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社会知識から切り離された高校・大学の教育

高校の授業内容が、どんな底辺学力校でも「大学受験前提」になっているのが大間違いだろう。
下の元ツィートで言っていることがど正論。それでないから、高校や大学を卒業しても安易に詐欺にかかったり、自分に必要な行政サービスの存在を知らなかったりする。
まあ、家庭科や社会科でも生活に必要な知識もほんのわずかに教えるが、それより「社会人基礎知識」というのを必修にしたらいい。私など、未だにスマホの機能の9割くらいは未知で不使用である。
収入が低い人は「高額医療」を受けた時に、一定額以上は払わなくていいという制度(制度名は忘れたが、脳梗塞で入院した時にこれで助かった。手続きも簡単。)など、全国民の中で何割が知っているだろうか。


(以下引用)


しかのつかさ
@sikano_tu
受験科目にしないと勉強しないかも。
引用ツイート
パティドクロタコ 冬コミ30日東エ-32a
@Sebastian_doll
·
18歳で成人なら、高校生3年生の授業に、家の借り方買い方、銀行口座の作り方、ローンの仕組み、クレカの仕組み、税金と年金と社会保険、行政で受けられるサービス等々、「大人なら知ってる前提」のあれこれを組み込んでよ。週2で6ヶ月くらいかけてやったらいいと思うよ。

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「未成年」とはどんな小説か

「未成年」読了。傑作である。だが、ドストエフスキーの作品の中ではおそらく評価が低く、あまり人気も無いと思われ、その理由はこれが非常に特殊で難解な手法で書かれ、それにメインの事件が遺産相続での骨肉の争いという、地味な話だからだろう。そこに恋愛が重要な要素として絡んでくるが、問題は「話し手」が「未成年」の馬鹿な(未熟な)青年で、その書いている内容は「すべてを正直に、正確に」書くという原則に基づいているが、何しろ、「自分の見た目、見た範囲」でしか書けないので、すべてが五里霧中のまま話が進んでいくわけだ。つまり、読者は話し手(語り手)を信頼できないまま読み進めるしかない(デイケンズの「大いなる遺産」もそれで、これらの小説が実は映画化不可能な理由はそこにある。)わけで、細部の面白い描写や語り手の独特な思想や鋭い感性に興味が持てないと、「全体として何が起こっているか」は理解しにくいので、途中で投げ出す読者が多いはずだ。最低限、登場人物のリスト(人物紹介)を自分で作り、姓や名や代名詞(彼、彼女など)が誰を指すのか理解しながら読み進める必要がある。ロシアの人名はもともと覚えにくいのである。ラスコリニコフくらいは覚えられても「ロジオン・ロマーヌイッチ・ラスコリニコフ」と全部を覚えるのは難しい。(たまたま、大島弓子に同名の作品、もちろん、「罪と罰」の漫画化、があったので、私は覚えているだけだ。)たしか、ロジオンの愛称は「ロージャ」だったか、そういう「愛称」も「未成年」にも頻出する。
私は工藤精一郎の訳で読んだが、訳の細部の適否はともかく、巻末の解説、特にミハイロフスキーによる「悪霊」批評の紹介は素晴らしい。ドストエフスキー作品の欠点である、「キリスト教への盲目的帰依」と「社会主義への感情的批判」を明晰に批判している。私自身は「ドストエフスキー大好き」人間であると同時に、「社会主義者」である。こういう人間は昔の文学愛好者には普通にいたものだ。
なお、この中に出て来るタチヤナ・パーヴロヴナという女性は、容姿に恵まれない初老の女性だが、毒舌家で、語り手の「未熟者」アルカージーには敵のように見えるが、実は最後に至って、その正体が単なる脇役ではなく、スーパー・ヒロインだと分かる。つまり、「キリスト」なのだが、人類全体のためのキリストではなく、「自分の愛した男性」に愛されることを最初から望まず、その男とその家族の人生を生涯にわたって守ることに決めた、そういう「愛の殉教者」だったのである。そういう視点でこの小説を最初から読めば、小説内の出来事がすべて違った色彩で見えてくるのではないか。ちょうど、「まどかマギカ」で、暁美ほむらの正体が分かった時に、すべての事件の様相がまったく違う色彩で見えてくるように。
ついでに言えば、タチヤナは、そういう生き方をすることで、単なるオールドミスとしての人生では味わえなかった「家族のイベント・事件」に参加できたわけで、それは「自分ひとりだけの人生」では味わえない、大きなメリットだったかもしれない。これが、「他人と共に生きる」ことの意味だろう。私のような「独楽主義者」が言うのも変だが、面倒事も苦労も苦痛も苦悩も失敗も挫折も人生の大事な一部だという思想だ。それらをすら「面白い」と思えれば、この世に怖いものはない。つまり、(主観的に、だが)地上がそのままで天国になる。「未成年」の脇役の巡礼や、「戦争と平和」の脇役、プラトン・カタラーエフなどがそういう人物に思われる。


