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日本一の無責任男

「大摩邇」の海外記事引用記事によく出る「タイラー・ダーデン」という名前の筆者(もちろん、仮名で、この名前は確か「ファイト・クラブ」に出る「誘惑者」である。ブラッド・ピットがやった役だ。)の記事を見るたびに私は何となく何かを連想していたのだが、それは「無責任船長タイラー」というラノベアニメ(一回だけ見たが、つまらなかった)経由で、その大元である「日本一の無責任男」平均(たいら・ひとし)であると連想がつながった。このキャラは青島幸男の創作で、彼(無責任男)を主人公とした映画(東宝映画)はシリーズ物となり、たくさんある。
で、その主人公をやったのが植木等(「たいら・ひとし」は、植木等の名前から作ったのか、あるいはその逆か)だが、彼の歌った「無責任男」の歌がいくつかあり、その一部を覚えている。

俺は村中で一番
無責任と言われた男
ガキのころから調子よく
(〇〇〇)で儲けるタイプ *括弧内は忘れた

学校へ入ってからも
要領はクラスで一番
月謝はいらない特待生
もちろん級長はオッケー

で、この2番の歌詞を頭の中で聞いて、即座に連想したのが今の岸田首相である。彼こそ、今や「日本一の無責任男」で、しかも学校秀才であったわけだ。
確か、平均(たいらひとし)は初登場のシーンで堂々と香典泥棒をするが、岸田は堂々と税金泥棒をしてアメリカに貢いでいるwww
彼が、遠大な志のためにあえて大石内蔵助を演じているという説もあるが、まあ、それは無いだろうなwww

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17歳での自殺は「天寿をまっとうした」ことになるのか

いや、この事件の内容はほとんど知らないし、真実は調べようもないと思うが、校長の「天寿をまっとうした」という言葉が面白いので転載する。この程度の頭(あるいは人格に問題があるのかもしれない。)の人間が校長になるというところに、今の教育制度のおかしさが露呈している気もする。
もちろん、この種の失言はある種の事故(うっかりミス)であることもあるし、私なども無数にやっている。だから、と言うわけではないが、この失言だけを問題視するのではなく、学校でいじめがあったか無かったかを問題にするべきである。

(以下引用)この種の記事の末尾に必ずついている「相談窓口」も、行政もいじめ・自殺対策を真面目にやってますという言い訳に思える。

福島・高3自殺 校長「天寿全うした」にあぜん…親「真実知りたい」


配信

毎日新聞

記者会見で「なぜ娘が自死に追い込まれたのか真実を知りたい」と涙ながら訴える女子生徒の両親=福島県郡山市で2023年12月4日、根本太一撮影



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もはや、日本で魚を食うのは緩慢な自殺か

「大摩邇」から転載。
地元のスーパーでも、サーモンと言えばノルウェーサーモンしか無いと思う。まあ、日本のサーモン(原発排水汚染魚。サーモンだけではない。)よりはマシかもしれんがwww

(以下引用)

【バイオコンスピラシー】ノルウェー産養殖サーモンの危険性は常識だった!?丸紅お前もか!?→俺「丸紅は潰れろ!」

井口博士のサイトより
https://quasimoto4.exblog.jp/33566659/
<転載開始>
みなさん、こんにちは。
さて、ごく最近聞いた話を急遽メモしておこう。
今や我が国のスーパーや回転寿司の鮭(サーモン)は、大半がノルウェー産であるらしい。

【バイオコンスピラシー】ノルウェー産養殖サーモンの危険性は常識だった!?丸紅お前もか!?→俺「丸紅は潰れろ!」_b0418694_12081627.jpg
実はこのノルウェー産のサーモンは、日本で言うところの、
「訳あり食品」
ということらしい。
これについてメモしておきたい。
どうやら静岡県にノルウェーのサーモンの養殖会社が誕生しているんだとか。
それで地元にノルウェー産のサーモンが出回るわけだから、その安全性が気になった。
そこでその人がノルウェー産のサーモンに関する安全性を研究した欧州の科学者の英語論文を読んだ。
ところが、なんとヨーロッパでは禁止されている化学薬品満載だったというのである。
そんな記事の1つがこれだ。

この研究解説にはこうある。

ノルウェーの養殖サーモンは「フィヨルドの水中に隠されたスキャンダル」とみなされ、大規模な健康被害の原因であると考えられている。


 


