなせず、ただ無力な幼女を犯すという最低の行為しかできなかった人間として描かれる。
神という存在が完全に否定された現代では、無数のレギオンが地上を埋めているかもしれない。

ただし、上で書いた「精神を病んでいる」は、現代科学の定義の上での精神病ではおそらくない、ということを一言しておく。これは理性的に、あるいは道徳的に健全さを失っている意味だろう。現代科学の「精神病」は単に社会的不適合を病気扱いする傾向が強い。これは金儲け至上主義の資本主義の帰結だろう。つまり、コミュ力が第一義である社会から「病気」として排除されるわけだ。昔なら「職人気質」だったものすら今では病気扱いである。

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