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「天皇制」と日本の政治

kojitaken(古寺多見)というのはネット政治論者界隈でリベラル系論者として知られている人間だと思うのだが、強烈な反天皇主義者であるようだ。まあ、私自身は尊皇攘夷主義者なので、彼とは反対の立場だが、天皇制について議論をするのは結構なことだと思うので、古寺氏一派の論を少し載せておく。
私から問いたいのは、天皇制廃止論者は、どういう政治形態を望むのか、ということで、たとえば「天皇」のいないフランスもアメリカも腐敗を極めた政治であるのは明白だが、そういう政治でいいのか。もちろん、天皇のいる日本も腐敗の極みだが、さいわい天皇とは無関係の腐敗であり、「天皇の有効利用」だけが偽民主主義の腐敗を断ち切ることを可能にすると私は思っている。
「天皇制廃止後の政治制度」の問題は、安保闘争時に石原慎太郎が全学連と討論した際に、「全学連はどういう政治をしたいのか、(安保廃止後の)プログラムが見えない」と批判したのに似ている。まあ、石原は人間としては糞だが、リベラルの欠陥として「未来のプログラムが見えない」ということを見抜いていたのは偉い。
ついでに言えば、「象徴天皇制」では天皇には政治権力は無い。政治的発言ができないのだから当然だ。その象徴天皇制すら廃止して、日本の1500年以上の歴史的遺産を自ら捨てるどのような意義があるのか、と私は聞きたい。


(以下引用)

「テンノーヘーカのお気持ち」と「東京五輪」

  

 新型コロナウイルス感染症東京五輪開催の問題に天皇が絡んできた件について、宮内庁長官のコメントが天皇徳仁の意向を反映したものであることは疑う余地がない。


 昨年還暦を迎えた天皇が考えているのは、「東京五輪の開催宣言その他をやらされることによって、海外から批判されたり歴史に悪名を残したりするのは嫌だ」ということだろう。しかしそれと同時に、天皇には現在の象徴天皇制を堅持したい強い欲望がある。このことを見落としてはならない。


 天皇の政治的発言は許されないために宮内庁長官のコメントという形をとったことは間違いないが、これに対して「天皇対菅政権」の構図を描いて天皇に肩入れするという「リベラル・左派」がまたぞろ大勢湧いて出てきた。


 前記の構図は前天皇明仁時代にはもっと顕著で、「敢然と安倍政権と対峙する天皇」の虚像がもてはやされた。これは小沢一郎シンパあるいはオザシン系などに特に顕著な傾向だったが*1、非小沢系や反小沢系にも多く見られた。


 冗談じゃない、と言いたい。


 天皇やその一族に意見を表明する自由を付与したいのであれば、天皇制を廃止すれば良いだけの話だ。ついでに書いておくと、私は天皇制の維持を望まないという理由で「護憲派」の範疇には入らない。


 今後の新型コロナウイルス第5波の感染拡大によっては、東京五輪が開催直前に中止になったり、開催中に中断に追い込まれたりすることは十分考えられるが、開催を中止に追い込むために「テンノーヘーカのお気持ち」を力を借りるようなことはあってはならない。それでは4分の3世紀前と何も変わらない。


*1:一つには、孫崎享式のアメリカに対する「自主独立派」と「対米従属派」の対立構図とよく似ていることが挙げられる。また、小沢シンパやオザシンの間では小沢や山本太郎のようなカリスマリーダーへの依存心が強いことも、彼らが「天皇対政権」の構図に惹かれやすい一因だろう。



  •  suterakuso


    > 天皇やその一族に意見を表明する自由を付与したいのであれば、天皇制を廃止すれば良いだけの話だ。ついでに書いておくと、私は天皇制の維持を望まないという理由で「護憲派」の範疇には入らない。


    激しく同意します。この一方を目にした時の私のブコメです。↓


    >「日本国憲法 第1章 天皇 第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」 なんなら改憲する? 第1章丸ごと廃止の方向で。
    https://www.asahi.com/articles/ASP6S54Z2P6SUTIL02L.html


    それから、加藤の反応メインの記事の片隅にあった、安住の反応に対するブコメです。↓


    >"立憲民主党の安住淳国会対策委員長は朝日新聞の取材に「政府がいう『安心・安全の大会』になるのか、懸念をもっておられるんだと思う。国民の多くも共有している。大変重い」と語った" 重いじゃねーよ。違憲だ。
    https://www.asahi.com/articles/ASP6S5WBRP6SUTFK01C.html


