第十二章 緑の森の盗賊たち
「地面に伏せろ!」
グエンは焚き火に革袋の水をかけて消し、消し残った数本を川に放り込むと、他の者たちに指示した。
地面に伏せると、彼らに近づく者は夜空を背景にすることになり、姿が見える。
あたりは漆黒の闇に見えたが、地面に伏せた態勢からだと、案外と背景との違いが見える。それに、目が闇に慣れ始めてきた。
相手の数は3名、とグエンは数えた。大人の男が3名だ。べつに忍び足ではなく、普通の足取りで近づいてくる。殺気は無いようだが、グエンは用心深く見守った。
「おおい、そこの方たち。俺たちは敵じゃない。まあ、まともな人間でもないが」
のんびりとした調子で、相手のうちの一人が奇妙なことを言った。
「緑の森の盗賊団というのが俺たちの名だが、貧しい者や弱い者からは奪わないのが俺たちだ」
「緑の森の盗賊団?」
フォックスが呟いた。
「知っているのか?」
「ええ。タイラス、トゥーラン、サントネージュの三つの国の国境近くに住んでいる盗賊団です。今言ったように、金持ちや貴族からしか金は奪わないのですが……」
「しかし、お前たちも貴族ではあるわけだな」
「はい。どうしましょう」
「まあ、あいつらの話を聞いてみるさ。こちらの正体は明かすこともあるまい」
グエンは立ち上がった。
闇の中でも相手を威圧するようなその巨体に、彼らに近づいた3人は驚いたようだ。
「俺たちは、国境破りをしてきた者だ。だが、お前たちも盗賊なら、俺たちの仲間のようなものだろう。俺たちをお客として扱うか? それとも獲物として扱うか?」
グエンは淡々と言った。怯えてもいないし、激してもいない、その声に、相手は予想が狂ったようである。
「ほほう、なかなかの豪傑のようだな。そういう男は大歓迎だ。我々の宿に案内しよう」
3人の中の兄貴分らしい年配の男が言った。
「俺の名は、フロス・フェリ、緑の森の盗賊団の頭だ」
「俺はグエン、後は俺の家族だ」
「サントネージュから来たようだな。とすると、亡命貴族か」
「貴族というほどではないが、ユラリアによる残党狩りから逃れてきた」
「そうか。まあ、俺たちについて来い。悪いようにはせん」
フロス・フェリと名乗った男は、くるりと後ろを向いて歩き出した。他の二人もそれに続く。
グエンは後ろの三人に頷いてみせて、フロス・フェリたちの後から歩き出した。
森の茂みの中を歩くのは昼間でも厄介だが、まして夜の闇の中だと、前に行く者の跡をしばしば見失いそうになる。しかし、グエンの鋭い聴覚は、前を行く者たちの居場所を常に把握していたから、足弱な子供たちが追い付くのを待ちながらでも、行く先を見失うことは無かった。
やがて森の中の空き地に出た。それは、周りを木々に囲まれた草の原であった。ここでは穏やかな初夏の夜風が草や木々の匂いを運び、上空に空いた空間には三日月と星空が見えている。そして、この空き地には天幕が10ほど張られ、その中央では焚き火が焚かれていた。焚き火を囲んで、7,8名ほどの男たちが座っている。手には土器の酒杯をそれぞれに持っているようだ。
「お頭が帰ってきたぜ」
「お帰り、お頭!」
口々に声が上がる。
「獲物は無かったが、客人を連れてきた」
フロス・フェリの言葉に、その仲間たちは彼の後ろから近づいて来るグエン一行を見る。闇の中であるから、その姿はすぐには分らない。
しかし、焚き火の明かりの中にグエンの全貌が現れた時、フロス・フェリも含めて盗賊たちから一斉にどよめきの声が上がった。
身の丈2マートルという、滅多にない身長にも驚くが、それよりも、その広い肩幅と、さらにその上にある虎の頭は、度胸のある盗賊たちにも、ある畏怖の気持ちを起こさせた。
「お、お前、何者だ」
「仮面をかぶっているんだろう?」
盗賊たちは口ぐちに言う。
「だが、すげえ体だな。酒樽モンマスよりもでけえや」
「おい、モンマス、あいつに勝てるか?」
盗賊の一人に声をかけられたのは、こちらも身の丈2マートルに近い大男だが、逆三角形の筋肉質の体をしたグエンとは違って、かなりの肥満体の男だ。だが、固肥りの体で、力強い感じである。
「虎と戦ったことは無いが、まあ、得物を持って戦うなら、勝てんことはないだろう」
モンマスは、髭面をグエンに向けて値踏みするように見て、そううそぶく。
「そう焚きつけるな。こちらはお客さんだからな。まあ、こちらへ来な」
フロス・フェリは焚き火の上座らしい席に座ると、グエンに声をかけた。
焚き火の中に浮かび上がったフロス・フェリの姿は、年齢は40前後と見えた。長身でたくましい肩をし、角張った顔形に黒く長い髪、黒い口髭を生やしている。快活そうな明るいブルーの目をしているのだが、夜の今は、その色合いまでは他人にはわからない。
かついでいた弓と、腰の剣は、今は体の傍に置いてある。
グエンはフロス・フェリが示した座席に腰を下ろし、その側にフォックスと子供たちも座った。
「これはまあ、きれいなお姉ちゃんだ。あんたの奥さんかい?」
「まあな」
