(以下引用)
好きな感じの構図でしたので、見てみましたら、これは、1961年に出版された、ドイツ人哲学者であるハンナ・アーレントさんという方による、
『エルサレムのアイヒマン - 悪の陳腐さについての報告』
という本でした。その後、1963年に米国の雑誌に掲載され、大きな議論を巻き起こしたのだそう。
この本は、タイトルに「アイヒマン」とありますように、アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送に関わったアドルフ・アイヒマンの記録で、Wikipedia には以下のようにあります。
『エルサレムのアイヒマン - 悪の陳腐さについての報告』は、ハンナ・アーレントによるアドルフ・アイヒマンの裁判記録。
アーレント自身が、1961年4月11日にエルサレムで始まった公開裁判を欠かさず傍聴し、アイヒマンの死刑が執行されるまでを記した記録。 (Wikipedia)
その中で、ハンナ・アーレントさんは、以下のように書いていることが記されています。
彼は愚かではなかった。完全な無思想性 -- これは愚かさとは決して同じではない -- それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。
ここにある、
> 完全な無思想性
という言葉を見た途端に、私は瞬間的に反応しまして、
「今じゃん」
と思ってしまったのです。
この本は、先ほどのイタリアのウェブサイトに PDF でのアーカイブがあるのですが、367ページに及ぶイタリア語の書類を読めるわけもなく、それは諦めました。
調べますと、日本語版も出ていまして、アマゾンにもありましたが、実は最近、本の購入が多くなっていまして、「読み切れない本が、どんどん溜まってきていて、部屋で本に空間を奪われそうになっている状態」で、購入は迷っています。
このハンナ・アーレントさん(1906 - 1975年)という方は、Wikipedia には、
「全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる」
という思想家であり哲学者だったそうです。女性の方です。
ナチスの全体主義時代を自ら経験したハンナさんは、「悪夢と逃避」という著作の中で、以下のように記していることが書かれています。
「事実は、『ナチは私たち自身のように人間である』ということだ。つまり悪夢は、人間が何をなすことができるかということを、彼らが疑いなく証明したということである。言いかえれば、悪の問題はヨーロッパの戦後の知的生活の根本問題となるだろう…」
この、
> 悪の問題はヨーロッパの戦後の知的生活の根本問題となるだろう
というハンナさんの考えは、21世紀の現在、正確に的中していると思われます。
ハンナ・アーレントさんの『悪の陳腐さについての報告』は、調べてみますと、日本でもいろいろな報道やメディアが取り上げていまして、その中で、特に私が「タイトルを見た瞬間に感じたこと」が、2018年の東洋経済の「9割の悪事を「教養がない凡人」が起こすワケ」という記事の中に見出されました。
独立研究者の山口 周さんという方が書かれた記事です。
長い記事ですが、ひとつの部分を抜粋します。
山口 周さんによる東洋経済の記事より
悪の本質は「受動的」であること
アーレントがここ(著作『悪の陳腐さについての報告』)で意図しているのは、われわれが「悪」についてもつ「普通ではない、何か特別なもの」という認識に対する揺さぶりです。
アーレントは、アイヒマンが、ユダヤ民族に対する憎悪やヨーロッパ大陸に対する攻撃心といったものではなく、ただ純粋にナチス党で出世するために、与えられた任務を一生懸命にこなそうとして、この恐るべき犯罪を犯すに至った経緯を傍聴し、最終的にこのようにまとめています。
曰く、
「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と。
そのうえでさらに、アーレントは、「陳腐」という言葉を用いて、この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、われわれの誰もが犯すことになってもおかしくないのだ、という警鐘を鳴らしています。
この部分に書かれてあることは、まさに「今」です。
すなわち、
> この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、われわれの誰もが犯すことになってもおかしくないのだ
という部分です。
「悪とは、システムを無批判に受け入れること」であり、それは政治家や為政者だけの問題ではなく「大衆社会全体がそうなる危険性がある」ということです。
たとえば、今の日本そして世界をこんなようにムチャクチャにしてしまった原因は何か。
新型コロナウイルスでしょうか?
