これ(「勇気と感動を与えたい」)は、スポーツ選手がよく口に出す言葉だが、スポーツ(には限らないが)というのは本来「自分のために」やるものではないか。そこが一番肝心だろう。だから、部活などはそれが苦痛ならやめてもいいし、誰も批判はしない。(馬鹿な親や、自分のエゴで部活を利用しているコーチや監督以外は)
まあ、「見る人に勇気や感動を与えたい」というのは、インタビューでの返答の決まり文句として、馬鹿な子供(程度の頭脳の若者)が何も考えずに使っているのだろうが、それを聞くと不愉快になる私のような人間はただのへそ曲がりなのだろうか。「何を偉そうに」とすら思う。
だいたいが、一人の勝利の背後には、その他のすべての選手の敗北があるわけで、勝利した選手やその関係者が感動し、場合によっては恩恵を受けるだけではないか。少なくとも、スポーツで「不特定多数の誰か(世間のみなさん)のために戦う」という偽善は、やめてほしいものだ。堂々と、勝利はあくまで勝者(私・俺)だけのもの、としてほしい。
(以下引用)
ていうか、日本国民には私を含め「別に感動を与えてほしいとか望んでませんよ?」って人いいいいっぱいいますよ。大人ってそういうもんっす。皆に勇気と感動を与えたいというその思考自体がああ若いな危険すぎる・・・と思わざるを得ないのよね。(夢人追記)参考までにwww
「こいつらどう見える?勝者だ!」
「ああ、俺らのケツを蹴っ飛ばすぜ!!」
「違うね!お前らは超強い!勝つのはそっちだ!!」
「そっちだ!」
「違う!お前らが優勝を飾るんだ!!」
「上等だ!今すぐ負けてやるからな!!」
『頑張れ!?リトルリーグ(原:The Losing Edge)』は『
サウスパーク』のシーズン9第5話。
通称“やきう”回。
やりたくもない野球に挑まされる子供達と、子供そっちのけで無邪気に野球観戦を楽しむ大人達の対比と悲喜劇を描く。
また、身勝手な理由で喧嘩を繰り返すランディの姿は『
ロッキー』のパロディになっている。
【あらすじ】
カイル「これで終わりだ、ストライクで家に帰れるぞ!」
サウスパークvsコニファーの試合。
マウンドに立つスタンのストレートが最後の打者相手にも見事に決まっていくが、何故か当のスタン初め、チームの面々の表情が優れない。
挙げ句に、汚いヤジの末にランディが乱闘を始めたのを見て、お馴染みの目頭を押さえるポーズで頭を振るスタン。
スタン「あぁ、またかよ」
落ち込んだスタンをカイルが励まし、気を取り直して渾身の表情で投げ込まれたボールは……ストライク!
審判「三振!バッターアウト!」
スタン「よし!終わった!終わったぞ!!」
“4対0でサウスパークの勝利”
カートマン「やった!野球はおしまい!」
カイル「来年までやらなくていいんだ!」
マウンドに駆け寄り、無邪気に喜ぶ子供達……だが、
スティーブン「よくやったな、お前達!これで決勝戦にいけるぞ!」
スタン「What?」
スティーブン「勝ったろ?だから地区優勝だ」
ジェラルド「おめでとう!これでポストシーズン進出だ!」
スタン「ポストシーズン?」
カイル「そんなこと言ってなかったよ!」
大人達の言葉に混乱する子供達に、リトルリーグはたくさんあるんだという事実を伝える大人達。
……真実を知って、勝利したにも関わらず見る間に顔が曇っていくスタン達。
ランディ「自分の身を守っただけだろ!?ここアメリカじゃないの?アメリカだと思っててゴメンね!」
パンツ一丁で捕まったランディのカットを挟みつつ「口笛ウイリーの店」での祝賀会へ。
……折角の祝賀会なのに、そこでも浮かない顔の子供達。
実は、子供達はゲームにネットにその他のホビーやスポーツと娯楽に溢れた現代……今さら、伝統的で古臭い野球なんかやりたくなかったのだ。
他にやりたいことはたくさんあるのに、リトルリーグの季節となり、大人達から半ば強制的に野球に挑まされている子供達……。
わざとらしく負ければ大人達に怒られるし、失望もさせたくないし、と悩む子供達。
しかも、普段は野球をやってもいないのに、お馴染みの面子(四年生クラス)で構成された「カウズ」はそこそこに強く、適当な相手では余裕で勝ててしまうと悩む。
ジミー「現実を見よう……僕たちは勝っちゃうんだ」
スタン「やろうと思えば、きっと負けられるはずだって!」
勝ちたくても勝てないチームに謝れ。
それに対し、ビールを飲み交わす野球好きの大人達は子供達の悩みを知る由もない。
