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戦争が始まる前に国民はすべて白痴化する

「大摩邇」から久しぶりに生チョコぽん酢さんの記事を引用する。
引用は記事の末尾で、そこに言及されている伊丹万作の不朽の文章(「戦争責任者の問題」)を広く知らせたいがための引用だ。その文章そのものも引用する予定である。これは中学校社会科教科書かその補助教材、あるいは国語教科書に全文を載せるべき文章だと思う。少なくとも、その存在を言及しておくべきだろう。

(引用1)

この数年間で様々なものが見えてきましたが、今になって分かるのが、

要職にいる認知症のおじいちゃん達がパニックに陥ったことで世の中めちゃくちゃにされただけだったわけです、最初は。

でもふたを開けてみれば、気づいた時には実は世の中殆どの人が同類になっていた。

こんな世界で私は、この先も生きていくことができるのか、ふと疑問に感じてしまいます。

マジで、夢も希望もない馬鹿ばかりの世界なのです。

ちなみに私は今、見下すような表現を使いましたが、私が頭がいいみたいなことではないのですね、むしろ私は元々お馬鹿な側です。

でもね、頭が良いとか悪いか、良い人間とか悪い人間という高次元の話ではなく、もっと低次元の根本的な話なのですね。

それを馬鹿と表現する以外に、どんな表現をすればいいのかが馬鹿な私には分かりません。

つまり馬鹿な私では表現しがたい程の次元の低さなのです。

伝わりますかね・・・

私の想像ですが、恐らくこういう人間を辞めた人々が増えると、戦争が起こるのだろうなと。
 
伊丹万作さんの手記を読んでみると、なんとなく確信に近いものが湧いてきます。

そりゃそうですよ、だって当たり前のことが分からなくなっているのですもの。

当たり前の事が当たり前に分かる人間なら、人殺しが英雄になる狂った世界になるハズがないのです。

そして残念ながら、今も昔もこういう時代では、馬鹿達によって普通の人間が抑圧され淘汰されてしまうものなのでしょう。

つまり歴史的に見る戦争と、現在の状況を見比べてみると、そろそろなのかなぁと、思わざるを得ません。

あと2年も経てば大規模な戦争に発展してもおかしくない、みたいな話なのです。
 
こんな時に図ったように自然災害のリスクが過去最高に高まっていますよね。
 
地震、噴火(富士山だけではありません、静岡の辺りは危ないです)、細菌感染症の増加、水害etc、
 
こんな時に戦争や災害が起これば、どんな事態が待っているのでしょうか?

私にはもう、夢も希望も何も感じられない世界なのです。
 
この先も付き合わされることを考えると、疲れますね。


(引用2)

戦争責任者の問題

伊丹万作




 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

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お前はダーティ・ハリーかwww

本当なら娯楽記事中心のブログに載せるところだが、あちらは画像が載らないことが多いので、こちらに載せる。
まあ、中二病的に言って、カッコいいの一言だ。
片手射ちもカッコいいが、もう一方の手をポケットに入れているのが、「単なる雑務」という感じでまたカッコいい。(これには合理的な理由があるとコメントの中にはある。)


(以下引用)

 【速報】トルコのおっさん、エアピストル団体で他の選手がみんな完全装備の中ピストル1丁のみで銀メダル獲得wwwwwwwww (画像あり)

 

1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2024/08/01(木) 04:37:12.617 ID:3j7G52ZQM
他の選手がみんな完全装備の中ピストル1丁のみで銀メダル獲得
かっけぇ…









6: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2024/08/01(木) 04:43:36.609 ID:hEpur67cM
カッコよすぎワロタ


2: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2024/08/01(木) 04:39:04.097 ID:/o2mqfwj0
金は?