日本においては季節性インフルエンザよりはるかに致死数の低いウイルス感染症がこのように世界と人々の心と体を崩壊させてしまったのでしょうか。
おそらくそれは違います。
今起きていることは、ハンナ・アーレントさんが懸念していたことそのものです。
ナチスが台頭した際の全体主義の中で彼女が見ていたことと「同じ」だと私は考えます。
ハンナさんは、「積極的な悪意」ではなく「全体的な思考の停止」が、結果としての巨大な悪を生み出してしまうと見ています。
私自身は、起きたこと、そして今起きていることの影響は、何年、何十年続くと考えています。場合によっては世代を超えて。
そうはならないかもしれないですけれど、そのような懸念を持つ理由が無数にある状態を作り出してしまっています。
具体的な部分は、これまで数々書いてきましたけれど、あまりにも多岐な面にわたりますので、個々については今回はふれません。
いずれにしましても、これからの世界は、私たちが経験したことのないような恐ろしい時代となり(くどいようですが、新型コロナウイルスの存在とは関係ないです)、そして続いていく。
もちろん、そのような「最初のキッカケ」を作り出した人あるいは勢力はあることにはあるでしょうけれど、その後「全体がそれに沿って、その通りに突き進んでいる」という部分は、ナチスの時代とそれほど変わらないように思います。
今回は、昨年のメルマガの、《ヒトラーの方法論が適用されているパンデミックの中で、そのワクチンに「大量の不妊」と「大量死」を生み出す懸念》というタイトルのものの中から、その一部を抜粋して締めさせていただきます。
この文章を書いていたときに感じていたことが、ハンナ・アーレントさんという、今回初めて名前を知る方ですけれど、その方が考えていた思想の一部から確信的になりました。
ここからです。
In Deep メルマガ 第120号
2020年12月11日発行
《ヒトラーの概念を利用したパンデミックの中で》
最近、アメリカのダグ・ケイシーという人のサイトで、世界経済フォーラムについての記事を見かけました。世界経済フォーラムについては少し前の以下の記事で取りあげています。
世界経済フォーラムの目標「2030年までの私有財産廃止と自由・プライバシーの根絶」は、格差の解消という言葉と環境保護という概念を建前にして進められている
2020年12月9日
そのサイトでは、世界経済フォーラムの理念とグレートリセットを、「アドルフ・ヒトラーの理念と同等」として論じていたのが興味深かったです。
そこに、ヒトラーの『我が闘争』からの引用で、後に多くナチスの国民啓蒙として喧伝された文言が出てきます。
アドルフ・ヒトラー『我が闘争』10章より
大きな嘘には常に一定の信頼性の力があるという原則があり、それ自体は非常に真実である。なぜなら、国の多くの大衆たちは、意識的または自発的ではなく、むしろ感情的な性質であり、より深層で常により容易に堕落するからだ。
したがって、大衆の心の原始的な単純性からは、彼らは小さな問題で小さな嘘を言うことは多いが、大きな嘘に訴えることを恥じているために、大衆は小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲になりやすい。
巨大な真実を作り上げることは決して彼ら大衆の頭に浮かぶことはなく、誰かが悪意の元に真実を歪めるための企みを持っていることを信じないのだ。それを嘘だと証明する事実がはっきりと頭に浮かんでも、なお彼らは疑いと動揺を感じ、嘘ではないかもしれないと考え続ける。
ひどく大げさな嘘は、常に痕跡を残す。
これは、この世界中の専門家たちの、嘘の芸術で共謀するすべての人に知られている事実だ。
ずいぶんと大衆を馬鹿にした言葉ではありますけれど、しかし「現在」を見ていますと、「大衆は大きな嘘の犠牲になりやすい」というヒトラーの述べていることを否定できないことにも気づきます。
いずれにしましても、今回のパンデミックが、
「複雑ではない単純で大きなウソ」
から始まり、そのままで進行しているという部分では、ナチスの時代と同様だと感じます。
この新型コロナウイルスの「脅威」というものを本気で信じている人たちが日本人の方々にも結構多いことを最近知りまして、先ほどの『わが闘争』にあります、
> ひどく大げさな嘘は、常に痕跡を残す。
ということが忠実に再現されていると思います。
医師の大脇幸志郎さんの著作『「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信』にもまた、ヒトラーの『我が闘争』からの抜粋がありますが、それはナチスの優性学(優れた人種だけを作り、それを残す)的な側面にふれている部分ですが、大脇医師は著作のその章の最後で、新型コロナウイルス対策の渦中にある現在の世界について、
> ナチスを反省したはずの世界が、なぜこんなことになっているのだろう。
と記しています。(略)
欧米だけではなく、アジア諸国も、今の方法の中では、それに従い続けるでしょう。
最も希望的な解決策のひとつは、「なるべく早く、これが大きなウソだと多くの人たちが気づく」ことです。コロナウイルスの存在がウソということではなく、それに伴って語られている「ひとつの大きなウソ」です。
しかし、どの方々にしても、ご自身で気づかない限りはどうしようもないことでもあります。
それでも、何かがキッカケとなって、多くの人たちが気づくときがきっと来ると思います。
そうでなければ、次は「ワクチンの段階」に至ってしまう。
ほとんどリスクが検証されていない mRNA ワクチンの段階が近づいていて、すでに英国などでは接種が始まっているようです(※ 書いたのは 2020年12月初旬です)。
もしかすると、そのような支配を願っている人たちは、「本気で人類の大量死と人口削減を企てているのではないか」とさえ思われる部分を最近感じます。