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殺した人数と刑罰の相関関係www

人相学的に顔写真が興味深いので転載。
世間で言う「チー牛」顔だが、この顔で殺人を犯すというのは珍しい気がする。まあ、オタク顔とされている顔で、オタクは興味を持った分野への異常な没入と他の分野(社会常識など)への異常な無関心という視野の狭さが特性だろうから、一度、「人を殺すとどうなるか」という疑問を持ち、「それで一生刑務所に入り、一生働かずに済む」という結論を得たのなら、これはある種の「人生設計」であり、学校の優等生が東大や医学部を目指すのと同じではあるwww
わざわざ言う必要もないだろうが、馬鹿な人間のために言っておけば、私は「殺した人数と量刑の関係」という裁判所仕草を軽蔑しているのである。殺した相手によっては山上被告のように、殺人が英雄的行為になり、相手が赤ん坊や幼児なら、殺した相手がひとりでも殺人は鬼畜の行為である。何人殺すまでは死刑にならない、というこの被告の馬鹿な考えを産んだのが裁判の死刑量刑の慣習の愚劣さなのである。

(以下引用)

死刑制度が有効だと証明されたこの事件・・・・

 
1: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:48:52.51 ID:zybj/BBx0.net
小島被告「3人殺すと死刑なので、2人までと」 新幹線殺傷公判

昨年6月、東海道新幹線で乗客の男女3人が殺傷された事件で、殺人や殺人未遂の罪に問われた無職、小島一朗被告(23)の裁判員裁判の第3回公判が4日、横浜地裁小田原支部(佐脇有紀裁判長)で開かれた。被告人質問で小島被告は「無期懲役で(刑務所に)永遠に入っていたかった。無差別殺人が一番簡単だと思ったから選んだ」などと犯行の動機を語った。

 小島被告は、長野県内でホームレス生活をしていた昨年3月中旬から同下旬の間に、新幹線内で無差別殺人事件を起こすことを計画。「3人殺すと死刑になるので、2人までにしようと思った。1人しか殺せなかったら、あと何人かに重傷を負わせれば無期懲役になると思った」と話した。

(以下省略)

※全文、詳細はソース元で
https://www.sankei.com/article/20191204-PETZWQ3QCNIZBKTTQ7HATLKTTY/

no title

48: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 11:03:06.34 ID:7P9rMXtLa.net
>>1
なんj民みたいな顔してて草
2: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:49:24 ID:zybj/BBx0.net
被害者の数を抑えることに成功した模様
5: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:51:14 ID:1rrLksJ1p.net
顔が幼すぎやろ
こどおじか?
6: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:51:41.51 ID:/1nb/+Da0.net
死刑囚の再犯率0やぞ
7: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:52:03.79 ID:776wUh08a.net
二人でも死刑にできるんだよなあ
11: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:52:41.95 ID:1rrLksJ1p.net
>>7
そんなこともわからないアホにすら有効やったということやぞ
8: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:52:13.12 ID:ZnddJLeQa.net
2人でもアウトな時あるじゃん
9: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:52:29.50 ID:t2XWgFXLd.net
笑い抜きで本当に命救ってるじゃん
10: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:52:33.14 ID:RtSkMb7o0.net
3人に攻撃しとるやん
12: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:52:42 ID:kfxAPO3ja.net
こいつ言うてること全部嘘やん 夢は刑務所に入るとか
13: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 10:52:47 ID:hsZyAfGV0.net
3種チーズ牛丼面がムカつくから死刑で
56: 風吹けば名無し 2019/12/04(水) 11:05:09.60 ID:SpT05hJVd.net
こんなチーズ牛丼食ってそうな奴に殺されるなんて可哀

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イスラエルの鬼畜所業と世界の本質

某スレッドのコメントを転載。同感であるwww


(以下引用)
59名無しのアニゲーさん :2023/11/19(日) 17:33:51 ID:- ▼このコメントに返信
あれだけ普段綺麗事言ってる世間様がイスラエルには何も言わずに、パレスチナ国ごとローラー作戦で浄化されまくってるのをゴニョゴニョ言いながら静観してるのマジで世界の本質を目の当たりにしてる感あって楽しい

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「ドラマ」の無い人生

フラッシュメモリーから発掘した過去の文章なので、どこかのブログに既に載せたかもしれない。私は同じような思想を何度も書いているしwww
誰かのお母さんが言っていたという「平凡が一番」というのは、最高の叡知の言葉だろう。

(以下引用)


ドラマの無い人生


 


『耳嚢』という江戸時代の随筆集で読んだ格言が、人生の秘訣をなかなか簡潔に言っているので紹介する。元の言葉通りではないが、


 


「気は長く、仕事は強く、色は薄く、食は細く、心は広く」


 