    とにかく、オリンピックで露わになっているのは、虚像で作りあげられた物語を取り巻く「お気持ち」を梃に、論理、実証、価値観(倫理観、正義感)という議論を構成する要素をなぎ倒し、「特別」な者が立場の弱い者から収奪を恣にする、という構図です。その最たるものである象徴天皇制こそ、絶対に打倒の対象だと考えます。論理、実証の努力を怠け、価値観と向き合わず、それでも、お気持ちと「現実的」という言葉で自らを正当化する。人びとのそうした傲慢こそが、今こそ問われるべきなのです。




  •  にっしー


     いやはや、ブログ管理人は価値合理的イデオロギー人間としてスジを通しているというか……。


     私としては、「『東京五輪・パラリンピックを中止に追い込む」という目的のためには、どんなものでも利用しよう」と、ちょっと目的合理的態度を取りたいので、元々天皇制には反対ですが、天皇徳仁のこの発言にはエールを送りたいですね。




  •  にっしー


     もう一つ書くと、「朝鮮・中国への差別の歴史と向き合い、戦争を経て今も日本に息づいている帝国主義を克服し、日本の真の民主化を実現するために、天皇制を廃止しよう」というイデオロギーには疑問を持っていまして。


     日本人は、もし天皇制を廃止しても、何食わぬ顔で朝鮮・中国への差別を続けると思います。




  •  suterakuso


    天皇制制廃止して中韓差別なくすとか、しらんし…てのは、おいておくとして、


    さっき、ニュースを流し見していたら、凶暴なニュースがさらっと流されていました。


    菅首相 竹中平蔵氏と経済動向などめぐり意見交換
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210627/k10013106961000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001


    また、自ブコメのコピペです。↓


    >今、中抜き平蔵と会うとか、火事場泥棒の算段だろ。民間エコノミストからワクチン接種が進むことによるGDPへの影響の説明を受けるってのも、ワクチンだけか!だし。完全に、駄目だこいつ…だ。即刻倒閣しかない。 菅やめろ




  •  讃嘆若人 (id:bousouwakoudo)


    思想的には筋が通っていますね。


    ただ、一点だけ事実誤認の指摘を。


    >これに対して「天皇対菅政権」の構図を描いて天皇に肩入れするという「リベラル・左派」がまたぞろ大勢湧いて出てきた。


     前記の構図は前天皇・明仁時代にはもっと顕著で、「敢然と安倍政権と対峙する天皇」の虚像がもてはやされた。これは小沢一郎シンパあるいはオザシン系などに特に顕著な傾向だった<


    私も小沢一郎先生のシンパというか、支持者で、旧国民民主党党員ですが、小沢一郎先生の判断を信じて立憲民主党へ合流した人間です。(なので、菅直人政権は安倍晋三政権よりも悪い唯一の政権だと思っていますが、立憲民主党の党員です。)
    その私も含めて、小沢一郎先生の支持者は、リベラル・左派ではなく、保守派です。


    それは、自認していない人もいるかもしれませんが、客観的に見てそうですし、また、著名人レベルでの小沢一郎先生支持者は保守を自認しているはずです。
    山崎行一郎先生や故・勝谷誠彦先生や「軍法会議」導入を訴えたりTRAと対立している堀茂樹先生、反天皇の自民党と戦い続けている河村たかし先生、占領憲法無効確認請願の紹介人になって下さった松木謙公先生等々。
    なので、kojitakenさんが小沢一郎先生の支持者をリベラル・左派と見做しているのだとすれば、それは事実誤認です。
    「安倍自民党=保守・右派」と印象付けたい勢力は、小沢一郎先生を左扱いしていますが、koijitakenさんは彼らとは距離を置いて小沢先生が右だと正しく認識していたはずです。


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東海アマ氏と「共産主義」

東海アマ氏の共産主義憎悪が「優秀主義者」へのルサンチマンにあることがよく分かる文章である。確かに優秀な人間と「優秀主義者」は異なるし、後者がしばしば組織を悪化させるのはよく見られるが、だからといって劣等者を集めたら優秀な組織ができるわけでもないだろう。組織を持たない国家は存在しえない。私も「組織悪」という論文を書こうと思っているくらい、組織は自動的に自己保身機関になるもので、大きな害悪を生みもするが、長所があるからこそ組織は作られるのである。物事は「集まってこそ現実的な力になる」と言える。山本太郎が無力なのは組織力が無いからだ、というのは明月飛鳥氏が喝破したところだ。
ただし、私は組織力とは別に「言説の力」を信じている。