世界中の漁業業界は、魚製品に危険な化学物質を注ぎ込んでおり、消費者の健康に脅威を与えています。


 


養殖業者は病気の魚を治療するために工業用量の薬剤を池に注入しており、養殖ノルウェーサーモンを摂取することの潜在的なリスクを浮き彫りにしている。


 


養殖サーモンにはスーパーマーケットで売られている他の食品よりも5倍多くの汚染物質が含まれており、非常に有毒な選択肢となっています。


 


養殖サーモンは環境中の汚染物質にさらされることで肥満や糖尿病になる可能性があり、サーモンを摂取することの安全性について懸念が生じています。


 


養殖されたノルウェー産サーモンには、今日知られている最も強力な有毒汚染物質の 1 つであるダイオキシンが高レベルで含まれており、ホルモン系に悪影響を及ぼし、がんを引き起こす可能性があります。


 


養殖魚、特にノルウェーサーモンには、許可基準をはるかに上回る極めて高レベルのアトキシンが含まれていることが判明しており、野生の魚よりも毒性が大幅に高くなっています。


 


「農薬と水銀がたっぷりの魚…放射能、水銀、重金属、PCB、ダイオキシンなどがたっぷりの魚です。もう以前と同じではありません。」


これ以外にも証拠はたくさん公表されている。
だから、ヨーロッパ人は、
養殖サーモンを食べるな!
と警告しているのである。
そんなわけで、苦肉の策として白人ノルウェー人は、
お馬鹿な脳天気なジャパニーズに目をつけたんだとか。
知らぬは日本人ばかりなりけり!
しゃあない、
ヨーロッパで売れなきゃ、日本で売れ!
というわけで、これに飛びついたお馬鹿な日本の商社が
丸紅
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【バイオコンスピラシー】ノルウェー産養殖サーモンの危険性は常識だった!?丸紅お前もか!?→俺「丸紅は潰れろ!」_b0418694_12292334.png
このクズ会社は即刻潰すべきだ。
この丸紅が静岡にこの世界で締め出されたノルウェーの会社をおびき寄せたらしい!
こういうのが、
インベスト イン 岸田 Death!
という迷言であった!
キチガイ政府にキチガイ商社あり!
さあ、賢い日本国民は決して禁止薬物満載のノルウェー産養殖サーモンを食っちゃいけませんよ〜〜〜!
これにて一件落着!めでて〜〜な!
コロナワクチン同様、これからの時代は
馬鹿じゃ生き延びられませんぞ!
備えあれば憂いなし。
いやはや、世も末ですナ。
弥栄!

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生来の顔貌を変えることの意味

私は人相学に興味があるので、犯罪者や犯罪容疑者の顔写真(本当は「容疑者」の顔写真を一般公開するのは違法ではないかと思うが)が公開されると、「悪党」の顔の特徴が研究できて嬉しい。
ついでだが、刺青やヒゲ、ピアスなども「人相」である。それらによって当人の人格や生き方を示しているからだ。もちろん、それらによる「変装」も、人格の一部である。変装すること自体がある種の生き方を示しており、それは「偽装」を必要とする生き方だ。
刺青や髭やピアスは男の場合「威嚇」の意味が大きい。「敵」あるいは「一般人」をいかに威嚇するかは暴力を生業とする人間の必須項目だ。海賊や兵士が刺青を好むのはその一例であるが、それが民間にまで広がったのは、世界の品性的劣化を顕示していると私は見る。ただし、女性の装身具使用や肉体改造は「威嚇」とは別の、「商品としての肉体」の顕示だろう。もちろん、男と同じく威嚇的意図もある場合もある。女性の刺青などはお歯黒同様に「既婚者」の印として、男の「所有権」を示すものだったこともある。
下の記事の顔写真は、4人とも髭を生やしている。髪型にも、「顔に似合わない」が流行には少し合っているという類似した特徴がある。流行を追うことも、顔に似合わない奇抜な髪型も「俺は流行を追う勇気のない普通の男(人間)とは違う」ことの顕示である。奇抜な髪型という点ではモヒカン刈りやスキンヘッドなどが昔はそれだった。

(以下引用)


