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タイガー! タイガー! (9)



第十二章 緑の森の盗賊たち


 


「地面に伏せろ!」


グエンは焚き火に革袋の水をかけて消し、消し残った数本を川に放り込むと、他の者たちに指示した。


地面に伏せると、彼らに近づく者は夜空を背景にすることになり、姿が見える。


あたりは漆黒の闇に見えたが、地面に伏せた態勢からだと、案外と背景との違いが見える。それに、目が闇に慣れ始めてきた。


 


相手の数は3名、とグエンは数えた。大人の男が3名だ。べつに忍び足ではなく、普通の足取りで近づいてくる。殺気は無いようだが、グエンは用心深く見守った。


 


「おおい、そこの方たち。俺たちは敵じゃない。まあ、まともな人間でもないが」


のんびりとした調子で、相手のうちの一人が奇妙なことを言った。


「緑の森の盗賊団というのが俺たちの名だが、貧しい者や弱い者からは奪わないのが俺たちだ」


 


「緑の森の盗賊団?」


フォックスが呟いた。


「知っているのか?」


「ええ。タイラス、トゥーラン、サントネージュの三つの国の国境近くに住んでいる盗賊団です。今言ったように、金持ちや貴族からしか金は奪わないのですが……」


「しかし、お前たちも貴族ではあるわけだな」


「はい。どうしましょう」


「まあ、あいつらの話を聞いてみるさ。こちらの正体は明かすこともあるまい」


グエンは立ち上がった。


闇の中でも相手を威圧するようなその巨体に、彼らに近づいた3人は驚いたようだ。


 


「俺たちは、国境破りをしてきた者だ。だが、お前たちも盗賊なら、俺たちの仲間のようなものだろう。俺たちをお客として扱うか? それとも獲物として扱うか?」


グエンは淡々と言った。怯えてもいないし、激してもいない、その声に、相手は予想が狂ったようである。


「ほほう、なかなかの豪傑のようだな。そういう男は大歓迎だ。我々の宿に案内しよう」


3人の中の兄貴分らしい年配の男が言った。


「俺の名は、フロス・フェリ、緑の森の盗賊団の頭だ」


「俺はグエン、後は俺の家族だ」


「サントネージュから来たようだな。とすると、亡命貴族か」


「貴族というほどではないが、ユラリアによる残党狩りから逃れてきた」


「そうか。まあ、俺たちについて来い。悪いようにはせん」


フロス・フェリと名乗った男は、くるりと後ろを向いて歩き出した。他の二人もそれに続く。


グエンは後ろの三人に頷いてみせて、フロス・フェリたちの後から歩き出した。


 


森の茂みの中を歩くのは昼間でも厄介だが、まして夜の闇の中だと、前に行く者の跡をしばしば見失いそうになる。しかし、グエンの鋭い聴覚は、前を行く者たちの居場所を常に把握していたから、足弱な子供たちが追い付くのを待ちながらでも、行く先を見失うことは無かった。


やがて森の中の空き地に出た。それは、周りを木々に囲まれた草の原であった。ここでは穏やかな初夏の夜風が草や木々の匂いを運び、上空に空いた空間には三日月と星空が見えている。そして、この空き地には天幕が10ほど張られ、その中央では焚き火が焚かれていた。焚き火を囲んで、7,8名ほどの男たちが座っている。手には土器の酒杯をそれぞれに持っているようだ。


 


「お頭が帰ってきたぜ」


「お帰り、お頭!」


口々に声が上がる。


 


「獲物は無かったが、客人を連れてきた」


フロス・フェリの言葉に、その仲間たちは彼の後ろから近づいて来るグエン一行を見る。闇の中であるから、その姿はすぐには分らない。


しかし、焚き火の明かりの中にグエンの全貌が現れた時、フロス・フェリも含めて盗賊たちから一斉にどよめきの声が上がった。


身の丈2マートルという、滅多にない身長にも驚くが、それよりも、その広い肩幅と、さらにその上にある虎の頭は、度胸のある盗賊たちにも、ある畏怖の気持ちを起こさせた。


「お、お前、何者だ」


「仮面をかぶっているんだろう?」


盗賊たちは口ぐちに言う。


「だが、すげえ体だな。酒樽モンマスよりもでけえや」


「おい、モンマス、あいつに勝てるか?」


盗賊の一人に声をかけられたのは、こちらも身の丈2マートルに近い大男だが、逆三角形の筋肉質の体をしたグエンとは違って、かなりの肥満体の男だ。だが、固肥りの体で、力強い感じである。


「虎と戦ったことは無いが、まあ、得物を持って戦うなら、勝てんことはないだろう」


モンマスは、髭面をグエンに向けて値踏みするように見て、そううそぶく。


「そう焚きつけるな。こちらはお客さんだからな。まあ、こちらへ来な」


フロス・フェリは焚き火の上座らしい席に座ると、グエンに声をかけた。


焚き火の中に浮かび上がったフロス・フェリの姿は、年齢は40前後と見えた。長身でたくましい肩をし、角張った顔形に黒く長い髪、黒い口髭を生やしている。快活そうな明るいブルーの目をしているのだが、夜の今は、その色合いまでは他人にはわからない。


かついでいた弓と、腰の剣は、今は体の傍に置いてある。


グエンはフロス・フェリが示した座席に腰を下ろし、その側にフォックスと子供たちも座った。


「これはまあ、きれいなお姉ちゃんだ。あんたの奥さんかい?」


「まあな」


グエンの返答に、フォックスは一瞬微妙な表情になったが、そう質問した盗賊に笑顔を向けて頷いた。


「まだ若いのに、大きな子供がいるんだな」


「ああ。こう見えてもこの女はもう40近いんだ」


グエンはそうとぼけたが、フォックスはむっとした。


ソフィとダンは、今の役割を必死で理解した。


「お父ちゃん、お腹空いた」


ダンが言った。


「ああ、そうか。どうかこの子たちに何かやってくれないか」


「おお、これは気が利かなくてすまなかった。おい、チャルコ、そのシチューと鹿の焼肉を子供たちに出してやれ」


「へい」


フロス・フェリの命令に、盗賊の中の下っ端らしい若者が従う。


錫で出来た皿にシチューを入れて、子供たちに与える。


「あんたたちはその辺のものを勝手に食べてくれ」


「かたじけない」


グエンは言って、腰のナイフを抜き、焚き火の側の焼き串に刺さっている、でかい鹿の焼肉を大きく切り取る。


まず、フォックスに手渡し、次に自分の分を取る。


「塩もあるぞ。それに、キノコ入りのソースもな」


「ほう、これは御馳走だ。山賊というのはいい暮らしだな」


「それなりの危険はあるがな。まあ、土地に縛られた百姓の暮らしよりはいい。どうだ、お前たちも仲間に入らんか?」


「申し出は嬉しいが、タイラスのランザロートに女房の親戚がいて、そこを訪ねる予定なのだ。まあ、行ってみて歓迎されないようなら、その時は考えてみよう」


 