(以下引用)


私が共産主義者にならなかったワケ

カテゴリ : 未分類
 私は、今から半世紀以上も前のことだが、高校生時代、マルクス主義に没頭した時期がある。
 高校の社研サークルは、毎日のように党派のオルグがやってきて、革マル派・中核派・ブント・反帝学評など盛りだくさんの新左翼系活動家が来ていた。当時は、さすがに資本論は荷が重いので、「共産党宣言」とか「家族国家私有財産の起源」とか、10冊くらいの岩波文庫版を使って、その意味を討論しあった。

 学校の授業など興味はなかったが、新しい知識の宝庫だった古典共産主義文献は、何でも知りたい私の知的好奇心を激しく刺激した。
 私は中学生の頃から「弁証法」について興味があって、マルクスの弁証法的唯物論に夢中になった。これは、マルクスに言わせれば「ヘーゲル弁証法を逆さまにひっくり返したもの」というものだ。
 弁証法三原則に「否定の否定・対立の統一・量質転化」というのがあって、事物現象は、かならず三段階の発展プロセスをもって、「止揚」されるというものだ。

 始めて聞くと、何が何だか分からない極端な抽象論にすぎないのだが、三段階発展論の原点、最初に「鶏が先か卵が先か?」という論争があって、ヘーゲルは、最初に霊的カオスがあって、否定されて物質的存在になり、もう一度否定されて霊的存在に還る。つまり、人類は、あらゆる矛盾を克服して絶対精神に向かって歩み続ける、という理屈だった。

 この最初に存在した「霊的カオス」を、物質的カオスに置き換え、逆立ちさせたのが、マルクス流、弁証法的唯物論だった。
 これは宇宙の存在は、最初に物質があり、そのなかに意思が生まれ、思索が生まれるが、やがて倒錯して、宗教的な世界=霊的世界が登場してくる。しかし、それもいずれ否定されて、再び究極の矛盾のない物質的世界に還るというものだ。

 小難しい理屈を並べたが、私の70年近い人生経験によれば、「哲学者」なんていったって、特別な存在ではなく、精神障害を患ったような偏執狂的兄ちゃんが、人の理解を超えた難解な屁理屈を並べて、自分は特別な存在であり「宇宙の叡智」であると勘違いして、他人に対して偉そうにふるまっているだけのことだから、怖れ多がる必要はない。ただの屁理屈・妄想狂マニアによる言葉の遊びにすぎないのだ。

 しかし、はじめて哲学に触れる若者にとっては、宇宙の深淵に触れたような気分になり、ヘーゲル弁証法を数ページでも理解したなら、宇宙の真理を自分のものにしたかのような快感・興奮に陥り、自分が人類に超越する特別な存在になったかのように錯覚し、他人の意見に耳を貸さない優越感に浸るものだ。

 この優越感を利用して、特権的存在になったかのように舞い上がらせ、他人の意見を嘲笑しながら自分たちだけが真理の領域にいると思い込んでしまった妄想的宗教団体がたくさんある。
 例えばオウム真理教がそうで、幹部たちは優越感に有頂天になり、自分たちが選ばれた人間だと勘違いして、人々の人生や命まで支配できると思い込み、あのザマになった。
 同じように、子供の頃から「優秀」とおだてられて調子に乗った若者を、ヘーゲル弁証法のエッセンスに触れさせて優越感で支配したのが文鮮明の統一教会だ。

 宗教だけなら、まだマシだが、これが政治団体となると、社会に大きな波風を引き起こす。
 例えば、私が若い頃、公安警察にメンバーに違いないと思われて、散々な目に遭わされた赤軍派とか、日本共産党や新左翼諸党派なども、弁証法的唯物論に触れて調子に乗った優越感に支配されながら暴走したグループだ。

新左翼諸党派の本質を一言でいえば、オウム真理教も幸福の科学も同じだが、一種の優越感といえるだろう。自分たちは選ばれた特別の存在だから、自分たちの理屈通りに世の中が変われば、すべて問題が解決すると妄信してしまった連中だ。
 自分たちは「最高存在」だから、他人の意見など聞く必要がないという傲慢さが共通点でもある。