12: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2024/08/01(木) 05:00:17.460 ID:D5/vD2qed
金だと目立ちすぎちゃうからね
本職は暗殺者なのだろうな

5: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2024/08/01(木) 04:42:00.225 ID:29HXCi7A0
こんなオリンピック種目もあるんだ

9: かさのぼん ◆KSNVONyPAM ハンター[Lv.351][UR武][UR防+18][木]:1.54193550 2024/08/01(木) 04:45:51.825 ID:2fE0u/ar0 BE:525453676-2BP(0)
CIAしてそう

10: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2024/08/01(木) 04:49:42.160 ID:D6SkTkDZ0
実はメガネに秘密があるんだよね

13: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2024/08/01(木) 05:00:30.577 ID:btPOQqhO0
イケオジじゃん


  1. 39 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:01  ▼このコメントに返信散歩ついでに来たおっさんみたいなユルさで結果出してんのカッコよすぎるわ
    40 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:02  ▼このコメントに返信シブすぎんだろ…
    41 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:06  ▼このコメントに返信マジかっこいい
    42 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:06  ▼このコメントに返信>>9
    一応仕事はするけど納得はしてない感が凄い

    43 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:07  ▼このコメントに返信「動かない的を撃ったのは久しぶりだよ」
    44 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:08  ▼このコメントに返信普段本物使ってるから、エアピストルの反動や音なんて屁でもないってことなんかね
    45 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:08  ▼このコメントに返信シブすぎて草
    46 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:09  ▼このコメントに返信まあこの銃器を使う系の選手は警官か軍人さんであることが多い

    冬のバイアスロンなんてほぼ軍人さんや

    47 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:09  ▼このコメントに返信現代のシモヘイヘ
    48 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:09  ▼このコメントに返信米43
    ホントこれじゃないかと。普段は動いてるものを撃ってるんだろうね!

    49 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:10  ▼このコメントに返信>>9
    手抜いて銀にしとくか、、、って感じ

    50 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:11  ▼このコメントに返信>>38
    ファブル

    51 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:11  ▼このコメントに返信服装も選手には見えんw
    52 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:11  ▼このコメントに返信後頭部にバーコードがありそう
    53 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:12  ▼このコメントに返信ユニフォームもほぼほぼただの白Tシャツってのもイカす
    ゴテゴテ国旗ドバーンなの着てたら減点だった

    54 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:14  ▼このコメントに返信この写真を見たあとに笑顔を見たらたぶん惚れる
    55 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:15  ▼このコメントに返信ゴーグルはわかるけどイヤーマフは要らないの?
    発砲音からの聴覚保護じゃなくて集中するためにつけてるのかな

    56 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:16  ▼このコメントに返信凄すぎる(°▽°)
    57 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:22  ▼このコメントに返信ソープで童貞のおっさんがスマタでごまかされた話かと思った
    58 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:23  ▼このコメントに返信ピストル系射撃競技って、練習中なのか本番なのか分からないくらいラフな格好で試合してるが何かツボ
    59 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:26  ▼このコメントに返信大会の裏で消された不祥事スタッフとか居そう
    60 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:26  ▼このコメントに返信>>54
    男の俺でも間違いなく掘れる

    61 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:27  ▼このコメントに返信>>3
    そりゃすげぇわ
    現職の雰囲気なんやなこの威圧感

    62 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:27  ▼このコメントに返信街を散歩してる普通のおっさんみたいなのに
    63 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:29  ▼このコメントに返信かっこよすぎ
    64 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:30  ▼このコメントに返信北野武の映画感。
    65 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:31  ▼このコメントに返信日本も自衛隊員出動させたらメダル取れる?
    66 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:33  ▼このコメントに返信元凄腕の暗殺者
    67 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:35  ▼このコメントに返信左手ポッケだし
    68 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:37  ▼このコメントに返信殺しの“眼”をしている
    69 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2024年08月01日 12:40  ▼このコメントに返信拳銃片手撃ちは片手を腰辺りに置いて姿勢を安定させるのが基本で指導員によってはポケットに入れろと言う人もいる
    要は片手ポケット自体は特別なことではなく基本に忠実なだけ

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革命政府の悪行は革命の意義をゼロにするか?