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米軍関係者の外出制限へ大筋合意

まあ、「属国の政治の限界」の中では岸田はよくやっているのではないかwww
米国の尻舐めネトウヨは、「米軍より沖縄人が悪い」論を平気でネットに書き込んでいる。沖縄の人間はワクチンの接種率が低く、マスクも着用しない者が多い、と「自分の目で見た」とは思えないことを書いたりするわけだ。後者に関しては、公共の場ではマスク無着用の人間は滅多に見ない。前者に関しては、ワクチンが感染防止に(重症化予防にも)効果がほとんど無いことは世界中で認知されている。それでも欧米の政府首脳は「ワクチンを打て! 打たないのは非国民だ!」と力説しているのだから、もはや論理が通じる世界ではない。

(以下引用)

米軍関係者の外出制限「大筋で合意」岸田首相




在日アメリカ軍の施設区域などで新型コロナの感染拡大が続いていることを踏まえ、岸田総理大臣は、日米両政府で、在日アメリカ軍関係者の不要不急の外出を制限することで大筋合意したことを明らかにしました。


在日アメリカ軍の施設区域などでの新型コロナの感染拡大をめぐっては「周辺の自治体での感染拡大の原因になっている」などの批判が出ており、政府は、地元の不安を解消するため、感染拡大を防ぐ措置の強化と徹底を求めています。

これに関連して、岸田総理大臣は、NHKの「日曜討論」で「在日アメリカ軍の施設区域や周辺の自治体で感染が拡大しており、深く懸念している。アメリカ側との協議の結果、ようやく不要な外出は認めないことで大筋合意した」と述べ、日米両政府で、在日アメリカ軍関係者の不要不急の外出を制限することで大筋合意したことを明らかにしました。

さらに、在日アメリカ軍で感染対策が徹底されていなかったという指摘が出ていることを踏まえ、外務・防衛当局などの担当者による「日米合同委員会」で、保健衛生に関する議論を行うよう関係省庁に指示したことも明らかにしました。

政府関係者によりますと、在日アメリカ軍関係者の不要不急の外出を10日から制限するとともに、基地の内外でマスクの着用を義務化する方向だということです。

一方、日本に駐留するアメリカ軍関係者の地位などを定めた「日米地位協定」の見直しの必要性について、岸田総理大臣は「地位協定そのものに踏み込むことは考えていない」と述べ、重ねて否定的な見解を示しました。

このほか、いわゆる「敵基地攻撃能力」の在り方をめぐって「少なくとも憲法など基本的な考え方はしっかり守ったうえで、どこまで具体的に対応できるのか、国民の理解を得ながら結論を出したい」と述べました。


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堂々たる「暗殺」www

現代の新コロワクチンや子宮頸がんワクチンなども、後世では瀉血療法のような「迷信的治療法」とされるのだろうか。その程度で済めば、医学界や薬学会は胸を撫でおろすだろう。下手をしたら犯罪者となるのだから。