【速報】東京・稲城市の強盗事件を指示か 今村磨人容疑者ら4人を再逮捕へ 一連の広域強盗事件の全てを立件 警視庁


配信

FNNプライムオンライン(フジテレビ系)

【画像】今村容疑者ら4人は「ルフィ」「キム」などと名乗って強盗を指示した疑いがもたれている



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たかが芝居屋が哲学や政治を論じる愚劣さ

「AERAdot」記事の一部で、平田オリザが中江兆民の「解説」をしているが、まあ、実際に兆民の「一年有半」や「続一年有半」を読んで書いたかどうか怪しいものだ。「続一年有半」は、日本哲学の傑作、あるいは最高作であり、その主旨は「有神論否定」、つまり「キリスト教否定」にあり、その論理の明晰さは、有神論(特に、ユダヤ・キリスト教)が太刀打ちできるものではない。だから、キリスト教に根差す西洋哲学(日本の哲学者たち含む)は兆民のこの書を完全無視し、「論理破綻している」などと、無根拠に(おそらく説明なしに)頭から否定してきたわけだ。
明治初期の政治思想の状況を「当時の政治思想の迷走」としているのも愚劣であり、国論が定まらないのを「迷走」とするほどのアホさはない。国論がひとつに定まるのを「ファシズム」と言うのであり、それが明治から昭和初期の現実の社会状況で、その時に「複数の考え方」を明示してその性格を論じたた点にこそ「三酔人経綸問答」の素晴らしさがあるのである。

(以下引用)


中江兆民は喉頭癌で余命一年半と宣告されてから、随筆集『一年有半』を書き(1901年)、さらに「わが日本古より今にいたるまで哲学なし」と喝破して、本邦初の本格的な哲学書(となるはずの)『続一年有半』に挑んだ。だが残念ながら『続一年有半』は中江自身が希求したほどの学問としての厳密性からはほど遠く、一部破綻さえしている。余命幾ばくもない兆民に、それだけの仕事を期待するのは無理だったのかもしれない。


 一方、1887年(明治20年)に書かれた『三酔人経綸問答』の生き生きとした筆致はどうだ。当時の政治思想の迷走が、そのまま、滋味あふれる豊かな日本語で綴られている。


『三酔人経綸問答』は題名の通り、三人の酔っぱらいが国家を論じる体裁で進んでいく。国権主義を代表し海外進出を主張する豪傑君。理想論的な民主主義論、非戦論を唱える洋学紳士。そしてそれを、当時の日本の現状に合わせ、現実的に調停しようと試みる南海先生。


 いずれにも中江兆民の姿が偏在し、その苦悩が対話の端々にうかがえる。明治の文学青年たちが、内面だ言文一致だと右往左往していた頃に、政治の世界でこれだけの文学性を持った作品が生まれていたことは驚嘆に値する。


且つ世の所謂民権なる者は、自ら二種有り。英仏の民権は恢復的の民権なり。下より進みて之を取りし者なり。世又一種恩賜的の民権と称す可き者有り。上より恵みて之を与うる者なり。恢復的の民権は下より進取するが故に、其の分量の多寡は、我の随意に定むる所なり。恩賜的の民権は上より恵与するが故に、其の分量の多寡は、我の得て定むる所に非ざるなり。若し恩賜的の民権を得て、直ちに変じて恢復的の民権と為さんと欲するが如きは、豈事理の序ならん哉。


 このくだりは有名な、革命によって獲得した「恢復的な民権」と、政府の裁量の範囲で与えられた「恩賜的な民権」の違いについて述べた箇所だ。


 中江兆民は土佐・高知の産。黒船来航以前、1847年の生まれだから、漱石などよりは、よほど年上になる。幼少の頃に坂本龍馬に会ったという逸話も残っている。


 若くしてフランス語を学び、24歳で岩倉使節団に随行、アメリカから欧州に渡ったのち、フランスに二年ほど残る。帰国後、ルソーの『社会契約論』の漢文訳『民約訳解』を刊行するなどして名をなし、後年は「東洋のルソー」とも呼ばれた。


 二十七歳で東京外国語学校学長に就任するも文部省と対立してすぐに辞職。やがて自由民権運動の理論的支柱となっていく。1890年第一回衆議院議員選挙に当選。民権派の大同団結を図るも数々の裏切りにあって議員を辞職。奇人であり、切れやすい性格でもあったのだろう。八九年に発布された大日本帝国憲法が、前記の「上からの恩賜的な民権」であることに絶望したのも原因の一つだったようだ。


