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「主義」の考察

10. 「幸せとは期待と現実のギャップであり、皮肉なことに、楽観主義に満ちた人ほど悲観的なものはない。彼らは必ず失望する。」 - モーガン・ハウセル[Morgan Housel]

上に載せたのは、「大摩邇」所載の記事の中でV・コールマンが引用している言葉だが、これを検証してみよう。この問題(命題)への解として考えられるのは次の3つである。

1:楽観主義は悲観主義に勝る。
2:悲観主義は楽観主義に勝る。
3:悲観主義も楽観主義も価値的に同じである。

で、この問題(命題)を考える前提として注意すべきことは、悲観主義と厭世主義(ペシミズム)の混同である。すべてに悲観的な見方をしていれば、厭世的になるだろう、という考えが、悲観主義への嫌悪、あるいは批判の中にあるが、悲観主義=厭世主義というのは、男は女である、なぜならどちらも人間だから、という理屈に等しい。
そして、多くの人は、「悲観主義者は世の中を暗鬱なベールの中で見ているから不幸に違いない」と思うわけだ。これは「悲」という言葉の与える印象による。荀子の「性悪説」が、その「悪」という字のために嫌悪されているのと同じだ。
しかし、楽観主義のビジネスマンほど最悪なものはない。なぜなら、楽観主義とは、悲観的な条件を無視することで生じる思考だからである。つまり、「いい加減な予測」というのが楽観主義の特徴であり、それがたまたま成功するのは、単なる幸運にすぎない。(ただし、ビジネスには時として「蛮勇」も必要だが、その条件は悲観的要素を熟知した上での決断であることだ。)
で、私としては、実は第4の解を提出したい。それは3にも近いが、

4:主義になった時点でそれは冷静さと合理性を失っている。

というものである。「~主義者」とされている人間も、その人が本当に冷静で合理的な人間なら、当人は「~主義」だとは思っていないだろう。たとえば私は愛国者のつもりだが、「愛国主義」ではないし、他の諸国の価値や権利(特に発言権)を日本と同等だと考えている。私が欧米批判を繰り返すのは、単に彼らがやってきた(現在もやっている)蛮行を客観的に批判しているだけだ。彼らこそがまさに「白人至上主義者」であり「欧米至上主義者」なのである。





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