「女房持ちじゃあ、この山犬たちの間で奥さんの身が危ないよ」


背後の影からそう声がかかった。


闇の中から現われたのは、年の頃は20代後半くらいの女で、浅黒い肌に放浪民特有の派手な重ね着をしている。首の周りの大きな首飾りが目立つ。


「アンバー姉さん、俺たちにだって仁義はあるぜ。仲間の女房など寝取るものか」


山賊の一人が不平そうに抗議する。


「わかったもんかね。お前はモーリオンのことであやうくジャスパーと殺し合うところだったじゃないか」


「まあ、あれは、モーリオンが俺とジャスパーに二股かけていたからだ。ジャスパーとはもう仲直りしたからいいじゃないか」


「それに、モーリオンはもうとっくにここにはいない人間だ。昔のことはいい」


フロス・フェリがとりなすように言う。


アンバーと呼ばれた女は、グエンとフロス・フェリの間に割り込むように座った。


「へえ、その頭、本物かい?」


「ああ、そのようだ。外すことはできぬ。この牙もすべて本物だ」


「珍しいねえ。名前は?」


「グエンだ」


「聞いたことが無いねえ。私は、あちこちの国に行ったことがあるけど、あんたのような虎の頭の人間の話は聞いたことが無い。もちろん、神話のミノタウロスやセイレーンなど、人と動物が合体した生き物の話はあるけど、あれはまあ、伝説だからねえ。ちょっと触っていいかい?」


許可を待たず、アンバーはグエンの顔に触れた。遠慮なくその皮膚を引っ張り、唇をめくって牙を確認する。


「本当だ。この頭は本物の虎の頭だよ。奥さん、虎とキスするのはどんな気持ちだい?」


「ま、まあ、慣れてしまったから」


「言っちゃあ悪いけど、よく結婚する気になったねえ。まあ、頼もしいと言えば、これほど頼もしい男もいないだろうけどね。私が見た感じでは、この人は、相当の勇者だね」


「ええ。この上無い勇者です」


「お話の途中だが、子供たちは疲れて眠そうだ。この子たちを寝かせる場所はあるかな?」


グエンが口を挟んだ。これ以上会話が続くと、余計な詮索をされると思ったからだ。


「アンバーの天幕を貸してやれ。アンバーは俺の天幕に来ればいい」


「ああ、いいよ。四人寝るくらいの広さはあるから」


「有難い。では、途中で退出するのは失礼だが、俺たちはもう寝かせて貰おう。俺も女房も少々疲れているのでな」


 


アンバーの天幕に入るとグエンはまずフォックスに謝った。


「先ほどは済まなかった。女房ということにしておいたほうが、山賊たちもあんたに手を出しにくいだろうと思ったのでな」


「いい考えだったわ。でも、私はまだ24ですから」


「40近いと言ったのも、あいつらのあんたへの興味を無くさせるための方便だ」


「多分そうだとは思いましたが、私、そんなにふけて見えます?」


「いや、若々しいと思う」


「なら、いいです。これからは、私は38歳で通します」


「済まんな」


グエンとフォックスの会話を興味深げに聞いていたダンが言った。


「フォックスとグエンは結婚するの?」


「いや、これはお芝居だ。我々の身を守るためのな」


「グエンとフォックスが僕たちのお父さんお母さんだなんて、何だか変な気分だな」


「ダン、これはお芝居ではなく、本当にそうなのだと思って行動するのですよ」


ソフィが姉さんらしく教える。


「はあい」


「じゃあ、もう寝ましょうか」


奥にダン、その次にソフィ、その次にフォックスが横になり、入口の側にグエンがその巨体を横たえると、天幕がほぼ一杯になった。


やがて天幕の中に寝息の音が立ち始める。グエンも眠ったが、彼は寝ていても、かすかな気配で目を覚ますことができることをすでに自覚していたので、就寝中に敵に襲われることは心配していなかった。




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タイガー! タイガー! (8)



第十一章 渡河


 


目指すタイラスで先のような会話がなされているとは知らず、グエンとフォックスは、いかにして国境を突破するかの相談をしていた。


グエンは、そのまま関所を突破すればいいという意見だったが、フォックスはそれほど能天気な作戦は取りたくなかった。いくらグエンが抜群の武勇の持ち主でも、100名近くの兵士がいるという国境の砦のそばの関所を大人二人だけで突破できるとは思えない。大人二人とは言っても、実際に敵に当たれるのはグエンだけだろう。フォックスは、せいぜい子供二人を守るくらいだ。


「それでいい。お前が子供たちを守っていてくれれば、敵は俺一人で何とかする」


フォックスの言葉にグエンは笑い顔のような表情でそう言った。虎の顔そのものだのに、なぜかそれが笑い顔に見えるのは、グエンの顔を他の者たちが見慣れて、微妙な表情の区別がつくようになってきたからだろうか。


グエンの話し方も、ずいぶんまともになってきている。これまでのような、ブツブツと切るような話し方ではなくなっている。流暢でこそないが、普通に口の重い人間程度の話し方になっている。


 


フォックスの話では、ここから国境までは、おそらくあと1日の距離だろうということだ。もちろん、彼女もここに来たのは初めてであるが、少し前に通った分かれ道の道標に国境まで20ピロとあったのである。


 


風に混じる水の音をグエンの鋭い聴覚は聞きつけた。


「近くに川があるな。水の匂いもする」


グエンは空気の匂いをかいだ。


「エーデル川ですね。では、すぐに国境です」


「この道をそのまま進めば、どうしても関所を通ることになるが、俺としても無駄に人を殺したくはないから、ほかの場所から川を渡れないか、探してみよう」


グエンは口では言わなかったが、タイラス国を通過する際に、あまり人目につかないほうがいいのではないかという気もしていたのである。兵士たちと大立ち回りをして国境を突破しては、自分たちの所在を多くの人に知られてしまう。兵士の100人程度を相手にするのに不安は無いが、その全員を殺すことは困難だろう。とすると、その場を逃げ出した兵士の口からグエンたちの足跡が知られてしまう。また、タイラス国内で兵士たちに不審尋問され、思わぬ害を受けないものでもない。潜行するのがやはり最良の方法かと、グエンは考えを変えていた。