グエンの返答に、フォックスは一瞬微妙な表情になったが、そう質問した盗賊に笑顔を向けて頷いた。
「まだ若いのに、大きな子供がいるんだな」
「ああ。こう見えてもこの女はもう40近いんだ」
グエンはそうとぼけたが、フォックスはむっとした。
ソフィとダンは、今の役割を必死で理解した。
「お父ちゃん、お腹空いた」
ダンが言った。
「ああ、そうか。どうかこの子たちに何かやってくれないか」
「おお、これは気が利かなくてすまなかった。おい、チャルコ、そのシチューと鹿の焼肉を子供たちに出してやれ」
「へい」
フロス・フェリの命令に、盗賊の中の下っ端らしい若者が従う。
錫で出来た皿にシチューを入れて、子供たちに与える。
「あんたたちはその辺のものを勝手に食べてくれ」
「かたじけない」
グエンは言って、腰のナイフを抜き、焚き火の側の焼き串に刺さっている、でかい鹿の焼肉を大きく切り取る。
まず、フォックスに手渡し、次に自分の分を取る。
「塩もあるぞ。それに、キノコ入りのソースもな」
「ほう、これは御馳走だ。山賊というのはいい暮らしだな」
「それなりの危険はあるがな。まあ、土地に縛られた百姓の暮らしよりはいい。どうだ、お前たちも仲間に入らんか?」
「申し出は嬉しいが、タイラスのランザロートに女房の親戚がいて、そこを訪ねる予定なのだ。まあ、行ってみて歓迎されないようなら、その時は考えてみよう」
「女房持ちじゃあ、この山犬たちの間で奥さんの身が危ないよ」
背後の影からそう声がかかった。
闇の中から現われたのは、年の頃は20代後半くらいの女で、浅黒い肌に放浪民特有の派手な重ね着をしている。首の周りの大きな首飾りが目立つ。
「アンバー姉さん、俺たちにだって仁義はあるぜ。仲間の女房など寝取るものか」
山賊の一人が不平そうに抗議する。
「わかったもんかね。お前はモーリオンのことであやうくジャスパーと殺し合うところだったじゃないか」
「まあ、あれは、モーリオンが俺とジャスパーに二股かけていたからだ。ジャスパーとはもう仲直りしたからいいじゃないか」
「それに、モーリオンはもうとっくにここにはいない人間だ。昔のことはいい」
フロス・フェリがとりなすように言う。
アンバーと呼ばれた女は、グエンとフロス・フェリの間に割り込むように座った。
「へえ、その頭、本物かい?」
「ああ、そのようだ。外すことはできぬ。この牙もすべて本物だ」
「珍しいねえ。名前は?」
「グエンだ」
「聞いたことが無いねえ。私は、あちこちの国に行ったことがあるけど、あんたのような虎の頭の人間の話は聞いたことが無い。もちろん、神話のミノタウロスやセイレーンなど、人と動物が合体した生き物の話はあるけど、あれはまあ、伝説だからねえ。ちょっと触っていいかい?」
許可を待たず、アンバーはグエンの顔に触れた。遠慮なくその皮膚を引っ張り、唇をめくって牙を確認する。
「本当だ。この頭は本物の虎の頭だよ。奥さん、虎とキスするのはどんな気持ちだい?」
「ま、まあ、慣れてしまったから」
「言っちゃあ悪いけど、よく結婚する気になったねえ。まあ、頼もしいと言えば、これほど頼もしい男もいないだろうけどね。私が見た感じでは、この人は、相当の勇者だね」
「ええ。この上無い勇者です」
「お話の途中だが、子供たちは疲れて眠そうだ。この子たちを寝かせる場所はあるかな?」
グエンが口を挟んだ。これ以上会話が続くと、余計な詮索をされると思ったからだ。
「アンバーの天幕を貸してやれ。アンバーは俺の天幕に来ればいい」
「ああ、いいよ。四人寝るくらいの広さはあるから」
「有難い。では、途中で退出するのは失礼だが、俺たちはもう寝かせて貰おう。俺も女房も少々疲れているのでな」
アンバーの天幕に入るとグエンはまずフォックスに謝った。
「先ほどは済まなかった。女房ということにしておいたほうが、山賊たちもあんたに手を出しにくいだろうと思ったのでな」
「いい考えだったわ。でも、私はまだ24ですから」
「40近いと言ったのも、あいつらのあんたへの興味を無くさせるための方便だ」
「多分そうだとは思いましたが、私、そんなにふけて見えます?」
「いや、若々しいと思う」
「なら、いいです。これからは、私は38歳で通します」
「済まんな」
グエンとフォックスの会話を興味深げに聞いていたダンが言った。
「フォックスとグエンは結婚するの?」
「いや、これはお芝居だ。我々の身を守るためのな」
「グエンとフォックスが僕たちのお父さんお母さんだなんて、何だか変な気分だな」
「ダン、これはお芝居ではなく、本当にそうなのだと思って行動するのですよ」
ソフィが姉さんらしく教える。
「はあい」
「じゃあ、もう寝ましょうか」
奥にダン、その次にソフィ、その次にフォックスが横になり、入口の側にグエンがその巨体を横たえると、天幕がほぼ一杯になった。
やがて天幕の中に寝息の音が立ち始める。グエンも眠ったが、彼は寝ていても、かすかな気配で目を覚ますことができることをすでに自覚していたので、就寝中に敵に襲われることは心配していなかった。