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風と雲と虹

別ブログに書いた記事だが、「風雅」に関する部分もあるので、こちらにも載せておく。ちなみに、空や雲についての考察は別にもあるが、それは別に書く予定だ。

(以下引用)

居住最適地としての沖縄



「東海アマ」記事で、「生活の知恵」的な部分があるので、このブログに転載する。地球温暖化についての主観的意見は無視していい。私は「温暖化」自体が嘘で、地球は寒冷化に向かっているという考えだ。もちろん、アマ氏が言うように、「(温暖化があるなら)その主原因は世界の原発排水である」という考えも蓋然性は高いが、世界的に言われている、温暖化の原因としての二酸化炭素犯人説は愚説も愚説であり、原因と結果が逆である。これもアマ氏が言うように、原発排水による海水温上昇の結果としての、海面からの二酸化炭素排出というのが正解だろう。
アマ氏は「温暖化対策」としての高地移住を勧めているが、下のような状況であり、気の毒ではあるが、正直お笑いである。
九州ですら冬期の凍結禍がある以上、これからの居住最適地は(地元びいきも含めて言うが)沖縄以外にない。まあ、ロクな(高給の)仕事が無いので、年金生活者や芸術家などにお勧めだ。素晴らしい自然の風景と、冬でも凍死しない気候は、数百万円の所得格差に相当する価値がある。夏は夏で、窓を開けて風を入れれば別にクーラーの必要もない。(沖縄は海風があるので完全に無風の日のほうが稀だ。そして沿岸性気候だから夏でもさほど高温にならない。夏に高温になるのはアスファルト効果の都市部と、周囲を山に囲まれ、炉の中に住むのと同じ、盆地である。)ただし、クーラーが無いとデスクワークや勉強には不向きである。
沖縄の田舎には居住放棄家屋が多いので、安価で購入し、リフォームすれば隠居後の住宅として最適である。田舎で晴耕雨読の生活を楽しめばいいし、体が悪ければ家の中でゲーム三昧、映画鑑賞三昧、読書三昧の老後を送ればいい。毎日、大空を眺めて、雲や太陽や月や星や虹が見られるのは、都会の住人には得られない贅沢である。
私は毎日のように散歩するが、昨日は夜明け直後に「二重の虹」を見た。これまでの人生では虹をじっくり眺めたこと自体、ほとんど無かったのである。で、実質的には虹は七色ではなく、青、黄色、赤の三色であることも確認した。その色帯の中間にある色は、ほとんど判別できないわけだ。世界的には虹は三色だという認識らしい。日本人の中で、自分の感覚は鋭敏だと自慢する詐欺師連中が「虹の七色」という嘘を広めたのだろう。

(以下引用)



 今朝は驚かされた。突然、凍結が始まったのだ。
 中津川市では、例年、12月に入ったなら車はスタッドレスタイヤに交換するのが普通だ。朝晩、氷点下の気温が普通になるからだ。
 我が家では、12月になると、シンクや風呂など水道管末端ではポタポタ出し作戦、離れのトイレは、夜間石油ランプをつけて保温するのだが、11月14日の未明にトイレに入ったら水がスムーズに流れない。凍結していたのだ。

 慌てて温度を調べるとマイナス2度だった。恵那市街でさえマイナス1度になっている。昨夜の予報ではプラス2度だったので、まだまだ保温対策は必要ないと油断していた。
 普通はマイナス4度くらいから凍結がはじまるのだが、風が吹いているときは、零度でも凍結が起きることがある。
 中津川市のような山間部では、おおむねマイナス7度くらいまで下がるが、年に数日、マイナス10度以下に冷える。こんなときは、水道管が破裂しないことを祈りながら寝るしかない。

 水道管が破裂するときは、まるで小さな爆弾が破裂したかのようで、未明に「ボン!」という爆発音が聞こえる。布団のなかで「やっちまった」と思うが出て行く気にはなれない。
 翌朝見ると、塩ビ水道管の鋭い破片が周辺に散らばっていたり、良くて、バルブや管に亀裂が入り、接着剤接合部がすっぽ抜けていたりするが、まだ他の部分が凍結しているので水は出ない。
 昼頃までに凍結が溶けて、破損箇所から水が噴き出すようになる。その前に修理しなければならない。

