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真の保守、天皇制などについて

「暗黒夜考」に転載された松本英志氏の文章の再転載である。
「徽宗皇帝のブログ」などでも繰り返し言っているように、私は「漸進的社会主義」を是とする人間である。右か左かと言えば左に分類されるだろう。
だが、

「※念のためにお断りしておくと、この前段では「保守」という概念を「自分たちの国や民族のまっとうな精神・文化・伝統を守り、それを後世に伝えて行こうとするあり方」、という意味で使っています。」

という定義に従うなら、私は保守主義者である。日本の文化・伝統・自然をこよなく愛する人間だ。そういう文化伝統の根底に天皇制があるのだから、天皇制にも肯定的だ。
私が以前に「書に見る明治維新における皇統の断絶」を書いたことで天皇制否定論者だと思っている人もいるかもしれないが、血筋的な意味での皇統の断絶など壬申の乱、南北朝その他、何度も起こっていることであり、それで天皇制を否定するのは、日本という国の個性(それを国体と言うと右翼的になり、また国体という言葉は政治の文脈でしか使われないことが多い)を軽視しすぎた議論だと思う。むしろ、天皇は「日本という国家の重石」であり、日本が危機に立つ時に、その重石が存在することが日本(の伝統)を守る大きな働きをしてきた、と思っている。
「引用2」に「たんぽぽ日記」から天皇についての記述を引用する予定だが、その考えに私も近い。いや、天皇という存在の意義をもっと積極的、根源的に捉えているつもりだ。

さて、日本に本物の保守がいない、という松本氏の言葉にはまったく同感である。石原慎太郎や橋下徹は売国奴であって、右翼とすら言えない存在である。本物の右翼なら、国を守るためにこそ戦うはずだ。それが外国の新自由主義者の手先になって国を破壊しようとしているのだから、日本人の風上にも置けない人間どもである。もっとも、慎太郎と橋下の立ち位置は少し違うようで、そのため政策面でもしばしば齟齬を来しているのだが。
では安倍や石破は保守か、と言えば、この連中は自分の仲間の既得権を守るという意味での保守でしかないだろう。まあ、それもこれも下の記事に書かれていることだから、後はお読みいただけばいい。


最後に、天皇という存在の日本人にとっての意味を示すエピソードを書いておく。
太平洋戦争の敗戦から間もない頃、ある左翼的思想の持ち主である学者がアメリカに留学し、その物質文明の巨大さに打ちのめされ、日本という国の卑小さを感じて劣等感に打ちひしがれていた或る日、「そうだ、日本には天皇がいる」と考え、明るい気持ちを取り戻したという話である。
このエピソードは昔の「文芸春秋」に載っていた話で、「文芸春秋」は右翼雑誌だと言えばそれまでだが、私の父親がこのエピソードに丁寧にアンダーラインを引いていたのが当時中学生くらいだった私の記憶に残っている。(今考えると、「文芸春秋」を読む中学生というのもなかなかレベルが高い。今の私はその頃からあまり進歩していないかもしれない)

「そうだ、日本には天皇がいる」

この言葉は、軽視していいものではない。
ある意味では、天皇が存在しなくなるとき、「日本」という国も存在しなくなるとも言えるのではないだろうか。
それが「万世一系」の真の意味であり、単なる血統の連続性の問題ではない、と私は思う。だが、もちろんこれは私の考えにすぎない。



(以下引用)


◆本当に「本物の保守」がいないね、この国には!
 2012-12-05 03:25:09 「松本英志」氏


●前段 ~ 本来的な「保守」のあり方と日本の現実

日本では「亡国・売国」のことを「保守」と呼びます!?

こう言ってしまえば、丸っきしの「ブラックジョーク」ですが、これが「日本の現実」なんですから、本当に腹が立つ以上に目の前が真っ暗になりますよ。

何よりも「国民の生活を守って、国土を守る」のが「保守」の土台中の土台、なんじゃないでしょうか?

※念のためにお断りしておくと、この前段では「保守」という概念を「自分たちの国や民族のまっとうな精神・文化・伝統を守り、それを後世に伝えて行こうとするあり方」、という意味で使っています。「保守」の本質論については、後段で論じます。

その上で「良き伝統、文化」を守る、「悪いところ」があればみんなで努力して改善し、「至らないところ」があればみんなで切磋琢磨して身に付ける、このようなものの上に、初めて本当の「国の誇りや名誉」といったものが生まれる、のではないでしょうか?

そういう国であればこそ、国民は本気で「この、自分たちの国を守るんだ」という気になる、というものです。誰かさんに「国を守る気概を持て」、とか上から指図などされなくても、ね。

ところが、「日本の保守」とか称している連中、口先ではえらそうな事ばかり言ってるくせに、やってる事は「これら」の正反対のことばかり、でしょう?

やれ「原発を守れ」だの、「消費増税は必要」だの、と。

何よりも、「国民の生活を守って、国土を守る」という一番、肝心かなめのものが欠片もない!!

「原発を守って国民の生活を破壊し、子供たちから未来を奪い(それ以前に、「子供たちから真っ先に放射能で殺し」なんですが...)、国土を放射能だらけにして、水も食べ物も汚染して....」、と。おかげで、今や日本の食品は「核廃棄物」、と世界中から呼ばれている始末、なんですからね。

この連中が「保守」したがってるのは「目先の利権」、それも官僚や財界の利権と、粋がりと格好付けだけの「面子意識」でしかない「中味のからっぽな、日本の名誉と誇りとやら」だけ。

石原慎太郎なんて奴が、まさにその典型でしょう? 安倍晋三だの、その他の連中も似たり寄ったりで。

「これ以上、原発をやっていたら生活が破壊されて、日本が滅びてしまう」という危機感を感じて、多くの「名も無き国民」たちが立ち上がった!

