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原発作業員死亡

「反戦な家作り」中のツィッターより転載。日経電子版で確認の上、コピーしようとしたが、そちらはコピーできなかった。コピー防止されているようだ。ここにも邪悪なものが感じられる。
言うまでもなく、記事中の作業員とは原発事故処理の作業員である。この仕事がいかに危険な仕事であるか考えれば、死因が心筋梗塞であるというのは信じがたい。そもそも、心臓に持病を持つ人間なら、このような激しい肉体労働はできないだろう。心臓に持病の無い人間が、いきなり心筋梗塞になるか? 人間が死ぬ時は必ず心臓が停止するから、心臓停止による死とは、死因隠蔽に使われる用語でもある。
亡くなった人は60歳くらいの人のようだが、いかに放射能感受性の低い年齢でも、強烈な放射線を浴び続ければ放射能障害になるだろう。東電の原発作業員に対するこれまでの扱いを見れば、本当に適正な作業管理をしていたかどうか、あやしいものである。
ついでながら、急激な放射能傷害による死に方は、体の表皮がすべて再生不可能になり、血だらけでケロイド状の最悪の様相を見せる。もしもこれが放射能による死でないなら、その死体の写真を公開するのも、世間の疑惑を消す方法にはなる。
まあ、案外、本当に心筋梗塞による死なのかもしれないが、これまでの原発関連の嘘八百がたたって今や東電は世間から「狼が来たぞ」の嘘付き少年同様に見られているので、何を言っても信じてもらえない可哀そうな状態ではある。

(以下引用)

作業員の死亡。防護服は外部被曝を防げない。当日は作業開始から50分で倒れた。その間の外部被曝が170μSv。前日から現場に入っており3時間作業。この日の線量は報道なし。 14 hours ago · reply · retweet · favorite
sensouhantai 作業員死亡。本当に心筋梗塞か。お医者さんが見ていたら教えて欲しい。持病のない人が、心筋梗塞で発作後すぐに呼吸が止まることあるのだろうか。ちなみに、司法解剖はしないらしい。http://s.nikkei.com/lrVe... 13 hours ago · reply · retweet · favorite

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太平洋戦争の総括をしなかったために……

「阿修羅」経由で、「晴れのち曇り ときどきパリ」といういいブログを見つけたので、そこから気に入った部分を紹介する。まだあまり読んでいないが、非常にいい「社会感覚」を持った人だと思う。どんなに偉い人でも、どんなに有名人でも社会感覚がダメな人間はたくさんいる。ここで言う社会感覚はべつに「社会遊泳術」のことではない。社会の実相を正しく見抜きながら、その正と不正を厳しく判断できる力のことである。

下記記事中にある
「昭和の10年代に、将来を嘱望された筈の、優良な日本人の層を皆殺しにして、その責任を負うべき当事者たる『滓』だけが生き残った。

そして、そのカスどもが、古くから伝わっていた「良き日本」を葬り去り、つまらない虚栄を餌に、弱肉強食の社会を造り上げ、声無き優良なる部分を貶め、醜き売国の徒のみが、大きな顔をしてのさばる国を、造り上げてしまった。」
という言葉は、まさにその通りだと思う。その代表が辻正信や岸信介だろう。そして、そういう人間を選挙で担ぎ、選挙で投票した人々が現在の日本を作ったのである。
ある意味では、日本は(少なくともその最良の部分は)とっくに滅びた国であったのだ。



(以下引用)


家族全員が、お互いを愛し、お互いを尊敬し、お互いを必要としあっている事を、お互いが理解し合っている。

親が、子の「最良」の手本であり、社会が家庭の規範であった。

そんな家庭が、そんな人間関係が、そんな社会が、かっての日本にはごく普通に有ったのだ。

それが、普通の人間の在り方であった。


そして、そのような「普通の」良き日本人が、先頭を切って死んで行った。

戦前の、疑う事を知らず、純真に「愛する家族」の為に、自らを犠牲にする事を厭わない精神。
「愛する家族」を守る事が、祖国を守る事であり、祖国を守る事が、愛する家族を守る事であった。

そして、そのような「純真な」人々が、「お国の為」に、死んで行った。
死なざるを得ない、そんな社会になって行った。

死ななくても良かった人々であった。


先の大戦で、日本は「貴重」な人的資源を失ってしまった様に思える。

残った者共は、そのような「アノニマス」な良き日本人の犠牲の上に、胡座をかいて平和を貪っていたのでは無かろうか。


そんな思いに、心が沈んでしまう昨今の出来事である。


企業は、あくまで利益のみを追求する。

資本主義社会体制の基に合って、当たり前の事では有る。
しかし、そこに国と国民とに対する愛情が、感じられるだろうか。

企業として、国に如何に貢献出来るか。
企業として、国民の幸せにどのような役割を果たせるか。

そのような「哲学」は、無い。


官僚達は、『公僕』たる立場を失念し、『選良』として振る舞い、仕えるべき日本国家と国民とに利益とならない事柄を、官僚としての「プロトコール」のみで実行して恥じない。

公務員としての『公務』が、まるで『上意』ででも有る如く。
おのれ等が、国家そのものででも有るかの如く。

ただひたすら「驕り高ぶって」エリート意識に凝り固まり、先例を踏襲する事にのみ腐心しながら、おのれ等の省益と、退官後の安寧にして贅沢な暮らしの為にのみ、時間を割く。

