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森山高至の力作だが、残念なことに元歌の最後の「溜息の数だけ重ねたブーケ」(だったか?)が無い。「ツィートの数だけ重ねた悪事」でどうか。少し語調が良くないので、ご自分で考案するといい。

(以下引用)

ツイート止めて一週あなた深刻な身バレしたから そこから何も言わなくなるのカスクズロンリネス きっと依頼した党を大切にして言えずに臆病なのね 閉めた会社にも居ないふり スレ開示や調査をあと何回受けたら法に触れあうの お願いDappi Dappi ここにDappi あなたからDappi 手を揚げて出て来てよ

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文章では橋下徹的詭弁は通らない

小田嶋隆の老化は外見だけでなく知性と精神の老化が激しいのではないか。
下のツィートは、論理の強引さが、まさに精神的退廃を示しているように見える。まあ、短いツィートでは論理を構築する余裕が無いのは当然だが、自分の主観的な思想、あるいは感想を、敵対思想者への口汚い嘲りを加えて言うだけなら、ツィートなどしないほうがマシだろう。
小田嶋氏のツィートへの批判を先に書いておく。

1)「ポリコレ」の問題点は、そのスタンダードが絶対的に正義だと主張され
2)そのために、「ポリコレ」に反するとされた表現や思想が抑圧される点にあり
3)ポリコレに異を唱える人々のほとんどは、それを懸念している。

というのは、「反ポリコレ」の最重要な立脚点だろう。その立脚点を、なぜ簡単に、何の根拠も出さずに否定できるのか。小田嶋氏の主観は神の意見ででもあるのか。

4)「ポリコレ」の問題点は、まさに彼ら(ポリコレ派)が何かの主張を「これが政治的に正しい」とアプリオリ(先験的・無条件的)に主張する、その独善性にあるのは明らかだろう。
5)しかも、その主張によって社会的に迫害される側が必然的に生じる。
6)とすれば、ポリコレ派が「正義としてものを言う」その立ち位置への批判はあって当然だろう。
7)しかしそのことは、「反ポリコレ派」が正義そのものを憎悪していることにならないのは当たり前の話である。詐欺師が口先で道義を言って、その詐欺師を批判したら、それは道義を批判したことになるのか。下手な漫才家を批判したら、漫才そのものを批判したことになるのか。
これは推測だが、ポリコレ派とリベラル派は重なってる部分が大きい(と言うよりリベラル派はポリコレ派、あるいは戦闘的フェミニズムに侵食されている)ために、リベラル派、つまり既成マスコミ主力派に属する小田嶋氏は立場的にポリコレ派に加担するしかないのだろう。
しかし、リベラル、つまり「自由の拡大」を常に主張する思想は、それが全体の自由ではなく一部の人間の自由の拡大の主張の場合、必然的に他の一部の人間の自由を侵害するのであり、それがポリコレ問題では明示的であるわけだ。
言うまでもないが、「全体が満足する自由」というのは存在しない。誰かの自由の拡大は他の誰かの自由の抑圧である。自由主義とは抑圧主義と一卵性双生児、あるいはシャム双生児なのである。社会の全員が賛同する「政治的な正しさ」というのが存在しない以上、ポリコレとは危険な、あるいは「暴力的な」思想だというのが私の考えだ。(抑圧された少数者の権利の拡充には私は基本的に賛成であるので、これは原理としての論議である。)

(以下「小田嶋隆ツィッター」から引用)

ポリコレに異を唱える人たちは、そのスタンダードに納得していないとか、表現が抑圧されることを懸念しているとかではなくて、ポリコレを言い立てる人たちが「正義」としてものを言っている、その立ち位置を憎んでいるのだと思う。つまり彼らはなんであれ「正しさ」を憎悪しているわけだよ。


(夢人追記)「ポリコレの狂気」の良い事例があるので、載せておく。


これほんとにまずいのは、「男性青 女性赤」が市民投票では最多だったのに覆されてる事だよね。 民主主義は確実に崩壊に進んでいる。地方自治は民主主義の学校とはよく言ったものだ。
画像
引用ツイート
神戸新聞
@kobeshinbun
·
「男は青、女は赤」は当たり前? トイレの市民投票案を「色分けなし」に変更 明石 kobe-np.co.jp/news/sougou/20