というものである。単純だが、まさに人生の指針として過不足の無いものだろう。特に、「食は細く」というのは過食から不健康になりがちな現代人への良い戒めだし、「気は長く、心は広く」というのもストレスフルな現代人が心がけるべきことだろう。もちろん、仕事を一生懸命にやるのも大事だし、過度の情事を慎むのも大事だ。全体を一言で言えば「節制」である。あるいは「生活を自己コントロールせよ」ということだ。


 


こういう戒めを守っていると、ドラマチックな人生にはならないだろうが、ドラマとは実は「不幸の塊」なのである。あなたは父親を殺し、母親を犯したいと思うか? ところがそれが古典古代世界最大のドラマとして古来有名な『オィディプス王』のプロットなのである。あるいはハムレットのように恋人を発狂させ、義理の父を殺し、恋人の父親を殺し、友人すべてを破滅させるというプロットもある。あなたはそういう人生にあこがれるか?


世の中にドラマがあふれた結果、自分の平凡な人生に満足できなくなった人間がいるとしたら、ドラマも罪つくりである。(『ドン・キホーテ』とは実はそういう小説である。)


実際、世間の人間はドラマに毒されており、私は、たとえば世間の恋愛の90%はドラマの真似をしているだけだと思っている。封建時代には恋愛など無くても人々は結婚し、幸せに暮らしていたのである。そうした時代には恋愛とは不倫でしかなかったと言ってよい。近松の心中物とは「封建時代における真の恋愛は不倫のみである」ことの証明のようなものだ。


しかし、私が案ずるまでもなく、ドラマチックな人生を送るには多分、才能が要るのである。才能もない人間が現実人生にドラマを求めると、周囲をめちゃくちゃにするのがオチだろう。もっとも、そのめちゃくちゃがドラマではあるのだが、ただし、周囲の人間にとってはいい迷惑だし、面白いものでも美しいものでもないはずだ。


 


というわけで、平凡な人生をなぜ人々が嫌うのか、私には理解できない。自分の力で生きているだけで立派だし、周囲に迷惑をかけずに生きていたらもっと立派だ。それだけでも、ドラマチックな人生を送った犯罪者の1万倍も称賛する価値がある。


もっとも、実人生と混同しなければドラマは有益なものだ。有益どころか、ドラマ世界に浸っている時間は「高次元の人生」と言ってよい。これはたとえば歌謡曲やポップスの中のドラマであってもいい。我々がそのドラマの美に感動するというのは、より高次元の人生を自分の脳内世界で体験していることなのである。ただし、それはあくまでヴァーチャルなものであり、現実世界の美や感動はそれとは別だ。


 (夢人追記:言語芸術の「魔術」とは、悲惨や不幸も美に転化されるというものだ。現実人生で失恋をしたいと思う人はほぼゼロだろう。しかし、歌謡曲やポップスでは失恋は甘美な陶酔なのである。そして小説では殺人も強姦も犯罪も戦争も恐怖も絶望も苦悩も娯楽になるのである。現実では抑圧される暴力や性への衝動や死への恐怖がフィクションでは大きな美的要素・娯楽要素になるわけだ。)


コリン・ウィルソンの言う「至高体験」はドラマチックな出来事に遭遇して生じるものではない。たとえば、若い母親が夫を仕事に送り出し、洗濯をした後、その洗濯物が青空を背景に揺れているのを見て、何とも言えない幸福感に包まれる、そういうものこそ至高体験であり、「自分の今の状態こそが幸福なのだ」という感覚なのである。


あなたはドラマの無い人生は空しいと思うだろうか? この若い母親の幸福感を馬鹿馬鹿しいと思うだろうか?


 


 


 


 


「自分はいつも幸福だったのだ」(カミユ『異邦人』の主人公ムルソーの死刑前夜の呟き)    

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イト貫への山勘

「隠居爺の世迷言」記事で、長いので抜粋引用にしようかと思ったが、どこをカットするか考えるのも面倒だし、その私の恣意的判断で元記事を捻じ曲げるのもはばかられるので全文を載せる。なぜ私が抜粋にしようかと考えたかというと、私は伊藤貫という人物をDSの手先ではないかと考えているからだ。まあ、単なる山勘で、「アメリカ生活が長かった」というだけの根拠だが。
ただ、ここで書かれた伊藤貫の意見は私の昔の考えとほぼ同じ「核武装中立論」なのである。ww

(以下引用)
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 前回の続きになる。

 前回は、従前の伊藤貫氏が、アメリカが大変に極悪非道で、残虐な国であることを示した上で、

1 アメリカは現実問題としては日本を守ってくれない。日本を守るために核の打ち合いをするつもりなどは全くない。
2 日本は核保有国3か国(中国、ロシア、北朝鮮)に周りを囲まれている。アメリカの助けを得られない日本は無力であり、それゆえ、日本は核武装をすることが必要である。そうでないと日本は遠からずして中国の属国にされる。