 「最高存在」という言葉は、どこかで聞いた。そうだ北朝鮮だ、中国だ。そうだ、共産主義思想を掲げた独裁専制国家は、必ず「最高存在」という言葉を使いたがる。
 日本共産党も同じだ。「最高存在」の志位和夫は、実に30年を超えて共産党の全実権を掌握している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E4%BD%8D%E5%92%8C%E5%A4%AB

 一つの組織で、30年間もトップが変わらないということは何を意味するのか?
 例えば、一般的な企業の場合、幹部クラスは3~5年程度で、半強制的に転勤させられる。理由は「流れない水は腐る=流れる水は腐らない」ということだ。
 一カ所に権力者が数年もいれば必ず権力や利権が集中し、反対者が排除されて独裁体制が成立する。組織よりも、自分の利益を優先させるようになるのが人間というものなのだ。

 ベラルーシのルカシェンコは、大統領を28年間続け、対立候補を弾圧して独裁体制を堅持している。ムガベは37年間ジンバブエに君臨した。プーチンも20年以上、ロシアに君臨している。
 いずれも超長期政権に君臨し、その腐敗ぶりが世に知られてきた。志位和夫も事実上、30年間以上だから、負けていない。

 なんで、こんなことが許されるのか? といえば、私が学んだ「共産主義」の書かれざる綱領に「優秀な人物が、優秀な思想で、社会を正しく指導すれば最高の社会が成立する」という不文律が、巨大な壁のように君臨していたからだ。
 組織というのは「優秀」が好きだ。日立も東芝も三菱も、優秀な人物が巨大組織のトップを務め、企業全体を牽引したわけだが、いずれも 無様な結末を迎えて、東芝など社名さえ失いかねないほどに追い詰められているのだが、その本当の原因は、私にいわせれば、「流れない水は腐る」という原理である。

 「優秀」という定義が根本から間違っている。日本では「学歴信仰」が深く根付いていて、東京大学を卒業すれば「優秀な人物」というレッテル、お墨付きをもらえることになっている。
 だから、もちろん志位和夫も東京大学出身だ。上に述べた巨大企業の最高役員の大半も東大出身だろう。
 本当にそうなのか?
 
 「東大卒は優秀」という恐ろしい勘違いのせいで、日本社会は根底からねじ曲げられてきた。
 例えば私を個人攻撃している大垣市民病院の岩田洋介という医師は、自分は旭丘高校を出て東大医学部を卒業したのだから超一流人間だと錯覚してしまって、私を「無学歴」と誹謗嘲笑し、延々と凝りもせず、8年間もツイッターで低俗下劣な嫌がらせを繰り返している。

 なるほど、東大を出ると、こんな下劣なことをやるようになるのか? と私は深く納得した。だが、病院側に抗議しても、東大信仰のゆえんか、無視されたままだ。
(余談、ツイートが大垣市民病院の医療者用Wi-Fiからであることを発見したので訴訟を起こそうとしたら、予想賠償金額は20万円、訴訟費用が90万円という見積もりだった。復讐するなら長期服役を覚悟するしかない)
 https://twitter.com/tokaihomo

 まあ、「優秀」といったって、この程度のゴミのような人間性だと思って間違いない。共産主義を体系化したともいわれるマルクス・エンゲルス・レーニンも「優秀マニア」だったとともに、何よりもユダヤ人だった。トロツキーもブハーリンもそうだ。
 ユダヤ教の経典タルムードには、「神に選ばれたユダヤ人は、それ以外の民衆をゴイム(奴隷)として使役し、利用してかまわない」と書かれている。だから、「優秀なユダヤ人は、それ以外の人々を見下しているわけだ。

 そんなわけで、共産主義というのは「優秀な人間が正しい理論で人々を領導すれば、何もかもうまくいく」というユダヤ流の自分勝手な思い込みで成立していることを知り、私は共産主義者になることを断念したわけだ。
 そんな思い上がった連中には、虫唾が走るなんてもんじゃない。

 ホセ・ムヒカのような苦労人は、絶対に他人を見下したりしない。自分を優秀だと勘違いすることもない。もし、人間社会に本当に信奉すべき人間と思想があるとすれば、それはホセ・ムヒカだ。
 つまり、人間苦労してナンボというのが唯一の真理なのだ。

