だが、ここで私が言いたいのは、この制度がrecallと呼ばれていることの不思議さだ。
これは、第一義的には「思い出す」意味だからである。第二義に「(~を)呼び戻す、回収する」意味があって、これが政治用語としてのリコールに近いだろうか。つまり、政治的に不適切な人間を公職に就けてしまったことが分かって、その人間を一般人として「呼び戻し」「回収する」わけだ。
しかし、racallの第一義が「思い出す」であるのは、このrecallの中のcallが「呼びかけ」であり「訪問」だからだろう。つまり、racallとは、自分の記憶からの呼びかけであり、記憶への再訪だ。
私が一、二番に好きな昔のポップスの中に「Too Young」という歌があり、その歌詞の最後は、こうである。
And someday they may recall
We were not too young at all
このrecallは、自分の記憶から再び呼びかけられることであるわけだ。
そんなことを目覚めの寝床の中で朦朧と考えていると、乙一に「calling you」という短編小説があって、それをこの前読んだばかりであるのを思い出した。つまりrecallした。
この小説は「失はれる物語」という短編集の冒頭の作品で、(古文文法的には「失はるる物語」か「失はれし物語」とすべきかと思う。)名作が詰まった作品集だが、その最初の作品が「calling you」で、これは親から携帯電話の所持を許してもらえない女子高校生が頭の中で理想の携帯電話を克明に想像してそれを「持ち続けて」いると、或る日、その頭の中の携帯電話が鳴る、という話である。その呼び出し音(着メロ?)が「calling you」という曲で、これは「バグダッド・カフェ」という映画の主題曲であるらしい。私はこの映画を見たことがないし、曲も知らないが、題名から想像すると「私はあなたを呼び続ける」という趣旨の歌だろうと思える。この「calling」という「現在進行形」には、そういう印象があるわけだ。
(追記)念のために「バグダットカフェ」の「calling you」を聞いてみたが、ほとんどsummertimeのアレンジというか、パチモンであり、がっかりした。誰もそのことを指摘した人はいないのだろうか。過去作品(古典)への無知とは恐ろしいものである。