 


荷車は道から離れた茂みの中に隠し、食糧などの荷物を載せた馬を引いてグエンたちは林の中に入っていった。子供たちも当然、歩くことになる。


 


やがて断崖に出た。この場所から下を流れる川までの高さは70マートルほどだろうか。反対側の断崖の高さも同じようなものだ。しかし、じっくり見ると、400マートルほど下流では木々の緑が川から数マートル程度まで下りている。つまり、崖の高さが低くなっている。川幅もそこはやや狭いようだ。おそらく80マートル程度か。


上流の方を見ると、ここから300マートルほど離れたところに吊橋がかかっている。先ほど進んでいた道をさらに行くと、あの吊橋に出たわけだが、しかしその前にサントネージュ側の関所があり、吊橋を渡るとタイラス側の関所があるはずだ。


「あの、下流の低い部分から渡ることにしよう。ちょうど、川が曲がって上流の関所のあたりからは見えなくなっている。俺たちのいるこの崖が川の曲がり角だ」


「しかし、川をどのようにして渡るのです?」


「お前は泳ぎはできないのか?」


「私はできますが、子供たちは無理です」


「子供たちは俺が二人とも背中にかついで泳ぐ」


「そんなことができますか?」


「多分な。俺の首に両側からしがみついていればよい。どうだ?」


グエンはソフィに聞いた。


ソフィは一瞬しかためらわなかった。


「やってみます。ダン、大丈夫よね? 絶対に手を離しちゃだめよ」


「うん、大丈夫だよ」


「良い子だ」


グエンは頷いて微笑んだ。


 


さらに林の中を下流方向に向かって進み、やがて川に下りていけそうな場所に来た。かなりの急勾配だが、下りていくことはできる。馬たちとは別れるしかない。荷物を馬から下ろし、グエンが肩にかつぐ。


何度か足を滑らしながらも4人は何とか崖を下りて河原に着いた。


ほっと息をついて一休みする。時刻は午後4時ころだろうか。崖の間の河原だから、すでにあたりは暗い。


軽い食事をして、いよいよ渡河にとりかかる。


まず、グエンと子供たちを長い布で結びつける。この布はキダムの村を出る時に、グエンの意見で購入してあったものだ。山越えをする時に、ロープ状のものが必要になるという見通しによるものである。通常のロープよりも、布のほうが様々な利用価値がある。


子供たちとの間は短めに、そしてフォックスとグエンの間は4マートルほどの長さで結びつける。これはフォックスが泳ぐ邪魔にならないようにだ。


「では、いくぞ。心の準備はいいな? 絶対に俺の首から手を放すなよ」


グエンの言葉に二人の子供は頷く。


グエンが川に入るすぐ後に子供たちが続き、腰ほどの深さになった時に、グエンは身を沈めて首だけが川面に出るようにした。その意図を理解して子供たちは両側からグエンの首に抱きつく。


「苦しくないですか?」


ソフィの言葉にグエンはにやりと笑う。


「いや、少しも。もっと強くしがみついたほうがいい。俺の首の太さは子供の力で窒息などしない」


ソフィとダンはそれを聞いて、もっと強くグエンの首にしがみつく。


「それくらいでいい。ではいくぞ。顔をずっと水の外に出しているのだぞ?」


「はい!」


グエンは平泳ぎの要領で静かに泳ぎ出した。


遅れないように、フォックスもその後に続く。


泳いでいると、水面の上は案外と明るく、また真上にある空は河原にいた時よりも明るく見える。


(この人がいなかったら、私たちはどうなっていただろう。あのサルガスの野でグエンと出会ったのは、何と幸運なことだったことだろうか)


先を泳ぐグエンを見ながら、フォックスは考えていた。そのグエンは子供二人を背中に背負い、しかも腰には荷物の袋をつなぎながら、何の苦もなさそうに泳いでいく。身一つのフォックスの方が、遅れそうになるほどだ。


幸いなことに、川の流れは穏やかで、やがてグエンとフォックスの足は反対側の川床に触れた。


彼らが川岸に上がった時には、あたりは完全に夕闇に包まれていた。


 


季節は初夏だが、このあたりは高地だからやや寒い。濡れたままの体だと病気になる危険がある。砦や関所からは見えないことを期待して、グエンたちは火打石を使って火を起こした。枯れ枝を積み上げ、それに火をつける。


やがて、炎が高々と上がった。その周りに4人は集まって体を乾かす。


水に濡れた干し肉も炙り直し、そのうちの幾つかを夜食にする。


彼らのいるあたりは明るいが、少し離れた所は真っ暗である。


 


「誰だ!?」


グエンが低い誰何の声を上げた。闇の中から彼らに近づく者の気配を感じたのである。





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タイガー! タイガー!(7)



第九章  ある会話


 


グエンたちから王女と王子を奪いそこなった黒衣の男二人は、馬も失っていたので、徒歩で国境の砦まで歩くしかなかった。首都オパールまで戻る気は毛頭なく、国境の砦で兵士を徴発して再度、グエンたちに挑むつもりであった。だが、グエンたちよりも、おそらく半日から1日程度の遅れがある。


「ランド砦まで、あとどれくらいだ」


一人が、もう一人に聞いた。


「あと30ピロほどだろう。今日の夜もこのまま歩けば、明日の朝には着けると思う」


「おそらく、あの虎頭たちは、夜は休むはずだから、その間に追いつけるかもしれんな」


「だが、追いついても、逆にこちらが危ない。追いついたら、あいつらに見つからないように、隠れながら、後を追おう」


「あの、虎頭は何者だ。サントネージュに、あのような騎士がいたという話は聞いたことがない」


「あの頭が仮面だとしても、あれほどの力量を持った騎士は誰がいる?」


「俺の知っている騎士ではウジェーヌとマリオンが一番良い腕をしているが、あいつとは強さの次元が違う」


「では、他の諸侯のところの騎士か。それでも、あれほどの腕の者がいるという話は聞いたことがない」


「サントネージュの者ではないかもしれない」


「ユラリアの兵士たちを殺害しているのだから、ユラリアの者ではないだろうな」


「では、タイラスから、王子と王女を救出するために遣わされた者か?」


「その可能性はあるが、あまりにも救出が早すぎる。それなら、まるでユラリアの侵攻をあらかじめ知っていて、王子と王女が落ち延びることも知っていたみたいだ」


「よい魔道士を抱えているのかもしれない」


「デルマーボッグ様は、遠く離れた場所で起こっていることが見えるというから、他国にもそのような魔道士がいてもおかしくはないな」


デルマーボッグとは、サントネージュ魔道士界の有名人であり、魔道士たちの畏怖の対象であった。過去や未来を見通すことや、空中浮遊などもできるという。彼が呪いをかけた人間のうち、死んだ人間が5人、彼に命乞いをして助かった人間は無数にいる。