(以下引用)

【ジョージ・ワシントン】 アメリカの初代大統領。みぞれの中で馬に乗って数時間見回り、コートを脱がずに夕食を取った後に就寝、化膿性扁桃腺炎にかかる。翌朝4人の医師により立て続けに行われた瀉血で、数時間のうちに80オンス(約2.4L)の血液を失い、その翌日に死去。享年67

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岸田総理の「日米地位協定」についての発言の意味

「建築エコノミスト」(というか、何でも屋だが)森山高至のツィートだが、面白い見方なので載せておく。岸田総理が「日米地位協定」について言及した初めての総理である、というのが事実かどうかは知らないが、もしそうなら、これは「観測気球」かもしれない。少なくとも、日本国民の大多数(新聞とテレビしか情報源が無い)は日米地位協定というものの存在すら知らないわけで、その存在を知ったら問題視する層も出てきて、マスコミや米軍や米政府も対応を迫られることになるわけだ。しかも、岸田は「改定は考えていない」と言っているのだから、岸田を責めるわけにもいかないwww その考えでの発言だとしたら、かなり高度な戦略であり、森山のこの推察が当たっていたら面白い。

なお、私は根が正直で単純なので、岸田発言には「がっかりした」部類である。他者の発言は一応、そのままに受け取るので、騙されやすいが、顔で相手を判断するので、人生での大失敗は免れている。

(以下引用)

いや。歴代首相として大衆に向けて「日米地位協定に言及した」ことのほうが重要。 ここまでの岸田戦法だと、「やりません」は仕掛ける宣言 ↓ 岸田首相「日米地位協定改定せず」 在日米軍のコロナ対策で mainichi.jp/articles/20220 一方で首相は、日米地位協定の改定は考えていないとの考えも示した。
mainichi.jp
岸田首相「日米地位協定改定せず」 在日米軍のコロナ対策で 
 沖縄県のキャンプ・ハンセンなど国内の米軍基地で新型コロナウイルスの感染が拡大している状況を踏まえ、岸田文雄首相は6日夜、首相官邸で記者団に7日の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で在日米軍のコロナ対策について、一層厳格な措置を求めるよう林芳正外相に指示したと明らかにした。

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Bakaと Waruは「欲」でつながる

「大摩邇」から転載した「ザウルスの法則」ブログ記事だが、長いし動画が入っているので後半だけ転載する。動画部分のコピーが再生可能かどうかは保証できない。
引用理由は、ここに書かれた「『陰謀論』嫌いの人間の心理」の考察が面白いからである。

(以下引用)


さて、当ブログでは、先日「菅首相のトリック注射」の動画 を公開したばかりである。(^_^)

菅首相のワクチン接種は「トリック」だった!Fake Jab BUSTED! Japanese PM

 

 



日本の大臣で、自らのワクチン接種を動画で公開しているのは、この二人、菅元総理と河野大臣だけである。


菅元総理のワクチン接種がトリック注射だったとしたら、同じ日本の大臣である河野太郎のワクチン接種もトリック注射であったのではないかと考えるのは、ごく自然な道理だろう。(^_^)


おそらく、本物の注射器と見た目はほとんど変わらない、トリック用の注射器がすでに政府には供給されているのだ。何の不思議もないことだ。技術的には簡単に作れるものだ。それらは霞が関のどこかの金庫にしまわれていて、「VIPの公開接種用」とされているのかもしれない。(^_^)


 


 



 


 


 



針を根元まで刺しても、二人ともまったく表情ひとつ変えない。身体もピクリともしない。2.5cmの針が垂直に刺さっていくだけでも普通の人間は何らかの反応を示すはずである。しかも、針が刺さるだけでなく、注射液を注入されるのである。以下の動画で、この二人の表情をよく観察して確かめていただきたい。


ANNニュース:菅総理ワクチン接種(2021. 3. 16.)