パリ五輪開幕式の反動で、フランス革命否定論までが沸き起こっているが、現代の政治と思想界の主流であり、DSが背後にいるリベラル勢力(伝統破壊勢力)への反感がその原動力だと思う。

で、世界の人がほとんど知らない(と思われる)「ヴァンデのジェノサイド」(「殲滅戦争」と言う人も多いようだが、軍隊と人民の闘争は大人と子供の喧嘩に近いものであり、戦争でも何でもないだろう。)がトゥゲッターにスレッドが立ち、多くの人間が我も我もと自論や感想や豆知識を披露し、時には叫んでいる。その中で珍しく冷静なコメントを転載しておく。
これが正解というわけではなく、そういう一面もあり、「なぜ住民全員を殺したか」の理由としては、かなり理屈に合っていると思う。ただし、これは理屈であり、住民弾圧虐殺勢力の心理の主軸は「王党派への憎悪」「革命防衛」だったことは確かだろう。私としては、なぜ搾取される側の農民が、王党派の肩を持ったのかが実に不思議である。まあ、ヴァンデでは王党派の情報工作が先行していたのだろう。(欧州の王政と日本の天皇制はまったく異なる、という自説にここでも注意を喚起しておく。)
なお、革命自体が革命主軸人物たちの権力闘争でもあるのはもちろんだ。むしろフランス革命の小説的面白さはそこにある。

(以下引用)
YOGAKUTIME@YOGAKUTIMEMAN

「ヴァンデの絶滅戦争」の意義を考察するならば・・・都市住民による農村住民に対しての略奪と物資消費の強制停止でないの。不況と不作とアメ独立戦争での蕩尽でフランス全体が貧困と飢餓に晒されていたわけだけど、腐っても農業大国だから、田舎には金は無くても家畜や食料という現物はあるわけでね、それを奪いつくし農村住民には消費させないための虐殺でしょ。王党派とか関係ないのよ実は。


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運動と肉食

私は、植物性タンパク質は即座には(あるいはほとんど)筋肉を形成しないという考えである。運動選手が大量の肉を食べるのは合理的であり、アジア人が国際大会で活躍できるようになったのは肉食が普及した結果だと見るべきだろう。
つまり、練習や試合で破損した筋肉の補修には「動物性」たんぱく質が不可欠だということだ。そして、これも私見だが、その動物性たんぱく質にも筋肉補修や補強の性能には差があると思う。チキンや卵などは下位の部類だろう。というのは、鳥の筋肉を形成するタンパク質が哺乳類の筋肉を作るのにさほど役立つとは思えないからだ。
まあ、栄養学や生物学や医学に無知な野蛮人の妄想的考えである。(ただ、医学や科学の「定説」があてにならないことは、最近はよく知られてきていると思う。)
要するに、肉食人種の西洋人が、老齢になっても東洋人ほど老化(筋肉劣化)せず、体格もいいことを考えるべきである。

(以下引用)





フランスメディアによると、イギリスやドイツの選手団は先週、選手村の食事について「選手が求めるメニューや量ではない」と批判し、このうちイギリスはすでに自前でシェフを招いたとしている。運営側は当初、地元の農産物やオーガニック製品にも重点を置きメニューを構成していたが、選手からの苦情を受け、追加で大量の卵や肉を調達するなど対応を取っている。


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「丹毒」と「蜂窩織炎」

今、チェーホフの「六号病室」をゆっくり読んでいる途中だが、先ほど読んだ部分に「この病室では丹毒が蔓延している」という趣旨の記述があり、「丹毒」という言葉を久しぶりに見て、そう言えば、私は「丹毒」とは何か、知らないなあ、と思って、調べてみた。
この種の「昔から本によく出て来るが、意味や内容を知らない言葉」というのは無数にあるのである。というのは国語辞書には載っていないことも多いからだ。載っていても、たとえば「破傷風」の「風」にはどういう意味があってその病名の一部になっているのかなど、分からない事柄が無数にある。
で、「丹毒」の話に戻るが、「丹毒」の「毒」は、何かの障害、症状であり、我々が日常的に使う(「毒殺事件」などの)「毒」という言葉の趣旨とは違うようだ。「破傷風」の「風」も同じような用法ではないか。現在では、かつての「毒」も「風」も感染症ということになるかと思う。(「毒を飲ませる」などの「毒」は、広範囲な意味での「毒」から、その中心的傷害要素を分離して使用可能にしたものだろう。)(ここに書いたのは今適当に考えたことで、たとえば「中風」は感染症ではない。しかし、昔の人間がどういう考えで「風」という字をこの病気に使ったかは不明だ。)