これこそ、本当の意味での「保守」なんじゃありませんか?

多くの国民がまともに生きて行けて、国土がちゃんと保たれていればこそ、「国がまともでいれる」んですからね。「領土問題だの、国防問題だの」は、これがちゃんとできている上でのハナシ、でしょう?

国民が貧富の格差と失業に喘ぎ、国土が大規模に放射能に汚染されているような状態では、「領土も国防も」へちまもないから、です。いったい、「誰のための領土で、誰のための国防」なのか、と。

「国民のための領土であり、国民のための国防」なのであって、「権力者のための領土、権力者のための国防」など、何の意味もないのです!

「フクシマ」が起きた後、井尻一男という「保守」の馬鹿が「天皇さえ無事ならば、国民などどうでもいいんだ」というふざけた事をほざいていましたが、これが「日本の保守」とかいう輩の本音なんですね。

当の天皇御自身だって、そんな事は思っていないでしょう? 

むしろ、天皇御自身は「フクシマ」の悲惨に喘いでいる国民のことを思って、本当に心を痛めていると思いますよ。那須の御用邸施設を被災者のために提供したり(那須自体も福島に近いので、既に放射能に襲われていたんですが)、被災者を見舞う天皇皇后の姿には、本当に国民の不幸を悲しんでおられる様が見て取れますから。

あえて「右翼風(?)」に言うならば、「保守」だの「右翼」だのという連中こそ、口先では「天皇、天皇」と言っているくせに、「天皇の国民を思う心」など、まったくわかっていない。いや、連中は単に天皇を権威に祭り上げて、「天皇を政治利用」したいだけなんですよ。「絶対の権威」に祭り上げた天皇の権威にあやかって、自分たちを「天皇の権威」で権威付けたいだけの。

私は「左翼」ではないので、天皇を否定しませんが、いわゆる「保守」「右翼」(ごく一部の「まともな右翼・民族派」を除いて)の「天皇を絶対の権威」に祭り上げての「天皇の政治利用」などは認めてはいません。

まあ、この問題は非常にむずかしいので、ここでやめておきますが。

私は、「本来の良き意味での日本」は大好きなのですが、もはや、そういう「正論」がまともに成り立たなくなってしまった、のですね。

「日の丸・君が代」で「日本、日本」と言っている連中ほど、もっとも醜悪極まりない「亡国・売国」の「原発カルト」どもであり、「アメリカのケツ」にぶらさがって「利権第一」のろくでもない輩どもであり、こういう連中が「日本という国の看板」になってしまっているから、です。残念ながら。

ごく一部に、「日の丸」を掲げて本気で断固、「脱原発」を訴え続けている人たちもいますが、彼らをとことん攻撃しているが、この「保守」「右翼」の連中なんですから、ね!

いったい、誰のための「国」であり、誰のための「国家」なのか?

これこそが、国、国家というものを考えるに際しての「事の本質」、であるはずです。しかし、その視点が全く欠落したままで「国、国家」というものを安直に、自分たちの権威付けのために用いているのが「日本の保守・右派」勢力なのですから。




(引用2「たんぽぽ日記」より)





ネットで私のことを狂信的な皇室信者などと呼んでいる人たちもいる。
(私ほど右翼を嫌っている人間はそうそういないと思うが・・・)
実際に、好きでもないのに仕事などで右翼と付き合う破目になり、
本当に嫌な思いをした経験から語っており、
ただ、ネットで右翼の話を見ただけで書いているわけではない。


私も明治維新のどさくさに紛れて、岩倉や伊藤などが孝明天皇を毒殺、
長州藩の藩士の末裔が天皇に就いたーなどという説があることを20年ほど前から知っている。


仮に、そのような入れ替わり説が本当だとしても、
私には現在の明仁天皇や徳仁親王が悪人にはまったく見えない。


私はブッシュやオバマ、
石原慎太郎や橋下徹、菅直人らは悪人に見えるが天皇や皇太子は悪人には見えない。


まあ、このあたりの感覚は人によって違うのだから、
他人に強制しようとは思わない。


ただ、昭和天皇は政治的影響力を多少は行使できたのだが、
象徴化された今上天皇は、政治に介入する権限がまったくと言っていいほどない、
政府が作成した書類を承認しているだけである。


立憲君主制と言っても、明治時代と現在ではまったく違う。
中でも、昭和天皇は激動の戦争時代を受け持ち、
自分の思い通りにならない国政に歯がゆい思いをされていたようだ。





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俳句という遊び

毎日毎日、寒さの余り家に閉じこもって、ほとんど冬眠状態だが、いったい地球温暖化はどこへ行ったのだ。はやく温暖化してほしいものである。
若いころには千葉や東京にも住んでいたのだが、12月初旬、いや、正確には11月末からこんなに寒かった記憶は無い。むしろ11月や12月初旬は、「清涼で爽やかな季節」という印象であった。
まあ、暖流が近くを流れる海岸部の関東と、盆地の京都では気候が違って当然だが、昔からこの土地に住んでいる人々は我慢強かったのだなあ、と感心する。平安時代の貴族の女性など、「冬なら」十二単など着ていたのも納得、である。しかし、トイレの時は十二単をいちいち脱いでいたのかね。
さて、政治関係の話は一服して、今日は風流関係の話で、書けば多分自分の底の浅さを知られてしまうような内容だ。なぜそんなのを書くのかと言えば、馬鹿でも無知・無教養でも堂々と自分自身を世間に公開していいのだ、という私の持論のためである。と言うより、本当は、ノートに書いておいてもどうせ見直すことも無いから、ブログを備忘録として使うだけである。私が馬鹿さをさらす事で、世間の人間は「年を取ってもああはなりたくないものだ」、と我が身を振り返る一助になるかもしれないし。