「なんでも、デルマーボッグ様は、今回のユラリアの寇略がずっと前から分かっていたそうだ。ごく親しい者たちに見せた『未来記』には、それが書かれていたらしい」


「では、なぜそれを国王に伝えなかったのだ?」


「滅びるものは滅びるに任せるのがいいというのがあの方のお考えなのだ。俗世の戦乱など、あの方の関心には無いのだな。ある意味では、国王などの上に立つお方だから」


「すごいお方だ。我々も、修行すれば、そのような高みに行けるだろうか」


「ああ、苦しい修行に耐えればな」


「あるいは、あのお方が前前からおっしゃっていた地上の天国が、この戦乱の後に来るのかもしれない。我々の指導者であるあのお方が俗世の支配者にもなれば、地上はそのままで天国になるというあの予言が実現されるかもしれないな」


「いや、アルト・ナルシス様を国王としてもいいのではないか。ナルシス様はデルマーボック師を崇拝しておられるからこそ、我々もナルシス様に従っている。ナルシス様が俗権の支配者、デルマーボック師が精神界の支配者でいいのではないか?」


「いずれにしても、我々の活躍する時代が目の前にあるのは確かだ」


「その通りだ」


この会話はこの二人の精神を高揚させる効果があったらしく、彼らは夜を徹して歩き続け、どうやらグエンたちとの距離をかなり縮めたようであった。


 


 


第十章  タイラス宮廷


 


サントネージュ王国崩壊の知らせはサントネージュに置いてある間者(スパイ)を通じて、急報としてタイラスに届いていた。そして、王子と王女が宮廷を脱出した後、行方が知れなくなっていることも。


タイラス王妃エメラルドは、夫である国王エドモントに王子と王女の救出を頼んだが、国王は良い返事をしなかった。というのは、実はエドモントの母はユラリアの出で、ユラリア国王とは血縁関係にあったからである。サントネージュがユラリアに占領されることで、タイラスとして損になるということはない。むしろ、国王エドモントが危惧していたのは、義理の甥と姪、つまりダイヤ王子とサファイア姫がタイラス宮廷に来たらどうするかということであった。


「一番いいのは、彼らをつかまえて、ユラリアに引き渡すことでしょう」


宰相のケアンゴームが言った。年の頃は40代後半だろうか、銀髪で褐色の顔色をした体格のいい男だ。短い顎髭が堂々としていて、宰相よりは将軍のタイプだが、無表情で、物腰は穏やかである。しかし、その眼の奥には、何か得体の知れないものがある。美男と言ってもいい中年男だが、どことなくいかがわしい雰囲気を持った男だ。


「しかし、そうすると、お妃さまは王をお許しにならないでしょうから、困りましたな。どうなさいます?」


「まあ、妃がどう言おうと、国王はわしだから、わしの好きなようにやるまでだが、正直言って、妃に泣かれるのもいやだ。どうしたものか」


エドモントは色白のでっぷり肥った顔に困惑の色を浮かべる。


「宮廷に来る前に、途中で殺しますか?」


「ふむ、しかし、それも乱暴だな。まだ相手は子供だし」


「やはり、捕まえて、ユラリアに送るのが一番でしょう。処置はユラリアに任せれば、王の責任ではありませんから」


「ふむ、やはりそうするべきだろうな」


「まあ、国境地帯はユラリアの兵が固めているでしょうから、そこをわずかな人数の逃亡者が突破できるとも思えません。今の段階では、これは考える必要もないことでしょう」


「そうだな。それより、モーリオンの件はどうなった」


「はい、すべて順調です。モーリオン様はランジュ公爵の養女ということにしてあります。いつでも、そちらへいらっしゃれば、お会いになることはできます」


「ランジュ公爵があの女に手を出したりはしないだろうな?」


「それは無理でしょう。なにしろ、70歳の老人ですから」


「できれば、宮廷に入れて、毎日会えるようにしたいものだが、妃には知られたくはないのでな」


「まあ、会えない間が、また恋の薬味というもので」


「まったく、いくつになっても、新しい美しい女というものは、男をわくわくさせるものだわい」


「さようですか」


「お前も、澄ました顔はしているが、やることはやっているだろう」


「まあ、適度に」


「また、美しい女を見つけたら、知らせるのだぞ」


「はい、それはもちろんです」


 





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タイガー! タイガー!(6)


第八章 森の中(2)


馬を走らせていたグエンは前方に黒い影を見つけて馬を止めた。その影は四体。



「お前らは、何者だ」



グエンは静かに聞いた。



「そういうお前の名を聞こう」



影のような黒衣の男たちの一人が低い声で言った。



「俺の名は、どうでも、いい。お前たちは、俺に、用が、あるのか」



「ああ、お前の連れている二人の子供を寄こしてもらおう」



「あれは、俺の、子供だ」



「嘘をつけ。あれがサントネージュの姫と王子だということは分かっている」



「馬鹿馬鹿しい。俺たちは、ただの、旅人だ」



「どこへ行く」



「お前らに、言う、必要など、ない」



「ならば、力づくであの子供たちをいただこう」



男の腕が鋭く動くと同時に、グエンの乗った馬の首に短刀が刺さった。



「くそっ」



鞍から跳躍すると、グエンは巨体を翻して地上に降り立った。馬がその背後で倒れる。



四人の男たちはそれぞれの手に鞭を持っている。その鞭の先端に小さな金属の輝きがあるのをグエンの鋭い目は見て取った。



(毒針付きの鞭か。少々厄介だ。)



グエンは腰の剣を抜いて油断無く4人に向かい合った。



その時、背後にかすかな叫び声がしたのを、グエンの常人離れした聴覚は聞きつけた。



(しまった!)



グエンは身を翻し、駈け出した。



(あの4人を相手にしている間に、他の連中がフォックスたちを襲ったのだ。うかつだった!)