ANNニュース:河野大臣ワクチン接種(2021. 6. 21.)


チクっと針が刺さったときの反射的な痛みの表情の演技もおそらく考えたに違いない。しかし、ふつうの体勢では針が見えないので、タイミングがつかめない。ヘタに演技すると、タイミングがずれてかえって不自然になってしまうので、あえて何もしなかったのである。


 


菅元総理の注射器(右)の方は青みがかっているが、両者の形状はほぼ同じである。特に針の付け根部分がオレンジ色であるところは同一である。



「そんな形状の注射器はどこにでもあるぞ!」という声が聞こえてくる。(^_^) 



そう、そうなのだ。(^_^) 


問題は、菅元総理に使われたのが「トリック注射器」ならば、それとほぼ同型のものが「トリック注射器」である可能性は排除できないということだ。


普通の、ごく標準的な注射器に似せた「トリック注射器」がワクチンの初期の段階から存在していると考えられる。技術的にはたやすいことであり、そういうものを作る動機も、必要性も十分にあると言える。


 


菅元総理に使われたのが「トリック注射器」であったのなら、河野大臣に使われたものも同様の「トリック注射器」である可能性があるということだ。間違っているだろうか?(^_^)


可能性があるどころか、その公算が非常に高い(この表現については、可能性が高い、低い」のおかしさに気づかない人々」 を参照のこと)。そういう「便利なもの」があるのなら、日本の首脳は誰でも同じように使うはずだ。少なくとも菅元総理がすでに使っていることは、もはや議論の余地はない。


 


「自己防衛からの拒絶」


しかし、前記事「証拠動画!菅首相のワクチン接種は「トリック」だった!」のコメント欄には、この明白な事実を受け入れられない、ザウルスの法則そのままのような人間の書き込みが相次いだ。(^_^) 「真実は受け入れられる者にはすがすがしい。しかし受け入れられない者には不快である


いわく、「そんなバレるようなことをするはずがない」だの、「そんなことをするくらいならば、最初から生理食塩水を注射するはずだ」等々。こういう、反論にもならない屁理屈は、当ブログの「愛子様複数説」の記事でもさんざん使われてきた。「皇室がそんなバレるようなことをするわけがない」、「そんなニセモノを使うくらいならば、本物を使うはずだ」等々。(^_^)


つまり、「騙す側の人間はみな完璧主義者で、決してバレるようなヘマなことはしない」という勝手な前提を、咄嗟に思いつくようなのだ。この奇妙な前提は当人の頭の中に元からあるのではなく、事実と思わされてきたことがまったくのウソだったと証明されたときに、咄嗟に「自己防衛」から急ごしらえで立てられるようなのだ。「自己防衛」?そうである。(^_^) 


それがウソであったことを認めると、今までそれが事実と思ってきた自分が「大間抜け」ということになってしまい、その屈辱に耐えられないのである。自分はそんな「バカ」ではないということにするためには、そのウソの暴露を押し戻して拒絶するしかなくなってしまうのだ。「俺はバカじゃない」という低次元のプライドを守るために、論理破綻も顧みずに必死の自己防衛をするわけだ。(^_^)


その必死の自己防衛のときに真っ先に頭に浮かぶのが、「そんなバレるようなことをするわけがない」なのだ。この防護壁を立てておけば、ひとまず安心と思うようだ。(^_^)


「そんなバレるようなことをするわけがない」→「だから、そのウソの暴露は間違いだ」→「だから、自分は騙されたわけではない」→「だから、自分はバカではない」となって、自分の大切なプライドが無事に守られるというしくみなのだ。(^_^) 


この屁理屈には、科学的客観性も、論理的合理性もないのだが、当人のエゴの中では十分に一貫性があるようだ。このレベルの思考回路の人間は意外に多い。(^_^) あなたのまわりにもけっこういるのではないか。(^_^)


 


 