何の話かというと、俳句の話である。私はこれまで作った俳句が百に満たないというまったくの俳句素人だが、時々発作的に俳句を作ることがある。
で、昨日、近くの山を散歩して、俳句が次々に出来たので、それをここに書いておくわけである。
言い訳じみるが、私は「厭味な句よりは平凡な句、月並みな句の方がいい」という考えである。これは映画や小説などの好みもそうで、「後味がいい」かどうかが作品評価の大きなポイントになる。もっとも、ブニュエルの「アンダルシアの犬」など、後味がいいとはまったく言えないが、それが凄い作品であるとは評価する。逆に、世評が高くても、ゴダールの映画のように気どりまくった作品は大嫌いである。映画監督の中ではウィリアム・ワイラーなど、奇をてらったところがまったく無いので世間的評価はあまり高くないが、私の中では、「神様」スタンリー・キューブリックとほぼ同格である。
さて、話が俳句から逸れたが、俳句を作る人々の間では厭味な句、奇をてらった句が高い評価を得ることが多いと私は感じている。つまり、「自分には思いつかない」ものに人は感心するからである。だが、そうした奇をてらった句、作為がぷんぷん臭う句は厭味なものである。俳句に人生観をにじませるような深刻な句もだいたいが厭味なものだ。

俳句は、言葉によるスケッチである、というのが私の考えだ。

目の前の風景、ふと心の中をかすめる感慨を言葉で短くスケッチする。それが俳句の最高の機能であり、練りに練り上げて作り、歴史に名をとどめるような類の俳句は、芭蕉や蕪村などの天才が残したものだけで十分だ。凡人は、自分の平凡な感慨を、奇をてらうことなく平凡に詠めばそれでいい。要するに、俳句は万人に開かれた、日本の伝統的文化遺産である、ということだ。それをどのように利用しても誰も文句は言わない。

前置きがだいぶ長くなったが、私の持論がそうである以上、私の俳句は小学生レベルである。政治や社会を論じる時はいちおう中学生レベルはあるだろうと思っているが、俳句は小学生でも私よりうまく作る子はいるだろう。
だが、べつに人と競うためにやるのではないから、どんなヘボ句でもかまわないわけである。もちろん、それを公開するのがいいかどうかは別問題だが、私は、政治評論における「床屋政談」をもっと広げるべきだと主張するのと同様に、文芸でも「素人が文芸で遊ぶ」ことが広まってほしいと思う。特に俳句や短歌の裾野はもっと広がっていいのではないか。

さて、以下に私が昨日作った俳句を並べていく。ヘボ文芸作品に耐性の無い人は、ここで読むのをやめておくことだ。


1 下葉落ちて 視界広がる 林かな

(もうこれであきれてしまった人もいるだろう。「視界」というゴツゴツした言葉じゃなく、もっといい表現もあるだろうに、とは私自身も思うのだが、素人俳句で3分以上考えるのは無駄だ、と私は思っているので、そのままにする。)

2 空に舞う 落ち葉高々 鳥のごと

(初案は「風に舞ふ」だったが、どちらにしても月並みも月並み、あきれるほどだが、感じた通りなのだから仕方がない。「鳥のごと」は「鳥のごとく」とすると字余りなのでこうした。)

3 人も来ぬ 山に一本 紅葉かな

(「一本」は「ひともと」と読む。これでも子規の俳句の本くらいは読んでいるので、その程度の知識はあるわけだ。初案は「人も見ぬ」が初句であった。)

4 枯山に 鴉鳴きゐる 師走かな

(これは季重なりなので、最後の「師走かな」を変えたいが、面倒なのでそのまま書いておく。なお、「鳴きゐる」と旧仮名づかいにしたのは、ただの気分である。)

5 道に身を 乗り出したる 薄黄葉木

(少し厭味な句かもしれない。擬人法というのは厭味になりがちなものだし、「薄黄葉木」なんて無理な造語だろう。読みは「うすきばき」。実際に見た木の葉の色は、透明な黄色で、それが日に透けてきれいだったのだが、その色を俳句に詠むのは無理なようだ。「乗り出したる」は「のりいだしたる」と読む。)

6 昼にして 日の早傾くや 冬の山

(「早」は「はや」と読み、「早くも」の意。)

7 木隠れに 寺も見えけり 冬の山

(「木隠れ」は「こがくれ」と読む。)

8 宇多陵の 参道 冬の日を受けて

(これで私がどのあたりに住んでいるかが分かるかもしれない)


9 山越しに 京を見下ろす 師走かな


(別に末の句は「師走かな」でなくてもいいのだが、何も思いつかない時は、とりあえず今の季節がいつかを入れておく方針である。)

10 京囲む 山に幾筋 冬日の箭

(これも俗っぽい比喩だが、「箭(や)」を「矢」とするよりはまだ線状の光線のイメージがあるかと思う。初案は「遠山にレンブラントの光かな」という無季の句で、「レンブラント光線」がそのまま使われていた。「冬山に」としてもあまり変わり映えはしない。)


11 鳥騒ぐ 声も懐かし 冬の山

(「懐かし」は懐旧の情ではなく、「慕わしい」「孤独を慰めてくれる」意)

12 落葉の 山道行けば 風寂し

(本っ~当に、平凡そのものである。)

13 人も来ぬ 細山道や 風の音

(見たままの光景、風景である。)


14 暖かに 山の空き地を 日の照らす

(無季だし、平凡そのものだが、これも見たまま。)

15 道尽きて 戻る背中に 冬日かな

(本当は、道は尽きていなかったのだが、そろそろ家に帰ろうと思ってUターンしたのである。まあ、その程度の嘘は許容範囲だろう。)