 



グエンは疾走した。馬よりも速い。



あっと言う間に、背後に残してきたフォックスたちのところに着いた。フォックスは剣を抜いて、子供たちをかばいながら、敵らしい男たちに向っている。敵の身なりは通常の庶民の服装だが、それぞれに短剣を持っている。その数は5人。



「ああ、グエン、助けて!」



フォックスの言葉にうなずくと、グエンは敵に襲いかかった。



5人を倒すのに、数秒もかからない。



だが、その間に、道の前方にいた黒衣の男たちが馬を走らせてやってきた。



「下がっていろ! 危険な連中だ」



グエンはフォックスや子供たちに声をかけて、黒衣の男たちの方へ走り出した。



先頭にいた男が、馬上から鞭をふるう。その鞭を剣で切ろうとするが、鞭はただ剣に捲きつくだけだ。その間に他の男からの鞭がグエンを襲う。



「くそっ!」



グエンは身をかわしながら、その鞭を手でつかみ、相手を馬から引き落とす。



フォックスがこちらに駆けてくるのが見えた。



「来るな!」



グエンは叫んで、巨体を跳躍させ、2マートルほども飛び上がると、そのたくましい右足で馬上の敵を蹴り落とした。そして、同時にその馬に乗る。



相手と同じ高さにいれば、敵の武器の有利さもいくらかは無くなる。



残りの二人を剣で斬るのはあっという間だった。



地上には、引きずり落とされた男が立ち上がりながら呆然としている。蹴り落とされた方は、座りこんでいる。



 



「我々は、サントネージュ宮廷の者です。王女と王子をお守りするために追ってきたのです」



男は必死の表情でそう言った。



「どう、思う?」



グエンはフォックスの方を振り返って聞いた。



「嘘だと思います。先ほど、彼らは私の名を尋ねようともせず、子供たちを奪い取ろうとしました。それに、宮廷でこの者たちの顔を見たことはありません」



「い、いや、確かに我々は宮廷の者ではなく、臣下のそのまた家臣ですから、フェードラ様が我々の顔をお知りにならないのは当然です。我々は実は、アルト・ナルシス様の家臣でございます」



「アルト・ナルシス様の?」



「はい。ナルシス様は、お考えがあって、今はユラリアの二人の王子に仕えておりますが、実は、機を見てサントネージュを再興するお考えなのです。そして、もちろん、王位にはご自分がではなく、サファイア様かダイヤ様をおつけになろうとお考えなので、お二方をご自分の元で隠しながら保護なさるおつもりなのです」



フォックスは考え込んだ。



「アルト・ナルシス、は……第三、王位継承者、だったな?」



グエンが言った。



「はい」



「どう、する? お前たちが、望むなら、……俺は、ここで、別れても、いいが」



「いやだ! ぼくはグエンとタイラスに行く。アルト・ナルシスなんてウソつきだ! あいつはお父様を守りもせずに敵に降参しちゃったじゃないか」



ダンが目に涙を溜めて叫んだ。



「そうね。アルトには何かの考えがあるのかもしれないけど、敵に占領されている都に戻るのは危険すぎると私も思います」



ソフィの言葉に、フォックスもうなずく。



「いきなり子供たちを連れ去ろうとしたあなたたちのやり方を見ても、あなたたちの言葉が真実のようには思えません。しかし、それが真実ならば、あなた方を殺すわけにもいかないでしょうから、あなたたちの命は助けてあげます。アルト・ナルシス様には、サントネージュを再興してからお二方を迎えに来るようにお伝えください」



黒衣の男たちは顔を見合せて、仕方なさそうにうなずく。



「はっ。すべてを信じていただけなかったのは、私たちの手落ちです。そのうちお迎えにあがります」



 



男たちが去ると、ソフィとダンは再び馬車の上に戻った。



グエンの馬は先ほど殺されたが、黒衣の男たちの乗っていた馬がまだ近くにいたので、そのうち2頭は馬車につけ、1頭にグエンが乗る。これまで馬車を引かせてきた農耕馬は解放した。



しかし、思わぬ手間で、すぐに野宿の準備をしなければならない時間帯になっている。



少し広い場所まで進んで、一行は野宿の用意をし、夕食を食べた。あたりはすっかり闇に包まれ、森の木々の上には宝石を撒き散らしたような星空が広がっている。




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タイガー! タイガー!(5)



第八章  森の中(1)



 



グエンたちの一行がキダムの村を出てから三日が経った。キダムの村で荷車を買い、それを農耕馬に引かせて子供たちはそれに載せることにしたので旅ははかどるようになり、キダムからは100ピロほど東に来ていた。ここから先は森林地帯になり、民家はほとんど無くなるが、途中の村で食料を仕入れていたので特に食い物の心配は無い。ただ、国境をどこから越えるかが問題だが、それはその場の様子を見て決めればいいとフォックスは考えていた。



「ずいぶんはかどりましたね。あと少しで大森林です。大森林を抜ければエーデル川があり、その先がタイラス、その南がトゥーランです」



「タイラスの王妃さまが、私たちの叔母様ね?」



「そうです。エメラルド様とおっしゃって、とてもおきれいな方ですよ。まだ、とてもお若くて、おそらく22,3歳くらいだと思います。嫁がれたのがおととしですから、今頃は可愛い赤ちゃんをお産みになっているかも」



「赤ちゃん、見てみたいわ。可愛いでしょうね」



荷車の上のソフィにフォックスが馬上から話しかけると、さすがに女同士で話がはずむが、男の子のダンはすっかり退屈している。



「あーあ、早くタイラスにつかないかな。ぼく、車に乗るのはすっかり飽きちゃったよ」



宮廷を脱出した時の緊迫感も今は無い。それに、グエンという強い味方ができたもので、誰もが安心しきっていた。



 



大森林が目の前に見えた。樅の木がほとんどで、その森がどこまで続くのか、低い位置からではその範囲もわからない。その途中にエーデル川が流れる峡谷があるはずで、そこがサントネージュと他国の国境になっている。



針葉樹の爽やかな匂いがする。頭上を覆う木陰からは絶えず小鳥の声がする。木の葉を通して太陽の光が下に落ち、下を行く一行の顔をまだらにする。



 



彼らが通っているのは、古い街道である。今でも通商のために使われていて、馬車が通れる程度の幅はあるが、道の上には枯れ葉が深く積もっている。



グエンは馬を歩ませながら、物思いにふけっていた。ある思いが頭の中をぐるぐると回っている。それは、なぜ自分の頭はこのようになっているのか、ということと、なぜ自分の記憶は無いのか、ということ。一言で言えば、「自分は何者か」ということである。考えても答えの出ない問題を考えるのは空しいことだと分かってはいる。しかし、考えずにはいられない。