などの主張してると書いた。

 しかしその伊藤貫氏の主張に対して、現実問題としては世界で核武装をしている国は9か国くらいであり、その他多くの非核保有国は属国化していないこと、核兵器を所持している国も戦争に巻き込まれていること、核兵器を持っているからといっておいそれと使用することはできないこと、世界で一番核兵器を使う可能性の高い国はアメリカであることを指摘した上で、核武装をしていないからといって日本が中国の属国となり、滅びるなどのことはないと私なりに考えてみた。

 そうそう、一つ書き忘れたことがある。仮に現在の世界情勢の中で日本が核兵器を所持した場合、一番恐れなければならないことは、日本政府がアメリカの言いなりになって、中国やロシアや北朝鮮に対して核兵器を使用することだ。アメリカならばそのチャンスを狙うはずであり、そして、今の日本政府、自民党ならやりかねない。なにしろ自国民まで殺し始めたのが今の自民党政権なのだから。

 さて、今回は前回ご紹介したとおり、今月13日に公開された「【イスラエル・ハマス戦争状態③】日本のこれから|伊藤貫×室伏謙一」というYoutube動画において、伊藤貫氏がこれまでとは違った論を展開したように感じたものだから、そのことをご紹介したい。この動画は3本シリーズのうちの3本目になる。

 この中で私が注目したのは、伊藤貫氏がインドに触れたことだ。「インドというのはなかなかうまくやってると感じます。なぜかというとやっぱり彼らはイギリスに長期間植民地化されてものすごく長い屈辱の歴史を味わったわけで、インド人っていうのは自分たちの独立を維持することに非常に熱心ですよね。」と述べている。

 ここでインドの植民地としての歴史を簡単に書いてみる。コロンブスが西インド諸島(アメリカ)に到達したのは1492年のことであり、1500年代に入ってから、スペイン、フランス、オランダ、スウェーデン、イギリスが植民地を作るために乗り出していった。大航海時代だ。そして、アメリカの独立宣言は1776年のことになる。また、西部の開拓が終了した(アメリカインディアンを滅ぼした)のは1890年頃になる(アメリカ国勢調査局が「フロンティアの消滅」を宣言)。

 一方インドには、ポルトガルが最初に到達し、1510年頃にはゴアに拠点を構え、東洋におけるキリスト教の布教と貿易を推進するようになった。その後スペインが継承するが、本格的に植民地化されるのは、1600年にイギリスが東インド会社を設立し、その後、オランダ、デンマーク、イタリア、フランス、スウェーデン、オーストリアが続々と進出するようになってからになる。

 「東インド会社」などというと、日本人は商社の支店くらいのイメージしか持つことができないが、実際には「軍隊+商社+教会」で構成された侵略拠点であると考えた方が分かりやすい。

 余談になるが、現在の日本にアメリカの軍隊が駐留しているのはいうまでもない。キリスト教の教会も以前からあちこちにある。その上で、CDC(米疾病対策センター)の日本事務所の新設、WHO(世界保健機関)の新組織日本設立、製薬会社(モデルナ)日本工場建設など、続々と欧米が乗り込んでくる。まるで日本は1600年代のインドのようであり、完全に食い物(植民地)にされ始めた。

 売り渡したのは、安倍政権、菅政権、岸田政権の自民党政権になる。紛れもない売国奴たちと言っていいだろう。そうやって、アヘンに匹敵するmRNAワクチンを日本で製造して日本人に使用させ、さらにはウイルス研究(開発)も行って日本人を実験台に使うのだろう。2020年からの新型コロナ騒動、そしてその手口を知っていれば、 杞憂であると楽観視はしていられないはずだ。

 話を戻す。インドは1600年代にイギリスの完全な植民地となり、悲惨な思いをした。インドはアヘンを強制栽培させられ、食料を作れなくなったために餓死者が大発生した。イギリスがインドを統治していた間に何度も生じた飢饉によって、およそ3千万人を超えるインド人が餓死したという。また、イギリスは重税を課したため、インド人の税による貧困化も進んだ。

 また余談になるが、これは日本の現在の状況に似ていないだろうか。アメリカは日本に対して、貿易不均衡などの理由を付して、自国に有利な貿易を強制する。資本や金融の自由化名目でも、日本の利益をアメリカに移し替えている。日本は30年間経済成長をしていないことになっているが、それは経済成長をしていないのではなく、成長した分を全部アメリカに吸い取られているためであると考えた方がいい。

 さらに、増税は現在岸田政権が日本国民を騒がせる大きな問題になっているが、インドの過去を見ると、それもアメリカの植民地政策ではないかと疑われる。インド人が税金によって貧困化し、その分イギリスが富んだように、日本人は重税を課せられて貧困化し、それがアメリカに流れていくシステムができつつあるのだろう。財務省など関係がないというか、せいぜい使い走り程度であり、敵の本体はアメリカになる。