 鉄管なら破裂しないかというと、同じように破裂する。だから、修理のしやすさも考えて、高価な鉄管水道管は使わず、一番安価な塩ビ管を使っている。
 修理は依頼すると目玉が飛び出るので、自分でやらねばならない。バルブやジョイントなどの部品はいくつも用意してある。

 幸い塩ビ管の切り貼りは、のこぎりと接着剤でできるので、それほど難しくないが、水抜きしたとき、管内に滞留水が残らないように設計するのは結構難しい。それに、容易に修理できるように触れない死角を作らないように組み立てる必要がある。
 滞留水が凍結して、破裂の原因になるため、水抜栓で完全に抜けるように、傾斜を工夫しなければならない。

 無茶苦茶寒いとき(マイナス10度以下)は、完全水抜き(井戸ポンプの電源は入れたまま)をして、トイレもバケツに貯めた水を使うが、普通の寒さなら、チョロだしと保温でなんとかなる。
 しかし、ポタポタでは、そのままの姿で凍結して氷柱ができて凍結するので、流水を増やして、ちょろちょろに変えなければならない。
 我が家は井戸水なので13度と暖かいから、ほとんどポタポタですむが、自治体水道は流路で3度くらいまで冷えているので、多めにチョロ出しする必要がある。

 市販の水道管保温材料(ウレタン)が役立つのはマイナス4度までで、それ以下では役に立たない、保温材を巻いたまま凍結するのだ。むしろ、冷風対策として考えた方がいい。
 テープヒーターは有効だが、電気代が相当にかかるので、田舎では使わない人が多い。チョロだしの方が安く上がるのだ。
 離れのトイレの場合は、床に置いた7分芯の石油ランタンが有効である。一晩で1リットルは使わないし、トイレがほのかに暖まって都合が良い。
 https://item.rakuten.co.jp/vastland/vl0248-1/?iasid=07rpp_10095___e0-loxmgqkc-8g-f8aed708-7ea0-40d9-8071-fe1d38edb5e1

 これらは、日本列島内陸や東北北海道では、常識的な風景だが、都会の人は、厳冬期の凍結に対する認識が甘い人が多い。
 田舎暮らしの冬は、凍結との戦争が毎日続くのだ。名古屋あたりから中津川に移住してきた人は、最初の冬で、凍結知識のなさから大きなダメージを受けるのである。

 今朝、畑に出てみたら、霜が降りて、馬鈴薯の葉が黒く変色しはじめていた。夕方までに、馬鈴薯は相当に傷むだろう。
 こんなときはU字支柱を立てて寒冷紗を貼るしかないが、肺線維症末期の私には苦しい作業だ。もう少し大丈夫と甘いことを考えていた私も、ダメージを受けた。

 こんなことを書こうと思ったのは、気象庁が長期予報で暖冬を公表しているにもかかわらず、現在、2030年から17世紀のマウンダー極小期が再来し、小氷期になると予測する気象学者が増えているからで、すでに寒冷化が徐々に始まっているという。

 2030年から始まる小氷期問題 2022年09月01日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5962568.html

 気象庁の長期予報は当たらないのが普通になっている。今年も、暖冬予報でありながら、厳冬が来る可能性が高くなっている。
 というより、驚異的な暖冬と厳冬が交互にやってくるのだ。温暖化だから寒冷化と相殺できるなどと都合のよいものではない。両方ともやってくる。
 11月に九州で30度を記録したかと思えば、北海道では、中標津ですでにマイナス10度を記録している。この分では2016年のような極寒が必ずやってくる。
 夏場の気温が40度で、冬場の気温がマイナス10度以下という世界になるのである。

 今年、2016年に起きたような、大寒波が襲来する可能性が小さくない。今朝の予想外の凍結を見て、今冬の意表を突くような大寒波を私は予感した。

 2016年、何が起きたのか?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9028%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%9B%AA

 https://www.youtube.com/watch?v=PsgsT6jd_BY&ab_channel=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E3%83%BB%E4%BD%90%E8%B3%80KBCNEWS

 温暖な九州地方が、私の住む中津川のような寒冷化に見舞われた。
 例年、厳冬期の凍結など経験したことのない地域で、マイナス7度という寒さがやってきたので、ほとんどの家で水道管が凍結を起こし、修理の経験もない人々は、なすすべがなかった。
 あまりにも凍結破裂が多すぎて、地域の水道屋では手が回らなかった。また、ほとんど恒久的な鉄管仕様なので、修理したくとも道具もなかった。
 漏水していても、元栓の止め方も知らない人が多かった。