 共産主義そのものの理屈は決して間違っているとは思わないが、「優秀」というのが大好きな人物ばかりが集まっていれば、それは思い上がって自滅崩壊する定めにある。
 そもそも、「優秀」というのは、「優生保護」に直結するものだ。

 実は、日本で優生保護思想を実現しようとした人々の多くが、革新側の人物だった。
 優生保護法の実現に尽力したのは、日本社会党の加藤シズエや市川房枝だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%82%B7%E3%83%85%E3%82%A8
 その結果、多くの障害者が強制的に断種させられた。

ファッシズムと優生保護 2017年02月25日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-78.html

 再び優生保護思想 2018年04月30日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html

 早い話、共産主義者もまた優生保護思想が大好きだ。人道の仮面を被っている分だけ始末が悪い。これも「優秀病」の脅迫観念から必然的に派生するのである。
 もしも、私が共産主義者になっていたなら、たぶん真っ先に粛正されていたことだろう。「優秀」という発想が大嫌いだったからだ。

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慣用句にご注意

まあ、笑い話だが、現代人の言葉への無知というか、時代ギャップが事故を起こした例である。

(以下引用)


昭和の昔は、やせた薄っぺらい体の人(とりわけ肋骨の浮いた胸部)を「洗濯板」と言ったものでしたが、洗濯機の普及で洗濯板が絶滅した今は、そのたとえもともに絶滅しました。しかしネタでないなら、この課長氏の発言どこにも性的な表現はないと思うのですが。
引用ツイート
銀行員の不安
@ureukinyou
·
ヒアリングベースですが再発防止の為共有します。 入行3ヶ月の新人に「お。制服が板に付いてきたね!」と元気に話しかけた別フロアの課長が、どうやらセクハラで自宅待機の模様。 新人も在宅の様子。 詳細不明ながら、貧乳の彼女は「まな板」と言われていた過去がトラウマの可能性有との情報。
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暴力の三原則

別ブログに書いた「暴力論」の一部だが、この「三原則」は世界や社会を考察する上で有効ではないかと思うので、「思考素」としてここにも載せておく。
ただし、「暴力」をどう定義するかで、たとえば「言葉の暴力」もあれば、「組織(強者)による組織員(弱者)への暴力的命令」というのもあり、幅を広くするのも可能である。
DVなどは、まさに下の三原則の代表的事例である。
3がやや分かりにくいかと思うが、たとえば「警察」は抽象的存在で、「警察官」が具体的存在である。国家や政府は抽象的存在だが、公務員はそれより具体的である。
政治的改革運動がしばしば「内ゲバ」化するのも、下の三原則による。DVと内ゲバは同じなのである。近親憎悪だ。


1:暴力は常に「弱い相手」に向かう。
2:暴力は常に「目の前の相手」に向かう。
3:暴力は常に「具体的な相手」に向かう。


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ひろゆきから、「パリ以外に暮らす女性」へ

まあ、私自身差別主義的なところがある(審美的観念は差別、あるいは物事の区別から生まれるのが当然である。)ので、ひろゆきを差別主義者として差別したくはないが、下のコメントはパリという場所と美人の基準とを結びつける(パリ在住者=美人、パリ以外の在住者=非美人)という、無理な論理なので、ひろゆきの非論理性の証明として転載する。カネがあれば誰でもパリに行く、というのも無理だと思うが、私は金持ちになった経験が無いので分から ない。ただし、パリに行った経験はたまたまある。ホテル以外は観光客だらけの場所しか訪ねていないが、パリで出会う女性がすべて美女だったとは思わない。観光客と移民の街という印象だった。
ひろゆきとか橋下徹式の「議論で勝ったように見せる」技術(詐欺に近い)の持ち主が社会で上昇するのは良くない傾向だと思うので、ひろゆきの社会的地位の失墜は社会の浄化に役立つと思う。

(以下引用)