(俺の体は、通常の男より相当にたくましいらしい。また、体力も人並み以上で、剣をふるう技能もかなりある。ということは、やはり俺はこの世界のどこかで生れ、育ったが、ある時に記憶を失って、あの野原に倒れていたのだろうか。あの野原は、しかし、まったく見覚えは無かった。どこか別の場所で記憶を失わされて、あそこまで運ばれたのか。誰が、何のために? 俺は剣を扱うのに何一つ苦労はしなかった。考える前に体が動いていたという感じだ。そういう面での記憶、つまり体の記憶はあるようだ。それに、言葉を話すのは難しいが、他人の言葉は苦もなく理解できる。ならば、やはり俺はこの国の人間なのか? しかし、こんな頭の人間はほかにはいるまい。なぜか、そういう確信のようなものが俺にはある。俺は自分のこの頭に気づいた時、恐ろしい気持ちになった。それは、これが本来の自分の頭ではないと知っているからだろう。しかし、これが仮面などでないのも確かだ。それは何度も確かめた。無理にこの顔を剝がしても、他の顔など出てこないだろう。俺はいったいどうすればいい。この頭のままでこの世界に生きていくしかないのか?)



 



「ねえ、グエン、何を考えているの?」



フォックスが言った。



「俺は、何者か、という、ことだ」



たどたどしい口調だが、やっと文章になる会話ができるようにはなっている。



「どこかの宮廷に仕えていたんだと思うわ。あなたのあの剣の腕は、超一流の剣士だった。そういう剣士がどこの宮廷にも仕えていないということはありえない、と思う」



「あのう……」



控え目にソフィが口をはさんだ。彼女にしては珍しい行動である。



「なに? ソフィ」



他人のいない所でも、なるべくサファイアとは言わずにソフィと呼ぶようにしている。



「宮廷のお抱え剣士や騎士ではなく、もしかしたら王様だったのかも」



「えっ?」



この言葉はフォックスには盲点だった。何しろ、まっぱだかで出現した、虎の頭の男である。それがどこかの王様だという想像はまったく思い浮かばなかったのだ。



「ま、まさか。……でも、言われてみれば、どことなく威厳があるような……。でも、まさか」



「グエンは王さまだったの?」



ダンが遠慮なく聞いた。



「分から、ない。覚えて、いない」



「そのうち、虎の頭をした人がどこかから失踪したという噂でもないか、尋ねてみましょう。でも、それは私たちがタイラスについてからね」



 



突然、馬が足を止め、後ずさりをした。不安そうな嘶きを上げる。



「何か、前の方にいるわ」



フォックスが言った。



「確かめて、来る」



グエンは馬の腹を軽く踵で蹴って歩ませた。



森の中は静まり返り、鳥の声も今はやんでいた。



 





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タイガー! タイガー! (4)


第七章  アルト・ナルシス



 



ナルシス卿と呼ばれた男が謁見室から出て来ると、控えの間にいた黒衣の男が頭を下げた。



「御用はお済みで?」



「ああ」



大股に歩くナルシスの後から、黒衣の男はちょこちょこと歩いていく。ナルシスという男もそう大柄ではないが、黒衣の男ははっきりと小柄である。その黒衣は、この国では聖職者が主に着るものだが、魔道士、あるいは魔法使いと呼ばれる者たちも着る。



魔道士や魔法使いは職業ではなく、生き方である。通常の人間には無い能力を追い求める生き方のことだ。



普通の人間の持たない不思議な力を持つ彼らは、世間の人間からは恐れられ、敬遠され、時には仕事を依頼された。その仕事は、失せ物の捜索、病気の治療、結婚や仕事の吉凶判断から憎む相手への呪いの依頼まである。



また、中には広い知識と異能力のゆえに権力者に重用される者もいる。この男もその一人で、サクリフィシスと言う。



彼の仕えているアルト・ナルシスはサントネージュ国王アメジストの兄、故アノンの息子で、この国の第四王位継承者である。いや、第三王位継承者の王妃ルビーが死んだ今は、第三王位継承者だ。第一順位のダイヤと第二順位のサファイアが行方不明の現在、ユラリア国の支配下にあるサントネージュの国王に彼が指名される可能性は高い。



「まだサファイアたちの行方は知れないか?」



アルトの質問にサクリフィシスは答える。



「村村に置いてある間者の連絡によれば、二日前にキダムを出たのがサファイア姫とダイヤ王子であるのは間違いないようです。お付きの者のうち一人は近衛兵のフェードラ、通称フォックスと言う女です」



「あのはねっかえりか」



「もう一人は、身長が2マートルほどの大男で、顔を包帯で包んだ謎の男です」



「身長が2マートルほどというと、さて、誰がいたかな。バルバス、ケンリック、モルゲンの三人とも処刑されたはずだ。後は、2マートルまではいかないが、ウジェーヌ、マリオンくらいか。だが、この二人は俺の手下だからな」



「はい、彼らが宿舎を離れてないことは確かめてあります」



「ふむ。まあ、いずれにしても、できることならセザールの手の者たちより先に、サファィヤ姫を捕まえてくれ」



「ダイヤ王子はいかがいたします?」



「殺せ」



「はっ。殺した証拠はどうしましょうか」



「いらん。お前がそれを確認すれば、それでよい」



再び頭を下げて、サクリフィシスは歩み去った。



 



アルトは自分の居室に戻った。この屋敷は彼の家で、そこを彼はオパール総督府として提供しているのである。そのうちもっともいい部屋二つはセザール王子とグレゴリオ王子の居室にしてある。そして自分は客間の一つで暮らしているのである。



ベッドの横の小さなテーブルに置いてある真鍮製の鈴を鳴らして小間使いを呼ぶと、茶を持ってくるように命じる。



縦長の窓が開いていて、そこから初夏の風が入ってくる。



庭の木の梢を渡ってくる爽やかな匂いの風だ。白い薄織のカーテンが揺れている。日の光がレースを抜けて絨毯の上に落ち、縞模様を作る。



「さて、これからあの邪魔者たちをどうするか。……セザールとグレゴリオを毒殺するのは容易だが、かと言って、あいつらが引きつれてきた軍勢はすぐには掌握はできないだろう。さてさて、難しい問題だが、それを考えるのも面白い。次の一手はどうする? アルト・ナルシスよ」



お茶を持ってきた小間使いは、主人が笑みを浮かべて窓の外を眺めているのを見て、その邪魔をしないようにお茶をテーブルの上に置いて静かに退室した。






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タイガー! タイガー! (3)






 


第五章  旅宿にて


 


