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風景と情景

辞書的に「風景」と「情景」に違いがあるかどうかは知らないが、あえて違いがあるとして考察してみよう、というわけである。

私は、あまり有名でもない「Re.Life」というアニメ(実写化もされている)が大好きで、三回ほど見ているが、そのオープニングに流れる歌の中に「放課後にしかない茜の空」という歌詞の一節がある。
茜の空は、晴れた日なら毎日でも夕方に(あるいは朝にでも)あるもので、それが「放課後にしかない」はずはないわけだが、それは理屈での話で、高校の部活帰りなどに見た茜の空は、青春のその一時期にしか存在しないものだ、というのが私の言う「情景」の意味だ。
そして、その青春の一時期の貴重さを見事に描いているから、私はこのアニメが好きなのだが、それは私には青春というものが存在しなかったからだろう。私は自分の存在そのものに絶望していて、周囲を眺める余裕などまったく無かったのである。まあ、単に「理想の自分でない自分」に絶望していただけの話で、愚劣な絶望だったのだが。
それはともかく、私が、「青春の時期というのは青春時代にしか存在しない」という、当たり前の事実をちゃんと認識していたら、きちんと努力してまともな青春時代を送っていたかもしれない、という思いもある。まあ、別に自分の人生を後悔しているわけでもないが、そういう「まともな青春」への憧れが心の底に残っているのだろう。老人になったのは外見だけだ。
最初の話に戻って、「風景」と「情景」の違いだが、風景とは単に「見えるもの」である。単なる「外界」である。それに対して「情景」とは、「自分の心情で染められた景色」である。
つまり、感受性の強い若いころに見た風景はだいたい情景であり、中年以降に見る風景は風景のままだろう、というのがとりあえずの結論だ。



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酔生夢人
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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