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立憲民主党は浸水した泥船化しているようだ

上のツィートも竹熊健太郎のもの。
とすると、山本太郎は被害者だが、これは立憲民主党内部のスパイによる野党分断工作か、それとも執行部の単なるミスか。どちらでも、立憲民主党はもはや「オワコン」だと言えそうだ。
立憲民主党の中には優れた議員もいるのだから、枝野執行部が退陣しないなら、今すぐに大量離党して新しい党を作ったほうがいい。その際に、連合(大企業中心の御用組合)に代わる新しい「国民的労働組合」を共産党と一緒に立ちあげてはどうか。まあ、選挙まで時間が無さすぎるが、逆に、このドサクサを「大きな空気」に変えていくことも可能だろう。熱狂自体、短時間しか続かないのだから、「時間が足りない」は怠け者の言い訳でしかない。
なお、山本太郎に有能なアドバイザーが必要だ、というのは、この「選挙協力」の際に文書で確認を取らなかったことでも言える。口約束など、問題化しても水掛け論にしかならないのである。

(追記)鮫島というジャーナリストのツィートである。経緯がよく分かる。枝野の裏切りのようだ。

山本太郎が経緯を説明。 ①東京8区出馬は立憲民主から提案された②立民執行部と出馬表明の日時まで合意していた③吉田氏の処遇も決まっていた④枝野氏とも直接会談していた④枝野氏が一方的に合意を破る発言をした。 新聞報道とまるで違う内容。各社は枝野氏に説明を迫り一刻も早く真実を伝えるべき。


(以下引用)



最初に東京8区からの出馬を打診してきたのは立民からだと発言。固有名詞は出さず。枝野幸男にはかなり腹を立てている模様。
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竹熊健太郎《地球人》
@kentaro666
本日の街宣の冒頭で山本太郎東京8区からの出馬を撤回。詳しい経緯を説明。>youtu.be/DBNRn_JDudQ より

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「お前(日本)は既に死んでいる」?

「ネットフリックス」で「三島VS全共闘」(副題は「50年目の真実」だったと思う。)の後半を見たが、前半の哲学問答とは異なり、「三島にとっての天皇とは何か」というのが主なテーマになっていて面白かった。まあ、三島には「天皇のあるべき姿」というのがあって、それは「天皇親政」という政体での天皇であったようだ。それはもちろん戦後の人間宣言後の象徴天皇とはほど遠いもので、三島はそれが大いに不満であったのだろう。
三島がなぜ天皇親政を理想としたのかは私には分からないが、天皇が日本文化の特性である「菊と刀」の合一の象徴であるなら、天皇こそが政治の実権者でなかったらおかしいという、単純なものかもしれない。つまり、天皇親政でないかぎり、政権を握る者は必然的に天皇の政治的上位者になるからである。
しかし、それこそがまさに日本の政治の常態だったのではないか。「刀(武)」を政権担当者に完全に任せて、天皇と宮廷は風雅に「菊(文)」の世界に遊ぶ姿こそが日本文化の常道ではなかったか。それをも「偽善」だとすれば、日本の歴史と文化は偽善の歴史であり偽善の文化だったことになるだろう。
まあ、それはともかく、「天皇親政」と「直接民主主義」(おそらく全共闘の理想の政体だったと思う。)は、実はよく似ているという、ゲスト解説者(?)のひとり(確か内田樹だったと思う。)の言葉は面白い。つまり、どちらも主権者(治める者)と国民(治められる者)との間に政府という「媒介物」が存在しない、ということだ。それは、「媒介物による政治権力の簒奪」が生じないということである。もちろん、厳密には天皇親政でも直接民主制でも政府は存在するし、政治担当者が別に生じて、その担当者が政治主権を簒奪することになるだろうが、ここではあくまで原理原則の話である。
要するに、三島と全共闘は政治的には右と左に機械的に分別されながら、実はその精神はよく似ていたのではないか。それは、両者とも戦後民主主義を偽善のシステムと見做し、その変革を切望していたということである。しかし、彼らの時代には、「日本は属国であり、日本はジャパンハンドラーに操作されている」という認識がまだ明晰に意識されていなかったのだろう。だから、全学連も「安保条約破棄」でとどまり、その後の日本の「独立」と「独立後の政治システムをどうするか」という議論が起こらず、したがって全学連運動は国民的な運動(反米運動)に発展しなかったのである。
さて、今はどうだろうか。日本は属国だという意識はありながら「属国でいいんじゃね?」という若者が大半になっているような気が私にはする。つまり、日本文化も日本精神も滅びたわけで、それは日本という国は形骸としてしか存在しないということになるわけだ。まあ、それならそれで、世界の人間がすべて「世界人」になる未来を構築するという思想も「あり」だろうが、胴長短足で黄色い顔の日本人は劣等人種として嘲笑されながら、その世界で生きることになるのではないかwww