村の入口近くにあるその旅宿は、一階の裏が馬小屋、建物の一階が食堂、二階が宿室になっていた。


四人は馬を馬小屋に入れ、その世話を宿の者に頼むと、食堂で遅い夜食を取った。グエンは顔を白い布で包んで隠している。


「あんた、変な病気じゃないだろうな」


でっぷりと肥った宿の主人は、グエンを見てそうは言ったが、深くは追求しなかった。


鍋にぶつ切りの鶏肉や玉ねぎやエンドウ豆や人参や蕪をたっぷりと入れ、牛乳で煮込んだシチューは、四人にとっては久し振りの食事らしい食事であった。宮廷で出されたら手もつけないようなこの食事が、王女と王子にも、何にもまさる御馳走である。


フォックスは安いワインも頼んだ。もちろん、酔うほどに飲むつもりはない。


「グエンもどう?」


グエンは陶製のジョッキに注がれたワインの匂いを嗅いで、うなずいた。


あの顔の構造でジョッキの酒が飲めるかな、とフォックスは見ていたが、案外器用に、こぼさずに飲んでいる。よく見ると、舌ですくい取るようにして口に入れているようだ。それも非常に素早い。だから、注意して見ないと、普通にジョッキのへりに口をつけて飲んでいるように見える。


鶏肉は骨のままばりばり食べている。


(剣が無くても、あの牙があれば十分な戦闘能力があるんじゃないだろうか)


とフォックスは思ったが、もちろんそんな失礼なことは言わない。


宿屋にはほかに客もいなかったので、四人は、周りに注意しながらではあるが、話をすることもできた。


「グエンはどこから来たの?」


ダンの遠慮の無い問いに、グエンは首を横に振った。


「分からないってこと?」


今度は頷く。


こういう具合で、時間はかかるが、知りたいことを知ることはできる。


どうやら、この奇妙な虎頭の男は、今日突然にあの野原にいる自分自身を発見したらしい。


それを嘘だともありえないことだとも他の三人は思わなかった。


「魔法にかけられて、ここに飛ばされたんだね」


ダンのその言葉が自分の今の状況をもっとも的確に表しているとグエンは思った。


グエンはこの旅の道連れの三人がどんどん好きになっていた。


 


たった一人でこの世に突然現れた自分に、こうして話のできる相手ができたことは幸運だったのではないだろうか、と彼は考えた。一方、自分が彼らの危難を救ったことについてはもうすっかり忘れていた。弱い者が苦難に遭おうとしている時にそれを救うのは当然の行為である、というのが彼の心の自然な声だったのだ。その一方で、自分があの兵士たちを殺したことへの自責の気持ちはまったくなかった。あの連中は、このか弱い人々に危害を加えようとした。それを防ぐために相手を殺すのも、まったく当然の行為だと思えたのである。


 


話をするうちに、グエンの発声能力の程度も分かってきた。今は簡単な「はい」「いいえ」以外はぶつぎりに単語を言うだけで、文章化して言うのはむずかしいが、まったく発音できないわけではない。とりあえずは、「はい」「いいえ」を重ねるだけでも意思の疎通はできる。


そうであるから、グエンが自分の側の話をすることはあまりできなかったが、他の三人の話を聞いているのは彼には楽しかった。


それに、この三人の容姿は見ていて快い。フォックス、いやフローラは日焼けこそしているが、とても整った顔立ちだし、化粧をしたら美女に化けることもできるだろう。そしてソフィはというと、これはまったくの美少女、金髪で色白でサファイア・ブルーの大きな瞳の目が長い睫に縁取られた、絵に描いたようなお姫様である。もちろん今は、旅をするために男装をしており、髪も王宮を脱出する時に男の子に化けるためにうんと短く切ってあるが、それでも顔立ちの美しさは、教会の天使像のようだ。


(教会の天使像? 俺はそんなものを見たことがあるのか?)


グエンは自分の想起した言葉につまずいて、物思いの世界に入り込む。


(いったい、俺は何者なのだ。記憶を失うまでの俺はどこにいて、どのような暮らしをしていたのだ? 俺は一人身なのか、それとも妻がいたのか? ははは、こんな顔の俺に妻などいたはずはないか。だが、俺のいた世界では、俺のような顔の人間がふつうなのかもしれない。……虎の顔をした妻か!……)


グエンは暗鬱な気分になり、二杯目のワインを飲んだ。


「グエン、どうしたの?」


グエンの気分を察したようにダンが聞いた。


グエンは何でもないというように首を横に振って、ダンの肩を軽くポンポンと叩いた。


「さあ、明日は早いから、今日はそろそろ寝ましょう」


フローラの言葉で四人は立ち上がり、寝室に向かった。


 


四つの寝台のある部屋に入った四人のうち、ダンは疲れたらしく粗末な寝藁の寝台に入るとすぐに寝息を立て始めたが、他の3人はもう少しお互いの話をした。


とは言っても、話したのは主にフローラである。ソフィはうまく事情を説明できるほどの年齢ではない。グエンは言うまでもなく言葉が不自由だ。


 


「このお二人はサントネージュ国の王女と王子であることは、先ほど言いましたが、私は近衛隊隊員のフェードラ、通称フォックスです。


つい五日前、この国の国王は同盟国ユラリア国王を招いて、親睦のために共に狩りをしました。その時、ユラリア国の国王からサファイア姫をユラリア国の第一王子の妃に迎えたいという話が出ましたが、我が国王アメジスト様はそれをお断りになりました。なにぶんにもサファイア様はまだ若すぎるという理由からですが、本心は、ユラリアの第一王子セザール様は残忍な方だという評判を聞いていたからです。申し出を断られたユラリア国王のマライスはその晩、アメジスト様を暗殺したのです。それと同時に、国境に待たせていた大軍がサントネージュとの国境を越えて侵入し、首都オパールに迫りました。国王を失っては、軍隊を統率することもままならず、王妃のルビー様はご自分の死を覚悟してこの私にお子様たちを逃すようにお命じになったのです」


「うう……どこに……行く?」


「タイラス国は我が国と縁戚関係にありますから、そこを頼ろうかと思ってます」


こんな見ず知らずの人間(いや、人間なのかどうかも分からないが)にすべてを打ち明けていいものかどうかと思わないでもなかったが、じぶんが信頼できると判断した人間には隠し事をしない方がいい、とフェードラは決心したのである。


「あなたはどうします?」


「分か……ら……ない。お前たち……と……行く……?」


ソフィは彼の首すじに飛びついて抱擁した。


「ありがとう。あなたが一緒に来てくれて嬉しい!」


ソフィは自分がこのようなあからさまな感情表現をしたことに自分で驚いた。彼女が受けたしつけには無い行動である。虎頭の男はこの無邪気な行動に戸惑いながらも嬉しそうだ。