以上、冬山散歩であった。

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希望は希望に満ちている

徽宗皇帝のブログにも書いたが、選挙期間内のネットでの選挙活動を禁じた公職選挙法のために、しばらくは選挙関係の記事は自粛である。そういうように自粛させ、国民を萎縮(おっ、「自粛」と「萎縮」で洒落になった!)させるのが政治権力の狙いであり、たとえば国政選挙の供託金制度によって貧乏人が最初から政治に関与できないようにされているように、日本は様々な手段で国民が政治から遠ざけられているのである。

私の持論は、国民が日常的に政治について快活に語れるようになった時に、政治自体の次元上昇が起こる、というものである。つまり、党派や思想の違う人間同士が政治論争をしても、それで人間関係が壊れることは無く、むしろそれで楽しい時間を過ごせた、という快さが政治議論に欲しいということだ。
これも何度か書いているが、「床屋政談」でいいのである。床屋政談こそ民主主義の土台であり、政治が専門家やインテリだけの専有物では民主主義の真の実現など永遠に不可能だ。
私の理想は、これも何度か書いているのだが、子供のころに読んだ『小公子』の世界である。この中に、アメリカの初期民主主義の理想的状態が描かれている。無学な雑貨店店主の老人(中年か?)と、まだ10歳かそこらのセドリックが大真面目に政治を論じるのである。
私には、これが政治の理想像だと思える。
その逆の例が「鼓腹撃壌」の話だ。ここでは、平和な世の中に満足した庶民が、それが為政者のお陰であることにも気づかず、「政治など俺に何の関係がある」と嘯き、それを見た為政者が、それで良い、と微笑むのだが、これは「民は依らしむべし。知らしむべからず」を象徴しており、国民が主体的に政治を決めていく民主主義の対極である。
国民主権や民主主義は実現不可能なファンタジーである、という考えもあるが、私はそういうペシミズムは採らない。

これも何度も書いているように、「絶望の虚妄なること、希望に相同じい」(魯迅)なのであり、希望も実は虚妄ではあるかもしれないが、同じ虚妄でも絶望よりは生産的で、「希望は希望に満ちている」(笑)のである。
まあ、それでうまいことを言ったつもりか、という幻聴も聞こえるが、「最後まで耐え抜いた者は救われる」(ドストエフスキー)と信じたい。もっとも、この言葉も「最後まで耐え抜いたならば、それが救われていることは自明ではないか」と言われればそうなのだが、言葉というものは意味や論理だけに価値があるのではない、ということもしばしば言ってきたことである。






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苫米地国際食糧支援プロジェクト

天才か詐欺師かマッドサイエンティストか、という苫米地英人が面白いことを始めたようだ。
あるいは彼が人類の救世主になるかもしれない。
誰でも知っているように、現在の世界の食糧生産能力は全人類に十分行き渡るだけあるし、それ以上に作れるにも関わらず、世界には飢餓に苦しむ膨大な人口がある。
NWOはそうした人間をむしろ殺戮しようとしているのだが、彼、苫米地英人はその飢餓に苦しむ人々を全員救おうというのである。
マザー・テレサのように一部の地域の人々を救うのではない。地球全体の飢餓人口を救うのである。
壮大な計画だ。
どうせ詐欺さ、と嘲笑する声も聞こえる気がするが、これほど壮大かつ人道的な計画は、私は生まれて初めて聞いたように思う。
あるいはこれが人類の幼年期の終わりを示すプロジェクトになるのではないだろうか。
これは全地球的にバックアップすべき計画であろう。
誰もが一度は考え、誰もが不可能だと考えていたことが、あるいは実現するかもしれない。
ここには載せてないが、そのプロジェクトの概念図は納得のいくものに思える。つまり、該当国で土地供給と食品加工工場の設置はしてもらい、食料加工技術と指導人材の供給、および支援体制は苫米地国際食糧支援機構がやる、という分担である。
これこそ、「飢えた人間に魚を与えるな。魚の釣り方を教えよ」の現実化である。
これまでの国連などを通じた食糧支援が世界の飢餓克服にほとんど役に立たなかったのは、飢えた者に魚を与えるという一時的な対症療法にとどまっていたからである。
私は、このプロジェクトが成功する可能性は高いような気がする。
それが実現したら、苫米地英人は全人類の歴史の上で最高の仕事をしたことになるだろう。ある意味では釈迦やキリストを超えた存在とさえ言えるかもしれない。




(以下苫米地英人のブログから引用)



2012年10月03日13:35



世界の飢餓をなくすことをゴールとした一般財団法人苫米地国際食糧支援機構が設立された。概要図を添付する


私のゴールである世界の戦争と差別をなくすことの一環として、世界の飢餓をなくすプロジェクトを各国のリーダー達に提案してきたが、ようやく具体化し始めてきた。これに合わせて、一般財団法人苫米地国際食糧支援機構(Tomabechi World Food Aid Foundation) を10月1日に設立した。財団法人名にわざわざ苫米地の名前を入れたのは、既に大統領や元大統領を含む一部の海外の大使や商工会議所などでは、Tomabechi FoundationやTomabechi Food Projectの名前で、私の「世界の飢餓をなくすプロジェクト」が知られているのと、あくまでも民間の財団であることを明確にするためだ。