下の説明から読み取った内容から見ると、「丹毒」は現在では「蜂窩織炎」という、誰もソラでは書けない難しい漢字の病名になっていて、名称自体はこちらのほうがよく知られているはずだ。まあ、この名称の取り柄は、この病気が「炎症」であることが明瞭であること、それが形状的に「ハチの巣」に似た要素があるらしいことが推定できることだろうか。「織」も何となく「皮膚組織」を連想させる。ある意味、これが漢字の威力・機能性だろう。これがラテン語やギリシャ語などだと推理しようもない。(英語の医学用語はラテン語由来の言葉が多いらしい。)


(以下引用)

蜂窩織炎、丹毒の症状


蜂窩織炎(ほうかしきえん)・丹毒(たんどく)は皮膚~皮下脂肪に細菌が感染し、熱をもって赤く腫れ、痛む病気です。赤く腫れます。全身どこにでも生じますが、蜂窩織炎は膝から下に、丹毒は顔に多く見られます。水ぶくれや内出血は重症化のサインです。重症化すると入院が必要になるため、早めの治療が大切です。

    蜂窩織炎・丹毒の原因

    主に蜂窩織炎は黄色ブドウ球菌、丹毒はA群β溶血性レンサ球菌によりますが、他の細菌によって生じることもあります。これらの細菌が、小さい傷や毛穴から侵入して発症します。足の蜂窩織炎の場合は、水虫による傷が原因のことが多いとされています。むくみがあるとさらに起こりやすくなります。


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    「努力」とは奴隷階級の美徳かwww

    まあ、単純にSNSの普及で、社会は最初から階級が決まっているという真実を多くの人が知ってしまったからだろう。www

    (一例)




    (以下引用)



         
         
         
         
         
         
    7e60c59f8eca3706b03e14731f44219f-e1469068569611 (1)
    1: ななしさん@発達中 ID:86soGESv0
    なぜ?
      2: ななしさん@発達中 ID:0jSiNvLS0
      どうにもならんことが多いことがバレたから
      13: ななしさん@発達中 ID:YS0aa9yQ0
      親ガチャが全てということがバレたから
      6: ななしさん@発達中 ID:EuNsAtCz0
      努力するのは当たり前として歴然とした差があるのよ
      24: ななしさん@発達中 ID:2sKhL9CV0
      SNSで自分よりも"上"が見れるようになったのアカンわね
      しかも有名人や政治家もおるから青天井の"上"や
      31: ななしさん@発達中 ID:ydx+vt2n0
      >>24
      しかも上は自己顕示欲にとらわれて凡人労働者たちをバ○ですって真実を言ってしまったからね
      ワイみたいなバ○はゲームに参加するのすら嫌になったわけです
      14: ななしさん@発達中 ID:0jSiNvLS0
      5ちゃんも10年くらい前までは努力厨で溢れてた
      5: ななしさん@発達中 ID:bjmDb8A00
      平成の頃から嫌いだったぞ
      3: ななしさん@発達中 ID:XDbV4gZF0
      単純に国民の思想が左に傾いてきてるんや
      9: ななしさん@発達中 ID:oxCcG5e60
      嫌な努力はしなくてもいいんや
      夢中になれることがいつか君をすごい奴にするんやで
      40: ななしさん@発達中 ID:pdFa3LbW0
      >>9
      そう言って夢中になれるもの見つけるのに何十年経ったの?
      19: ななしさん@発達中 ID:1SZJhLIQ0
      個人的には努力は否定できないけど努力努力努力みたいなのは嫌い
      努力信仰者みたいな生存者バイアスバリバリかかった言葉は論理的に見えない
      経済学とか社会学を知らずに努力してるんだから格差は当たり前とか言ってそう
      26: ななしさん@発達中 ID:mlahK7SB0
      努力は嘘つかないとか体制側が広めた嘘だから
      25: ななしさん@発達中 ID:6i6uFGuB0
      中国父さんの若者が社会の本質は親ガチャやルッキズムで努力は無駄と寝そべり族になったのは流石やわ
      韓国も競争が激しくてニートが過去最多やっけ
      27: ななしさん@発達中 ID:q15TChyl0
      手軽にネットと繋がれることで「上」が沢山居ることが可視化されたから
      努力しても追いつけない人達や努力しなくても自分より恵まれてる人がいっぱい見えてしまう
      7: ななしさん@発達中 ID:cpzRWnOc0
      努力信仰が努力の価値を毀損する事もあるんや
      37: ななしさん@発達中 ID:OszX6sjA0
      努力してまで手に入れる価値のあるものが無くなってしまった
      38: ななしさん@発達中 ID:IrT95jDkd
      >>37
      今の日本ってなんかもう別物だよな