「昨日民権、今日国権」と呼ばれるように、90年代に入ると民権運動、立憲運動は下火になり国粋主義が台頭する。『三酔人経綸問答』で言えば、豪傑君だけが世にはびこる状態に、兆民は徐々に不機嫌になり、厭世的になっていく。


 だが、冒頭記したように、喉頭癌で余命一年半と宣告を受けてから、俄然、作家、思想家としての生命力を取り戻し『一年有半』『続一年有半』を執筆する。特に『一年有半』は当時としては異例のベストセラーとなった。

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貨幣経済が商人層の必然的富裕化と、生産者と消費者の貧困を招くメカニズム

このブログには似合わない経済論だが、思い付きを連ねるだけの記事である。しかし、マルクスだろうが誰だろうが、どの経済学者も言っていない(と思う)根源的経済論だ。

それは、「商人が肥え太るのは、貨幣経済がもたらす必然である」という思想だ。

これは、たとえば江戸時代の商人の富裕化と江戸幕府財政の逼迫と幕府滅亡の根本でもある。
ひいてはDSの世界支配の出発点でもある。

単純に言おう。

1:物々交換では、商人は存在する必要はなく、交換機会は基本的に一度だけで済む。
2:貨幣経済では、取引に貨幣が介在し、「生産者→消費者」という、一回だけの交換だけではなく、商人(仲買人)という存在が発生する。つまり「生産者→仲買人→消費者」となる。(貨幣そのものは「蓄積可能(貯蓄可能)」という大きな便宜のために、存在し始めると永続的になる。)
3:1のような「1回限りの交換」ではなく、交換回数が複数回になることで、商品価格は「仲買人の利益」分をその都度上乗せし、必然的に消費者は高い商品を買い、生産者は安く買われることで、社会経済上の「相対的貧困層」に落ちていく。つまり、「商人は必然的に相対的富裕化する」。

これが、商人階級の必然的富裕化と生産階級の必然的貧困化(ひいては「安いものを高い値段で買うしかない」消費層の必然的貧困化)のメカニズムである。
なお、取引において、商人は実は自分のカネを使っていない、という説も3の前に書いたが、これはタイプミスで消えてしまった。(要するに、消費者の払うカネから自分の利得を引いて、生産者に払うのだから、商人自体は「下手クソな商売人」でないかぎり、原理的には「自分のカネ」は使わないで済むことになる。ただ、そういう甘い汁の吸える商売にはライバルも多いのは当然だ。)


(以下は、上の文章に比べると「学術性」が低いので、駄弁として聞けばいい。)

なお、ドルの極限的膨張と破裂の予想により貨幣経済の終焉を予見したDSによる対策が「世界人口削減」「15分都市(商業経済の極限的縮小)」「中央銀行発行デジタルマネーによる人民奴隷化」である。
「15分都市」(もっと言えば、世界人口削減も同様だ。)が商業経済の極限的縮小を招くことは誰も言っていないようだ。つまり、商業経済(資本主義)の自殺だが、しかし、別の方法でDSは世界支配者の地位を守るつもりで、それがデジタルマネーである。これは必然的に人民の奴隷化になる。デジタルパスポートも同じであり、ひいてはマイナバーカード電子化も、その雛型だ。
WEFが世界の政府指導者を「育ててきた」のも、上記「対策」の準備だろう。つまり、ドルの破裂はDSにとってはずっと前から自明だったわけだ。

(追記)「紙屋研究所」ブログを読んでいたら、次のような一節に出会った。私はマルキシズムを概念でしかしらないが、マルキシズム批判者だ。しかし、下のエンゲルスの言葉には聴く価値がある。ただし、「空想的社会主義」と「科学的社会主義(マルキシズム)」の比較や呼び方についての紙屋氏の言葉は論理の捻じ曲げ、狡猾な強弁だろう。あくまで「空想的」は蔑称であり、「理性的」という褒め言葉とは大違いだ。その「理性的」への批判が今の時代に多少あるとしても、理性的をけなし言葉と思う人はいるまい。まして、マルキシズムを「保守的社会主義」と呼ぶに至っては、詐欺的言辞の極みだろう。冗談としても、あまりに悪質だ。