とりあえず、海外のトップに提案を始めている財団のコンセプト図を日本語と英語でここにあげる。近々、このブログで様々な分野でのボランティアも募集する予定だ。

コンセプト図だけであえてここでは解説は書かないので、図だけではわかりづらいと思うが、プロジェクト賛同者には具体的に説明している。簡単に言うと、各国に土地を提供してもらい、そこに、財団が資金とノウハウを提供して、現地で雇用を創出した上で、作物を飢餓の地域に食糧にして送るという単純な方式だ。ただ、現地で作られた作物の加工食品を付加価値商品として土地の提供国は販売し外貨を稼げるようにする。また、土地の提供国は、このプロジェクトに対して税制などでなんらかの優遇措置をしてもらうことをお願いしている。また、飢餓地域におくる理想的な食糧の研究も重要なテーマだ。

全世界で12億人が飢餓状態にあるという事実を厳しく受け止めて、皆さんにも是非、協力をお願いしたい。

コンセプト図 
日本語 
苫米地国際食糧支援概要
英語 
World Food Aid (Tomabechi Food Project) Conceptual Diagram








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橋下はもはや発狂状態



「ライブドアニュース」から転載。元記事は「しんぶん赤旗」。
もはや橋下はなりふりかまわずである。これで橋下や維新の会を支持する国民がいればキチガイだが、いるのだよなあ。
だが、小泉売国奴政権の時とは違って、現在では国民も大マスコミが嘘ばかり流していることは知っているから、マスコミに踊らされる程度は低くなっているだろう。誰のブログだったか忘れたが、電車の中で中学生同士が、「マスコミがほめる人は悪い人で、けなす人がいい人なんだよね」と話していたそうだ。
橋下や維新の会をまだ支持している人たちはこの中学生たちより頭のレベルが低いと言うべきだろう。私はずっと前から自分の頭は中学生レベルだと言っているが、それも今後は自慢の一種になりそうである。





(以下引用)



最賃制廃止 維新の暴論




しんぶん赤旗

2012年12月02日 14:20



これでは奴隷制だ 世界では水準引き上げへ

 「これじゃ奴隷制度になる」「喜ぶのは企業だけだ」―「日本維新の会」が29日、衆院選公約で掲げた「最低賃金制の廃止」にツイッターなどで批判が集中しています。石原慎太郎代表は30日、「大阪の連中が考えたんですよ」「俺は知らない」などとうそぶきましたが、そんな話は通用するはずがありません。

 (藤原直)








 最賃制度とは、最賃法に基づき国が賃金の最低限度を定め、使用者はその額以上の賃金を労働者に支払わなければならないとする制度です。生存権を保障した憲法25条にもとづき不当な低賃金から労働者を守る極めて重要な仕組みです。

 ところが、日本の最賃は欧米主要国に比べて最低の水準(全国平均時給749円)で、フルタイムで働いても月12万円程度。「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営む」(最賃法)水準からはかけ離れています。

時給1000円以上こそ

 日本共産党は、働く貧困層をなくして人間らしい生活をつくり、国民の所得増で内需を活発にしてデフレ不況から脱却するためにも、「時給1000円以上」へ引き上げ、全国一律の制度に改革するよう求めています。

 橋下徹代表代行は「うちの党しか言っていない」と誇っていますが、世界各国では水準を引き上げようと取り組んでいるのに、廃止せよと主張するとは、時代逆行も甚だしいものです。

 橋下氏は30日、大阪市役所で「企業に最低賃金を課すと、それを出せない企業が本当だったら2、3人雇えるのに1人しか雇えない」などと歯止めのない賃下げ論を展開。一方で「賃金が低すぎて生活できない部分は負の所得税的な考え方(国による給付)で公が生活を保障する」と語りました。

 しかし、最低生活保障といっても、橋下氏は「今の段階でどんな制度かなんて出せるわけがない」と開き直りました。「最低水準といっても水準は下がる」「今の生活保護の支給水準は高すぎる」とも述べています。まともな制度にならないことは明らかです。

解雇規制の緩和も





(写真)最低賃金を1000円以上にと訴える全労連・国民春闘共闘の労働者=6月22日、厚生労働省前


 しかも維新は、電機大企業の13万人「首切り」など大リストラが問題になっているときに、解雇規制の「緩和」とセットで最賃の廃止を掲げています。

 最低賃金引き上げに反対し、解雇規制の緩和を求めてきたのは財界・大企業です。「国際競争力が低下する」といって安上がりで使い捨て自由の労働者を求めてきました。「労働市場の流動化」を掲げる維新の主張は、財界の要求にこたえるものです。

 橋下氏は記者会見で「どこの政党も言いきれない」もう一つの政策として、年金支給開始年齢引き上げや「保険料の負担と給付水準の見直し」と称して社会保障の切り捨てを強調しました。公約では財界が求める消費税の大増税(11%)と「企業減税」も明記しています。喜ぶのは財界だけで、国民にとっては、デフレ不況も貧困も格差も底なしです。





(引用2「ネットゲリラ」より)




ホントにバカでした。サヨナラ

野次馬 (2012年11月30日 22:43) | コメント(30)

ハシゲが狂ったらしいw 最低賃金を撤廃して、足りない分は国家がカネを出す仕組みを作るというんだが、そんな事をしたら、日本中すべての会社が時給100円とか1円とかにしちゃうぞw 足りない分は政府が出してくれるんだから、働きに見合う給料は払う必要がないんだものw シンタロは「公約なんか知ったこっちゃない」と開き直るし、まぁ、選挙前に化けの皮が剥がれてきたのは良い事なんだが、こんなんで選挙なんか出来るのかw つうか、選挙が終わったら、シンタロとハシゲ以外のメンバーは逃げ出しそうだねw





橋下徹「最低賃金は廃止で、賃金少ない奴は会社の変わりに国がお金出すから」

1 スナドリネコ(京都府) 2012/11/30(金) 14:49:33.79 ID:/CYpeJqX0

「賃金足りない部分は公が面倒みる」橋下・維新代表代行

企業活動の中で、出せる賃金、雇える人数をきちんと決めてもらって、できるかぎり多くの雇用を生み出してもらいたい。
ただ、最低賃金を撤廃したからどれだけ低い賃金になってもいいのか、と言ったらそうではなくて、足りない部分は公が面倒をみていく。
何も国民のみなさんに安く働けということではなくて、まず企業が出せる賃金はできる限り出して、雇用も生んでもらう。最低賃金といっても、低すぎたら労働者は来ない。

5 ピューマ(関東・甲信越) 2012/11/30(金) 14:51:11.01 ID:6aHuFd6gO
は?コイツ何言ってんだ?