69: 風吹けば名無し 2021/07/12(月) 21:21:49.19 ID:FbEndn7m0
【悲報】ひろゆき 差別主義者だった

ひろゆき「ブサイク側のみなさん残念でした」
no title


美人で金持ってて
パリに来た事無い人って
たぶんいないと思うんですよ

それなりに美人の人って美的センスがあって
化粧だったりスタイルだったりを意識している人なので
そういう人って
パリに来たがるんですよ

なので町歩いてる時にすげぇ美人って
ざらにいるんですよ
アジア系の人も含めてね
世界美人ランキングトップ100みたいなのをさ
見てる状態でさ

日本に行くとさ
言うても身長160cmいっても170cmみたいなさ
なんか言っちゃ悪いけど

日本人の血が入ってるせいで
ちょっとぽっちゃり系みたいなのが
美人っていうふうに扱われてて
あぁそうなんだ そうね
この国だとそうね みたいな

あっこれ言わない方が良かったね
ごめんなさい

84: 風吹けば名無し 2021/07/12(月) 21:22:31.30 ID:+US7Jd2bp
>>69
ひろゆき「パリにいったことない女はブスで貧乏」

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今後の日本と世界を占う

混沌堂主人が「東京五輪後の日本」について易占して「山地剥上九」の卦を得たらしい。まあ、上(山:上級国民)が剥落して下(地:人民)が厚くなるという意味なら結構なことである。

(以下引用)


易でも聞いてみた。
山地剥 の 上九 {6爻}
高島易斷 山地剥 上九の易占
23. 山地剥(さんちはく) -易経・六十四卦-
山地剥 上爻
「高い木に生っている大きな果実が食べられてしまうことはない。君子は人々に尊敬され大きな車に載せられる。邪悪な者は自分の住むところさえ失うことになる」
(以上引用終わり)

これに触発されて私も易占してみたが、私には霊感や霊能力がゼロであるのは何度も書いている。したがって、当たるも八卦当たらぬも八卦であるのはもちろんだ。

1:今年後半の日本の政治

山火賁初爻

面倒なので私の解釈だけ書くと、「菅政権は無意味な飾り事だけやるだろう。」しかし、初爻は「その足を飾る」だから、「少しは人民のためになることもする」といったところか。大きな政治的変革は無さそうだ。

2:今年後半の日本の庶民生活

火水未済6爻

これは卦辞の「小狐が川を渡り終わろうとしてその尾を濡らす。利するところ無し」の解釈が難しいが、「国民は全体としてはコロナ政治という災厄から脱することができるが、コロナ倒産や失業やワクチン被害などへの補償はゼロである」という解釈でどうだろうか。上九(6爻)は「飲酒に誠あり」という、酒飲みには素晴らしい卦で、これも「飲食店いじめは終わる」意味かと思う。まあ、「酒でも飲んで憂さ晴らしをするのもいいよ」ということだろう。


3:コロナ騒動の今後

地沢臨6爻

これは卦辞を書いておく。字句は少し変える。「臨は大いに通る。正しきに利あり。八月に至りて凶あり」。「八月」の解釈が難しいが、そのまま八月としておく。旧暦の八月とするのがいいか。この「臨」の卦が「蠱」の次に来る卦であることが大事かと思う。つまり、「蠱」が、皿の上にウジが湧いた、腐敗の極みを意味するわけで、それに対して「臨む」とは、解決の道が開ける、ということだと思う。だから「正しきに利あり」であるわけだ。(私としては「正しき」とは「反ワクチン派」「反DS派」「反新コロ詐欺派」だと思っている。)八月がコロナ災害のピークで、その後は新コロ問題は終焉に向かう、と解釈する。上六(6爻)は、「臨むに厚し(篤し)、吉にして咎なし」であるのが、この解釈の根拠である。つまり、今秋には解決に向かうだろう、という目出度い卦である。


4:世界の動き

雷天大壮2爻

これは庶民にはあまり関係ないが、卦辞は「大壮は正しきに利あり」という簡潔なもので、世界全体で「正しいもの」が邪悪や不正を追放する形勢が生まれ、邪悪なもの(ビル・ゲイツ一派、あるいはDS全体)が勢力を失うのではないか、という希望的観測をこの卦の解釈としておく。2爻は「正しければ吉なり」という、至極あっさりしたもので、正しい陣営にとって吉である運勢なら、もはや何も問題はないわけだ。