(以下引用)


 ただ、共産主義、とりわけマルクス主義科学的社会主義)は理性主義の批判者である。理性主義の批判者であると同時に保守主義の批判者でもある。そして両者に対する批判的継承者である。


 ぼくはそのことについて何度かブログで書いている。たとえばこれ


フランス革命の後「理性主義」を批判してバークのような「保守主義」が登場したが、頭の中でこしらえただけの「理性」でもなく、単純な今あるものを肯定する「保守」でもなく、現実の中から新しい理想の萌芽が生じるというまさに科学的社会主義マルクス主義の真骨頂がここにあるのではないのか〔…中略…〕世界の現実の中から必然的な理想が生まれ、それに基づいて世界に働きかけるという態度は、マルクス主義であり〔…略…〕


 これはまさにエンゲルス『空想から科学へ』で展開されている。


 エンゲルスは、フランス革命啓蒙思想に基づく「理性によって社会を改造する革命」であったとする。しかし、エンゲルスもやはり、その「理性主義のゆきすぎ」をあれこれ面白おかしく紹介している。


要するに、啓蒙思想家たちのすばらしい約束と比較して、「理性の勝利」によって打ちたてられた社会的・政治的諸制度は人々を激しく幻滅させる風刺画であることがわかった。(『マルクス・エンゲルス8巻選集7』大月書店、p.43)


 そして、社会変革が何によって推進されるかを次のように説く。


〔…略…〕あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因は、人間の頭のなかに、永遠の真理や正義についての人間の洞察がますます深まってゆくということに、求めるべきではなく、生産および交換の様式の変化に求めなければならない。それは、その時代の哲学にではなく、経済に求められなければならない。現存の社会諸制度は非理性的で不正であり、道理が非理となり、善行がわざわいとなったという洞察がめざめてくるのは、生産方法と交換形態とのうちにいつのまにか変化が起こって、以前の経済的諸条件に合わせてつくられた社会制度がもはやこの変化に適合しなくなった、ということの一つの徴候にすぎない。このことは、同時に、あばきだされた弊害をとりのぞくための手段も、やはり変化した生産関係そのもののうちに——多かれ少なかれ発展したかたちで——かならず存在している、ということを意味する。これらの手段は、けっして頭のなかから考えだすべきものではなくて、頭をつかって、眼前にある生産の物質的諸事実のうちに発見しなければならないのである。(同前p.60)


 つまり、「人間が頭で描き出した人工的な理性ではなく、社会の中で現実に育っていく法則的に生じてくる新しい萌芽が、現状の中から生まれながら現状を変えていく理想としての力なのだ」という表明がある。そうした現実の社会発展の法則を認識して、新しい社会を展望するところに「科学」の所以があり、そのために「空想的社会主義」(理性主義的社会主義)ではなく、「科学的社会主義」と自称するのである。なんなら「保守主義社会主義」と言ってもいいだろう(笑)。




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或る「精神革命」? www

「神戸だいすき」記事で、記事筆者の人生が(かなり)正直に書かれていると思える。もちろん、公に出した文章だから、すべてが本当とは思わないが、彼女の主観的には「事実」がほとんどだろう。彼女の夫の側から見たら、全然違うかもしれない。
宗教的というか、超自然的な「憑依」や除霊の話は、私は全然信じていない。夫君の「性格が変わった」のは、彼自身の心の中で何かの変革が起こったのではないか。まあ、周囲から見て「人間そのものが変わった」と見られるほどの変化が起こるのは珍しいだろうが、人間は自分の思想によって自分を作るものだから、不思議でも何でもない。べつに悪霊が出て行ったわけではないだろう。
神戸だいすき女史は、働き者の頑張り屋だと思うが、その反面「他責志向」の強い人間だと私には見えるから、女史と暮らしている人間(特に怠け者)は、ちくちく責められていた可能性が強い。その男がもともとは男権的な性格を持っていた場合、その非難がトリガーとなって、暴力的な言動やエゴイスティックな性格を露呈するようになったという可能性が高いように思う。つまり、霊とか宗教とはまったく無関係な話として下の記事は読める。あるいは、転院した病院で、優れた人格の人間(医者や看護婦、あるいは同じ病室の患者)の精神的影響を受けたのかもしれない。

(以下引用)



本当に、主人の人柄が変わってしまったのです。

今日、主治医に会えたから「精神安定剤が効いているのでしょうか?」と、尋ねると「いいえ、むしろ、最近は、減らしているんですよ」と、言われた。

本人は、幸せそうに「24年前、55歳で、倒れて、ここでリハビリをしたことと重なって、気持ちが若返る」と、喜んでいる。

大変穏やかで、いかにも、善良。

こんな人だったかなあ?