6 オリエンタル(埼玉県) 2012/11/30(金) 14:51:53.27 ID:AbwrSHst0
ベーシックインカムか 驚いたな

9 アンデスネコ(岡山県) 2012/11/30(金) 14:52:38.96 ID:lae9FVIxP
その財源は?
はい論破wwwww

10 ジャングルキャット(新疆ウイグル自治区) 2012/11/30(金) 14:52:43.25 ID:w46bszg30
そうやって後から国が保障するくらいなら、最初から最低限は企業に出させるほうがいいだろう
ナマポの拡大と変わらんぞ
大体財源はどうするんだ、バカ

11 キジトラ(京都府) 2012/11/30(金) 14:53:06.84 ID:SLxOL2/f0
>今は企業に最低賃金というハードルを課して、それを出せない企業とかは

700~800円ぽっちの最低賃金も払えないのなら事業に無理があるってことだろ
そんな会社は潰れて結構

12 コラット(大阪府) 2012/11/30(金) 14:54:30.26 ID:AKftgcZp0
これ企業が不正しやすそうだな

13 イエネコ(やわらか銀行) 2012/11/30(金) 14:54:36.65 ID:Qz4k16vs0
そうすりゃ特定層に金を流す枠が大きくなるわな
運営も従業員も特定層の塊みたいな企業が時給100円ぐらいで働かせて穴埋めを公費で出すってな
それが合法で通るようになるんだろ?
ルールもへったくれもなくなるぞ

15 ユキヒョウ(東京都) 2012/11/30(金) 14:55:13.68 ID:STdoe/gs0
財源の裏付けがない政策の主張は法律で禁止すべき。

16 サビイロネコ(大阪府) 2012/11/30(金) 14:55:24.39 ID:t9qPOy6u0
最低賃金で働いてる人種
最低賃金以下でも働く人種ってなんだとおもう?
さらに言うなら、月給8万で働かせまくってるように見せる
で、実際は店長がタイムカード押してるだけなの
それで山分けなんて不正までできちゃうの
月給8万の募集で飛びつく人種ってなんだと思う

19 ジョフロイネコ(禿) 2012/11/30(金) 14:56:16.75 ID:0ees+UJC0
だんだんBIみたいな話になってきたな

20 ハイイロネコ(四国地方) 2012/11/30(金) 14:56:25.27 ID:G5KHBTte0
でその金はどこから賄うんだ?

22 ボンベイ(内モンゴル自治区) 2012/11/30(金) 14:56:46.01 ID:D4vrPzySO
ホントにバカでした。サヨナラ

23 マンクス(内モンゴル自治区) 2012/11/30(金) 14:56:50.43 ID:cAkJ1fRxO
回り回ってオリックスやパソナが儲かる仕組みになるんだろ
竹中が仕掛ける話はいつもそうだ

27 アンデスネコ(大阪府). 2012/11/30(金) 14:57:48.35 ID:P87zDeE00
>>23
竹中はワークシェアリングとか言ってるけどそこに当然パソナも絡むからなあ。
悪魔みたいなやっちゃで。

24 ハバナブラウン(dion軍). 2012/11/30(金) 14:57:03.92 ID:73oM7gdn0
ぼくがかんがえたさいきょうのせいさく

26 コドコド(岩手県) 2012/11/30(金) 14:57:21.28 ID:dwOgQ38p0
最低賃金より低い時給で雇っても、国が最低賃金と時給の差額を払ってくれるのか。
そんな事が通るなら、単純労働ならみんな時給100円とかにするんじゃないの?

28 セルカークレックス(山口県) 2012/11/30(金) 14:57:51.69 ID:mbtucEfK0
恥知らずな奴らが、手を組んで不正して儲けまくるだけ

31 サバトラ(長崎県). 2012/11/30(金) 14:58:40.85 ID:j7oWuzkZ0
どこの社会主義国家だよ

32 黒トラ(岐阜県) 2012/11/30(金) 14:58:49.49 ID:j/broHin0
>まず企業が出せる賃金はできる限り出して

中学生並みの頭しかねえのかよ・・・
どんだけ都合がいいんだよ
どうやってできる限り出したって判断するだよ、適正な給料を判断するやつは誰で、どうやってそれを把握できるんだ?

35 オシキャット(福島県) 2012/11/30(金) 14:59:35.72 ID:/4hPu+po0
もうなにをいってるのかわからない





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人類にはフリーエネルギー所有は早すぎる

IT技術者で神秘思想家のKAYさんのブログから転載。
非常に面白い考えであると思う。
たしかに、フリーエネルギーというものは人類の歴史を一変させるものであり、実現したら良い、とばかりも言えないようだ。
前にも書いたと思うが、フレドリック・ブラウンのある短編小説の中に書かれたように、人類が原爆(原発も実は同じことだ)を持つのは幼児にピストルをオモチャとして与えるようなものだ。
フリーエネルギーもまた同様に、「人類が持つには早すぎる」のは確かだろう。