 これが、鉄管でなく修理の容易な塩ビ管だったなら、もっと手早く復旧できただろう。
 また、寒冷地では必ず作ってある、元栓を止めて水を抜く、専用の水抜き栓もない家が多かった。
 マイナス10度以下だと、もう普通の保温は通用しない。必ず元栓を止めて、家中の蛇口を解放し、水抜栓から残存水を完全に抜いておかねばならない。
 だから、今冬、元栓の位置確認と水抜き栓の新設(複数)を準備する必要がある。

 トイレの水は、風呂桶に貯めておきバケツで利用する。調理の水はポリタンクに貯めておく。寒波が去ってから元栓を開けるしかないのだ。
 北海道では、この方法が普通である。廊下に水の入ったバケツがあるのは、そのためだ。だいたい寒冷地方では、水の使用量の少ない寒冷用簡易水洗トイレが普及している。

 もしも、大都会で、これから夏は40度、冬はマイナス10度という激変気温が普通になるとすれば、何はなくとも冬場の水道管を守らなければならない。
 ウレタン保温材を巻けばなんとかなるのは、マイナス4度までだ。マイナス10度まではチョロチョロ出しと、トイレや風呂の石油ランタンやミニヒーターによる保温が必須で、可能なら元栓を閉めて水抜きする。

 2030年から地球は小氷期に入ることが確実視されていて、これから毎年、冬は寒くなる一方であると思うべきだ。もちろん、まだらのように暑い日も現れる。
 気象は、極端から極端に激しく移行を繰り返す。
 これは地球気象を極端な変動から守ってきた、熱帯雨林、自然林を皆伐して砂漠に変えた人類の罪でありカルマである。気象の緩衝作用を担ってき大森林を、新自由主義の市場原理思想により金で売り飛ばして破壊してしまえば、我々は、こういう運命を享受しなければならないのである。
 だから、大都市圏の居住者でも、これから2016年九州のような恐ろしい凍結に見舞われる可能性が増えてきている。

新自由主義思想があるかぎり、我々人類に待っているのは地獄だけだ。
 それが、どれほど恐ろしいことか、これから気象激変による被害で、我々は思い知らされることになる。

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「瞑想」と「論理的現実的思考」の乖離

私が「シャンティ・フーラ」(この言葉が何を意味するのか知らないが)ブログを嫌いなのも、下に書かれたような異様なスピリチュアル臭のためである。竹下雅敏とか言う人物の政治眼はなかなか優れたものだが、こうした異様な言説(赤字にした)が実に残念だ。(マドモワゼル愛氏や神戸だいすき女史にも同じ匂い、合理的思考の点での根本的欠陥がある。)
「瞑想」と言えば言葉がきれいだが、それは多くは「妄想」への没入であり、瞑想による「神秘体験」とは、その妄想が暴走することで幻覚性を帯びるのが事実だろう。
引用した記事では竹下氏は「スピリチュアル」を批判しているが、彼自身が書いていること自体がその胡散臭いスピリチュアル言説そのものである。

(以下「混沌堂主人雑記(旧題)」から引用)
 キリスト教シオニズムには、原典の聖書には存在しない「終わりの時、携挙、大患難時代、イスラエル国家」という概念があるとのことです。
 携挙(けいきょ)とは、“死んだ人は栄光の体に復活し、生きている人は栄光の体に変えられ、生きたままで天に引き上げられ、空中でキリストに会う”という説のことです。
 スピリチュアルの「アセンション」の概念を非常に具体的にしたものが「携挙」だと言えるかもしれません。なお、瞑想の過程でこうした「携挙」の概念に近い体験をする事があります。それはサマーディ(三昧)と呼ばれます。
 私は、キリストの親分であるサナット・クマーラの霊体と会ったことがあり、マハー・アヴァター・ババジの肉体(広義)にも会ったことがあります。もっともババジの場合は、わざわざ私の家まで来てくれたわけですが…。残念なことに、彼らは『天界の改革』の過程で滅びてしまいました。
 ですから私は、キリスト教の「携挙」の概念は良く分かります。問題なのは先の私の体験は、サマーディですらないことです。『アーユルヴェーダの解説シリーズの 24 回目』において ヨーガ・スートラの二つの三昧体系を解説しました。先の体験は、瞑想の初歩である有尋三昧、有尋定ですらないのです。なぜなら、これらの体験は、それぞれ「3.0次元6層の第4亜層」と「3.0次元7層の第4亜層」の出来事だからです。これはサマーディではなく、「夢のヨーガ」に分類されるものなのです。
 私は、若い時に最終段階の「無種子三昧」も実現していますので、瞑想体験は全て終わっています。私からのアドバイスがあるとすれば、先の「携挙」のような子供騙しは無視することです。
 ヨーガ・スートラや小乗仏教の瞑想の階梯は、非常に優れておりレベルも高いのですが、これが大乗仏教、チベット密教になると格段にレベルが下がり、キリスト教や仏教の顕教レベルになると、先の「携挙」のようにどうにもならないところまで落ちて来ます。スピリチュアルは更に酷いです。
 「聖書スレッド」をご覧になると、“信仰”と呼ばれる幻想によって、言葉だけで人々が簡単に洗脳され、騙されることが分かるでしょう。宗教は人々を洗脳し、思い通りに操るための道具として権力者に利用されているのです。
(竹下雅敏)