そこに、国に尽くす発想は、微塵も感じられない。
彼等の言動に、国民の幸せと平和の為に何を為すか、などという姿勢も意気込みも、毛筋程も見る事が出来ない。


政治家は、お国の為に、国民の為に、と言う「スローガン」に、本来の意味を見失って、単に地位と名誉を追い求める「自己満足」の極みに徹している。

ただただ、権謀術数に走り、駆け引きと、裏切りと、見せかけの言動とによって、「権力基盤」を固める事のみに腐心している。

有る数の国民に選ばれ、その国民の声を代表し、その国民の代表者として、自治体に、都道府県に、国にどのように「声」を伝え、それを持って貢献出来るか、などという姿勢等、何処にも感じられない。


そんな風に見えて仕方がない。


▶国民新党・亀井代表「防護服姿の岡田幹事長にあぜんとした」(産経見出し)

>亀井氏は民主党の岡田克也幹事長が福島第1原発から半径20キロ圏内の警戒区域を視察したことに触れ、「自分だけ防護服を着て、(相手の)工場長が防護服も何もなしで会う姿を見て大変あぜんとした。心の通いあう政治をやらなくてはダメだ」と批判した。
【産經新聞/5月11日(水)0時32分配信】


私も、写真を見て『唖然』とした。
この写真を見て、「唖然としない」人が居るだろうか?

防護服の「手袋」もとらず、平伏で頭を下げる工場長と、傲岸なる表情で握手する。
こんな政治家は、決して、絶対に、国民の気持ち等理解出来ない。

「マツリゴト」など、出来よう筈も無い。

これが、現実政府与党の「幹事長「である。


▶菅首相、原発事故収束まで6月から歳費返上(讀賣見出し)

>東京電力福島第一原子力発電所の事故に関して「事故を防げなかったことをおわび申し上げたい」とした上で、「事故の収束のめどがつくまでの間、6月から首相としての歳費を返上したい」と述べた
【讀賣新聞/5月10日(火)18時13分配信配信】


この報に接して、感動した人が居るだろうか?
バカバカしい、と思うしか無い。

とことん「スタンドプレー」に徹し、とことん地位を守る事に専心する姿しか、見て取れない。
未だに11万人を超える「避難所暮らし」の被災者の、最も火急の必要に応じる政策を実行しているとは、毛頭思えない。


これば、現実の「日本国総理大臣」である。

そして、そのソーリダイジンが本部長を務める「震災対策本部」のやる事が。


▶<東日本大震災>わずか2時間の我が家 川内村一時帰宅(毎日見出し)

>東京電力福島第1原発事故で、立ち入りが規制されている警戒区域(原発から半径20キロ圏内)内の住民の一時帰宅が10日、福島県川内村で初めて実施された。54世帯92人が参加し、2時間の滞在時間中、事前に配布された70センチ四方のビニール袋に持ち帰る物を入れ、ペットや家畜の安否を確認するなどした。

>自宅周辺を1時間ほど歩き、牛を探した。朝方までの雨のせいか、湿気が多い。近くの道路には、牛らしき足跡が点々と続き、道路脇の草を食べたあともあった。「群れになって生きているのは間違いねえ」

>疲れ切った様子で牛舎に戻った秋元さんは、牛がいつ戻ってもいいように餌場に草を置いた。「胸をさすってやると、本当にうれしそうな目をするんだから。国や東電は殺処分とか補償とか言うけど、そう簡単にあきらめつかねえんだ。家族と同じなんだから」
【毎日新聞/5月10日(火)21時26分配信】


たった、2時間。
70センチ四方のビニール袋。

これが、政府が「強制的」に立ち退かせた住民に、2ヶ月後に与えた「家庭の歴史」の回復のチャンスである。

馬鹿にするのも程が有る。
非人道的。

人としての情愛も無い。
国民に対する敬意も無い。
人造人間の如き総理大臣の政治である。

人間のやる事では無い。



▶東電社長、政府に支援要請…追加燃料費1兆円(讀賣見出し)

>東京電力の清水正孝社長は10日午前、首相官邸を訪れ、福島第一原子力発電所事故の被害者への損害賠償策について、政府に支援を要請した。

>要請書では、今年度、火力発電への依存度が高まって燃料費が追加で1兆円近くかかるうえ、社債や借入金の償還・返済でも約7500億円が必要となることなどを説明。「資金面で早晩立ちゆかなくなり、補償に影響を与える恐れがあるばかりでなく、電気の安定供給に支障を来す恐れがある」として、政府に対し、支援の枠組みを早急に策定してもらうよう求めた。
【讀賣新聞/5月10日(火)14時31分配信】


あくまでも、たわけた経営者である。

「私財を投げ打って責任を果たす」等と言う姿勢は、微塵も感じない。
「国策で原発推進して来た以上、国の責任だ。支援してくれ」

これが、「準公務員」とまで言われ、肩で風切って闊歩して来た、天下の東電の経営感覚である。

社会に対する「企業の責任」という感覚等、何処にも無い。



▶原発交付金「従来通り」と経産相…御前崎市長(讀賣見出し)

>中部電力浜岡原子力発電所がある静岡県御前崎市の石原茂雄市長は9日、国から市に交付される電源立地地域対策交付金について、海江田経済産業相が「従来通りやらせてもらう」と全額交付を示唆したことを明らかにした。
【讀賣新聞/5月9日(月)20時53分配信】


結局、改めて再確認出来た事は、政財官のトライアングルは、しっかりと固い絆で結ばれている、と言う事。

そして、その三角形の中に、「国民」という要素はすっぽりと抜け落ちている、と言う事。
依って立つ基盤となるべき「クニ」という概念も無い、と言う事。


日本と言う国には、「政財官」という支配者と、「沈黙の羊の群れ」しか居なくなってしまった。


昭和の10年代に、将来を嘱望された筈の、優良な日本人の層を皆殺しにして、その責任を負うべき当事者たる『滓』だけが生き残った。

そして、そのカスどもが、古くから伝わっていた「良き日本」を葬り去り、つまらない虚栄を餌に、弱肉強食の社会を造り上げ、声無き優良なる部分を貶め、醜き売国の徒のみが、大きな顔をしてのさばる国を、造り上げてしまった。