 元をたどれば1991年のソ連崩壊になるのだろうか。ソ連崩壊後アメリカは世界戦略を変えたのだが、その一つとして、日本は1800年代のインドに準じた植民地化を進められてきたように思える。あからさまな日本の富の搾取がアメリカによって行われるようになり、また、今後は種苗法などによって農作物の自由な生産もできなくなり、ますます植民地時代のインドに近づいていくような気配を感じる。

 イギリスのインドに対する植民地政策でどのようなことが行われたのか、私では知識が乏しすぎるが、詳しい人であれば、現在の日本との共通点が他にもいろいろ見つかるのではないだろうか。そして、イギリスの後継者であるアメリカは、現在日本に対して容赦なく植民地化政策を進めようとしている。

 そんな過酷な植民地時代を経過してインドが独立したのが、1947年(昭和22年)になる。300年もの間植民地にされて悲惨な思いをしたのがインドであり、そのインドが核武装をした(核実験を行った)のは1974年のことだった。

 インドは内外に多く問題を抱える国だ。まずは、大変に貧しい国であり、人口は14億人余と世界一であるが、名目GDPは世界第5位で中国の5分の1以下になる。つまり、中国の5倍以上貧しい国になる。

 カースト問題、人種問題、宗教問題、経済格差問題、周辺諸国との軋轢など、抱える問題は多種多様である。これだけでも巨大なインドを統治することの困難さが痛いほどよく分かる。ただし、インドに見習いたいことが一つある。それは、自主独立の精神になる。

 植民地時代にイギリスを中心とした西欧に、これでもかというくらい蹂躙されてきた結果、インドの自主独立を守ろうとする姿勢には強固なものがある。身近な例で分かりやすかったのが、安倍元総理の国葬出席になる。主要国の中で唯一首相が参列した国がインドだった。このあたりの堂々とした独自路線が目を引いた。つまり、インドは自分の意思に基づいて行動ができる国になっている。完全に独立した国であり、その点、日本とは大きく異なっている。

 伊藤貫氏は以下のように述べる。「僕の見るところインドの外交政策と国防政策というのは " 核武装中立主義 " であると。」「インドというのはロシアからも大量に武器を買うけれども、最近アメリカからも大量の武器を買うでしょ。どっちにも依存しない。」「インドっていうのは他の国に恫喝されるような隙を与えてはいけないというので、常に注意深く自分たちの経済的な関係でも軍事的な関係でも多くの選択肢を駆使してどれか1つの国に過剰依存しないような形をとってますね。」

 う〜ん、素晴らしい。国内や周辺諸国との関係では多々問題を抱えているインドではあるけれども、こと外交に関しては理想的な状態を作ることができているのではないだろうか。日本のようにアメリカべったりというのは大変に危険だ。この先アメリカはさらに衰退していくことが予想される。加えて、アメリカが今後どこまで信用できるか不明である上に、時代の変化によってはアメリカが敵に回ることすら考えられる。

 実際問題として、現在のアメリカは日本の敵に回ってきたようにも思える。何しろ、安倍元総理が暗殺されたくらいだから。(私は犯人はアメリカであると根拠なしに信じている。)新型コロナ用ワクチンにおいても、被害を受けたのは日本ばかりではないが、日本が独立国として機能していたのであれば、そもそも認可されなかったワクチンであり、防げたはずの悲劇だった。

 ロシア・ウクライナ紛争においても、完全な判断の誤りだった。開戦前から、ウクライナがロシアに勝利するなどということはありえないことだった。それを、アメリカに忠誠を尽くして、あるいはアメリカに命令されて、ウクライナの応援に回って大失敗した。つまり、アメリカはもはや日本が信頼できる国ではなくなっている。

 このようなことを避けるためには、日本が自分の意思で態度を決めることのできる本当の意味での独立が必要であり、さらには中国やロシアとも手を結んでおくことが日本の安全につながる。そもそも、100年後200年後の世界を考えるときに、日本は未来永劫アメリカの腰巾着であり続け、中国やロシアと敵対していくつもりなのだろうか。地政学的に見ても、そんなことは不自然極まりない。

 伊藤貫氏は続ける。「インドみたいに私たちは中立主義ですからどっちの味方もしませんと。僕は性格的に日本人にはアメリカの後くっついていってアメリカと一緒に価値観外交をやるよりも、むしろ中立主義国家になった方が似合うと思うんですね。日本人も無理して日中友好とか日米友好とか、日本人が友好友好って言ってもなんかすごくわざとらしくて、相手にすり寄って、何々を一緒にやるとかすごくわざとらしくてさ、結局そんなことやってもうまくいかないんだよね。」