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大谷翔平、満票でMVP獲得

二刀流だからどうこうではなく、日本人が大リーグでホームラン王になっただけでも凄い。とは言っても、王貞治も全盛時に大リーグに行っていたら、何度かホームラン王になっていたのではないか。当時は、大リーグと日本野球はレベルが段違いだとされていたが、それは平均レベルでの話だろう。飛びぬけた選手を比べれば、大リーグと日本の違いはさほど無かったと思う。たとえば戦前の沢村投手も、大リーグ選抜相手にあわや完封という試合をやっている。(カーブを投げる時に口がゆがむという癖を見つけた選手のアドバイスで、ゲーリッグがホームランを打って完封を免れたのではなかったか。つまり、それほどの勝負への執念と「大リーグ」という誇りが、日米の野球の差になっていただけだろう。)

(以下引用)

【大谷翔平】歴史的な偉業…2023年ア・リーグMVPと“8冠”の栄光


       
       


大谷徹とバドミントン選手の母・加代子との間に二男として出生。兄はトヨタ自動車東日本硬式野球部所属の大谷龍太。さらに姉が一人いる。 地元・奥州平泉にゆかりある源義経の八艘飛び(はっそうとび)のイメージから「」と平泉の「」を合わせて父・徹が「翔平」と命名。…
328キロバイト (45,779 語) - 2023年11月17日 (金) 10:35

(出典 news-pctr.c.yimg.jp)

1 夜のけいちゃん ★ :2023/11/17(金) 12:35:20.60 ID:1Qx3PSCp9.net
11/17(金) 12:28配信
日テレNEWS NNN

日本時間17日に今季のメジャーリーグ最優秀選手(MVP)が発表され、エンゼルスからFAとなった大谷翔平選手が日本人選手初となる2度目のア・リーグMVPに輝きました。

今季はシーズン終盤にけがで離脱したものの、バッターとして44本塁打を放ち日本人選手初のホームラン王を獲得。ピッチャーとしても10勝を記録し、メジャー史上初となる2年連続での「2桁勝利&2桁本塁打」と異次元の活躍を見せました。

2度目のMVP受賞を受けて、「MLBネットワーク」の中継にリモート出演した大谷選手は「投打のバランスはすごくよかったのではと思う。ただ、最後まで出続けられた訳ではないのでそこだけが心残りかなと思います」と今シーズンを振り返りました。

全米野球記者協会に所属の記者30人の投票で決まるMVP。大谷選手は2021年の前回の受賞に続く満票となり、2度目の満票受賞はメジャー史上初めての快挙です。

ソース https://news.yahoo.co.jp/articles/781bc48a3cbcaccb0557464b90b811592eee1d0e

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地球温暖化の嘘

まあ、季節や時刻による潮位の変化があるだろうから、同じ季節の同じ日時の写真でないと意味が無いだろうが、地球温暖化で海面が上昇するというのが嘘であることは他のデータでも分かるのではないか。
ずっと昔にプーチンが言った、「地球が温暖化して何が問題なの?」ということだ。ロシアのような寒い国ではむしろ温暖化は恩恵だろう。日本でも東北や北海道は温暖化したほうが住みやすくなるに決まっている。特に雪国での冬は、毎日の雪下ろしさえ大変な問題だろう。老人に雪下ろしをさせること自体、かなりな危険のはずである。



(以下引用)



