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軍神マルス第二部 9

第九章 マルシアス

デロスは、ヴァルミラに意中の人があるということが気に掛かっていた。しかし、どう考えてもそれが誰なのか思い浮かばないのである。
「デロス殿、船の完成も間近いという話を聞きましたが、今回の遠征には私も連れて行って貰えるのでしょうな」
 宮廷でデロスに声を掛けたのは、友人のマルシアスである。様々な人種の入り混じっているこのグリセリードの宮廷でも目立つ風貌のこの男は、アルカード生まれということだが、十年以上前からグリセリードに仕えている。
 異国の人間がグリセリードに仕えるのは、そう珍しい事ではない。グリセリードはこの大陸の南部の砂漠の小国だったのだが、先先代国王ルガイヤの頃に近辺の諸国との闘争によって国を急激に広げ、先代のヴァンダロスの時に大陸のほぼ全部を統一したのであった。だから、廷臣の半分以上は統一の間に併合された国々の諸将や家臣である。ヴァンダロスは、本来のグリセリード生まれの人間だからと言って重く用いる事はなかった。能力のある人間で、グリセリードへの忠誠を誓った者なら、どんどん引き上げて重い地位に付けたのである。その一方、無能な人間には厳しかったが、力のある者ならいくらでも出世ができたので、有能な人間は喜んでグリセリードに仕えたのであった。
 このマルシアスも、異国の人間だが、剣の達人で、軍略にも優れていたので、ヴァンダロスに可愛がられて出世し、シルヴィアナ女王の下で現在は首都軍警備隊長を勤めていた。
「お主には、首都の護りという大事な仕事があるだろう」
「首都は今のところ大丈夫です。それに、私ならアスカルファンの地理も分かる。そういう人間こそこの遠征には必要でしょう」
「アスカルファンに詳しい者は幕僚の中にもいないではないが、お主が来てくれるというなら、心強い。シルヴィアナ様に願い出てみよう」
「有難い。首都警備の仕事では戦らしい戦も無く、体がなまっていたところだ。また、デロス殿と同じ戦場で働けるのは楽しみですな」
 デロスは宮殿の政の間に伺候して、アスカルファン遠征計画の大要を奏上した。腹の内では、シルヴィアナなどに何を言っても分かりっこないとは思っていたのだが、問題はロドリーゴがつまらぬ難癖をつけるのではないか、ということである。
「遠征隊の総人員はおよそ三十万人、うち兵士は二十万人で、この三十万人を二手に分けてアスカルファンに向かいます。一隊は、陸地を西に向かって南西大陸の北部のボワロンにまず向かいます。もう一隊は、船で南西大陸を海岸沿いにぐるっと回ってそこから北のレント、及びアスカルファンに向かいますが、その途中でボワロンで待機している陸地軍を船に乗せ、全軍揃ったところでアスカルファンへ向かい、総攻撃します。合流までは、陸地軍の指揮は私デロスが、船団の指揮は第二将軍エスカミーリオが執ります。全軍合流後はすべて私が指揮します」
 デロスの奏上を受けたシルヴィアナは、傍らのロドリーゴの顔を見た。シルヴィアナが即位した後の政治的判断は、すべてロドリーゴが行ってきたのである。
「悪くない計画だと思うが、海回りの軍は、途中でレントの海軍に遭うのではないかな?」
ロドリーゴが、眠たげな半眼だが奇妙な光を持つ目をデロスに向けて言った。
「そうなる可能性はありますな。しかし、エスカミーリオ殿なら、レントの海軍など問題にしないでしょう。それとも、ロドリーゴ殿も船にお乗りになって、船団の守護をなさいますか? そうすれば、この上ない力になりましょう」
デロスの言葉に、ロドリーゴは苦笑した。デロスの気持ちは分かっている。いつも自分は安全な場所にいて、自分たちを死地に追いやる連中、特にこのロドリーゴを彼が嫌っていることはよく知っていた。
「わしは戦のやり方は知らぬよ」
「ロドリーゴ殿は、常人にはない超能力をお備えだとか聞いております。何でも、思いのままに雨を降らせ、風を起こす事すらできるとか。船旅には持って来いのお方かと存じます」
わざと丁寧な言葉でデロスは迫った。
「いい加減にせよ、デロス! ロドリーゴは国家の柱石じゃ。その大切な命を戦などで失って良いと思うのか」
 シルヴィアナが叫んだ。
「ほほう、成る程。では、我ら武辺の命はいくらでも失って良いと?」
「それがお前らの仕事であろう。戦の働きによってお前らの報酬はあるのじゃ。戦の無い武人に何の用がある」
「道理ですな。ははは、ではせいぜい命を的に頑張ってくることにしましょう」
高笑いを上げて、デロスはシルヴィアナの御前から退出した。

 デロスの屋敷の裏には、広い中庭があったが、デロスはこの庭をもっぱら馬場として使っていた。デロスの屋敷には馬が二十頭近くいて、戦のない時のデロスの小姓の仕事はもっぱら馬飼いと、馬の調教だった。そして、もう一つ、ヴァルミラの武術の練習の相手という仕事があったが、これが一番大変な仕事であった。
 馬に乗って剣で戦う練習をしていた小姓の一人が、ヴァルミラの剣の一撃で馬から叩き落された。もちろん模擬刀だが、打撃と落馬の衝撃は大きい。
「他に相手になる者はおらんか!」
ヴァルミラの言葉に、他の小姓たちは尻込みしたが、その時、屋敷のベランダから声が掛かった。
「久し振りに私がお相手しよう。ヴァルミラ殿」
その声の方を振り向いたヴァルミラは頬を染めた。
「マルシアス様!」
にこやかな笑顔で近づいてくる栗毛の髪の武士に、ヴァルミラは胸をときめかせていた。

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