もちろん、誠心誠意、国の為に身を粉にして働いている官僚氏も居る事だろう。
しかし、そう言う高い意識を持った公務員も、出世の階段を昇るに連れて、初心を忘れ去り、霞ヶ関の色に染まりきってゆく。

日本の為に、必死で尽くそうと努力して居られる政治家諸氏も、いらっしゃる。

しかし、「悪貨は良貨を駆逐する」原則は、生きている。
埋没しないまでも、腹黒い一味の陰謀(敢えて言う)の前に、なす術も無い事が多い。

正義は、通常は為されない物だ。
そんな日本になってしまった。

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原発=資本主義=ユダヤ・キリスト教

曽野綾子のインチキぶりを批判していた頃は面白かった山崎行太郎だが、3.11以降はろくな発言をしていない。右翼なら原発を擁護しなければならないという義理があるわけでもないだろうに、ひどく歯切れが悪く、はっきりと原発擁護発言ができないイライラが昂じてか、原発議論そのものを時流便乗の軽薄な議論だとやっつけている。だが、日本の未来を考える上で、原発問題は最大の問題であり、今、原発を論じなければ言論人たる資格はない。いや、本職の文芸評論だけをやることにしたのなら、それでもいいが、ならばはっきりと「政治経済評論はやめました。私にはその能力はありません」と言うべきだろう。
下記記事は、比較的興味深い内容なので、転載する。
中沢新一はニューアカ(左翼のアカではなく、アカデミズム)という時流便乗的手法で売り出した学者で、私はあまり好まないが、時々鋭いことも言う。
ただし、ここで言っていることは別に珍しいことでも何でもない。資本主義が一神教(キリスト教)を背景にして誕生し成長したのは高校生でも知っているマックス・ウェーバーの説の焼き直しだろう。そして原発は企業と政治がひたすら金を目的として行動するという資本主義の象徴的存在であるのも多くの人が感じていることだろう。
だが、「一神教=資本主義=原発」と並べると、そこに「西洋文明の正体」つまり、その無道義性が際立つのも確かである。
この三題話的組み合わせは、今後原発や資本主義を論じる場合に便利な視点になるかもしれない。
念のために言うが、現在のキリスト教はユダヤ教の要素の濃い思想で、これは初期キリスト教とは大きく変質している。いわばユダヤ・キリスト教と言うべきものである。これは私の偏見でも何でもなく、真面目なキリスト教学者がはっきりとそう言っていることだ。純粋のキリスト教とは、聖書の中の「キリストの言葉」のみである。それも記述者によって変えられてはいるが、それでもその中にあるキリストの思想は読み取れる。

(以下引用)


マスコミにも論壇にも、受け売りの、一夜漬けの震災論議や原発論議が氾濫しているが、そうした付和雷同する議論の洪水にうんざりしている人も少なくないに違いない。私もその一人だが、無論、震災論議や原発論議のすべてが不毛だというわけではない。たとえば、中沢新一の「日本の大転換」(「すばる」6月号)は、マスコミなどに氾濫している表層的な、紋切型の議論とは異なる思想と論理を展開している。中沢は、原発事故を、一神教や資本主義と関連させながら論じる。 つまり、原発が生態系にとって異質な「外部」を、我々人間の住む生態系に持ち込んだとすれば、一神教も資本主義も、同じような「外部」を持ち込んだものだという。その意味で、あきらかに震災と原発事故は同じ種類の事故や災害ではない。大震災も悲劇的な大災害だが、それは、植物が新たに芽生え、生き延びた人間が再び家を立て生活を取り戻すにしたがって復興や再生が可能なのに対して、原発事故の場合は、大震災の被災地と同じような復興や再生は不可能だという。ここまでは誰でも考えそうなことだが、中沢の議論が面白いのは、原発を、宗教や資本主義の問題と結びつけるところだ。中沢はこう書いている、「ほんらい生態系には属さない『外部』を思考の『内部』に取り込んでつくられた思想のシステム、それはほかならぬ一神教(モノティズム)である。『第七次エネルギー革命』の産物である原子力技術の、宗教思想ににおける対応物が一神教なのである」。そして、「第三次エネルギー革命」のさなかの中近東に誕生した一神教の誕生について、モーゼの神との出会いを通じて、こう書く、「世間で知られている神々は、動物の姿をしたり、人間の男や女の姿をしているが、自分はそういうイメージをいっさいぬぐいさった、抽象そのものの神である、という思想が伝わってきた。他の神々は山や川の女神であったり、動物界や植物界を支配する神であったりするのだが、自分はそういう環境世界には所属しない絶対的な神で、むしろ環境世界の外部にいて、そこから世界そのものを創造した神である。」「ユダヤ民族はそういう絶対的な超越の神を信じなければならない、そう火の中なかの声は語った。この体験をきっかけにして、モーゼは人類の宗教思想に革命をもたらす者へと変貌していった。(中略)一神教が重要なのは、それに特有な「超生態圏」的な思考が、西欧においてキリスト教の衰退後に覇権を握った、世俗的な科学技術文明の深層構造にも、決定的な影響を及ぼしているからである。」(続く)