【画像】アメリカ人科学者「地球温暖化は嘘。証拠見せるわ」パシャ!→



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1: 風吹けば名無し 2023/05/16(火) 12:54:24.84 ID:W6Qz+iak0
no title
2: 風吹けば名無し 2023/05/16(火) 12:55:30.95 ID:W6Qz+iak0
写真も映像もめちゃくちゃ残ってるから
現地で確認して真実に気づくアメリカ人が続出してるらしい
3: 風吹けば名無し 2023/05/16(火) 12:55:33.15 ID:NiAOf9enx
は?
4: 風吹けば名無し 2023/05/16(火) 12:56:06.78 ID:W6Qz+iak0
>>3
100年経っても全く海面が上昇してないってことや

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人間の社会的行動原理

昔書いた文章がフラッシュメモリーの中から出て来たので、このブログに載せておく。まあ、この文章自体、既に載せたかもしれないし、似たようなことは昔から何度も書いていると思う。

(以下自己引用)



人間の社会的行動の原理はとても簡単である。それは、① 自己保存の欲求 ② 自己拡大の欲求の2点からほとんどの行動は出ているということだ。①の自己保存の欲求は飲食の欲求と、苦痛や危害への恐怖の二つの感情を主とする。つまり、自分自身の生存を守るための行動が社会的行動の第一パターンだ。しかし、自己の生存を守るだけでは人間は精神的に満足できない。そこで、快楽や快感を求める行動が社会的行動の第二パターンとなる。ここには言うまでもなく、性欲や恋愛、あるいはさまざまな文化的活動が入る。


資本主義社会においては、消費者の「自己保存の欲求」と「自己拡大の欲求」をそれぞれターゲットにして企業や個人の商行為が行われる。


中でも生命維持のための支出は、消費者にとって喫緊の支出であるから、医療産業や健康産業は大きなマーケットとなる。


だが、ここでは「自己拡大の欲求」と、それに伴う社会のメカニズムを考えよう。


 


人間が社会的に生きていくためには、様々な装飾が必要となる。たとえば衣服を着ることなどがそれである。衣服を着ることは必ずしも生命維持に必要なものではない。温暖な地にあれば、年中裸で生活してもいいはずだ。だが、現代社会の中で生きるには衣服を着なければならない。さらに、その衣服にも様々なランクが付けられ、高価な衣服を着ることがその人の社会的ステータスを表すことになっている。(これを無視できるくらいの社会的ステータスというものも、またあるのだが。)冠婚葬祭なども社会的装飾である。人が死んだ時に、必ず葬式をしなければならないということはない。しかし、周囲の圧力によって、遺族は高い金を出して葬式を行うことになる。結婚式も同様である。これらにはもちろん、意義や役割もあるが、その一番の意義は、冠婚葬祭産業にとっての儲けの機会だということだ。


また、現代社会というものは、スポーツを人々に勧めることに熱心である。それもやはり、スポーツが人々の金銭消費行動に結びついているからである。一方、文化的行為は個別的・主観的なものであり、必ずしも消費行動とは結びつかない。たとえば、空を見上げるだけでその美しさに感動できる人間が、空を書いた絵を高い金を出して買うだろうか。もしも買うとしたら、それは「絵を鑑賞することの素晴らしさ」を社会全体が教育したからである。そして、そういう教育をいくらほどこしても、高価な絵よりも自然の美の方が素晴らしいと思う人間は、やはり出てくるのである。つまり、文化は個人の内面に関わるものであり、金銭消費と必ずしも結びつかない。


スポーツを愛好する人間をバックアップするのに金を出しても、それは回収できる。だが、文化的行為に金を出しても、それが回収できる確率は低い。だから、この社会は文化活動に対して冷淡なのである。なにしろ、障害者までがスポーツをやり、それを社会全体が美談として応援するのがこの社会である。たしかに、スポーツというものは、結果が目に見えて、分かりやすい。逆に、文化活動の価値を判断するのは難しい。スポーツの世界で好結果を出した人間を称賛することには、誰も反対はできないのである。0.1秒差で決まろうが、1位は1位、2位は2位というのがスポーツの世界の厳しさである。一方、文化活動に関しては、ルノアールとセザンヌの優劣の判断など、人それぞれに違うものだ。ある人にとっての芸術も、他の人にとっては子供のいたずらだ。村上隆の「芸術」を芸術とすることは芸術への冒瀆だと思う人は沢山いる。しかし、村上隆の場合には、資本主義社会の中ではっきりと商品価値がある、と見做されてはいるのである。


