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<「鷸蚌(いっぽう)の争い」という諺がある。互いに無駄な争いをすると、他者に利益を横取りにされるばかりか、最初に争った者が終には共倒れとなるというが、この諺と我等のしていた争いはそもそも意味は異なれども、もし我等が相争わなければ、猫なぞにその隙を突かれ、あの雉子をおめおめ横取りされることなどはなかったになあ>
黄金丸と白色の猟犬は、獲物の雉子の所有権を巡って対立し、今まで左右に分かれ相争っていたが、その紛争の元になった原因を失ってしまった今、互いにしきりに溜息を吐きながら、黒猫が姿を消した築地をじっと眺めていた。そして二匹ともども、今更それを後悔してみたところで仕方のないことだと思い定めるのであった。暫くしてから、白犬は黄金丸に目を移してこう言った。
「ところで、そもそもお主は何処よりおいでになられた。何故にこのような寂しい辺鄙な処を彷徨っておられる。先ほどより一戦を交え咬み合ってはみたものの、お主、なかなかの使い手。世にあってこれ程の鋭い牙を持つ腕達者には、某(それがし)、これまで出会うたことがない。咬み合いながらも、これは某では太刀打ち敵わぬ相手、と感服仕っておった。もしやあの雉子をあの黒猫に奪われず、そのままお主と牙を合わせておったならば、某、恐らくはお主に咬み殺され、しかもあの雉子はお主のものとなっていたことであろう。……こう思えば、あの猫は謂わばこの私にとっては命の恩人。おお、桑原桑原、ありがたや。某、危なく一命を落とすところであった」
と、何度も黄金丸の腕前を褒め称えるのであった。争い相手の白犬が謙虚で真摯な言葉を掛けてきたのを聞き、黄金丸も猛っていた心が鎮まり、襟を正してこう答えた。
「それは我が身に余る過分なる褒め言葉。そう言われる貴方こそ素晴らしきお手並み。私では到底四つに組み合うには及ばぬお力をご披露賜った。咬み合いながらも、心密やかに貴方の腕前に感服していた次第です。このように覚えのある心正しきお方とあっては、今更、何を隠し立てする必要がござりましょうか。私、名は黄金丸と申す。以前はさる主に仕え、門衛の役回りを仰せつかっておりましたが、心に定めし宿願あり、主に暇乞いをし、今はご覧の通りこのような薄汚き浪々の身となっておる次第。や、しかし、決して怪しい犬ではござらぬ。さて、出来得ればお主のご尊名を承りたい。よろしければお名乗り下されぬか」
と、黄金丸が尋ねると、猟犬の白犬はうむと言って頷くや、こう答えた。
「左様でござりましたか。某もすぐに何かしら訳のある御身分と拝察仕っておったところでござった。そのようなこととあらば、お主の勧めに順い、某も名乗らせていただく。お主の目に留まった通り、某はこの地の狩人に仕える猟犬でござる。名は鷲郎と申す。この名が付き申したは、私がかつて鷲を捕り抑えたところ、主が鷲を捕った白犬、ということを淵源とする由。もちろん恥ずかしながら、そこら辺りのものの数には入らぬ一匹ではござるが、狩りの一点ばかりは、少しばかり腕に覚えがござります故、近所の犬どもは皆我が技量を怖れて尾を垂れるので、某自ら天下に我よりも強い犬はそう多くあらじと誇っておった次第です。こう高を括っておりましたところに、お主との出会い、そして一戦。お主と牙を合わせる中、これ程の腕を持つものがおるという事を身を以て知り、つい先ほどまでの我が慢心を痛く恥じ入っておる次第でござる。ま、それはともあれ、さて、今、お主が仰られたところの宿願とは何ぞや、よろしくば某に仔細申されぬか」
と問いかけた。黄金丸は辺りを見回し、他に聞く者のないことを見定めるとこう言った。
「それでは貴方にだけは、一部始終、つまびらかに申し述べることとしよう……」
と言うと、父が非業の死を遂げたこと、自分は牛の義父母に養われたこと、そして出生の秘密を知って、父母の仇の虎と狐に復讐を遂げようと狙いを定めていること、主の邸を出て諸国を遍歴していることなどなど、つぶさに語り聞かせたのであった。鷲郎はときどき感嘆の声を発しながら黄金丸の打ち明け話に耳を傾けていたが、話を最後まで聞くと暫くしてからこう言った。