いや~違うよ、ささいなことで、かっとなって、物を投げつけるような、扱いにくい人だった。

でも・・・

いや・・・まさか・・・そんなこと?

もしかしたら、であった頃の「好青年」に見えた、あの人かもしれない。

結婚したら、人は変わるというけど、これが、そうなのか?と、思った。
主人の両親は、息子の変貌ぶりに、嫁が悪かったのかと、私のことを、よく思っていなかった。

ようやく、実家での不幸せな暮らしから、逃げ出したのに、次の罠が待っていた…と、私は思った。

何年もたって、ついに、もはや、これまでと、死ぬことまで考えて、宗教教団の門をたたいた。

夢に、主人の祖父が現れ、名前を名乗って、うしろから、私の首を絞めて「苦しいか?わしは、こちらへきてから、ずっと、この目におうている。その姿を、お前の夫に現わしている」と言った。

さかのぼること、8年前。
結婚して8か月たったある夜、2月だった。
夜中の3時に、夫が、私を起こして
「今、左の手足の先から、冷たいものが入ってきて、カラダの半分が氷みたいになった。俺は、このまま死ぬのかな・・・」と言った。

そんなこと言われても・・・

夜中の3時に、起こされてもね~もう一度寝てしまったよ、私は。

けれど、その翌日から、彼の人柄が変わった。

前の日まで、会社から、すっ飛んで帰ってきては、その日あったことを、しゃべりながら、私の後を追っていたのに・・・

苦しい苦しいと言い出して、不機嫌になった。

検査の結果高血圧になっていた。

初めの数年間は、苦しがるだけだったけど、やがて、凶暴になって、子供たちは、父親を見ると泣いた。私は、一人で子育てをしなければならなかった。

少しでも口答えをしたら、物を投げつけられた。
弟が、精神異常で実家にこもっていなければ、離婚して帰ることもできたけど、あっちもこっちも、火の車だった。

本当につらい時、人は「つらい」なんて言葉は口にしない。そんな余裕がない。今この時を、なんとかしてしのぐだけだ。

しのいでしのいでなんとか、暮らしたけど、弟が「幻聴を聞く=統合失調症」だと、気づいたとき、私の絶望は、あまりに深かった。
当時、統合失調症は遺伝すると思われていた。

この子たちの将来はどうなる?
もうこうなったら、この子たちの手を引いて、踏み切りに飛び込むしかない・・・

そこまで追い詰められて、私は、ついに宗教の門をたたいた。

主人の祖父のお施餓鬼をすると、主人の苦しみが、少しましになった。

でも、私は、宗教にそういう力があるとは、信じなかった。
だから「試した」

主人が苦しくなくなったと、言ったとき、ならば、もっと、祖父のお施餓鬼をしようとは思わなかった。本当に、祖父が主人に憑依して苦しませているのなら、許せないほど腹が立った。
私は8年間、苦しんだ。