この社会では、文化活動であれ何であれ、最終的には「値段がつくかどうか」で物事の価値は決まるのである。村上隆の作品には金を出しても買うという人間が現れ、値段が吊り上って行った。彼は、資本主義社会での芸術の勝者なのである。それがどういういきさつでそうなったかはともかくとして。もちろん、こう書いていることからも分かるように、私は、村上隆というものは、「電通・博報堂」的操作によって作られた虚像だと思っている。彼の作品に価値がないとは言わないが、その値段はあきらかに法外である。


茶器の値段などに見られるように、物の値段というものは売る側が勝手に決めるものである。朝鮮の農家の床に転がっているような平凡な茶碗に利休がお墨付きを与えたら、それが何万両という値段になる。無駄金を持った人間が、それに騙されて買うと、その後は、その茶碗の値段はその高価な値段で固定され、国宝にまでなるわけだ。


つまるところ、この世は大昔から資本主義社会だったのであり、貨幣というものがこの世に出現して以来、そうだったのだ。そして、物の価値という得体の知れないものによってこの世のあらゆる悲喜劇が生じるのである。


 


物事の価値についての考え方や哲学を価値観と言う。仏教の根本思想は、実は価値観そのものを捨てることである。あるいは世の中のすべての物事に対して、価値観による判断をしないということに価値を置く思想と言ってもいい。「空中無色、無受想行色、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、無意識界、無苦集滅道、無智亦無得」と、すべての差別相を捨てて物事を見るのが仏道だ。そこには自分という意識も無いから、恐怖も無いし、また悟るということすらない。物事に対して主観的な価値観を張り付けて見ることはしないから、ただ「花は紅、柳は緑」と、見るだけだ。いや、そのように言語化することすらしないだろう。


こうした人間は、おそらく資本主義の対極にいる存在である。


もちろん、人間である以上は、彼らとても生存の欲求を完全に捨てることは困難である。だが、前に書いた、第二の欲求、つまり、自己拡大の欲求からは完全に逃れているのである。これを動物的生と批判してもいいし、非文化的だと批判してもいい。だが、少なくとも、「求不所得苦=(求・不所得)苦」という現代の最大の精神病は彼には無いし、また文化とは金によってのみ作られるものではないのである。美とは、我々の心の中で生じる感覚であり、その対象によってのみ決まるものではない。金を掛けて作った壮大なゴミの山のような「芸術作品」もあるし、道端の草の葉の上の露のきらめきや空を行く雲のような金のかからない美もある。


おそらく、我々が生活するのに必要な金は、そう多くはないのだろう。社会の圧力によって、我々は金を使わざるを得ない生活を送っている。そして、その生活を疑うこともないのだが、その、馬車馬のように働いて金を稼ぎ、不必要な消費をして稼いだ金を使う生活が、我々を一種の精神病にしているという可能性もあるのである。

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リバティ号事件

「櫻井ジャーナル」記事で、末尾は蛇足に思えるので省略した。
非常に面白い話で、初耳である。まあ、「偽旗作戦」(もっといい言い方はないのか)はイスラエルとアメリカの得意技だということだ。「リバティ」に「号」をつけたのはこの日本的呼称のほうが「リバティ」が船であることを即座に分からせるからである。
リバティ・バランスを撃った男」は実はジェームス・スチュアートではなくジョン・ウェインだったという話だ。

(以下引用)
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 イスラエルはイギリスの支配層が作り出し、アメリカの支配層が引き継いだ「不沈空母」である。中東の石油を支配し、アングロ・サクソンの世界制覇プランを支える重要な柱のひとつであるスエズ運河を守ることがイスラエルに課せられた重要な役割だった。イスラエルと同じようにイギリスが作り上げたサウジアラビアでも似たことが言える。イスラエルがアメリカやイギリスを支配しているわけではない。



 ベトナム戦争が泥沼化していることをアメリカ国民が知る直前、第3次中東戦争の最中に引き起こされた。戦争が勃発してから4日後、1967年6月8日、アメリカは情報収集船の「リバティ」を地中海の東部、イスラエルの沖へ派遣した。この出来事はアメリカとイスラエルとの関係を知る上で重要だ。