私の持論だが、人類は科学の面では異常な進歩を遂げたが、倫理や哲学の面では釈迦、キリスト、孔子、ソクラテスの頃からほとんど進歩していない。くだらない認識論や用語の詮索に明け暮れる現代哲学の惨状を見れば、それは自明だろう。
我々の日常の道徳は、今でも孔子やキリスト、釈迦の思想に基づいているのである。いや、それよりむしろ堕落している。なぜなら、現代という時代、そして資本主義という社会システムは欲望の肯定と拡大を土台としているので、当然かつての倫理を打ち捨てることになるからである。倫理とは、あるいは道徳とは基本的に「禁止の大系」なのである。言い換えれば欲望に制限をかけることが倫理であり、道徳である。それが資本主義とは対極にあるのは当然だ。
自由主義というものも、また資本主義の同類である。自由とは、欲望を達成するための自由なのである。そして、世に喧伝される自由とは、実は一部の人間の自由でしかありえないことを多くの人は知らない。一人の人間の自由は他の人間の自由を侵害するのが当然であり、万人が万人とも自由である世界などありえないのだ。そして、その一部の人間(経済的支配者)の自由を最大限に拡大する思想を新自由主義と言うのである。
その資本主義と自由主義によって欲望が肥大した現代人がフリーエネルギーを持てばどうなるか。それは下記記事が描く通りだろう。


さて、下記記事の示唆することは何か。
我々は政治的な変革と同時に精神的な変革もしなければ、たとえ政治が一変しても、また元に戻るだろう、ということだ。
その変革とは「資本主義の精神」である「弱肉強食」「競争と闘争」の思想から「慈悲と同情」「共存共栄」の思想へ変革することだろうと今のところ私は考えている。まあこんなのはただのお題目だと言われればそうなのだが、言葉は思想になり、思想は人間を動かす、というのが私の信念なので、とりあえず、言うだけは言っておく。





(以下引用)





無限エネルギーの利用法が明かされない理由


カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育

フリーエネルギーという言葉を聞いたことがあると思う。
これは、無限エネルギーとか永久エネルギーとも言われ、その名の通り、どこにでも無限に、そして永久に存在するエネルギーで、それを取り出す方法が分かれば、石油もガスも原子力もなくても、そして、苦労して風力や地熱を利用して発電しなくても、望むだけのエネルギーを得られるというものだ。
しかも、これは非常にクリーンなエネルギーで、いくら使っても、有害な廃棄物は一切出さないという、まさに、夢のエネルギーだ。
そして、フリーエネルギーの取り出し方は既に分かっているのだが、現在のエネルギー産業から利権を得ている者が、あらゆる手段を使って、それが世の中に知られるのを防いでいるという話があったりするのだ。

フリーエネルギーは実際に存在するし、その使い方は難しいものではない。
しかし、それを隠しているのは、自分や家族が贅沢をすることしか考えない利己的な連中ではない。
むしろ、進歩した天使のような存在が、その使い方を地球人類に教えることを差し控えているのだ。
その理由は、ちょっと考えれば分かると思う。
そんなものが手に入れば、無料の無限のエネルギーで、冷暖房を過剰に働かせ、身体機能を退化させるばかりか、心身を破壊してしまうのだろう。
産業界は、儲けるために不要なものを果てなく生産し、しかも、売れさえすれば良いとばかりに、感覚的快楽をますます高めるようなものをどんどん作り出すだろう。
また、今でさえ人々は歩かなくなっているのに、もっと車を使うようになり、醜く肥満し、深刻なまでに精神を病む者が激増する。
しかも、動植物を、飽くことなき食欲を満たすために食品に加工し、多くの人間が、自然を破壊しながら食べ続ける化け物となり果てるのだ。
また、戦車や空母や戦闘機やミサイルを果てなく走らせ、航行させ、飛ばそうとする者がいくらでもいる。
仮に、人間の住める惑星まで行けるようになれば、宇宙船に武器を満載して征服に行くだろう。

だが、このエネルギーは意志を持っている。
利己的、自己中心的な目的に使えば、その反動はまぬかれない。
かつて、高度な文明を築いたアトランティスやムーのように、あるいは、古代の日本にも存在した超文明のように、我々も地上から姿を消すことになるだろう。
ただし、原子力エネルギーを使い続けても、放射能は地球を滅ぼし、化石燃料の使用は環境を破壊し続けるのだ。
聖なる人達は、我々に神秘的エネルギーの秘密を打ち明けたいと思ってはいるのだが、地球人にはその資格がないのだ。
我々が意識の変革を起こさない限り、このまま、まもなく人類は滅びるだろう。
無限のエネルギーを得ても、それを正しく使えるほどに我々が精神的に進歩しない限り、我々がそれを得ることは決してないのである。






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「労働運動の否定」という「労働者の自殺」

「たんぽぽ日記」から記事の前半を転載。
日本の全体としての貧困化や衰退は労働者の所得水準の低下によるものであるのは当然だが、日本には本来「労働三法」というものがあって、それが労働者の生活と権利を守ってきた。ところが、「労働組合は嫌いだ」という労働者が年々増加し、労働組合活動、そして賃上げ闘争はまったく形骸化した。そのために、労働者の給与はどんどん低下していったわけである。
要するに、「組合運動や労働運動はアカのやるもの」(2ちゃんねるなどはその手の書き手が溢れている。多くの有名ブロガーもそうである。)、という社会的教育が長年の間に功を奏してきたわけである。労働運動を否定してきた労働者たちの所得がどこまで下がろうと、ある意味では自業自得であるわけだ。
そして今や、維新の会や自民党の手によって労働三法の実質的否定が行われつつあるわけだが、マスコミはそれに対してまったく批判の声を上げない。それも当然であり、これは政府の意思であり、経済界の意思でもあるからだ。
つまり、政府は経済界の召使であり、労働者・一般国民の敵なのである。
日本が繁栄したのは、日本国憲法が遵守され、労働者の権利が守られていた、戦後40年ほどの間であった。アメリカの繁栄した期間も、同様に労働者の権利が守られていた時代である。
労働者の得るべき所得を資本家が吸い上げ、それが「正義」であるかのようになったのはレーガン・サッチャー・中曽根の頃からであり、それが新自由主義の魁であったわけだ。
下記記事にあるように、労働基準監督署もまったく形骸化した存在になっているようだ。これは、政府の意思の現れであり、政府は労働者の側には立っていないのである。
民主党政権だからそうなのではない。中曽根自民党時代から一貫して「低所得者層から高所得者層への所得転移」は行われ、労働者の権利削減は行われてきたのである。
要するに、世界的な暗黙の了解のもとに、先進国の労働者の貧困化は進められてきた、ということである。