さて、菅元総理の接種については、昨年ANNニュースの元動画が公開された当時でもすでに気づいた人はいたようで、「針が飛び出した!」「インチキだ!」と元動画のコメント欄には書き込まれている。しかし、言われなければ気づかない、一瞬の場面なので、うやむやになり、「都市伝説」、つまり「根拠も証拠もない話」とされてしまったようだ。


 


今回ザウルスが編集した動画では、肝心な場面を 1)超スローモーにし、2)超拡大し、3)さらに何度も反復しているので、誰の目にも間違えようもなく、「トリック注射器」であることが明白である。噂や都市伝説のレベルではなくなったのだ。


 


 


さて、話を「広告塔」に戻そう。


 


Waru と Baka の親友関係


 



昨年の夏、河野太郎は YOSHIKI との「初スペース」のあとで、自分の YouTube チャンネルで「親友 YOSHIKI と生配信してみた」というタイトルの動画を公開している。


河野太郎は YOSHIKI を臆面もなく「親友」と呼んでいるが、この二人は互いに相手を、自分の目的のために利用する「道具」と思っているのだ。彼らにとって、「親友」とはそういうものだ。


あくまでも「打算の関係」だからこそ、YouTube 動画 のタイトルに平気で「親友:YOSHIKI」などと書けるのだ。違うだろうか?


この「打算の関係」、「互恵関係」は以下の通りである。



 



一般的に言って、Baka  と  Waru  は、どうも相性がいいようだ。(^_^)



 


● ワクチンを信じて打って、打算から「広告塔」になり、「救急搬送」される  Baka 。


●「コロナワクチンの真の目的」を知っていて、国民の前でお手本として「接種したフリ」をする  Waru 。


Waru  は決して自分の「広告塔」には「本当のこと」を教えないのだ。それが、「親友」に対する Waru の流儀なのだ。(^_^)


 



 


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「異常気象」と「地軸の傾き」

「神戸だいすき」さんは、書いた文章の端々から我の強さが見えて、私があまり好まないタイプの人間だが、そのブログは時々「えっ? そうなの?」と思う情報が含まれていたりするので、わりと目を通す。で、下に書かれた「最近の小学校では(中学校でもか?)地軸の傾きの角度を教えていない」という情報も、驚いた。
私は前々から、「異常気象と言われている現象は、地軸の傾きが変わったからではないか」という説をこのブログや別ブログで唱えていたが、神戸だいすきさんのこの情報が正しければ、私の説は正鵠を射ていたかもしれない。毎度言うが、「洗濯機の中の洗濯物がいつも同じ状態で回っているはずがない」わけで、太陽系の惑星間の位置関係も超長期的には必ず変わっていくはずだ。特に、最初に変わるのが、地球の場合は太陽に対する地軸の傾きの角度だろう。いわゆる極の移動と言われているのも、正確に言えば、地軸の傾きの角度の変化ではないか。
とは言っても、実は私は異常気象など、大したことではないと思っている。気象など、異常であるのが正常だ、と思っているくらいだ。まあ、四季の変化などにはさほどの異常は無いわけで、せいぜいがどこかでハリケーンが起こったとかいうレベルの話を「異常だ」とするのがおかしいのである。台風だろうが地震だろうが「起こるのが当たり前」なのであって、自然災害というのはすべて、それに対する備えを怠ってきた為政者や暢気に政治を人任せにしている住民たちによる「人災」だというのが私の考えだ。
今から予告しておくが、梅雨入りした時に長雨が続いたところでは川の氾濫が起こり、家屋が浸水し、山崩れが起こって何人も死ぬだろう。その備えをしていないのだから当たり前である。
最初の話に戻れば、学校で地軸の傾きの角度を教えなくなったのは、それが以前と変わっていることを知られたくないからだろう。それが知られたら、「地球温暖化詐欺」に支障が出るわけだ。「異常気象は地球温暖化のためであり、温暖化は二酸化炭素が増えたからだ」というシナリオに多くの人が疑問を持つ可能性が高いとDSは考えたのだろう。どこまでも用意周到である。もちろん、各国政府や学界の支配者たちには「地軸のことはあまり触れるな」と命令していると思われる。日本の場合は「指導要領」や教科書からいっせいに「地軸の傾き」の角度の項目が消えた時期があるのではないか。
まあ、以上は、「神戸だいすき」さんの情報が正しければ、という前提の話だ。
言っておくが、小学校や中学校や高校の科目で私が一番苦手だったのは(高校での数学を除けば)理科と社会科だったので、そういう「理科落第生」の妄説だ、と思われても結構だ。