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論理の限界

「F爺」こと小島剛一氏のブログ記事の一部だが、あのひろゆきを論理で徹底的に叩きのめしたことで分かるように、物の考え方がマニアックなほど論理的であるようだ。私も屁理屈をこねるのが好きだが、さほど頭が緻密ではないので、論理を妄想的にこね回すだけである。
ただ、論理というのは、アナログの世界をデジタル的に切り取るような面があるので、すべてが論理世界の中に適合するわけではない。そういう限界の事例が、「日本人に茶髪が増えている」ことを論じた下の記事(引用はその一部で、読者の質問に答えたもの)にもあるようだ。F爺氏はそれを日本人の西洋コンプレックスだと見ているようで、私も基本的にはそれに同意だが、熊谷直実の故事にあるように、老人が若者に伍して戦うために(相手に舐められないために)白髪を黒髪に染める例もあるわけで、髪を染める理由もいろいろあり、西洋コンプレックスだけが理由ではない、ということだ。たとえば、単に茶髪のほうが軽快な感じがする、という審美的な理由でも、「西洋コンプレックス」のひとつとなるのだろうか。

>ただ、いろいろな髪色が存在する、欧米を参考にしているだけなのではないでしょうか。

違います。参考にする必然性が無いのに「欧米を参考にする」思考様式・行動様式は、欧米コンプレックスそのものです。

という問答の中で、質問者もF爺氏も頭から抜けているのが、アニメという存在である。アニメでは、似たような顔の少女キャラがたくさん出るので、髪の色と髪型、特に髪の色で区別するのは普通である。つまり、若い娘が髪を染めるのに抵抗感が無いのは、西洋コンプレックスより、幼時から日常的にアニメを見て育ってきたこと、そして髪の色が黒色ではないことに違和感が無いことからだろう。これが、「論理の枠(西洋対日本という構図)から抜け落ちた事象に気づかないため、論理が成立しない」事例である。
ちなみに私は論理的でありたいとは思うが、論理とは説明手段にすぎない、とも思っていて、直覚的に正解を得る「悟り」には劣ると思っている。

(以下引用)

Re: コンプレックスについて

「hsn」さん

カタカナ語の「コンプレックス」は、精神分析の術語です。その中でも特に「謂れの無い劣等感」=「自分が劣等だと思ってしまうコンプレックス」のことを略して単に「コンプレックス」と言います。

「西洋コンプレックス」は、「非西洋人が西洋人に対して抱く抑圧した感情」です。「謂れの無い劣等感」「謂れの無い優越感」「理由の無い攻撃性」などを含みます。但し「西洋人の猿真似」などの侮蔑語と組み合わせて用いる場合は、「優越感」は含まないのが普通です。

戦争中、戦闘員は、相互に敵を蔑視するものです。そうでなければ戦えません。戦争終結後、敗戦国の人間は、戦勝国の人間に蔑視されるものです。そのことを「卑劣な差別意識」と形容するのは、妥当なことではありません。

娼婦を買う男は、娼婦を軽蔑しています。「軽蔑する」ことと「買春の相手として好むかどうか」とは別のことです。娼婦のほうも、街娼の場合、一目で娼婦だと判る服装や化粧をしなければ仕事になりません。

もっと冷静にさまざまな角度から考えた上で投稿し直してください。

今回のコメントは、コンプレックスに満ちた表現の連続であるため、申し訳ありませんが、
非表示のままとします。

次の一節にだけ、反論しておきます。

>(・・・)この例では、西洋人の猿真似をする為ではなく、黒髪ばかりの日本において、単純に目立ちたいからというのがその根本的な動機です。

重大な疑問があります。「単純に目立」つ方法が他に何一つ無かったのでしょうか。結果的に「西洋人の猿真似」になってしまっているのですよ。

Re: 欧米人コンプレックスの現れでは無いとおもいます。

西村由紀子さん

ご投稿のコメントの一部だけ引用します。

>「あこがれ」ではあると思いますが、金色がいいとか茶色がいいとかではなく、黒髪に飽きたから茶色にしよう、とかほかの人と違う髪型にしたいから、とかの延長で、そうだ!外国はいろいろな髪色があるではないか!よしっ!という感じで、決してコンプレックスでは無いとおもいます。

黒髪に飽きた」という発想自体が、紛れも無い西洋コンプレックスです。

欧米人の髪の色に「あこがれ」ているのであれば、なおのこと、折り紙付きの欧米コンプレックスです。本人が自覚しているかどうかは、問題になりません。

>ただ、いろいろな髪色が存在する、欧米を参考にしているだけなのではないでしょうか。

違います。参考にする必然性が無いのに「欧米を参考にする」思考様式・行動様式は、欧米コンプレックスそのものです。

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