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遺伝子ワクチンとは何か

私の理解が間違っているのかもしれないが、mRNA(メッセンジャーRNA)の機能は DNAに遺伝子情報を伝達することで、それはDNAを書き換えることにほかならないのではないか?

(以下引用)原田某という「疑史研究家」のツィートで、つまり「陰謀論」批判者のようだ。

考えてみると、「遺伝子ワクチンをうたれた人はDNAが書き換えられる」という噂、「種痘されると頭に角が生える」の正統な後継だな

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政治家は社会に必要か

漫画家あさりよしとおのツィートだが、素晴らしい提案だと思う。
公務員は仕事をしているのは確かだが、政治家の大半は何の仕事をしているのか。もはや、民主主義とか代議制は破綻した思想かな、という気もする。


(以下引用)


国会議員の歳費や議員年金は、生活保護で一本化するといいよ。 必要な経費としての差額は、領収書を添付して決済すればよい。 (即応性については、仮払いという方法もあるし)

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日本共産党という「右翼政党」www

竹熊健太郎のツィートだが、「愛国的」というより右翼的と言うべきではないかwww
と言うか、もはや右とか左とかいう区別は無意味化したようだ。
中国に対するこの日本共産党の姿勢は、ネットでのネトウヨの主張や姿勢そのものなのである。おそらく、マスコミでの右翼的論客の対中国姿勢とも同じだろう。
もちろん、私は、アジアの国々が「大東亜共栄圏」を作ることで欧米支配体制に立ち向かえ、という主義なので、日本共産党が中国と対決姿勢を取るのにはあまり賛成しないし、領土(国境)問題というのは常に戦争の危険性を孕んでいるからあまり頑強に論争すべき事柄ではなく、昔の中国の首脳(名は失念)のように「尖閣列島問題は棚上げにしておこう」というのが一番賢明な姿勢だと思っている。

(以下引用)



香港問題もウイグル問題も真っ向から中国を非難し、尖閣問題でも中国を非難、北方領土は4島だけではなく、千島列島26島全部の返還をロシアに要求している日本共産党は日本で一番愛国的な政党かもしれない。

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新コロより怖い欧米製新コロワクチン

老人淘汰作戦の始まり始まりwww
老人殺しは4月かららしい。まあ、拒否できるかどうかが問題だ。ワクチン接種をしないと自分だけでなく周囲に迷惑をかけるという論法と周囲の圧力で、たいていの老人はしぶしぶ受けるだろう。接種直後に死亡者が頻発すれば、接種拒否運動も起こる可能性があるが、そういう死亡者のニュースが隠蔽される可能性は高い。ネットででも、そういう情報が拡散されればまだいいが、それすら「陰謀論」扱いされるだろう。


(以下引用)



 
 
 



医療従事者への新型コロナワクチン接種訓練© 読売新聞 医療従事者への新型コロナワクチン接種訓練

 米製薬大手ファイザーが開発した新型コロナウイルスのワクチンについて、厚生労働省は14日に正式に承認する見通しだ。17日にも始まる医療従事者向けの先行接種では、副反応などの追跡調査を実施し、分析結果を公表して国民の不安解消を図りたい考えだ。


 厚労省の薬事・食品衛生審議会の部会は12日、約4万人を対象にした海外の臨床試験と、日本人160人を対象にした国内の臨床試験の結果を踏まえ、ファイザー製ワクチンの製造販売の承認を了承した。14日に正式承認されれば、新型コロナのワクチンとしては国内で初めてとなる。


 先行接種の対象となる国立病院機構などの医療従事者1万人以上に関しては、接種後約1か月にわたって発熱状況などを追跡調査する。ワクチンの効果や副反応について分析し、国民の理解を深めるための情報として活用する。


 4月には65歳以上の高齢者約3600万人に対する優先接種を全国で始め、3か月弱で終了する計画を立てている。その後、基礎疾患がある人や高齢者施設の従事者、一般へと順次移行する。政府は、東京など10都府県を対象に3月7日を期限に発令中の緊急事態宣言で感染拡大を抑えつつ、ワクチン接種を円滑に進め、社会全体の感染リスクを引き下げたい考えだ。





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弁護士と弁護師、詐欺師と詐欺士

前の記事に書いた小谷野敦の本の中に、「看護士を看護師と書くなら弁護士を弁護師と書くべきではないか」という趣旨の言葉が書いてある。
この部分を読んで、私は「弁護士」が「弁護師」と書かれた瞬間に「詐欺師」の一種に見えるという効果に驚いたのだが、それは私だけの感覚だろうか。そもそも、「詐欺師」はなぜ「師」なのだろう。
「詐欺士」、つまり「士」と書くと、何か、侍的な志がある人物に見えるが、「詐欺師」だとまあ、詐欺をすることも当然かな、という印象になる。というのは、「師」というのは、漱石の「猫」にもあるように、「知らないことを生徒に聞かれても、知らないとは言えない」職業なので、必然的に誤魔化す術に長けるわけだ。だから、教師も詐欺師も共通点はある、と言えるだろう。で、弁護士も同じ共通点があるとして、「弁護士」ではなく「弁護師」と呼ぶのは当を得ているという、まあ、これは冗談だ。
ところで、女性看護師のみなさんは本当に「看護婦」と呼ばれることに不快感を持っていたのだろうか。

