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軍神マルス第二部 50

第五十章 時の流れの中で

「マルスと私にとって、この二年間の記憶ほど、楽しく大事なものは無いのよ。それをマルスが自分から忘れたいなんて、そんな、ひどいわ」
マチルダは泣き崩れた。
 トリスターナは青ざめていた。もう、マルスの秘密を自分だけの胸に置いてはおけない。
 トリスターナは、ロレンゾを片隅に引っ張って行き、マルスが知らずに父ジルベールを殺していた事を告げた。
 ロレンゾは大きくうなずいた。
「それじゃな。おそらく、悪魔にその点を突かれて、心を吸い取られてしまったんじゃ。最後の、アロンゾの鍵を知らせる言葉が、記憶のかすかな痕跡だったのじゃろうな。可哀想に」
ロレンゾは涙を拭った。
「国民全体の幸福の代償に、マルスは自分の最も楽しく生き生きとした二年間の記憶を失ったんじゃ。立派な国王じゃ。だが、もはや国王としての仕事はできまい。今のあれは、まったくの子供じゃからの」

 マルスは病気を理由に国王の座を下り、それまで宰相として政治を見ていたオズモンドが国王となった。
 トリスターナはアンドレと結婚してアルカードに行き、ピエールはヤクシーと共にパーリに向かい、パーリをボワロンから独立させる運動に手を貸して成功させた。
 ヴァルミラは、ピエールたちに協力した後、やがてグリセリードに起こった内乱に身を投じ、反乱軍の首領となってグリセリードからロドリーゴの一党を追い出して、シルヴィアナを退位させた。そして、グリセリードの女王の座に就いたが、誰とも結婚せず、一生を処女王として過ごしたのであった。
 こうしてアスカルファン、レント、グリセリードの友好関係は数百年続くことになったのであるが、その立役者であるマルスは、自分がそんな重大な役割を果たした事も知らず、故郷の山でマチルダと共に農牧業を営んで、のんびりと過ごしていた。
 いきなり十八歳になっていた事への戸惑いも、いきなりマチルダのような美しい奥さんが出来ていた事もマルスには夢のような事であったが、中でも、たまに町に出た時に、時々見も知らぬ他人が自分の顔を見て、土下座して拝むことには途方に暮れた。
 マルスには、なぜ人々が自分を「軍神マルス様」と呼ぶのか、さっぱり分からなかったからである。
 マチルダに聞いても、さあ、と笑うばかりである。
 だが、そんな奇妙な出来事はどうであれ、マチルダと四人の子供に恵まれて、平凡だが平和な暮らしをする事にマルスはまったく不満はなかった。
 マルスとの間に出来た子供にマチルダはオズモンド、ヴァルミラ、ピエール、ヤクシーとそれぞれ名づけた。
 何でそんな変な名前にするんだと聞いても、マチルダは笑って答えない。オズモンドやピエールはともかく、ヴァルミラやヤクシーなんて妙な名前ではないか。
 マルスがもう一つ疑問に思った事は、ロレンゾと名乗る爺さんが勝手に自分の家に居候している事である。
「わしはお前らの祖父みたいなもんじゃからな」
とロレンゾは言うし、マチルダもそれを快く受け入れているので、マルスもそれでいいんだろうと思っていたが、一つ気に入らない事があった。
「あの、お前のお祖父さんだがね」
「ロレンゾの事? ロレンゾがどうかして」
「子守りをしてくれるのはいいんだが、子供に妙な話をするんだ。まあ、罪の無いほら話か御伽噺だろうから、気にしなきゃあいいんだろうが、子供の頭に悪い影響を与えるんじゃないかと思ってね」
「どんな話?」
「戦の話や旅の話さ。それに出てくる主人公ときたら、一人で千人もの敵を弓矢で倒すなんて言ってるんだぜ」
「嘘みたいな話ね」
「嘘に決まってるさ。それに、僕は戦の話は嫌いだ。あんなのを聞いて育った子供がどうなるか知りたいもんだよ」
「大丈夫よ。子供だって、御伽噺と思って聞いているわ。ねえ、ヴァルミラちゃん」
「あら、私本当の話だって思ってたわ」

ピエールとオズモンドがオモチャの剣でちゃんばらをしている。
「あっ、お父さんだ。叱られるぞ」
マルスが外に出てきたのを見てオズモンドが言った。マルスは二人に笑顔で手を振って農作業に出かける。
「お父さんはなんでちゃんばらや戦の話が嫌いなのかな」 
オズモンドがロレンゾに聞いた。すっかり年老いてぼけてきたロレンゾは、「うん?」と聞き返す。そして笑って言った。
「お前のお父さんは平和主義者なのじゃよ」
「へいわしゅぎしゃって、弱虫って事?」
ピエールが聞き返す。
「誰よりも強くて優しい人間のことさ」



「軍神マルス」 完

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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