(以下引用)

それと、小学校で金科玉条のごとくならった、地軸の傾き23,5度だっけ?
あれ、最近は、教えてないでしょ?

なぜ、教えないんですか?動いているからではないのですか?
また、北極点も移動していたり。

たいへんな事態を予感させる、地球と太陽の関係が、あるのではないでしょうか?


(夢人追記)こういう記事があったが、これは意図的に原因と結果を逆さまにしていると思う。気候変動の結果地軸の傾きに変化が生じたのではなく、地軸の傾きの変化によって気候変動が生じたと見るべきだろう。地球上の各地方の太陽に対する角度の変化が地球の四季変化の原因なのだから、当然、地軸自体の角度変化は大きな気候変動の「原因」であるはずだ。地球のように巨大な質量を持った物体に対して、その表面のわずかな水の移動が地軸を傾かせるほどの力を持つはずがないだろう。

気候変動の影響で地球の自転軸がずれた──最新研究

Earth's Axis Has Been Shifted by Climate Change, Study Says

2021年4月27日(火)20時45分
アンダース・アングルシー
地球のイメージ

地球の地軸は80年以降に約4メートル移動したと推定される LuisPortugal-iStock



<地球温暖化で氷河が溶けたことで、地球上の水の配分が大きく変化したせいだという>


地球温暖化は地球の自転軸(地軸)にもずれをもらしていることが、最新研究で明らかになった。


地軸が地球の表面と交差する点である地理極(北極点と南極点)は固定しておらず、地球上の質量の配分が変われば、地軸と地理極が移動することもある。科学者たちは、(温暖化による)氷河の融解が原因で大量の水が移動したことが一因で、地理極が急速に東方向にずれていると指摘する。


1980年以降、北極点と南極点の位置は約4メートル移動したと推定されている。米地球物理学連合が発行する科学雑誌「Geophysical Research Letters」が新たに掲載した査読済みの研究報告は、1990年代以降の移動については、氷河の融解がその主な原因だと指摘。それに比べて、地下水のくみ上げはさほど大きな影響はなかったとつけ加えた。報告によれば、海流などの自然因子もまた、地軸の移動に影響を及ぼした。


研究チームは、2002年から地理極の移動を追跡している重力観測衛星「GRACE(重力取得による気候実験)」のデータを独自の数学モデルで分析し、その結果を発表した。

「唯一の理由ではないが大きな影響を及ぼした」

チームを率いたのは中国科学院の地理科学・資源研究所に所属する邓珊珊。中国政府が研究資金を提供した。


研究者たちは、1990年代半ばに地理極が南向きから東向きに移動したことを発見。また1995年〜2020年にかけての地理極の移動スピードは、1981年〜1995年に比べて17倍速かったと指摘した。


「氷河が融解した結果、陸水(内陸部にある河川や湖、湿地や雪氷などの総称)の貯水量の減少が加速したことが、1990年代以降の地理極の急速な移動を後押ししている主な理由だ」と報告書は指摘し、こう続けた。「この新たな所見は、地理極の移動と気候変動が過去に密接に関係していたことを示している」


研究チームは、気候変動は地理極の方向が変わった唯一の理由ではないが、観測を行った期間については、気候変動が大きな影響を及ぼしたことは確かだと述べた。









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酔生夢人
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男性
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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