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勝海舟の言葉

勝海舟の『氷川清話』の中に、東北の大津波に関連して徳川政権の人民救済と明治政権のやり方の違いを述べた部分がある。そして、現代の日本の政府は、まさしく勝海舟から批判されている明治政府とまったく同様である。
「近代」とか「文明」というものが絶対的なものであるかのように思っている人間も多いが、近代の日本政府が人民の上に立つ武士の誇りや仁愛を忘れ、底辺の人民や一般人民の日常生活への配慮を失ったことが、今回の地震と津波の被害を悪化させた原因だろう。
『氷川清話』の中には足尾鉱毒事件についての論評もあり、それもまた経済合理主義と企業の無道徳性において福島の原発事故と同根であるように思われる。「過去に対して盲目なものは、未来に対しても盲目である」とかいう言葉(ワイツゼッカーか?まあ、同じようなことは多くの人が言っていると思う)があるが、我々は近代というもの、西洋文明というもの、科学文明というもの、近代の経済システムというものをもう一度見直し、洗い直す必要がある。それと対比して、昔の東洋の政治を見直してみるのも有益だろう。

(以下引用。表記できない旧漢字を変えた部分がある。)

天災とは言ひながら、東北の津浪は酷いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛をして居るか、法律でござい、規則でございと、平生やかましく言ひ立て居る癖に、この様な時には口で言ふ程に、何事も出来ないのを、おれは実に歯痒く思ふよ。
全体人間は幾ら死んで居るか、生き残りたる者はまた幾らあるか、おれは当局では無いから知らないけれども、兎にも角にも怪我人と飢渇者とは、随分沢山あるに相違はない。
このような場合に手温い寄付金などと言うて、少し計りの紙ぎれを遣った処が、何にもならないよ。昔、徳川時代の遣り口と、今の政府の遣り口とは、丸で違ふよ。今では騒ぎ計りいらくつて(注:「偉くって」つまり大げさで、の意味か)、愚図愚図して居る内には、死ななくもよい怪我人も死ぬし、飢渇者もみんな死んでしまふよ。ツマリ遣り口が手温いからのことだ。何と酷ごたらしいぢやないか。
(中略)
徳川時代は、イクラお医者が開けないと言うても、急場になつてマゴマゴする様な者はなかつたよ。それに、なかなか手ばしつこい事をして療治するから、ドンナ者でも手後れの為に殺す様な事はなかつたものだよ。
左様の風にやつて行くと津波のために無惨なる者も憂き目を見る様な事が無くなつて来る。それから三ヶ年も五ヶ年も、ツマリ被害の具合次第で納税を年賦にして、ごく寛(ゆる)くしてやるのだ。
一方では怪我人や飢渇者を助け、他方では年貢を寛めるから、被害の窮民は悦んで業につく様になるものだよ。かうなればモーしめたもので、安心さ。

 (勝海舟『氷川清話』より。明治29年の津浪についての談話)

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事実の重み

「阿修羅」投稿記事より転載。元記事は「ちきゅう座」で、私も「お気に入り」に入れているものだが、この記事は未読だった。
ネット記事を大きく分けると、「事実」と「意見」の二つになる。読んで面白いのは「意見」であるが、読んで為になるのは「事実」である。ルポルタージュ的記事は、もちろん筆者の主観で見た事実ではあるが、それでもただの意見には無い事実の重みを持っている。下記記事の持つ迫力もその事実の力だ。テレビ画面などではけっして出てこない「ヘドロの臭い」や、悲惨な現実を前にしての「絶望的な心情」など、一般マスコミにしか接しない人間には分からないものだろう。


(以下引用)


★阿修羅♪ > 自然災害17 > 304.html  
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遠吠えしていてはわからなかった!津波に飲み込まれる港町“気仙沼の今”(ちきゅう座)
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/304.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2011 年 5 月 06 日 10:24:43: twUjz/PjYItws


http://chikyuza.net/n/archives/9360

遠吠えしていてはわからなかった!津波に飲み込まれる港町“気仙沼の今”
2011年 5月 5日時代をみる 9条改憲阻止の会

<9条改憲阻止の会>

-ボランティア現地レポート(気仙沼編)-泉 康子
2011年5月3日 連帯・共同ニュース第112号  

■ 長距離バスに飛び乗るまで
3・11以来、テレビの映像を見ながら「何か私に出来ることはないか」と考え続けた方は数知れないと思う。私もそんな一人だった。ひと月間、ピースボートや市民ボランティアセンター、都の生活文化局などを巡ってボランティア難民を続けた後、個人ボランティアを受け入れているという気仙沼と石巻の地図を購入した。続いて持病の薬を準備した。「テント、食料、水、トイレゴム長靴など装備は原則自己責任」と言われ、若き日の山道具の中から、テント、シュラフ、白ヘルメットを取り出してみたものの、トイレ、水で躓いた。すべてを詰めて背負ってみたが「これではバス出発地新宿に辿り着くまでに参ってしまう)と荷をおろした。やはり体力は落ちているのだ。気仙沼へは一ノ関から、石巻へは仙台から通勤する案を思いつきビジネスホテルに次々に電話し、数軒目で運よく5日間づつ確保できた。(被災地の宿は工事関係者、医療関係者で5月末まで満杯)少々お金はかかるが、この大津波の現実を目に焼きつけ、伝えなければという気持で決断した。本屋で手にした吉村昭の「三陸海岸大津波」という記録文学が背中を押した。
4月21日(被災から40日目)10日間の自炊食料に衣類、ゴム長を背負って仙台行きバス(3千円)が走り出した時、緊張と安堵が胸にあふれた。一ノ関経由で気仙沼に着いた。単独行の縦走の日が甦る。