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投資(投機)は労働か

この理屈で言うと競馬をする人間も働いていることになるwww
株で儲けようが競馬で儲けようが、「カネでカネを生むだけ」である。
一般のデスクワークと投資(投機)を一緒にするのは、外科医と魚屋を一緒にするようなものだ。どちらも生物の身体を切り刻む仕事であるwww
一般のデスクワークは実体経済の一部だが、投資(投機)はバブル経済の一部である。
なお、株の売買益だけが目的の投資は「投機」であり、ギャンブルであって、その投資によって投資先の企業が成長しようがどうしようが関係なく、カネになるならいつでも売り払うのである。つまり、投資と投機は実質的に同じだが精神は違い、現代の投資はほとんどが投機である。

(以下引用)

投資をしてお金を得ている人は、努力をしていないという論理はどうなのかな? 汗水流して動かないと労働とみなせないのであれば、デスクワークの殆どは労働ではないことになる。仮に百歩譲って努力していない(勉強しないで稼げる世界ではないだろうけれど)としても、リスクは背負っている。

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マイクロアグレッション

差別問題における「境界的概念」と言えそうな「マイクロアグレッション」という概念だが、この言葉自体が問題を含んでいる、つまり言葉が概念と一致していないと思う。問題のポイントはその「アグレッション(攻撃)」が「マイクロ(微細な)」であることではなく、当人自身がその言行の「他者侵害性」(「攻撃」ではないのだから、日本語でならこう言うべきだろう。それに相当する英語は知らない。)に「無意識」であることにあるのだから、「アンコンシャスアグレッション」とでも言うべきだと思う。
下の記事だと、色字にしたようにそのアグレッションが意識的か無意識的かで記述自体が分裂している。


今調べたら、「侵害」はinfringementと言うらしい。


(以下引用)

マイクロアグレッションとは?

マイクロアグレッションは、別名「小さな(マイクロ)攻撃性(アグレッション)」。人と関わるとき、相手を差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手の心にちょっとした影をおとすような言動や行動をしてしまうことだ。「微細な攻撃」とも訳されるマイクロアグレッションがなぜ相手を傷つけるかというと、その言葉や行動には人種や文化背景、性別、障害、価値観など、自分と異なる人に対する無意識の偏見や無理解、差別心が含まれているからだ。


具体的には、このようなものがマイクロアグレッションと呼ばれる。わかりやすいように、海外で起こることと日本で起こることを分けていくつかの例をあげてみよう。


海外

  • 「アジア人だから数学が得意」「黒人はダンスが上手い」という特定の人種へのステレオタイプ的言動
  • 西洋人からの、「君は日本人っぽくなくて大胆な考え方をしていいね!」といった発言
  • 英語圏に長く住んでいるのに、何年経っても「英語が上手だね」と伝える
  • 「日本人の女の子が好き。大人しくて可愛いから」というアジアンハンター
  • アジア人の真似!といって無邪気に両目をつりあげる行動
  • LGBTQなの?見えない!意外!すごくまともに見える、といった発言

日本

  • 白人系の見た目がかっこいいと、初対面で褒めたたえる
  • 「〇〇さんはブラジル人だから、サッカーとかやります?」「〇〇さんは韓国人だからキムチ常備してるんでしょ?(笑)」といった文化的ステレオタイプ
  • 日本に住んでいる外国人(に見える人)に「日本語上手ですね」「お箸使えるのすごい」等と褒める
  • 会議室に入ってきた男性スタッフと女性スタッフのうち、女性スタッフをアシスタントだと思って飲み物を注文する
  • 女の子はオシャレとスイーツが好きだし喜ぶと思う、といった発言