憲法は国民を規制するのが本旨ではない。国民が政府に守らせるべき国民の権利を書いたものが憲法である。我々は憲法を改定(改悪)させるのではなく、憲法を政府に遵守させねばならないのである。
その国民の意思を示すのが国政選挙であるのは言うまでもない。





(以下引用)


橋下徹の「独裁者Ⅲ」 橋下騙しのテクニック炸裂  奴隷国家への道

戦争の放棄を破棄し、
改憲・交戦法の制定を目指している日本維新の会が、
戦争による国民殺害だけでは飽き足らず、
今度は最低賃金の廃止の方針を明らかにした。


橋下は「安く働けということではなく、賃金はできる限り出して雇用も創出する」と言っている。


私にはタクシー会社で働いている友人がいるが、
以前は一か月間きちんと働いても最低賃金以下の給料しかもらえない月もあったという。
それが最低賃金までなんとか支払われるようになったのは、
社員が法で定められた最低賃金分までは支払うように裁判で訴え、勝訴しかたらだ。


東京ではありえないと思うが、
私の住む北海道では最低賃金の719円での求人が多数存在する。


実は私はまたしても昨日付で会社を退職したのだが、
(理由はのちほど書きます)
私の会社のパート事務員は先月まで時給が700円だった。
最低賃金以下・・・


以前に働いていた会社でも、
同僚たちが最低賃金の支払いを求めて労働裁判に訴えるのを何度も見てきた。
私自身は裁判は起こしたことはないが、
一度だけ労働基準監督署に出向いたことがある。


私は主に営業職に就いているのだが、
以前に健康器具を販売していた時に重たい器具の持ち運びで持病のヘルニアが悪化し、
月半ばで入院してしまった(その前に一度手術も受けていたので)。
その会社は完全歩合制、つまり売れなければ給料は1円ももらえないという条件だった。


ただ、私は月半ばでノルマをすでにオーバーしていたので、
達成時の30万円の給料が支払われると思っていた。
ところが、半月分を欠勤控除で差しひかれ、実際には8万円しか支払われなかった。


そのため会社を退職し、労働基準監督署に出向いて「違反ではないか」と問い合わせたのだが、
労働契約書を交わしていないので無効といわれ、
さらに「最低賃金分は支払われているので問題ない」と返されてしまった。


つまり会社側は私が入院した段階で最低賃金をはじき出し、
その分しか支払わないよう計算していた。
この会社の東京の幹部たちの映像を会社で見せられたのだが
黒いスモークガラスのベンツに乗っていて、
しかも黒スーツにパンチパーマ、黒サングラスという、
いかにも昔のヤクザ風の恰好だった。
(結局一度も会うことはなかったが)

この時、私と同時期に入社した人たちで、
1台も売れずに給料が0円という人が何人もいた。
この人たちは労働裁判に訴え、最低賃金を勝ち取っていた。



つまり、ここが重要なのだが、最低賃金法こそが労働者の最低の生活を守る防波堤になっているのである。




ところが、橋下徹はその労働者の最低の生活の防波堤を破壊すると言い出した。
それはなぜか、


皆さん、思い出してください。
橋下徹は弁護士です。


この男は私たち庶民の誰よりも法律に精通しています、
橋下は最低賃金法をなくしてしまえばどんどん賃金が下げられ、
または支払われなくなることを十分に理解しています。


その上で橋下は最低賃金法をなくしても賃金はできるだけ出すー
などというたわけた虚言をぬかしています。



橋下が目指しているのは、
日本人がどれほど働いても給料が支払われなくなる社会の構築です。



戦争を開始して若者を殺し、
生活を破壊して老人や子供を殺すという、
橋下徹・石原慎太郎・日本維新の会の目的が見えてきます。
現に、橋下は企業が労働者を解雇しやすくするとも公約しているのです。

橋下は国民の生活を破壊しようとしています。
ワーキングプアが、橋下徹によってさらに貧しくされることでしょう。


そんなバカげたことが許されるでしょうか?
日本はまさに橋下維新によって、明治維新の頃の過酷労働条件、
「ああ、野麦峠」の時代へと逆流してゆくのです。
そして同じように国家軍国主義へと突き進んでいます。


ところが、マスコミは橋下のこのような危険性をごく小さな記事で紹介しているにすぎません。
そしてその何倍も橋下維新の会を宣伝し続けています。


労働者=国民が100年以上もかけて勝ち取ってきた最低の権利を、
橋下徹と日本維新の会が奪い去ろうとしています。


そして、橋下が開始した戦争において、
私たち国民は国家総動員法の名の下、
無賃金労働を課せられることでしょう。


それが、労働組合によって担ぎ出された民主党が、
失政で政権を失うというシナリオが作り出された理由でもあることでしょう。


そして、その労働者保護の民主党から日本維新の会に大量に議員たちが移動しているにも関わらず、
労働者が守られないという、
政治家の真実の姿が、いま明らかにされようとしています。





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