■ 遠洋漁業の“気仙沼”の惨状―70歳代でも出来る仕事あり―
ボランティアセンターは駅から20分のところ。まずボランティア登録。住所、年齢、緊急連絡先を記入する。特技はと聞かれ力仕事と答える。その後ボランティア保険に加入する。8時30分から9時にかけ、その日要請の来た仕事と人数が読み上げられる。すると集まった100人ほどの人が、それぞれ「行きます」と手を挙げ名乗り出てグループ決定。作業に応じたブラシ、スコップ、1輪車などを積み込み車で移動―大昔の職安の朝の風景。私は2日間、ヘドロかき作業、2日間、物資の整理、梱包作業。ヘドロは床にも畳にもべっとり。提灯の内側にも厚くこびりついている。海から3kのその家には「水はこない」とふんでいたが、津波は、川が盛り上がり水門を越えて遡り2階の床に届きそうなところまで浸水。88才の母と60才代のご夫婦3人で2階に孤立―3日目に消防のボートで救出され避難所へ。ゴム手袋に、ゴーグル、マスク、ゴム長靴で完全武装し、作業したのだが、常にヘドロが運んできた臭いがたちこめている。
「ヘドロ水が目に入ると大変だ、瓦礫に混じったクギを踏み抜くと破傷風になる」と注意を受ける。昨日は二人やられたという。しつこいドロをブラシで落としながら、「富める者も貧しき者も‘偉い’人も凡人も、一回この作業を通過したらきっと何かが変わる」と思いつつ手を動かす。行く先によってはトイレ使用不可能なところもあり、私は尿とりパットをはめて出勤した。
帰ってくると長靴のヘドロを洗い流し消毒。手とノドを消毒する肺を守る行列に並ぶ。災害関連死は災害死の2倍に達するという。気仙沼入りした初日に、私はまず半日かけて港と一番ひどい鹿折(ししおれ)地区をまわり写真を撮った。被災後一月はボランティアを入れず自衛隊と警察で、遺体発見と道路の確保が行われていた。200屯の根室の船が集落に乗り上げ燃えただれ、密集した家々は焼き尽くされている。はるか離れた湾の先端にある石油基地からタンクが津波に押されて飛んできてビルに激突して火を噴いたのが始まりだった。消防車が出動したが、あっという間に引火し消防士は座したまま焼けた。乗用車も船も、重爆撃を受けたようにヘナヘナに押しつぶされ、炎がまわっていた。3日間引火する毎に爆発し黒煙を上げ燃え続けた。塩水をかぶった焼けただれた残骸は、すっかり赤茶色に錆び果てている。家は燃えて一軒も無い。何を見つけたのだろう。カラスが時々舞い降りる。―「私たちはどんな過ちを犯したというのだろう」
私はシャッターを押せずに、呆然と立ち尽くした。同志に友人に伝える言葉が見つからない。
私はただ祈った。1946年満州から脱出し、ピョンヤンで難民生活を終えて帰国した日に見た柱だけの東京駅、熊本の焼け野原もここまでひどくなかった。― 誰にだかわからないが祈り続けた。一番賑わったと言われている港に転じた。途中の街は、いくつもの2階建ての商店が、商品を波にさらわれ堂々とした屋根だけが陥没した母屋に乗っている。木造の商店は瓦礫と化している。はるかに大島の山脈が見える。山火事が起こりライフラインが切断されて孤島になったという大島。港の大通りには、巨大な女川町のマグロ船が乗り上げ聳えている。アカと白のツートンカラーの400屯の船を押し上げた大津波は、一度目より二度目の方が巨大であった。一度目は
たいしたことがなかったので、着のみ着のまま逃げた人々の中の何人かは、一波が引いた後モノを取りに家に戻った。そこえ第2波が来て、海に曳かれて姿を消した。勢いの強い引き波が一気に人々を呑みこんで沖に連れ去った。主客がひっくり返り地球の主役は大津波になった。
気仙沼で1220名が見つかっていない。815名の人は遺体で発見されたが、焼き場が足らず300名ほどが野球場に仮埋葬されている。木の墓標にはG-2-3のような記号が記されている。
人が自然と折り合いそこねた結果を一身に受けて生涯を閉じねばならなかった人々の地は、市街地から車で30分近く山に上がっていったところにある。言葉が凍る。果てしなく続く墓標の列。
明治8年の大津波を参考にして立てられたハザードマップは役に立たなかった。歴史を一千年遡った平安時代の大津波に匹敵する背丈であった。― 土地の人たちは前日の夕方、「いやに太陽が赤いネ」と囁き合っていた。
■ “800人の従業員は解雇せず”の決断 ― 希望の道
・ 80名の従業員を抱える「ししおりタクシー」は本社が津波で崩壊した。社長は運転手一人一人と面接し去るか残るかを打診。38名が社会保険料全額自己負担、賃金は出来高払い制で残り、後は去っていくことになった。
・ 気仙沼市の人口の7割近い人が水産関係の仕事に関連して生計を立てている。世界三大漁場の一つを腹に抱いた遠洋漁業の基地である。遠く太平洋、アフリカなどの外洋からもこの港に水揚げしたり、船のメンテナンスをしたりする基地なのだ。この地の最大手水産加工会社の社長は800名の従業員を抱え「従業員解雇か、休職」の岐路に立たされた。生き残った管理職を集め「解雇か休職か」の討議にかけた。多くは「もし解雇しなければ資金は二ヶ月しかもたないから解雇せざるを得ないだろう」という意見に傾いた。しかしこの討議をうなって聞いていた阿部社長は「全員休職扱い!」を決断した。「休職中も払い続けなければならない社会保険料を負担しても、全員に希望の道を作っておこう。もし解雇してしまえば多くの人々は気仙沼を離れていく。人がいなくなれば漁業基地としての気仙沼は再興できなくなる。人々が一時アルバイトで凌いでも必ず気仙沼に帰ってくる希望の道を作ろう」と英断を下すテレビの画面に向かって私は拍手した。― その時、私のボランティア地に気仙沼を選ぶことに決めた。それまでキセンヌマであったものがケセンヌマに読み変えられた。
■ ボランティアを終え気仙沼を去る日、私はこの人に会いに行った。外出中だったので前夜書いておいた激励の手紙を管理職の一人に手渡し握手をした。
物資仕分け作業の責任者である39才の市女性職員とは親しく会話し、思慮深く気仙沼の将来を背負っているたくましさに感動した。人にはタチナオルチカラガソナワッテイル。その蘇生に触れた感動であった。
6月11日「脱原発100万人集会」で国民的な意志表示を!
現在も継続中の原発災害に対してこの間、各地で様々の行動が展開されてきた。4月10日(日)
の芝公園や高円寺での集会やデモ、東京電力本社前の抗議行動、原発の現状や歴史への言及の集会、それらはいずれも盛会であり、政府やメディアの原発災害の隠ぺいと情報操作に異議を申すものであった。これは6月11日(土)「脱原発100万人集会」文字通り国民的な声、つまりは意志表示として現れようとしている。国民の声を無視する政府やメディアに対して国民の意思と声の所在を示さなければならない。政権保持だけに汲々とする菅政権、政局的な争いの場から逃れられない野党に対して、この災害とりわけ原発災害に対する緊急の、また長い視座での解決策の
実施を要求せねばならない。それは脱原発の歴史的決断と同時に、さしあたっての具体的処置を要求することだ。脱原発とエネルギー政策の転換にいたる径路として「福島原発の暴発阻止」と「浜岡原発停止」をまず現実化することだ。僕らは「脱原発社会」の構想のもとでそれにいたるさしあたっての径路《道筋》を明瞭にすることで国民の意志を具体化せねばならない。
■ 6月11日(土)が国民的な声と意志の表示として目指される中での様々の行動予定や企画ががある。それらの中から主なもの紹介して置きたい。5月7日(土)14時渋谷区役所前交差点集合15時デモ(詳細はHP:http//57nonukes.tumblr.com/).5月16日~20日(国会前座り込み闘争、福島原発暴発阻止・浜岡原発停止)。なお東日本大震災緊急救援市民会議の救援活動は5月7日~9日に第7次行動が予定されている。            (文責 三上治)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1380:110505〕