 そしてこのように結論づける。「我々はね、核兵器を持って、核抑止力を持って、政治的な紛争では中立主義国家になりますと、そっちの方向に向かうのが1番いいのではないかというふうに考えてます。」「日本人はもう奈良時代から他の国に対して内政干渉しないし、他の国に対してお説教したりしないわけですよ。それが我々の良さだったわけでしょ。」

 「なんでね、アメリカの真似して " あの国はけしからん " とか、 " あの国の人権基準は低い " とかね、わざとらしくアメリカとかヨーロピアンユニオンの猿真似するようになったんだろうと。」「しかも、そういうことをやってるアメリカとかヨーロピアンユニオンがうまくやってるとは思えないんですよ、僕は。だとしたら我々は " そういうの向いてないですから失礼します " と言って中立主義をやった方がよっぽど自然だと思うんです。」

 う〜ん、こう言ってくれると説得力があるなあ、嬉しいねえ。要するに、日本人に違和感のない本当の独立を、日本は成し遂げるべきということだよね。以前の伊藤貫氏は、核武装しないと中国にやられるという論だったから賛成しにくかった。敵を増やす考え方だからね。しかし、日本が独立を維持するために核武装が必要という論であれば、つまり、アメリカの属国から抜け出すために核武装が必要というのであれば、可能性の一つとして検討していいように思う。


 


 ただし、そのことを考える上で私が一番気になることが、日本人の愚かさになる。大東亜戦争後に日本占領軍の最高司令官だったダグラス・マッカーサーは帰国後、「近代文明の尺度で測れば、我々が45歳という成熟した年齢であるのに比べ、日本人は言ってみれば 12歳の少年であるかのようだ。」と、米上院公聴会で証言したという。

 私に言わせてもらえれば、12歳でもまだお世辞が含まれており、実際には10歳がいいところではないかと思う。もっとどぎつく言えば、日本人の80%は後天性知的障害者だ。1957年に評論家の大宅壮一は「一億総白痴化」という言葉を使った。そんな日本人が仮に核兵器を持って独立した場合、核兵器を適切に管理できるのか、適切に使用できるのか、あるいはそんな日本人が、独立した国を運営できるのか、甚だ心許ない。何をどうしたら日本人が賢い民族に変わっていけるのか、そこから考えていく必要がある。遠く長い道のりになるが、だからといってあきらめるわけにはいかないことのように思う。


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「利他主義」という愚論と「労働運動」

「東海アマ」ブログ記事の末尾を転載。
書かれている主旨には同意する部分もあるが、根本的な「戦略思想の欠如」を感じる。それはアマ氏の意見(思想)が世間的にほとんど賛同者を持たないことから分かるのではないか。
上で「戦略思想の欠如」と書いたが、それは本当は「利他主義の提唱」自体の間違いという面も大きい。何度も書いているが、「利他」は「主義」にはなり得ない、と私は考えている。それは人間、いや生物のもっとも基本の本能が「自己保存本能」だからだ。つまり、極言すれば「利己主義」になるのであり、「利他主義」は、生物的・動物的に無理だ、ということだ。まあ、「人間ならば、生物や動物的レベルを脱するべきだ」というのは正論だろうが、いざとなれば、誰でも、いやほとんどの人は他人を蹴落として我が身を救うのではないか。これは「カルネアデスの舟板」の比喩で知られる法理論でも正当とされていることだ。
ただし、ふつうの生活では「他者に危害を加える行為」は法律に反するが、「資本主義社会」では、経済活動を通じて他者に危害を加えることが実際的には容認されている。だから経済犯罪が膨大に生じ、竹中平蔵のような犯罪者が巨富を得るのである。
つまり、「資本主義」の悪への対抗手段は「利他主義の布教」ではなく、労働運動などの「まともな」方法によるべきであり、おそらく家庭の主婦だと思うが「労働運動の衰退」を嘆く「谷間の百合」さんなどのほうがこの点では思想的に上だと思う。

(以下引用)

 資本主義の本質は「弱肉強食」である。より大きな資本が小さな資本を「恐慌」という自己矛盾によって貪欲に飲み込み続け、これ以上太れないほど太った姿が「国家独占資本」という段階で、それは巨大資本と国家の融合体であるというものだった。
 そして、今度は国家レベルで、「世界戦争」という自己矛盾によって巨大化してゆく。

 ユダヤ人フリードマンが1980年代に提起した「新自由主義」では、大きな資本が国家のあらゆる権力と干渉を否定して、グローバルスタンダードという経済自由主義の下で、「市場原理」だけに基づいた世界新秩序が成立し、国家そのものは廃棄されてゆく……というわけだ。
 これも、国家独占資本の形態ではあるが、主人公は国家ではなく巨大資本である。

 世界は「金儲け競争」を原理とし、経済秩序は、弱肉強食の市場原理だけに委ねるというのが、新自由主義の行き着く先である。
 こうすると、どんな世界ができあがるかというと、まさに弱肉強食による凄まじい差別序列社会が成立する。
 世界は、超大金持ちと、貧乏人階級だけの二極化世界になる。