念のために言えば、小谷野敦は改憲論者(9条否定論者)で、私とは政治的立場が対立する存在である。馬鹿(つまり、無名人も著名人も、当然私も含め、世間の、いや、世界の大半の人間)への彼の差別的言辞も嫌いである。彼の本は単に読み物として面白いから読んでいるだけだ。

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江戸時代の「土地の所有権」は誰にあったか

小谷野敦というのは、歯に衣着せない書き手で、書く内容は面白いが、馬鹿への差別意識の強い人間で、自分は物凄く頭がいいと確信しているところが少々というか、かなり嫌らしく感じられる。私などは、人間の頭の良さというのにそれほど差があるとは思わないので、こうした「自分より馬鹿だと判定した人間への軽蔑」というのは、あまり頭が良くない印なのではないか、と思ってしまう。仕事というのは、何かの研究の仕事も含めて、「普通の頭の人間が誠実に努力すればかなりの成果を得られる」ものだ、というのが私の考えで、天才というのは、せいぜいが芸術の分野でしか存在価値は無いのではないか。
と言うのは前置きで、その小谷野敦の「素晴らしき愚民社会」(新潮文庫)の中に、非常に示唆的な言葉があった。
(日本では大名や侍は徴税権を持っていただけで、土地の所有者ではなく)「もし大名や武士が土地を持っていたら、版籍奉還や廃藩置県があんなにたやすく行えたはずはなく、幕府を倒したとしても政治の中枢には元大名たちが居座っただろう。」
という言葉だ。
我々は、大名の領地(藩)を、大名が土地を所有していたのだ、と思い込んでいるが、実は単にその土地の徴税権を持っているだけで、土地は百姓や名主が所有していた、ということだ。だから、「加賀百万石」のように、そこから上がる税収で大名の有力度ははかられたわけである。
まあ、そんなのは常識だ、と言われるかもしれないが、私は、その領地(土地)の所有権自体、大名に属すると何となく思い込んでいたのである。しかし、大名の国替えというのはかなり頻繁にあり、それに大名が唯々諾々と従ったのは、「領地(土地)の所有権は元々大名には帰属していない」ことから来る当たり前の話だったわけである。

幾つになっても、新しい発見はある。それが読書の面白さだ。
大名と土地所有についての小谷野の言葉は、「版籍奉還」と「廃藩置県」を学校教育で教える際には必ず強調すべきものだと思う。
江戸幕府の政治が行き詰った原因のひとつは幕藩体制そのものの根幹、つまり、江戸幕府は諸大名のほとんどを敵と見做しながら、それに各地の政治を任せていたという無理さにあるわけだが、それでいながら200年以上もその体制が保たれた原因は「土地の所有権」が大名に無い、というところにあったのかもしれない。大名自体、土地自体の所有など気にも留めていなかっただろう。つまり、土地など存在するだけでは無意味であり、そこから採れる農作物(稲の石高)だけが意味がある、という思想であったと思う。

なお、平安末期から鎌倉室町時代の武士は「武装地主」であり、自ら土地を所有し、その土地を守るために命をかけたわけで、それが「一所懸命」ということだ、というのはだいたいの人が知っているだろう。しかし、江戸幕府時代には武士の性格が完全に変わって、武士は土地から切り離された、「サラリーマン」であったということである。



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私という、有機交流電灯のひとつの青い照明

小谷野敦の或る本を読んでいたら、宮沢賢治の

「私という現象は仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です」

という言葉が出てきて、もちろんこれは賢治の処女作品集の序文に出てくる有名な言葉で、アニメ映画「銀河鉄道の夜」のラストにも使われて見事な効果を上げたものだが、その言葉を久しぶりに見て、やはり宮沢賢治は凄いなあ、と思ったのだが、それは、「私」という存在を「現象」と見ていることを凄いと思うからだ。科学者の目で自分自身を観ているイメージだ。

つまり、「私」とは、この世界に無数に存在する「現象」のひとつにすぎない、という、自分を特別視しない姿勢がここにはある、とするのは誤読だろうか。私がそう解釈した理由のひとつは、その「現象」も、ひとつの「仮定された世界の中の現象」だということが文脈から伝わるからだが、その「仮定」はもちろん「世界解釈」の一つであって、現象自体はちゃんと存在しているのである。自分という存在を無意味だというニヒリズムではなく、世界そのものが素晴らしい中で、自分もその中のひとつの現象として存在している、とでも言えばいいだろうか。
下に挙げるのは、宮沢賢治の詩「目にて云ふ」だが、ここで死を目前にしながら、五月ごろの青い空と気持ちのいい風にうっとりとしている人物は、賢治の「世界に対する姿勢」そのものだと思う。





だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。












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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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