「うん。左様であったのか。そういう事と次第とあらば、この鷲郎、及ばずながら貴方に、この腕、お貸ししようではないか。私個人はその金眸に怨みはないが、以前からきゃつはその猛威を嵩に掛け、世の獣という獣をみな虐げているという噂を聞いておった。また奴はそればかりでは足りず、おのれが飢え苦しむ時は山中を出て市中に跳梁し、人間をも襲い騒がすなど我利に基づく悪事の限りを尽くしているとも聞く。機会あらば、私は奴のそのちゃんちゃらおかしく愚にも付かぬ留まるところを知らぬ驕り高ぶり、そのねじ曲がった性根を挫き懲らしめてやろうと、常々心に描いておったのです。しかし、世に名を轟かすほどの力持ち、齢を重ねたその金眸とやら、狩りにおいては如何に天下に並ぶ者なしと自負してきた我が腕前を以てしても、恐らくおのれ一匹では互角の勝負は成しがたいと、かの金眸の無法の振る舞いを聞くにつけ、おさまらぬ腹の虫を無理矢理殺し、歯ぎしりをしながら見過ごしていたのです。今、貴方のお話を聞いて、どうやら貴方とは心の割り符がぴたりと合う仲と察した。どうです。これから先、吾等心を通じ力を合わせ、きゃつに正義の鉄槌を食らわす機を狙いませんか。二匹共に力を合わすれば、いつの日か金眸を討ち斃すという大願を成就できましょう」
と言った。鷲郎のその申し出を聞くと、黄金丸は勇み立ってこう答えた。
「おお、これ程頼もしいことがありましょうか。貴方がそのようなお心づもりでおられるのであらば、かの天下に悪名轟く金眸とは言え、何を怖れるところがありましょうか。怖れるに足りません。今から我等二匹、義によって堅い契りを結びましょう。互いに親は異なれど、これから後は深く繋がり合った兄弟となり、互いに協力し合って事に当たりましょう。私は主家を出て以来、金眸を討つためには私より強い者と仕合をし打ち勝ち、力を付けねばこの我が宿望果たすことならじ、と常日頃より心に留め、諸国を巡りながら多くの犬と至る処で咬み合ってきましたが、まだ私と互角に渡り合えた者はなく、歯がゆい思いをしておりました。ところが本日は思いも掛けず、貴方のように実力があり、義に通じたお方に出会えたばかりか、このように兄弟の契りを交わし、心を通じ合える伴侶を持ち得たのです。これ、実に、亡父の引き合わせに相違ありません。先ほど不意に目の前に現れ、道を照らし、私をあなたのいるここへ導いてくれたあの鬼火は、我が亡き父に他ならぬ、と今確信いたしました」
と言うと黄金丸は感激の余り涙にむせぶのだった。そんな黄金丸の様子をじっと見ていた鷲郎であったが、暫くすると、
「私は、今、貴方と兄弟の契りを結び、あの大悪、金眸を討とうと志しました。けれど、私には今飼い主がおります。飼い主の元におっては、心に任せての行動は出来ません。私は付けているこの首輪を今捨てます。貴方同様、浪々の身になろうと思います。共に力を合わせ志を遂げしましょう」
と、言うや、己が首輪を外そうとした。黄金丸はそれを押しとどめてこう言った。
「ここまで来ればそうお急ぎあるな、ゆっくり参りましょう、鷲郎殿。貴方は私のために主を捨て、首輪を外すという。そのお志は大変ありがたく感謝いたします。しかし、それは義のように見えますが、真の義ではありません。それでは却って恩知らずな、不忠義な犬と言って、訳を知らぬご主人やお知り合いの方々に罵られることやも知れません。今は、何とぞ自ら首輪を外そうというその儀、お止め下さりませ」
「いやいや、黄金丸殿。その心遣いは無用だ。私は狩人の家に仕え、これまでしっかりと猟の技を磨き、また朝な夕な山野を駆け巡っては幾多の禽獣を捕らえて来ました。しかし、よくよく考えてみれば、これは本当に大きな不義、大きな罪を重ねたものだと思うのです。たとえ主の命とあっても、何の罪もない禽獣を徒らに傷つけるのは罪なこと、このようにいつの日から次第に自ら疑うようになり、近頃では不承不承仰せつかっていたのです。私の積悪は、実はあの金眸に比べても五十歩百歩、そう、変わりはないのです。あなたと共にあの金眸を打ち負かそうという契りを結んだ今、私は主の命とあらば無垢の者の命さえも奪い、罪を重ねねばならぬ猟犬という生業を捨てようと思ったのです。その思いが決心に変わったのです。今日、今、この機を得たのは、あなたにばかりではない、私にも幸いしたのです。私はどうあっても猟師の主より暇を取るのです」
と言うや否や、今まで首に付けていた主への忠義の輪を振り捨てた。鷲郎はこうして黄金丸にその決心の程を示した。黄金丸は最早それを止めるすべもなく、
「そのように貴方がお心を定められました以上、私もまた何を申しましょう、更に強く心を定めました。さて、幸いなことに、この寺は荒れ果てていて住む人もなく、私たちにとってこの上なく良い棲まいではありませんか。どうです。この寺を根城としませんか」
と言うと、二匹は連れ立って寺の中に入って行った。かつては住寺の方丈であったと思しき処に畳が少しばかり腐らず残っていた。二匹はそこを選び、居所と定めたのだった。