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情緒的記事と印象操作

読売オンラインから転載。読売新聞は最低のゴミマスコミ(俗に言うマスゴミ)だが、情報として利用するのはかまわないだろう。

着のみ着のままで避難した被災住民の生活は困窮の極致にあるはずだが、その報道があまりに少なすぎる。特に、義援金の給付の現状についての報道がほとんど無い。
下記記事は、私の推測だが、「恵まれた部類」の被災者の話ではないだろうか。つまり、勤めていた職場から65万円もの見舞金が出るというのは相当に幸運な話である。たいていは、その職場そのものが無くなっているはずだ。あるいは最初から仕事の無い人間もいるだろう。そうした人間には職場からの見舞金など、あるはずはないし、また職場は無事でも見舞金など出さない職場も多いだろう。出す義務はないだろうから。その職場自体が存続の危機にある時に、見舞金を出せるだろうか。
この記事に取り上げられたのは、偶然的に取材した相手なのか、それとも意図的に、「被災者は大変だけど、実はこんなに援助もされているのだよ」という印象操作をするために選ばれたのかは不明である。子供に携帯ゲーム機を買い与えたという話だけでも、「なんだ、余裕があるじゃないか」という印象につながるだろう。こうした印象の堆積が、被災者への無関心や忘却となる可能性もある。あるいはそれが狙いである可能性もある。つまり、政府の棄民政策の一環だ、というのは邪推しすぎるか?
市からの見舞金5万円があったというのも、この市だけのことか、それともすべての自治体で見舞金が出ているのかまで報道するべきだろう。特定の1個人を例として挙げるだけでは、被災者全体の置かれた状況など分かりはしない。こういう「情緒的記事」が日本のマスコミにはあまりに多すぎる。いや、わざとそういう記事にしてはいるのだろうが。


(以下引用)

 東日本大震災からもうすぐ2か月。


 着の身着のままで難を逃れた被災者の中には所持金が底をつく人も出始めた。全国から集まった義援金の申請受け付けは始まっているが、まだ手元に届いていない人も多い。避難所で使う机から子供の学用品まで、救援物資では補えない様々な出費があり、被災者からは「このままでは生活できない」との悲鳴も上がる。

 「避難所にいてもお金は出ていくばかり」。宮城県名取市の文化会館で避難生活を送るパート店員の女性(29)はそう顔を曇らせる。女性は津波で壊滅的な被害を受けた同市閖上(ゆりあげ)で母(53)と中学1年の弟(13)、小学1年の長男(6)の4人で暮らしていた。自宅は津波で流され、家にいた弟は半月後に遺体で見つかった。

 「ギリギリの生活をしていた」という女性の当時の貯金はわずか5万円。避難所の救援物資は十分ではなく、近所のショッピングセンターでカップラーメンや下着を買った。弟の行方を捜すため、車で仙台市などの避難所を回り、途中からはガソリン代を節約するため自転車を購入。避難所生活の長期化で衣装ケースやテーブルも買った。所持金はみるみる減った。

 新1年生の長男のランドセルは無償提供を受けたが、「もらい物ばかりでは惨め」と、筆箱だけは好きなポケモンのイラストが入ったものを買った。気分を紛らわせようと携帯ゲーム機を買い与え、出費は10万円を超えた。スーパーでのパートの仕事は被災から約10日後に復帰したが、その間の給与はなく、勤め先から計65万円の見舞金が出て、何とかしのげた。