 イスラエル沖に現れたリバティに対し、イスラエル軍は8日午前6時(現地時間)に偵察機を接近させ、10時には2機のジェット戦闘機がリバティ近くへ飛来、さらに10時半、11時26分、12時20分にも低空で情報収集船に近づいている。当然、船がアメリカの情報収集戦だということをイスラエル軍は確認できたはずだ。



 ところが、午後2時5分に3機のミラージュ戦闘機がリバティに対してロケット弾やナパーム弾を発射した。ナパーム弾を使ったということは乗員を皆殺しにするつまりだということを意味している。



 イスラエル軍機はリバティが救援を呼べないように船の通信設備をまず破壊するのだが、2時10分に船の通信兵は寄せ集めの装置とアンテナでアメリカ海軍の第6艦隊に遭難信号を発信、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害してきた。



 その数分後に3隻の魚雷艇が急接近して20ミリと40ミリ砲で攻撃、さらに魚雷が命中して船は傾く。その船へ銃撃を加えている。その結果、乗組員9名が死亡、25名が行方不明、171名が負傷した。



 そこへ2機の大型ヘリコプター、SA321シュペル・フルロンが近づき、リバティの上空を旋回し始める。リバティの乗組員はイスラエルが止めを刺しに来たと思ったという。3時36分には魚雷艇とマークの入っていないジェット戦闘機が現れたが、すぐに姿を消してしまった。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)



 遭難信号を受信したとき、第6艦隊の空母サラトガは訓練の最中で、甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあった。艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させている。イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティまで約30分。つまり2時50分には現場に戦闘機は着ける。



 艦長は艦隊の司令官に連絡、司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じるのだが、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。



 リバティが攻撃されたことはリンドン・ジョンソン大統領へすぐに報告されたが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。後にマクナマラはソ連軍がリバティを攻撃したと思ったと弁明しているが、当初の筋書きではそうなっていたのかもしれない。ソ連軍がアメリカの情報収集線を撃沈したというシナリオだ。(前掲書)



 ホワイトハウス内でどのようなことが話し合われたかは不明だが、3時5分にリバティへ戦闘機と艦船を派遣するという至急電が打たれている。この時、リバティは攻撃で大きなダメージを受け、メッセージを受信できない状況だったが、イスラエル軍は傍受した。



 3時16分になると、第6艦隊の第60任務部隊は空母サラトガと空母アメリカに対して8機をリバティ救援のために派遣し、攻撃者を破壊するか追い払うように命令した。イスラエルの魚雷艇がリバティ号の近くに現れた3分後の39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃を実行している。そして4時14分、イスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。



 リバティが攻撃されている際、イスラエル軍の交信内容をアメリカの情報機関は傍受、記録していた。その中でイスラエル軍のパイロットは目標がアメリカ軍の艦船だと報告、それに対して地上の司令部は命令通りに攻撃するように命令している。イスラエル軍はアメリカの艦船だと知った上で攻撃していることをアメリカの情報機関は知っていた。



 その交信を記録したテープをアメリカの電子情報機関NSAは大量に廃棄したという。複数の大統領へのブリーフィングを担当した経験を持つCIAの元分析官、レイ・マクガバンもこうした隠蔽工作があったと確認している。(前掲書)



 ジョンソン政権は攻撃の真相を隠す工作をすぐに開始、その責任者に選ばれたのがアメリカ海軍太平洋艦隊の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまり故ジョン・マケイン3世上院議員の父親だ。



 当時、アメリカ政府の内部で秘密工作を統括する中枢は「303委員会」と呼ばれていた。1967年4月、そこで「フロントレット615」という計画が説明されたという。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣された。



 この計画には「サイアナイド作戦」が含まれていた。リバティを沈没させ、その責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めようとしたという推測がある。いわゆる偽旗作戦だ。



 リバティと一緒に航行していた潜水艦アンバージャックはアメリカ軍とイスラエル軍の交信全てを傍受、また潜望鏡を使って様子を見ていたとする証言もある。リバティの乗組員も潜望鏡を見たとしている。こうしたデータも破棄されたようだ。



 その後、アメリカ政府は関係者に箝口令を敷き、重要な情報を公開していない。イスラエルでは機密文書が公開されるのは50年後と決められているため、イスラエルが開戦に踏み切った目的、戦争の実態、リバティを攻撃した本当の理由などを知ることのできる資料が2017年には明らかにされるはずだったが、10年7月にベンヤミン・ネタニヤフ首相は情報公開の時期を20年間遅らせることを決めている。