 まさに、世界はそうなっていて、世界経済の9割を、地球上に2000万人しかいないユダヤ人の金融資本が取得し、残りの99.9%の人々は、超特権階級ユダヤ人に奉仕するためのゴイム(家畜)にすぎない社会がやってくる。
 まさに、タルムードに描かれているユダヤ人支配社会が実現するのだ。

 冒頭に紹介した、YouTubeコンテンツは、ユダヤ金融資本の持っている意味について、残念ながら理解が及んでいない。
 しかし、世界が二極化することを指摘している。
 ゴイム階級の人々は、15分都市、スーパーシティという畜産施設に閉じ込められて、これからユダヤ人のための家畜としての人生を送るのである。

 この根元にある本当の理由が、人間に序列をつける身分差別、人間は平等の仲間だと理解できない序列主義の価値観にあると、私はこのブログで叫び続けてきた。
 ゴイム社会を拒絶し、利他主義による「人情仲間社会」を作り出すには何をしたらいいのか?
 それは、差別と序列の愚かな意味を理解することである。

(引用2「谷間の百合」から転載。)

「資本主義の健康とは『戦う労組』が大前提である」
「資本主義の健全性を担保するのが(労組の馴れ合いではない)正しい労働組合である」
当たり前のようで、わたしには胸の高鳴りを覚えるような言葉です。
わたしが毎日でも書きたいような言葉です。
労働組合と言えば、古い記憶から浮かび上がってくのが太田薫とか富塚三夫などの名前ですが、いったい、いつごろから労働組合と資本家は馴れ合っていくようになったのでしょう。
わたしはその経緯を知りません。
いつの間にか労働組合は有名無実の存在になっていました。
何度も書くことですが、最後の電鉄ストから30年近い歳月が流れました。
世界では、とくにフランスなどではストが頻発します。
政治への抗議もあれば、自分たちの生存と生活を守るためにかれらはすぐ行動に出ます。
なぜ、日本の労働者は、自分を守ろうとしないのでしょう。
なぜ、自分だけでなく仲間や家族を守ろうとしないのでしょう。
日本は、先進国の中にあって労働者が自ら奴隷になった唯一の国かもしれません。
最近、日本が北朝鮮化しているのを感じます。
国民の生活は無視で、軍事力を強化するために増税までするような国になりました。
先日書いた百姓一揆のことですが、一揆は今で言う労働組合運動でした。
百姓は団結して藩に要求を突き付けたのです。
藩がその要求を無視できなかったのは、幕府の詮議や制裁を恐れたことが大きいと思います。
いま、その幕府に相当するのが政府なのですが、政府と資本家が一つの営利団体のようになっているのが現状です。
ほんとうに、世も末とはこのことです。
「日本が穏やかにゆっくりと死につつある」原因がこれです。
社会が沈滞し死んだようになっている原因がこれです。
なぜ、最後のセーフティネットとも言うべきスト権を行使しないのですか。
何で資本家をつけ上がらせるのですか。
ストライキがあったころの空気を思い出してほしい。
(40歳以上の人しか思い出せないでしょうが。)
わたしの家は労働者の家庭ではありませんでしたが、労働組合のことになると熱を帯びてくるのは多分百姓の血だと思います。
それも水飲み百姓の。

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「地球温暖化」で11月に積雪www

東海地方は温暖な土地とされているはずだ。


東海三県で今季初めての“積雪” 岐阜・高山市で3センチ


配信

中京テレビNEWS

中京テレビNEWS



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風と雲と虹

別ブログに書いた記事だが、「風雅」に関する部分もあるので、こちらにも載せておく。ちなみに、空や雲についての考察は別にもあるが、それは別に書く予定だ。

(以下引用)

