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「人間関係」とコスト

「シロクマの屑籠」記事の後半で、シロクマ氏は、確か精神科の医者だったと思う。
この部分が私に興味深く思えるのは、記事中に頻出する「コスト」という言葉のためである。特に「精神的コスト」という言葉だ。〈人間関係は互いにコストを支払い合って、つり合いを取っている〉、という感じだろうか。
私はこれを「人間関係の経済学化」と「計量主義のあらゆる場面への浸透」と見る。つまり、感情の分野、非計量的な人間関係の分野にまで、計量主義がはびこっている、という感じだ。「お前の俺に支払ったコストはこれこれ、俺がお前に支払ったコストはこれこれ、差し引き、俺が支払い過剰だ。さっさと残金を支払え」というわけである。
もちろん、書いている内容自体は、まとも過ぎるほどまともである。しかし、物事をすべて「損得勘定」で見ていないか? 
そのうち、「我々が子育てに払ったコストはこれこれだから、老後の面倒をしっかり見ろ」、という親が出てきそうである。それに対して「生まれたことによって受けた、俺の被害のコストはこれこれで、お前らの子育て費用より大きい。残高を支払って、さっさと死ね」という子供も出て来そうであるwww


(以下引用)


しかし、礼儀や礼節が拙ければそうもいかないし、私たちは完璧ではないから、非礼やボタンの掛け違いだって起こる。だからこそ「すみませんでした」とわびることも含め、意見のすり合わせや譲り合いが大切だし、礼儀や礼節にかけるコストをおろそかにし過ぎてはいけない。そこをおろそかにしている最も極端な例が、SNSにおいて他人のタイムラインに無礼なコメントや不躾なメンションをばらまいているアカウントであって、ああいうのは良くない。
 
礼儀や礼節は、無料ではない。
精神的なコストを支払いあい、ときには時間的・経済的コストも支払いあい、お互いがお互いのことを尊重しあっている人間関係を維持するために努めあっている。挨拶などもそうだが、およそ人間の暮らすところではどこでも、私たちはお互いに敬意を払いあい、争いを避けるために気を遣ったり汗をかいたり、ときにはお金を支払ったりしている。
 
しかし、そうしてお互いにお互いを気遣うコストを支払いあっているなかで、その礼儀や礼節にコストをぜんぜん支払わない人がいるとしたら、その人は意図するしないにかかわらず、いろいろな人に「この人、なめているんじゃないか」という印象を与えかねない。
 


b.hatena.ne.jp
 
たとえば全員が敬語を使いあっている場所で、一人だけため口の人がいるとしたら? その人はほとんどの人から「この人はなめてかかっているんじゃないか」と思われるだろう。「私は他人をなめない」と自称している人が、敬語の欠如も含めて礼節や礼儀にコストを支払っていないとしたら、それはもう、礼節や礼儀のフリーライダー、ではないだろうか。
 
もちろん実地ではそこまで極端な人は珍しい。けれども、礼儀や礼節にコストを支払わないほど・意識を差し向けないほど、こうした印象を周囲に与えやすいかと思う。そのような人が「私は他人をなめない」と言ってみたところで、他人はそうは受け取らない。
 
礼節や礼儀を欠いていると、「なめる/なめられる」の構図から自由になるどころではなく、むしろ、「なめる/なめられる」の構図のなかの、かなり悪いポジションに陥ると懸念される。
 
こうしたことを考えていくと、私には、「なめる/なめられる」という構図から自由になることは娑婆世界では無理だと思えてしまう。文化や部族で多少の違いはあるにせよ、全人類が礼儀と礼節を守りあい、それでお互いの面子や沽券を守りあっている以上、人の間で生きていくためには礼儀と礼節にコストをかけないわけにはいかない。ある程度のコストを支払っていてもなお、ときには「今、あの人になめられたのではないか」という誤解が生じることもある。「なめる/なめられる」の構図のすべてが礼儀と礼節に由来している、と主張するつもりはないが、礼儀や礼節を欠いていると、「なめているんじゃないか」と疑わせてしまう確率、相手から無礼者だと思われる確率は一気に高まる。である以上、結局私たちは礼儀や礼節を守って人間社会の輪のなかで生きるほかない。礼儀や礼節を無視した結果、あちこちの人に「あの人は、私をなめている」と思われ、あちこちの人に無礼者と思われて生きるよりは、たとえ不自由でもそっちのほうがマシなんじゃないかというのが私の思うところだ。
 
最後に少し付け加えると、礼儀や礼節は無料でないだけでなく、社会的格差や不平等に根ざしている部分もある。礼儀や礼節には、ハビトゥス、つまり文化資本としての一面があるし、先天的に礼儀や礼節が守りづらい人やずっと多くの精神的コストを支払わなければならない人はどうなんだ、という問題もある。そうしたことまで書くと、やがて「礼儀や礼節は多数派のためのもの、そしてブルジョワ資本主義的イデオロギーに基づいた階級装置だ!」みたいな言葉が脳裏をよぎるけれども、そうした各論については、今日ここでは書かない。そのあたりは、いつかまたどこかで。
 

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