もちろんこれ以外にも事例はあるが、これらは無意識の攻撃性をはらんでいる。中には、自分もやってしまっていた!と思うものがあるかもしれないし、何が悪いの?と思うこともあるだろう。


たとえば「君は日本人っぽくなくて大胆な考え方をしていいね!」という発言の裏には、日本人は典型的に保守的であまり大胆な行動をしない、という先入観がある。一見褒められているようだが、このような発言は時間が経つと「ひょっとして馬鹿にされてる……?」とじわじわ効いてくるものだ。


一見外国から来たような人でも、もう長く日本に住んでいるかもしれないし、外国語よりも日本語の方が得意かもしれない。見た目で判断し、話せないだろうという偏見を持って接することが問題なのだ。

マイクロアグレッションの歴史

マイクロアグレッション(Microaggression)という言葉自体は、1970年代にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアス氏が提唱したものだ。もともとアメリカでアフリカ系でない人々が、アフリカ系の人々を苦しめているようすを見て同氏が「侮辱だ」と捉えたときにできた言葉で、マイノリティに対してちょっとした悪意や偏見を持って行う行動、言動を指す。


また、2000年代にコロンビア大学教授のデラルド・ウィング・スー氏がこの言葉を再定義した。同氏は人が無意識の差別攻撃を受けたときの精神的悪影響に関する研究のなかで、マイクロアグレッションを「特定のコミュニティに属しているというだけで否定的なメッセージを向けられる、日常的なやり取り」としている。


日本では、在日コリアン青年連合(KEY)が2013年前後に行ったヘイトスピーチに関する調査の中で「差別未満」というカテゴリーを設けていた。差別とまではいかないが、聞いた人々が不快な思いをするような発言のことを指すものである。

マイクロアグレッションと「差別」の違い

マイクロアグレッションは、差別の一種である。しかしやっかいなのは、発言をした相手が「差別している」という意識がないことも多いということだ。些細な日常の会話であり、むしろ本人なりに褒めたつもりなのかもしれない。


こうした隠れた攻撃性に気付き、声をあげた人が「考えすぎだ」「スルーすればいい」「そんなに気に入らないなら出ていけ」などと非難を浴びることさえある。特定の人々が嫌い!というわかりやすい差別ではなく、見る人によっては差別に見えない細かなやりとりだからこそ、多数派である人々は無視できる、という不公平な構造があるのがマイクロアグレッションである。何年たっても無意識な差別を受けて、「自分はアウトサイダーである」と思わされることは、自尊心が喪失し、うつ、気力の低下、仕事の生産性などさまざまな悪影響につながる。


その一方で、マイクロアグレッションという概念に批判的な声もある。アメリカで社会学を研究するブラッドリー・キャンベル氏とジェイソン・マニング氏は、2018年に共同で出版した著書『Rise of Victimhood Culture(被害者文化の台頭)』の中で、マイクロアグレッションは「被害者意識(Victim mentality、何か問題が起こったときに即座に自分はその被害者・犠牲者だと思うこと)」を助長させ、当人同士で問題解決する力を低下させ、被害者・加害者といった二者の道徳的な対立を生み出すとしている。

マイクロアグレッションを行わないための対策とは

とはいえ、マイクロアグレッションを誰かに行うのは本意ではない。その対策としては、シンプルだが発言をする前に一度振り返ることだ。この発言は相手に対して失礼にあたらないだろうか、無知やちょっとした関心から質問していないだろうか、相手の返答に自分は何を期待しているのだろうか?


一番大切なことは、コミュニケーションを取る相手を尊重することである。相手は自分と同じ人であり、自分の関心を満たすコンテンツではない。どのような人間関係にも言えることだが、これを徹底することでマイクロアグレッションを防ぐことが可能になる。


レン
【参照サイト】マイクロアグレッション概念の射程

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安倍支配下の日本の政治の堕落と国民の堕落

「徽宗皇帝のブログ」に載せた澤野大樹という人のインタビュー前編にも面白い部分や成る程と思う部分があるので、そのひとつを載せておく。
なお、私は「カバール」の意味を知らないとは徽宗皇帝ブログにも書いたが、ネットで調べるのもなかなか困難な状況のようだ。言葉だけはよく見かけるが、説明されたものを見た記憶が無い。