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      「私」は本当に私だろうか

      絵のセンスがひどいというか、素人丸出しだが、ここに書かれた「人生哲学」には賛同する。
      ささやかなことでも人目を気にしてできない、というのはよくある話である。で、思い切ってやってみると心が解放され、自由度が日常的に広がる。つまり、自分が自分の精神的奴隷だったわけだ。

      今、ネットフリックスでやっている「ハリスおばさんパリに行く」は、ロンドンで通いの家政婦をやっている貧しい老婦人(中年婦人と言うべきか。)が、ディオールの服に憧れ、節約をしてカネを貯めてパリに行き、ディオールの服を買うという話である。主演女優の顔が老化した南果歩みたいで、見るのが落ち着かないが、それ以外はよくできた「ハートウォーミング」な話なので、お勧めする。当然、老婆(?)にディオールのドレスが似合うわけもないが、きれいな服に憧れるのが女性というものだろう。
      ちなみに、原作小説は何十年も前に読んだが、映画はかなり原作再現度が高い。というより、第二次大戦直後のロンドンやパリの風景や風物の再現度が高い上に、ファンタジー的な部分もあり、音楽はノスタルジックで、時代背景としてジュリエット・グレコのシャンソンや、実存主義哲学の話が「にぎやかし」として出て来るのも面白い。実存主義の本質が「給仕は給仕だろうか」である、というところなど、なかなかのものだと思う。若い人よりは、お年寄り向きかと思う。

      (以下引用)
      つづ井@wacchoichoi

      元気です不思議なくらい生きるの楽しい〜! ■応援のお手紙は〒102-8008 東京都千代田区紀尾井町3-23 文藝春秋 クレア局『つづ井さん』読者係まで❣️全部大切に読ませていただいております■ご連絡はこちら‍♀️tsuduitsudui@gmail.com


      つづ井@wacchoichoi

      少し前の絵日記ですが、今年もまたこの靴を履いております♪ 今年はショートパンツを生まれて初めて買ったよ、なんでもやっちゃえばいいじゃんね♪ このお話はこちらの本に収録されております〜他にもこんな感じのささやかな出来事たくさん描き残しておりますので、ぜひ amzn.asia/d/048LxYc3


      2024-07-29 18:41:33

      感想

      すず@Suzuhina_nyan

      @wacchoichoi 私もこの靴、子供の頃欲しかったの思い出しましたリカちゃんのキラキラ靴に似てて… 自分は買ってもらえなかったんですが、小学生になったらもはや足が大きすぎて子供用の靴は入らず大人になった今もメンズしか選択肢ないので、今も憧れを抱いたままですいくつになっても可愛いですやっぱり



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