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「デカンショ」から実存哲学へ

「デカンショ」は「そうでがんしょ(そうでしょうね)」の意味だという説もあるが、旧制高校の「デカンショ節」の解釈としてはやはり「デカルト・カント・ショーペンハウアー」の頭を並べたものだ、という説のほうが合理的だろう。で、私は高校時代だったか浪人時代だったかにデカルトの「方法序説」とショーペンハウアーの「自殺について」「読書について」を読んで大きな感銘を受けたのが、その後の思想的ナビゲーターとなっている。で、カントについて先に考察したので、これで「デカンショ」は一応卒業したことにする。やっと旧制高校の劣等生レベルにはなったと自己評価しておく。
で、次にはやはり戦後日本の思潮界を席巻した「実存主義」の考察に行くのがベストだろうと思って、ウィキペディアで少し調べたのでその一部を転載する。
「実存」とは要するに「現実存在」であり、「概念(表象)」と対立するものだと把握していいのではないか。そして有名な「実存は本質に先立つ」とは簡単に言えば「現実存在はイデアより重視されるべきだ」という「非理想主義」「現実主義」だというのが私の解釈だ。つまり、それは現実の悪も醜さも、それなりの意味がある、という思想を含んでいるわけで、実存主義が文学と馴染みやすい所以である。しかし、それは実に醜いものを熟視するわけだから、気持ちのいい文学にはなりようがない。ロマン主義や理想主義の対極だろう。
だが、哲学としては一応その重要性を認めるべきではある(その後に重要な哲学の学派は出ていないはずである。つまり「最後の哲学」かもしれない。)だろうから、気が向けば考察する。

(以下引用)



ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。しかし、国民国家という新しい世界体制は第一次世界大戦国家総力戦による大量破壊へ繋がり、19世紀以来続いた西欧の進歩主義への信仰は大きく揺らぐこととなった。とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたドイツにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。大陸ヨーロッパの知識人キリスト教の精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。


「主体性が真理である」としてから与えられた可能性を実現することに生の意義を見出したキルケゴールの主体志向に加えて、さらに、第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、1930年代ドイツマルティン・ハイデッガーカール・ヤスパースらによって「実存」の導入が図られた。大事なことだが、ハイデッガーの意味づけの実存は、個人主体実存という本来性から離れて、「民族の」実存になっている。各個人が自由な実存のうちに民族の実存を求めているのであればよい。しかしここでは、民族の実存を希求して先導するハイデッガーが、先導される個人の私性を否認している。(Martin Heidegger, Logik als die Frage nach dem Wesen der Sprache, VittorioKlostermann, Frankfurt am Main, Gesamtausgabe Band 38. p163.) ここには真の実存はハイデガーにしかないのだが、こうした曲折を経て、実存の考え方は第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせることになった。


第二次大戦後、フランスに輸入され、サルトルらによって広まった実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束)の思想に見られるようにマルクシストとしての社会参加色が強く、それに呼応しない者には説得力がなかったが、1960年代学生運動の思想的バックボーンとなった。サルトルの『実存主義とは何か』は実存主義のマニフェストであり入門書ともいわれ、1945年10月パリクラブ・マントナンで行われた講演が元になっており、多数の聴衆が押しかけたため、入りきれない人々が入口に座り込むほどで、翌日の新聞に大見出しで「文化的な事件」として伝えられ、時ならぬサルトルブームを巻き起こした。第二次世界大戦直後のヨーロッパでは、巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささが意識され、戦前までの近代思想や既存の価値観が崩壊し、人々の多くが心のよりどころを喪失しかかっていた。サルトルの思想は、実存に新たな光を当て当時の人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい、自由に生きることの意味を追求し、人間の尊厳を取り戻す術として人々に受け入れられることになった[2]


この、支配制度に対する被支配的個人の重視は、サルトルの思想が1970年代に入ると、 構造主義などから批判を受け、低調になっていくものの、広く受け入れられている。他者を支配管理する実存はあり得ない。


また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学心理療法との相性も良く、特にカール・ロジャーズらが始めた心理療法には「今、現にここに存在している私」を問題とする実存主義の強い影響が見られる。


実存主義を哲学のみならず、文学芸術などにも拡大解釈する場合(ボルノウなど) 、パスカルドストエフスキー等も実存主義者だと解される場合もある[3]


第一次世界大戦の敗者であるドイツや戦勝国であっても大きな痛手を受けたフランスなどとは異なり、勝利者である英米にとって、第一次世界大戦の惨事は進歩主義への信仰を決定的に揺るがすことはなかった。しかし、スペイン内戦に参加するなどヨーロッパの情勢に積極的に関与したアーネスト・ヘミングウェイを代表とする一群のアメリカ知識人もまた、自らを実存主義者と見なした。日本では当時、文学者として国際的な評価も受けていた芥川龍之介が第一次大戦後に「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺している。





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