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抗癌剤治療という殺人行為

抗癌剤は百害あって一利なし(抗癌剤で治った事例はひとつも無いはずだ。そして、癌部位だけを消滅させ、他の部位に影響を与えないことは不可能なはずである。)であることは、すべての医者や病院が知るべきことだが、この「生チョコぽん酢」氏の記事のように、病院や医師側が積極的に抗癌剤を勧め、ロクな説明も無しに抗癌剤治療を始めるのは、明らかに殺人行為だと言っていい。しかも、抗癌剤は高価なはずだ。つまり、まったくのカネ儲け目的である。
もう一点、輸血も(特に新コロワクチン以降は)危険行為であり、「抗癌剤治療のために輸血する」というのは二重に危険行為である。

(以下「大摩邇」から記事の一部を転載)
事前に知っていた情報も含めて書かせてもらいますが、この患者さんはつい先月までは健常者だったそうなのです。

少し痩せたのは分かっていたものの、ただの夏バテだろうと思っていたらしいのですが、黄疸が出て来て病院に行きました。

そしたら膵臓癌であることが分かったそうなのです。

そこからあれよあれよという間に抗がん剤治療が始まりました。

奥さんの発言内容から見ると、家族には選択肢が無かったような印象です。

でも抗がん剤治療初日から体調が急変します。

そこから数日間飲まず食わずが続き、更に痩せ細り、それでトイレで倒れて今回の搬送に繋がるわけですが、抗がん剤がスタートする当日までは、普通に自分の足で歩けていたのです。

でも抗がん剤の治療初日からほぼ寝たきり状態になるというね。

一体何のための治療なのかと。

治る見込みがある癌なら当然治療の選択も必要ですが、膵臓癌って助かる見込みが少ない病気じゃないですか。

どの程度まで進行していたのかは分かりませんが、奥さんはそれすら知らなかったのです。

奥さんが説明を聞き流していたのか、それとも医師から大した説明も無く抗がん剤治療がスタートしたのか。

何にしても1日目から寝たきりになる抗がん剤って一体どんなものを使われたのだろうかと、なんだかモヤモヤします。

奥さんと話していても、やはり今回の経緯に疑問を感じている様子でした。

私「ご本人の様子も辛そうですし、ご主人が元気なうちに先生をふくめて今後の治療方針についてよく話し合った方がいいんじゃないですか

的なことを言って帰ってきたわけですが、私がモヤモヤするのには別の理由もあるのですよ。
 
 
2)ターボ癌になった未接種者

これもつい先日なのですが、私の知り合いの身内(未接種者)が、丁度同じ病院に入院していたのですね。

その身内(分かりづらいからAさんとします)Aさんも今回の方と同じように、多少の体調の異変を感じつつも日常生活を送っていました。

そして自身の体調がすぐれないことを家族に相談した結果、家族と一緒に公立病院に行くことになります。

結局癌が見つかり、その後切る手術をしたのですが、もうこれ以上の治療はできないと言われ、上記の病院に転院搬送されたそうです。

でもそこから悪夢が始まります。

あれよあれよという間に抗がん剤治療がはじまり、AさんのADLは一機に下がりました。

そしたらなんと、今まで癌が無かった場所に、突如として末期癌が出現したそうなのですね。

いわゆるターボ癌で、医師も「こんなの見たことがない」と言っていたそうです。

私「ターボ癌って未接種者でもなるのですね。勉強になります。

家族「そうですね。でも抗がん剤治療の過程で輸血をしたんですよ・・・
 

輸血・・・


でも先生は抗がん剤の営業を怠りません。

執拗なまでに「凄い治験薬があるから試さないか」というニュアンスの事を言われたそうです。

家族の方からしたら助かる見込みがあるのならしてあげたいけど、助からないのならする必要もないし、医師に対しての不信感も重なり、

しばらく考えてたいから話を持ち帰ったそうなのですが、結果的にその後Aさんはお亡くなりになってしまったそうです。

だから家族の方は不安と後悔と疑念が入り混じりながら医師にこう聞いたそうです。

家族「もしあそこで新しい抗がん剤を試していたら、余命は伸びたのでしょうか

医師「いいや、変わらなかったでしょうね


抗がん剤って、一体なんなのだろう。
 
劇薬や治験薬って、一体なんなのだろう。
 

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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