(一応、こういう説明があった。つまりカバールDSとは「ユダヤ思想の世界支配層」程度の意味だろう。)

カバラ


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 06:07 UTC 版)


カバラקַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala)、カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。ユダヤのラビたちによる、キリスト教でいうところの(『旧約聖書』の伝統的、神秘的解釈による)神智学であり、中世後期、ルネサンスのキリスト教神学者に強い影響をおよぼした。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。



(以下引用)「満州派(岸派)」はもちろん安倍一派のこと。赤字にした部分は、非常に大事な指摘だと思う。こうした国民の知的堕落、品性の堕落はまさに亡国そのものだろう。

日本のメディアというものは


じつはカバールDS派なのですよね。


 


――それはよく耳にしますけど。


よく耳にしますが中身がまったく違うのですよ。


だって今回、日本の満州岸児玉機関派論壇は、


高市氏を猛烈に応援するにあたって、


「マスメディアは真実を報道していない!ネットでは


圧倒的に高市氏がリードしているじゃないか!」って


啖呵を切っていましたよね。


また、長州下関出身のお笑い芸人を使って、


ネットアンケートまでして世論工作をしていましたよね。


彼らはしきりに「マスゴミはウソを言っている」と言いました。


でもそのマスコミはじつは満州派なのだということ。


 


しかし与えられた道を逸脱しないという条件の下、


戦後、GHQによって放送免許が付与されたということね。


でも彼らはそのギリギリのラインを駆使して、


「メディアはウソをついている」ということを大声で喧伝し、


あたかもメディアが満州岸派の敵であるかのように


偽装をしているのだということです。


このことを見抜くためには勉強するしかないのよ。


彼らはメディアを「私兵」として使役しているのです。


つまり「マスゴミは真実を報道していない!」と


叫んでいる人の99%以上はいとも簡単に騙される。


戦う相手を見誤らされ、無為で徒労のその「戦い」に


人生のストレージの大半を消費させられ、


そして捨てられて終わるだけとなるのです。


 


直情径行型で脊髄反射しかできない


喜怒哀楽と気合い優先の「愛国者」たちを、


日本カバールDSという為政者たちは駒として使い捨てにします。


このことは戦後76年経った現在でも


何ら変わることのない明治以降の日本の伝統です。


 


「やる気満々な無能は今すぐ殺せ」というのが


ドイツのゼークトか誰かの言葉だったし、


自国内での戦術の基礎の部分であるわけですが、


日本DS満州派の残党たちは


そのような者たちを鬼化させて


私兵として使役してしまうところが


今までにない斬新なところだと思います。


つまり、


自軍を滅亡に導きかねない、


本来ならば排除しなくてはならない


「やる気満々な無能」たちを、


安倍満州派たちは私兵として利用したということ。


これはじつに斬新だと思います。


 


――どうしてそのようなことになってしまったのでしょうか?


それは日本のトップが「やる気満々な無能」だったからでしょ。


トップというのは「有能な怠け者」じゃなきゃダメなのよ。


朝から晩まで懸命に働いているトップなんて悪夢でしかないの。


そんな汗水垂らすトップなんか部下は見たくないのよ。


でも今の日本国民は帝王学なんて知らないでしょうから、


国のトップにもコストパフォーマンスを求めるでしょ。


これだけ税金使っているのだからこれだけ働けみたいな。


余白を認めないケチで潔癖な国民になってしまっている。


費用対効果と上四半期ベースでの実績しか視覚にない、


非常に狭窄で吝嗇(りんしょく)な国民に成れ果ててしまっている。


 


「本物」を求める人がきわめて少なくなり、


人々は「コスパ」だけを追い求めるようになった。


これはまさに亡国だと言えるでしょう。


 


でもね、こういう国民に仕立てた勢力がいるわけね。


有能で聡明で本物を見極める目を持った国民なんて邪魔なの。


鬼化させて駒として使役するためにはそんなの必要ないわけね。


だから国民全体の知的レベルを落とすようにずっと画策されてきた。


そうやって、2006年9月26日に成立した


第一次安倍内閣以降、国民の白痴化が行われ、


つまり首相のレベルに合うように国民のレベルが均質化されたわけね。


満足に箸すら持つことができないような首相が


愛国心を語るようになった。


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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