 名取市からは3月下旬に見舞金10万円が支給されたきり。義援金の申請受け付けも始まっていない。5月中旬に市内の雇用促進住宅に入居できることになったが、家財道具をもう一度そろえるのにいくらかかるか分からない。母は体調を崩し、仙台市内の病院に入院、お見舞いに行くのにもガソリン代がかかる。弟の葬儀もこれからだ。「行政はもっと早く対応してほしい」と訴える。

(2011年5月9日03時08分 読売新聞)

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ビーゼニクの告発

「Rockway Express」より転載。おそらく、このような世界史的重要性を持ったニュース・情報も、表マスコミにはけっして載らないだろう。
アメリカ政府の元高官がはっきりとこのように証言したことの意味は重い。
アメリカの世界統治戦略、世界支配戦略はすべて9.11を起点とし、9.11を口実としているのだから。


(以下引用)


米政府トップ内部告発者:ビン・ラディンは2001年に死亡・9・11は内部犯行

在りし日のビン・ラディン

◆5月7日

 元国務次官補代理だった、スティーブ・R・ピーゼニクが、ビン・ラディンは2001年に死亡し、また9月11日同時多発テロは内部犯行である、と語ったと言う。

 既に上記の件では5月3日号の「オサマ・ビン・ラディンは二度死ぬ」や、5月5日号の「ビン・ラディン殺害報道の背後にある計画」で示したことではあったが、改めて信頼できる筋からの証言が出てきた、ということになりそうだ。

 ビン・ラディンの死因は「マルファン症候群」ということは、ここではじめて目にする病名だが、2001年にアフガンのトラボラ渓谷のどこかで死亡した、ということはこのピーゼニクも語っている。

 そうするとアメリカのSEALが殺害した人物は一体誰だったのか、という問題が出てきそうだ。ビン・ラディンのダブルだとか、兄弟だとか、いろいろ考えられるが真相は藪の中だ。妻や子供もいるから、どんな証言が出てくるのか・・・このままビン・ラディンが殺害された、ということで収まるのか・・・

 もしも以下にあるように、元国務次官補代理のピーゼニクが本当に議会や法廷で証言した場合、事態はどう展開するのか興味深いが、そのような事態になるかどうか、将来のことは分からない。ただし、このように、隠されてきた事柄が明らかにされる時代に入ってきたことだけは確かであろう。そしてその傾向はますます強まることだろう。


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●米政府トップ内部告発者:ビン・ラディンは2001年に死亡・9・11は内部犯行
http://www.veteranstoday.com/2011/05/04/top-us-government-insider-bin-laden-died-in-2001-911-a-false-flag/
【5月4日 posted by Veterans Today】

 元国務次官補代理のスティーブ・R・ピーゼニクは、連邦大審問で、9月11日同時多発テロが偽旗攻撃であったと彼に直接語ったトップの将官名を証言する用意があると言っている。
 
 「ビン・ラディンは既に何ヶ月も前に死んでいる」と語り、また政府は彼の遺体を利用する政治的に一番都合の良い機会を待っていたと語った。ピーゼニクは、1980年代初期にアフガンでソ連相手に代理戦争をしていた時、ビン・ラディンと面会し、彼と共に仕事をしたことから、事態を良く知る立場にいたことになろう。

 米政府内のトップのインサイダーであるスティーブ・R・ピーゼニク博士は、異なる三人の大統領の下で影響力ある地位にあった人物で、現在でも国防総省と係わっている者だが、昨日のアレックス・ジョーンズ・ショーでオサマ・ビン・ラディンは2001年に死亡しており、米軍のトップの将官が9月11日同時多発テロは偽旗内部犯行であったということを彼に直接語ったということを連邦大審問で証言する用意ができている、と語った。

 ピーゼニクは、「陰謀論者」として無視することはできない。彼は国務次官補代理として、ニクソン、フォード、かーターという三人の大統領の下で働いてきた人物であり、レーガンとブッシュ(父)の時にも彼ら大統領の下で仕事をした人物なのだ。現在も国防総省顧問として働いている。海軍の大佐であったピーゼニクは誉高いハリー・C・ソロモン賞をハーバード・メディカル・スクールで受賞しているが、同時期、MITのPhDになっている。

 国務次官補代理としてロレンス・イーグルバーガーにより引き抜かれ、「心理戦、テロ対策、異文化間交渉のための戦略戦術の基礎的教義を国務省、軍、情報機関その他の部署のため」作成した。その間、後に世界で利用されることになった人質救出のための基本的戦略をも作成した。

 ピーゼニクはヘンリー・キッシンジャー、サイラス・バンス、ジョージ・シュルツ、ジェームズ・ベーカーの下で政策プランナーとして仕事をした。ジョージ・W・ブッシュの選挙キャンペーンの仕事もした。彼の履歴は、過去三十年間以上に渡って、情報サークル内の最も深い部分を知る一人であることを示している。

 トム・クランシーの小説に出てくるジャック・ライアン、また1992年の映画「パトリオット・ゲーム」でハリソン・フォードが演じた登場人物は、スティーブ・ピーゼニクが下地になっている。

 2002年の4月、ピーゼニクはアレックス・ジョーンズ・ショーで、ビン・ラディンは既に「何ヶ月も前に死亡している」と語った。また、米政府は彼の遺体を政治的に最も都合の良い時に利用することを考えている、と語った。ピーゼニクは、1980年代初期にアフガンでソ連相手の代理戦争をしている時、ビン・ラディンと面会しているので、事態を良く知る位置にいたことになる。