居住最適地としての沖縄



「東海アマ」記事で、「生活の知恵」的な部分があるので、このブログに転載する。地球温暖化についての主観的意見は無視していい。私は「温暖化」自体が嘘で、地球は寒冷化に向かっているという考えだ。もちろん、アマ氏が言うように、「(温暖化があるなら)その主原因は世界の原発排水である」という考えも蓋然性は高いが、世界的に言われている、温暖化の原因としての二酸化炭素犯人説は愚説も愚説であり、原因と結果が逆である。これもアマ氏が言うように、原発排水による海水温上昇の結果としての、海面からの二酸化炭素排出というのが正解だろう。
アマ氏は「温暖化対策」としての高地移住を勧めているが、下のような状況であり、気の毒ではあるが、正直お笑いである。
九州ですら冬期の凍結禍がある以上、これからの居住最適地は(地元びいきも含めて言うが)沖縄以外にない。まあ、ロクな(高給の)仕事が無いので、年金生活者や芸術家などにお勧めだ。素晴らしい自然の風景と、冬でも凍死しない気候は、数百万円の所得格差に相当する価値がある。夏は夏で、窓を開けて風を入れれば別にクーラーの必要もない。(沖縄は海風があるので完全に無風の日のほうが稀だ。そして沿岸性気候だから夏でもさほど高温にならない。夏に高温になるのはアスファルト効果の都市部と、周囲を山に囲まれ、炉の中に住むのと同じ、盆地である。)ただし、クーラーが無いとデスクワークや勉強には不向きである。
沖縄の田舎には居住放棄家屋が多いので、安価で購入し、リフォームすれば隠居後の住宅として最適である。田舎で晴耕雨読の生活を楽しめばいいし、体が悪ければ家の中でゲーム三昧、映画鑑賞三昧、読書三昧の老後を送ればいい。毎日、大空を眺めて、雲や太陽や月や星や虹が見られるのは、都会の住人には得られない贅沢である。
私は毎日のように散歩するが、昨日は夜明け直後に「二重の虹」を見た。これまでの人生では虹をじっくり眺めたこと自体、ほとんど無かったのである。で、実質的には虹は七色ではなく、青、黄色、赤の三色であることも確認した。その色帯の中間にある色は、ほとんど判別できないわけだ。世界的には虹は三色だという認識らしい。日本人の中で、自分の感覚は鋭敏だと自慢する詐欺師連中が「虹の七色」という嘘を広めたのだろう。

(以下引用)



 今朝は驚かされた。突然、凍結が始まったのだ。
 中津川市では、例年、12月に入ったなら車はスタッドレスタイヤに交換するのが普通だ。朝晩、氷点下の気温が普通になるからだ。
 我が家では、12月になると、シンクや風呂など水道管末端ではポタポタ出し作戦、離れのトイレは、夜間石油ランプをつけて保温するのだが、11月14日の未明にトイレに入ったら水がスムーズに流れない。凍結していたのだ。

 慌てて温度を調べるとマイナス2度だった。恵那市街でさえマイナス1度になっている。昨夜の予報ではプラス2度だったので、まだまだ保温対策は必要ないと油断していた。
 普通はマイナス4度くらいから凍結がはじまるのだが、風が吹いているときは、零度でも凍結が起きることがある。
 中津川市のような山間部では、おおむねマイナス7度くらいまで下がるが、年に数日、マイナス10度以下に冷える。こんなときは、水道管が破裂しないことを祈りながら寝るしかない。

 水道管が破裂するときは、まるで小さな爆弾が破裂したかのようで、未明に「ボン!」という爆発音が聞こえる。布団のなかで「やっちまった」と思うが出て行く気にはなれない。
 翌朝見ると、塩ビ水道管の鋭い破片が周辺に散らばっていたり、良くて、バルブや管に亀裂が入り、接着剤接合部がすっぽ抜けていたりするが、まだ他の部分が凍結しているので水は出ない。
 昼頃までに凍結が溶けて、破損箇所から水が噴き出すようになる。その前に修理しなければならない。

 鉄管なら破裂しないかというと、同じように破裂する。だから、修理のしやすさも考えて、高価な鉄管水道管は使わず、一番安価な塩ビ管を使っている。
 修理は依頼すると目玉が飛び出るので、自分でやらねばならない。バルブやジョイントなどの部品はいくつも用意してある。

 幸い塩ビ管の切り貼りは、のこぎりと接着剤でできるので、それほど難しくないが、水抜きしたとき、管内に滞留水が残らないように設計するのは結構難しい。それに、容易に修理できるように触れない死角を作らないように組み立てる必要がある。
 滞留水が凍結して、破裂の原因になるため、水抜栓で完全に抜けるように、傾斜を工夫しなければならない。

 無茶苦茶寒いとき(マイナス10度以下)は、完全水抜き(井戸ポンプの電源は入れたまま)をして、トイレもバケツに貯めた水を使うが、普通の寒さなら、チョロだしと保温でなんとかなる。
 しかし、ポタポタでは、そのままの姿で凍結して氷柱ができて凍結するので、流水を増やして、ちょろちょろに変えなければならない。
 我が家は井戸水なので13度と暖かいから、ほとんどポタポタですむが、自治体水道は流路で3度くらいまで冷えているので、多めにチョロ出しする必要がある。

 市販の水道管保温材料(ウレタン)が役立つのはマイナス4度までで、それ以下では役に立たない、保温材を巻いたまま凍結するのだ。むしろ、冷風対策として考えた方がいい。
 テープヒーターは有効だが、電気代が相当にかかるので、田舎では使わない人が多い。チョロだしの方が安く上がるのだ。
 離れのトイレの場合は、床に置いた7分芯の石油ランタンが有効である。一晩で1リットルは使わないし、トイレがほのかに暖まって都合が良い。
 https://item.rakuten.co.jp/vastland/vl0248-1/?iasid=07rpp_10095___e0-loxmgqkc-8g-f8aed708-7ea0-40d9-8071-fe1d38edb5e1