なんで、そんな相手にお施餓鬼をしてやらなくっちゃならないとも思ったし、

お施餓鬼用紙に名前を書いただけで8年間も苦しんだものが、改善するだなんて、私は、迷信深くはないぞと思った。

だから、その次「苦しい」と言い出すまで、ほっておいた。
3週間後に「息が苦しい」というから、しょうことなしにお施餓鬼をすると、たちまち、楽になった。

その次は3か月後で、その次は2年後だった。

お施餓鬼を繰り返すことで、主人の苦しさは楽になったけど、高血圧は治らず、相変わらず、おこりっぽい、気持ちの通じない人だった。

そのあと、脳卒中で倒れることになり、私は「人生って、まだ、私に、新しい苦労をもたらすのか?」と、思ったよ。

「幸せになりたい。楽になりたい、ほかの人が羨ましい」と、思っていたけど、

なんか、私が幸せを求めると悪魔が、あざ笑って、不幸を投げてくる気がして、もう、幸福なんか望まなくなった。

それまでだって、近所の悪ガキたちのシェルターになったり、いろんな奉仕活動はしてきた、苦労も多かった。でも、それからあとは、自分がやったことを、数えなくなった。

つらく悲しく苦しいのが人生というものだと。あきらめた。

あきらめて何年もたって、さすがに、もう、これ以上の不幸に襲われることはないだろうと油断したとたんに、2度目の脳卒中で主人が倒れた。

さすがに、もう、驚いたり騒いだりはしないよ。人生なんて、こんなものだもの。

一回目の脳卒中の時には、相当衝撃が大きかったので、(もっとも、あんまり苦しがるので男の本厄42歳で死ぬんじゃないかと、覚悟はしてたんだけどね)

宗教の先輩に、訴えた「私の信心が足りないから、こうなったのでしょうか?」
すると、先輩は強く言い切った。
「違います。そんな風に考えなくていい。あなたは、悪くない。」

神様は「ほんとなら、因縁どおりなら、もっと早くに倒れていました。でも、その時期を遅らせていただけたのですよ。」つまり、大難を小難かな?

もう少し前に倒れていたら、子供たちを大学にやれなかった。おおきな運命の狂いが生じるところだった。

これは、乗り越えなければならない道だから、避けては通れない。

そう告げられた。

たとえば、徳積によって、ゼロにしてもらえる悪因縁も、あるけど、絶対に避けて通れない人生の門がある。それは、どうしても超えていくしかない。

宗教をやっていたら、なんでもかんでも、やすやすと災難を避けられるとか、病気にならないなんてことはありません。

その人が、今生で、己を磨くために必要なことなら、絶対に避けられない。

真正面からぶつかって、乗り越えるしかない。どんなに、つらくても、悲しくてもね。

そういう局面はいくつもあるよ。むしろ修行者の方が、たくさん経験する。

だから、今度、主人が倒れて、あっけなく死んでも、あるいは、寝たきりになっても、恐ろしく手間取る介護生活になっても、それは、受け入れるしかない。

不必要な苦労を神仏は与えない。与える苦労は、必要な苦労。魂の成長に必要な苦労だから。

宗教とは心魂を磨くためのものだから。

何が起ころうと、受け入れ、乗り越える。

そう、覚悟するのだけど、冷静ではないよ。血圧は上がるし、平静じゃない。

肩に力が入っている。

そして、今日、初めての主治医との面談。

やはり不安。なにか、絶望的なことがあったら、どうしよう。いやいや、何があっても、負けない!と、自分に言い聞かせながら、今朝は、めまいがした。

けれど、行ってみると、主人は、温和な表情で、幸せそうにしている。
「前向きですから、リハビリにも成果が出ると思います」と、主治医。


ほっとして、帰ってきて、娘にパパの写真を送る。
「だれ?これ。知らない人なんですけど」と、メールがかえってきた。


「そうやねん。私も、誰だかわからない。あんな穏やかな様子を見たことがない」


でも・・・もしかしたら、あの2月の夜、主人の左の手足から入ってきた冷たい塊が、抜けていったのかもしれない。

50年間も、本当の自分じゃないなんてことがあるのだろうか?

出会った時の彼は「出世はしません」と言ったし、全然、頼りがいは無かったけど、冗談好きの明るい性格だった。

それが1年もしないうちに、別人になってしまった。

だから、子供たちは、不機嫌なパパしか知らない。

なんで、結婚したのよ!と、娘に責められる。
だって、昔の結婚では、相手がどんな人かなんてわからなかったんだから・・・

いや、であった頃は、好感のもてる人だった。
あの人は、どこへ行ったのか?と、最初のころは思ったけど、もう、50年間も続くと、すっかりあきらめて、昔の記憶も消えそうになっている。

でも・・・・もしかしたら、50年もたって、であった頃のあの人が返ってきたのかもしれない。

まさか、ありえないけど、ようやく、主人の祖父も、気がすんで、でていったのだろうか?

長い苦労だった。最初は徳積だと言われ、あれこれ打算で動いたけど、やがて、結果を期待しなくなって、それから何十年もたった。

何が何だか、わからないけど、もしか、あの好きでもないけど、悪い人じゃないと判断したあの人が、戻ってきたなら私はうれしい。

終わりよければすべて、よしだもの。

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