ここ数ヶ月は読書をする時間がほとんど取れなかったのだが、昨日は一日余暇ができて、読みかけの「悪霊」を完読した。まあ、高校時代の理解度を40%としたら、60%くらいは理解できたかな、という感じで、特に社会主義関係の部分や脇役の魅力の理解は深まったと思う。若いころは小説をエンタテイメントとしてしか読まなかったので、人物造形の魅力、特に脇役の描写など目が行かなかったのである。「主人公」的存在であるスタヴローギンの、「全能にして無能」という印象は、若いころに感じた印象と同じで、この作品のキモは理解していたようだ。
なぜ「全能」なのに「無能」なのかと言うと、「やればどうなるか分かり切っているからやる意味が無い」のである。つまり、神様と同じだ。ただし、その「全能」は実はかなり限定的で、彼は本質的に自分をコントロールできていない。自分の感情や意思をすべてコントロールできると過信しているが、その「プライド」、言い換えれば「自己愛」だけは制御できていないのである。つまり、ほとんどあらゆる人間が自己愛によって動いているのと、その点では変わらないわけで、そこがたとえばキリストなど、あるいはこの小説の脇役的な様々な人物より「実は卑小な人間」であるわけだ。シャートフやキリーロフや、あるいはビッコのキチガイ女などのほうが、彼よりはるかに高潔な人間なのである。
では、そうした高潔な人々がどうなるかというと、上記の3人とも殺されるか自殺するのである。そこがまさにリアルそのものである。そして、その3人を死に追いやった犯人のピョートルはどうなったかというと、無事に逃げ延びるのである。そこがまたリアルだ。このピョートルは、実に下種そのものの悪党なのだが、世間的活動能力という点から言えばスタヴローギンよりはるかに超人的で、この作品の「裏の主人公」であると言える。まあ、実社会で成功するのはこういうタイプだろう。
なお、「悪霊」とは社会主義思想のことだろう、と前に書いたが、それは少し訂正する。確かにこの作品の中で一部の人間を過激活動家にし、犯罪的行為に向かわせたのが社会主義思想(つまり、閉鎖的身分社会を破壊し、新しい世界を作る意思)ではあるが、スタヴローギンの心の中の悪霊はまったく別で、チホン僧正は彼に「あなたのすべての誇り、あなたの悪霊」と言っているのである。また、「罪を認めることを恥じなかったあなたが、なぜ悔恨を恥じられるのです?」「(悔恨を)恥じ、恐れておられる!」と言っている。まさに彼の「誇り」が彼の悪霊なのである。罪を認めることは彼の誇りを傷つけないが、悔恨は誇りを傷つけるのだ。強さに誇りを持つ人間にとって、罪は、力を発現した結果にすぎないが悔恨は弱さを認めることなのである。
そうした、「自分自身で制御できない自分の心や感情」が「悪霊」だと言っていいかと思う。
なぜ「全能」なのに「無能」なのかと言うと、「やればどうなるか分かり切っているからやる意味が無い」のである。つまり、神様と同じだ。ただし、その「全能」は実はかなり限定的で、彼は本質的に自分をコントロールできていない。自分の感情や意思をすべてコントロールできると過信しているが、その「プライド」、言い換えれば「自己愛」だけは制御できていないのである。つまり、ほとんどあらゆる人間が自己愛によって動いているのと、その点では変わらないわけで、そこがたとえばキリストなど、あるいはこの小説の脇役的な様々な人物より「実は卑小な人間」であるわけだ。シャートフやキリーロフや、あるいはビッコのキチガイ女などのほうが、彼よりはるかに高潔な人間なのである。
では、そうした高潔な人々がどうなるかというと、上記の3人とも殺されるか自殺するのである。そこがまさにリアルそのものである。そして、その3人を死に追いやった犯人のピョートルはどうなったかというと、無事に逃げ延びるのである。そこがまたリアルだ。このピョートルは、実に下種そのものの悪党なのだが、世間的活動能力という点から言えばスタヴローギンよりはるかに超人的で、この作品の「裏の主人公」であると言える。まあ、実社会で成功するのはこういうタイプだろう。
なお、「悪霊」とは社会主義思想のことだろう、と前に書いたが、それは少し訂正する。確かにこの作品の中で一部の人間を過激活動家にし、犯罪的行為に向かわせたのが社会主義思想(つまり、閉鎖的身分社会を破壊し、新しい世界を作る意思)ではあるが、スタヴローギンの心の中の悪霊はまったく別で、チホン僧正は彼に「あなたのすべての誇り、あなたの悪霊」と言っているのである。また、「罪を認めることを恥じなかったあなたが、なぜ悔恨を恥じられるのです?」「(悔恨を)恥じ、恐れておられる!」と言っている。まさに彼の「誇り」が彼の悪霊なのである。罪を認めることは彼の誇りを傷つけないが、悔恨は誇りを傷つけるのだ。強さに誇りを持つ人間にとって、罪は、力を発現した結果にすぎないが悔恨は弱さを認めることなのである。
そうした、「自分自身で制御できない自分の心や感情」が「悪霊」だと言っていいかと思う。
PR