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「天皇制」と戦うとはどういうことか(1)

某ブログに引用されていた文章だが、「天皇制」(私はこの言葉自体に懐疑的であり、現在の象徴天皇制を、まるで天皇が権力の中心であるかのように錯覚させる言葉だと思う。)を打倒することを切望する人もかなり存在しているのはネットを見ても分かる。だが、その「根拠」として納得のいく意見を私は見たことがない。
参考までに、この文章を「『天皇制』批判の一例」として分析しようと思うが、残念ながら、この文章は「なぜ『天皇制』を打倒する必要があるのか」ではなく、「いかにして『天皇制』を打倒するか」という方法論のようだ。まあ、大方の「天皇制批判論者」の考えは「民主主義社会において、なぜ天皇だけが『特権的』存在とされるのか」という、素朴な感情であり、その感情の半分くらいは、「上級国民」への嫉妬や嫌悪や不満が、天皇という「象徴」への嫌悪と置き換わったのだろうと私は思っている。
まあ、とりあえず、検討の対象となる文章(要点部分だけ)を引用する。何回かに分けて論じるかもしれないが、シリーズタイトルは、あえて、私が批判の対象とする下の文章とほぼ同じにする。もちろん、意味は正反対である。下の筆者は「天皇制」と戦え、と言っており、私は「なぜ『天皇制』と戦うのだ?」と疑問を呈しているわけだ。

(以下引用)
特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第八回(最終回)
Ⅷ.国家への幻想を超える隣人相互の信認の形成へ
菅孝行(評論家、変革のアソシエ運営委委員)
■ 隣人相互の信認へ
  現在の天皇制に対する認識と、それに対する闘争に関する前回までの論旨は次の諸点に集約できる。
(1)現憲法下の天皇は憲法に「象徴」と規定され、国政の権能は持たない。しかし、「幻想の共同性」が収斂する中心、即ち国家権力の権威として機能する(日本会議派の1章改憲の目的は、天皇を象徴より便宜のよい権力の花飾りにすることだから、天皇に権力の実体を移すとは考えられない)。
(2)天皇制との闘争の目的は、国民国家日本の統治形態の転倒である。
(3)天皇という権威の規定力は、天皇の霊性の呪縛力に由来する。
(4)それが物質的規定力を発揮するのは、「主権者」が天皇の霊性の価値を内面化し、被統治者たることに甘んじる限りにおいてである。
(5)「主権者」が天皇の霊性に畏怖も敬慕も感じ無くなれば、天皇の統治機能は消滅する。
(6)以上から明らかなように、統治形態の観念上の<敵>は、被統治者の、天皇の霊性に対する畏敬にほかならない。
(7)天皇への畏怖や敬慕によって産出される幻想の呪縛を、隣人の作り出す関係の相互信認が凌駕すれば、現在の統治の規定力は消滅する。
(8)権力の獲得に先立って隣人の相互信認を形成するには、市民社会の只中で、権力に対抗するヘゲモニーを形成するグラムシのいう「陣地戦」の実践が不可欠である。

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