 これらは、日本列島内陸や東北北海道では、常識的な風景だが、都会の人は、厳冬期の凍結に対する認識が甘い人が多い。
 田舎暮らしの冬は、凍結との戦争が毎日続くのだ。名古屋あたりから中津川に移住してきた人は、最初の冬で、凍結知識のなさから大きなダメージを受けるのである。

 今朝、畑に出てみたら、霜が降りて、馬鈴薯の葉が黒く変色しはじめていた。夕方までに、馬鈴薯は相当に傷むだろう。
 こんなときはU字支柱を立てて寒冷紗を貼るしかないが、肺線維症末期の私には苦しい作業だ。もう少し大丈夫と甘いことを考えていた私も、ダメージを受けた。

 こんなことを書こうと思ったのは、気象庁が長期予報で暖冬を公表しているにもかかわらず、現在、2030年から17世紀のマウンダー極小期が再来し、小氷期になると予測する気象学者が増えているからで、すでに寒冷化が徐々に始まっているという。

 2030年から始まる小氷期問題 2022年09月01日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5962568.html

 気象庁の長期予報は当たらないのが普通になっている。今年も、暖冬予報でありながら、厳冬が来る可能性が高くなっている。
 というより、驚異的な暖冬と厳冬が交互にやってくるのだ。温暖化だから寒冷化と相殺できるなどと都合のよいものではない。両方ともやってくる。
 11月に九州で30度を記録したかと思えば、北海道では、中標津ですでにマイナス10度を記録している。この分では2016年のような極寒が必ずやってくる。
 夏場の気温が40度で、冬場の気温がマイナス10度以下という世界になるのである。

 今年、2016年に起きたような、大寒波が襲来する可能性が小さくない。今朝の予想外の凍結を見て、今冬の意表を突くような大寒波を私は予感した。

 2016年、何が起きたのか?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9028%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%9B%AA

 https://www.youtube.com/watch?v=PsgsT6jd_BY&ab_channel=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E3%83%BB%E4%BD%90%E8%B3%80KBCNEWS

 温暖な九州地方が、私の住む中津川のような寒冷化に見舞われた。
 例年、厳冬期の凍結など経験したことのない地域で、マイナス7度という寒さがやってきたので、ほとんどの家で水道管が凍結を起こし、修理の経験もない人々は、なすすべがなかった。
 あまりにも凍結破裂が多すぎて、地域の水道屋では手が回らなかった。また、ほとんど恒久的な鉄管仕様なので、修理したくとも道具もなかった。
 漏水していても、元栓の止め方も知らない人が多かった。

 これが、鉄管でなく修理の容易な塩ビ管だったなら、もっと手早く復旧できただろう。
 また、寒冷地では必ず作ってある、元栓を止めて水を抜く、専用の水抜き栓もない家が多かった。
 マイナス10度以下だと、もう普通の保温は通用しない。必ず元栓を止めて、家中の蛇口を解放し、水抜栓から残存水を完全に抜いておかねばならない。
 だから、今冬、元栓の位置確認と水抜き栓の新設(複数)を準備する必要がある。

 トイレの水は、風呂桶に貯めておきバケツで利用する。調理の水はポリタンクに貯めておく。寒波が去ってから元栓を開けるしかないのだ。
 北海道では、この方法が普通である。廊下に水の入ったバケツがあるのは、そのためだ。だいたい寒冷地方では、水の使用量の少ない寒冷用簡易水洗トイレが普及している。

 もしも、大都会で、これから夏は40度、冬はマイナス10度という激変気温が普通になるとすれば、何はなくとも冬場の水道管を守らなければならない。
 ウレタン保温材を巻けばなんとかなるのは、マイナス4度までだ。マイナス10度まではチョロチョロ出しと、トイレや風呂の石油ランタンやミニヒーターによる保温が必須で、可能なら元栓を閉めて水抜きする。

 2030年から地球は小氷期に入ることが確実視されていて、これから毎年、冬は寒くなる一方であると思うべきだ。もちろん、まだらのように暑い日も現れる。
 気象は、極端から極端に激しく移行を繰り返す。
 これは地球気象を極端な変動から守ってきた、熱帯雨林、自然林を皆伐して砂漠に変えた人類の罪でありカルマである。気象の緩衝作用を担ってき大森林を、新自由主義の市場原理思想により金で売り飛ばして破壊してしまえば、我々は、こういう運命を享受しなければならないのである。
 だから、大都市圏の居住者でも、これから2016年九州のような恐ろしい凍結に見舞われる可能性が増えてきている。

新自由主義思想があるかぎり、我々人類に待っているのは地獄だけだ。
 それが、どれほど恐ろしいことか、これから気象激変による被害で、我々は思い知らされることになる。

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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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