 ピーゼニクは、オサマ・ビン・ラディンは、2001年に死亡した、と語った。「何か特別の作戦で殺されたのではなく、医者として私は、CIAの医者が彼を治療したことを知っていたし、彼がマルファン症候群の患者であったことは、情報名簿に載っていたことだ」と語り、米政府はビン・ラディンが死亡したことをアフガンに侵略する以前に知っていたと語った。

 マルファン症候群とは、変性遺伝子疾患で、治療する方法はない。この病気は患者の寿命を短縮するものだ。

 「彼はマルファン症候群で死亡した。ブッシュ(子)はそれを知っていたし、情報仲間では知られていたことだ」とピーゼニクは語った。CIAの医者が2001年7月にドバイのアメリカ病院に彼を訪問していたことを指摘した。

 「彼はマルファン症候群のため重篤状態だった。彼は死につつあったと言える。おれで誰も彼を殺す必要性は無かった」と語り、ビン・ラディンは9月11日同時多発テロ直後にトラボラ渓谷で死亡した。

 「情報仲間あるいはCIAの医者はこの状況を報告したのかと言えば、イエスだ、間違いなくイエスだ」とピーゼニクは述べた。パキスタンの敷地内で殺害されたという1日の主張に対しては、ホワイトハウスから公表されたビン・ラディンを殺害する襲撃作戦のライブ画面の写真の件で、「一群の人々が座ってあたかも緊張しながら画面を見ているこの全体のシナリオは、ナンセンスだ」と語った。

 「これは完全なでっち上げだ。狂ったアメリカ劇場にいて信じ込まされようとしている・・・なんでまたこんなことを繰り返すのか・・・9年前、既にこの男は死んでいるのだ。何故、米政府は繰り返しアメリカ人を騙そうとするのか」とピーゼニクは問いかけた。

 「オサマ・ビン・ラディンは完全に死んでいるのだから、ビン・ラディンを攻撃したり対決したり殺すことなど出来なかったはずだ」と語り、冗談に、ただ一つの可能性は、特殊部隊が遺体安置所を攻撃したということはあったかも、と語った。

 ピーゼニクは、イカサマ攻撃を行うという決定は、オバマが支持率で最低になっていたからでまた、出生記録問題に直面していたからだ、と語った。


 「彼はアメリカ人以上にアメリカ人であることを示す必要性に迫られていた・・・彼は好戦的で無ければならなかった」と語り、また何百人ものパキスタン人を殺害した無人機プレデターに対するパキスタンで高まる緊張と反対世論を前に、そのパキスタンを孤立化させる方法として茶番劇が仕組まれた、と述べた。

 「これは仕組まれたものだ。つまり、皆で座ってシットコム(コメディ)を見ている時、ホワイトハウスのオペレーション・センターだが、ゾンビのような大統領が出てきて、9年前に死んでいるオサマ・ビン・ラディンを我々は殺(や)った、と我々に告げるわけだ」とピーゼニクは語り、これを「今まで聞いた中で、最大の嘘だ、つまり馬鹿馬鹿しいということ」と語った。

 ビン・ラディンを殺害した、という政府のアメリカ人に対する説明を「お寒い冗談」として否定し、ピーゼニクは、「彼らは、オバマは出来る男であると見せること、彼がアメリカで出生していないかもしれないという疑惑、彼の生い立ちに関するあらゆる疑問、かれの経歴のあらゆる不審な点などを否定し、彼は信用できる人物であり、それでこの大統領を再選させようと躍起になっていたのだ。それで再度アメリカの一般人が騙されるのだ」

 ピーゼニクの断言する、ビン・ラディンがほぼ10年前に死亡していた、ということは、多くの世界の国家元首らの間や情報専門家らの間では言われてきたことである。

 ビン・ラディンは、「アメリカ人を9月11日同時多発テロで扇動したと同じ方法で戦争を行うために利用されたのだ。ブッシュ(子)とチェイニーが生み出したテロの世界という物語を正当化するためである」とピーゼニクは指摘した。

 昨日のアレックス・ジョーンズ・ショーでのインタビューの間、ピーゼニクは、有名な将軍から直接、9・11事件は起きるに任せたもの(スタンドダウン)であり、偽旗作戦であり、そのことを暴露した将軍の名前を連邦大審問で証言する用意がある、と語った。

 「彼らは攻撃を行った」と語り、関係者の中で、ディック・チェイニー、ポール・ウォルフォウィッツ、スティーブン・ハドレイ、エリオット・アブラムス、コンドリーザ・ライスらの名前を直接係わった者たちとしてピーゼニクは語った。

 「これはスタンドダウンを呼ばれていた。偽旗作戦、アメリカ人を動員するための虚偽の宣伝・・・ウォルフォウィッツのスタッフのその将軍が私に語ったのだ。私は連邦委員会の前に出て、個人名を証言するつもりだ。そうすることで、この問題を明らかにすることができる」とピーザニクは語った。彼は、「ものすごく怒りに満ちている」と言い、「それが起きたことを知っていた」と述べた。

 「私は士官学校で、スタンドダウンと偽旗作戦を教えたことがある。それを自分の全ての作戦隊員に教えたのだから、アメリカ人に対して行われたことが何かを私は正確に分かったのだ」と彼は語った。

 ピーゼニクは、連邦裁判所で、9・11事件が内部犯行であるということを彼に告げた将軍の名前を暴露する意思があることを繰り返し述べ、「そうすることで、馬鹿馬鹿しい限りの9・11委員会でなく、我々がこの問題を明らかにすることができる」と語った。

 ピーゼニクは自分はリベラルではなくコンサベイティブないしはティーパーティーメンバーだと説明し、この国が何処に向かっているのか、ということについて深く憂慮しているアメリカ人だというだけだ、と語った。

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考えること
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