「まあ、まあ、ソフィ様。でも、私も本当に嬉しいですわ。あなたのような強い人が一緒にいてくれるなら、何も怖いものはない、という気分です」


グエンは頷いた。べつに謙遜することもない。自分が馬鹿馬鹿しく強いことは、すでに確信していた。


 


何はともあれ、やるべき事ができたのは、自分にとってはいい事だろう。自分の正体については、今すぐには分かりそうもないから、当面はこの三人のお守りをしながら旅をし、この世についての知識をだんだんと増やしていくのが賢明なようだ、と眠りにつきながらグエンは考えた。眠りの中に沈みながら、ソフィが彼に抱きついた時の本当に嬉しそうな顔を最後に思い出し、彼は微笑を浮かべた。


 


 


第六章  セザールとグレゴリオ


 


「虎の頭をした男だと?」


セザール王子は報告を受けて眉根に皺を寄せた。年の頃20代後半の大兵肥満の男だが、顔は日焼けして精悍だ。顔の下半分は鬚に覆われていて、年よりもふけて見える。その目は小さく残忍な光がある。全体に、王子らしくもなく、熊か猪めいた野獣性を感じさせる男だ。


「それは仮面をかぶっているのか?」


「わかりません。宿屋の主人の言葉では、二日前に10歳くらいの女の子と8歳くらいの男の子を連れた夫婦ものが宿泊し、出がけにその男に男の子が抱きついた拍子に顔の包帯がはずれて、虎の顔が見えたということです」


「虎の仮面の上から、さらに包帯をするというのも理屈に合わんな。かといって、虎の頭をした男がこの世にいるなどとは聞いたこともない。まあ、神話の中には半人半獣という奴もいるにはいるが。で、そいつらはどこへ向かった?」


「東の方角ですから、タイラス国かと思われます。あるいはトゥーラン国かもしれません」


「ふむ。分かった。下がってよい」


東方面の報告を終え、間者は退出した。


続いて、捜索隊の隊長からの報告がある。


「最初の捜索隊の兵士たちの死体が見つかりました。20人全員です」


「すべて死体で見つかったのか?」


「はい」


「場所は?」


「サルガスの野の街道沿いの小川に皆、投げ込まれていました」


「サントネージュの残党がまだあちこちに残っているというわけだな。オパールの町の兵士や将校は皆処刑したはずだな?」


「はっ」


「だが、庶民に身を変えているとも考えられる。ならば町の成年男子は皆殺しにするしかあるまい」


「しかし、それは……」


「何だ?」


「いえ、何でもありません」


「不服そうだな。だが、お前らの仲間が20人も殺されたのだぞ。これもサントネージュの残党がこの世にいるからだ」


「兄者」


と声を掛けたのは、窓の傍に立って室内のことには興味もなさそうに外を眺めていた男である。こちらはセザールの弟だろうが、兄とはまったく似ていない。おそらく母親が違うのだろう。中背で細身、白皙の顔に長い黒髪がかかっている。美男と言ってもいい容貌だが、兄と同様にその灰色の瞳にはどこか冷酷なものがある。窓から室内に向き直って、上座の椅子に座っているセザールに言う。


「敵国の男どもとはいえ、奴隷として使えば貴重な労働力です。むだに殺すことには賛成しかねますな」


「俺の言葉に逆らう気か、グレゴリオ?」


威圧するようなセザールの言葉に、グレゴリオと呼ばれた男は平然として答える。


「べつにあんたは王ではない。たまたまオパール総督を命じられただけのことだ。俺の主君でもない」


「ほう、その言葉、覚えておくがいい。俺が王位についた後、俺に膝まづいて俺の靴を舐めることになるぞ」


「そうなるのがあんたでないとも限らないがな」


セザールは立ち上がって剣を抜いた。


「ならば、今、決めてやろう。剣を抜け」


「御免こうむる。ゴリラ相手に力で勝負をする気はない」


「腰抜けめ」


セザールは床に唾を吐いた。


「それよりも、早くしないとサファイア姫とダイヤ王子が国外に脱出するぞ」


「国境は兵士たちに固めさせてある。それに、あんな子供たちが逃げたところで大した問題ではない」


「子供はいつまでも子供ではないさ」


「1万人にも足らぬ軍勢に首都を奪われるような腰抜け国の王子や姫に何ができる」


「俺は、その虎の頭をした男が気になるな。もしかしたら、その男が追跡隊20人を殺したのかもしれんぞ」


「馬鹿な! いかに豪勇無双な人間でも一人で20人が倒せるものか」


「一人でではないだろうが、もしもサントネージュ王妃から遺児を託された人間なら、相当の勇士だろう。会ってみたいものだな」


「そのうち、首だけになったそいつと対面させてやるさ。おい、いつまでそこにいる。さっさとその虎頭の男と一緒だという大人の女、女の子、男の子の4人連れをとっつかまえて来い。キダムの村から東の方面だ。抵抗するなら大人は殺してかまわん」


怒鳴りつけられて捜索隊隊長は飛び上がり、一礼して出て行った。


部下からの報告を受ける用が済んだので、セザールも謁見室となっているこの部屋から出て行った。おそらく食堂に酒を飲みに行ったのだろう。自分の居室で飲むよりも台所や食堂で飲むのが手っ取り早いというわけだ。


グレゴリオは窓辺にまだ立っていた。


 


「グレゴリオ様……」


声をかけられて振り向くと、予期した顔がそこにあった。


「何だ。ナルシス卿」


「もしも捜索隊が首尾よくサファイア姫を捕まえることができましたら、サファイア姫を私にいただきたいのですが」


「もらってどうする」


「妻にいたします」


「まだ十歳だと聞いているぞ」


「もちろん、結婚はまだ先のことですが」


「先物買いか。将来それほどの美人になる見込みがあるわけかな」


「はあ。まあ、そういうわけで」


「お前が国を裏切って、アメジスト国王暗殺の手引きをしたと知ったら、サファイア姫はお前をどう思うかな」


「それも一興でしょう。愛し合うばかりが夫婦ではないでしょうから」


「そういう退廃的な趣味は俺には分らん。まあ、サファイアをどうするかは、俺ではなく、あのゴリラの一存だろう。幸い、あのゴリラはデブの女が好きで、子供には興味はない」


「では、よしなに」


ナルシス卿と呼ばれた男は一礼して去った。


グレゴリオはこれまでサファイア姫には何の関心もなかったが、今の会話で少し興味が湧いてきたようである。

 

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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