100ドルを払って釈放されてきたランディもジョッキ両手持ちで合流し、次なる遠征先での乱闘に思いを馳せている。
毎回バカ白人と乱闘してるが、これからは昼間っから飲んだくれてるような連中が絡んでくるぞと言われるが、ランディは、だったらトレーニングして挑んでやると豪語する。
何か手は無いかと考えたスタン達は、次からは勝ち抜き戦になることを活かし、全力で負けにいく試合をすることを決意。
一生懸命に見せつつも、負ける試合をやることを誓うのだが、シーズンオフ初戦で出会ったフォートコリンズも全く同じ悩みを抱えていた。
「君達。俺達勝ちたくない。このリスト通り投げるから……」
「そうは行かねえぞ!サウスパーク!」
「俺達が勝ちたいとでも思ってるのか?」
「TVゲームやりたい」
試合前、密かに球種リストを渡そうとしたスタン達だが、「俺達こそ負けさせて貰う 」と豪語する相手チームの態度に、互いにこっちが負けてやるといきり立つ。
その様子を見て勝手に闘志を燃やすランディの野次にも力が籠る。
負けるべく、ボール球は振り、ストライクは見逃す戦法を取るが見極めは難しく、互いに点を取ってしまう展開は、僅差でサウスパークの勝利。
その後も、グリーリー、プエブロ……と同じ境遇の相手との試合を繰り返しながらも、勝利し続けてしまうサウスパーク・カウズ。
そして、ランディは生傷と逮捕歴を増やしていく。
……遂には、ポストシーズンでも決勝まで進み、大人達の喜びは最高潮に。
次でシーズンも終わりだ、との言葉を聞いて顔を上げる子供達だが、次の瞬間には優勝チームは夏の間中、全米各地をサーキットしなければいけないという事実を聞き、いよいよ絶望に追い込まれる。
しかも、回るのはネブラスカ、アイオワ、ワイオミング……クソ田舎だ!
これに慌てたスタンは、もう我慢できないとばかりにランディに助けを求めようとするが、サウスパーク初の快挙を前に喜びに浸りきって格好つけてるランディの姿を見て黙って踵を返す……。
そして目前に迫ったシーズンオフ決勝の相手デンバーチームだが、インタビューの場で遂に顔を見合わせた彼等も、案の定負けたがっていた。
しかし、エースの父親として上機嫌でインタビューに答えるランディの前に現れる最強の敵。
元プロレスラーにして、パンツ姿でバットマン風マスクを被った変態酔いどれ親父……その名もトム・ネルソン……またの名を悪親父!! 試合も始まっていないのに、飲みながら挑発してくる悪親父の前にさしものランディも萎縮する。
「せいぜい頑張れよ」
「俺達には負けられないぜ」
捨て台詞を吐きつつ、敗北宣言していったデンバーチームの態度に勝利を確信して夏中野球をやることになる……と、落ち込むスタン達サウスパークチーム
だが、カートマンの提案で『がんばれベアーズ』の様に、事態を悪く出来る助っ人を入れることに。
チームの敗北のためにマジでいけてなくて、コイツが居れば絶対に勝てないと思わせる程の最高の運動オンチ……果たして、カイルが自信を持って呼び寄せたその相手とは……?
そして、悪親父の圧力の前にメジャーリーグの球場で行われる息子の晴れ舞台の応援から逃げたランディは、果たして決勝でも口汚くヤジれるのか……!?
《「われらは遠くから来た そして遠くまで行くのだ」》はイタリア共産党指導者トリアッティ
起源説が流布されているようだが 事態はもう少し複雑ではないのか あまりにも有名な画題
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』への反歌としての機能がある
ことは隠せない事実だろう。。そしてこの「我々はどこから来たのか 我々は何者か、、」は
学芸員や美術評論家でもゴーギャンオリジナルと浅慮する人が多いが 実はトマス カーライル
『サアタア リザアタス』(邦題「衣服哲学」「衣装哲学」)の一節から採られているワケです
事実 ゴーギャンはカーライルの愛読者であり仏訳版で読んだ だから画面左上に書かれた
「D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」はカーライルの文章の仏語訳だ
しかし世界も言語も古い上に深い広がりを持つ 『ギリシア詞華集』にはこんな言葉がある
『わたしはどうして存在するようになったのか わたしは何処から来たのか
なぜわたしは来たのか』
ぼくはカーライルが『ギリシア 詞華集』にあるこの言葉からヒントを得たと考えている /笑。