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義務教育改革への一私案

和田秀樹ブログから一部転載。
現在の義務教育制度では、留年や落第は無いし、不登校の生徒でも卒業はさせる。つまり、まったく義務教育を受けていなくても受けたことにされるのである。実に無責任な話であり、私が常々、日本人の大人で義務教育レベルの知識が身についている人間はほとんどいない、というのはそこである。もちろん、不登校児と大学まで進学したような人間の知識は同レベルではないが、大学進学者でもその知識には膨大な抜けおちがあるものだ。
いい例がこの私で、私は中学レベルの理科の知識がほとんど無い。まったく興味もなかったから覚えることも不可能で、覚えたとしてもテストが終わると同時に忘れてきたのである。それでまがりなりにも大学の歯学部に受かったのだから、義務教育のいい加減さが分かろうというものだ。まあ、歯学部には入ったが、大学を中退したため、歯医者にはならなかった。その代わり人生の敗者になった、というのは冗談。おそらく、私は歯医者にはならなくて正解だったと思う。今の時代、歯医者の収入の低さはひどいもののようだし、仕事としてもたいして面白そうでもない。だが、これはまあ、歯医者になれなかった者の僻みと思ってくれてもいい。
下記記事にある、義務教育での留年というのは、しかし危険性が高い。
というのは、多くの公立中学校では、義務教育の学習内容が理解できない子供で溢れているからである。そういう生徒を留年させると、何年経っても卒業できず、中学中退ということになる。そういう人間が世間に溢れることになる。
それは、「義務教育を全うする能力」が当人に無いのだから仕方がない、と見るべきだろうか。こういう屈辱を味わわせて世間に放り出すことが、教育の役割だろうか。
もちろん、それはまずい。(本当にまずいのは中学校中退が恥であるような社会風潮なのであるが、その話は別の機会にしよう。)
世の中の人間の多くは勉強には向いていない。だが、その中には職人や農民としてなら立派な仕事ができる者がたくさんいる。現代社会の困ったところは、昔なら職人や農民になったはずの人間が、高校や大学まで進むのが当たり前みたいになっていることである。もちろん、その大半は「勉強」に向いていないのである。だから勉強で苦しむことになるし、大学生になれても大学生としての資質はゼロだ。大学にとっても当人にとっても不幸な話である。
まあ、昔のように、学者向きの人間が農民になるように宿命づけられた社会も困るのだが。

いったい、「義務教育」というのはどうあるべきなのか。
そもそも、「義務」というからおかしくなるので、昔は親が子供を学校に行かさずに家の仕事に使うことがよくあったから「義務教育」と言っているのである。つまり親にとっての義務だ。子供から見れば「教育を受ける権利」である。教育する立場からすれば、義務でも権利でもない。ただある程度のサービスを提供すれば、それでいいだけだ。それを「子供を卒業させるのは教育者の義務だ」と思いこむから無駄な苦労をすることになる。
私の考えでは、この問題の解決策は、義務教育に「単位制度」を導入することにある。一つの科目が履修できないからといって留年させるのではなく、進級した上で、その科目を自学自習して再履修すればいいだけだ。三年次なら、「仮卒業」させて、何回か再テストの機会を与えればいい。
で、「履修科目」も柔軟にする。数学や英語が必須科目である必要はない。総計で何単位か取ればそれで卒業資格は満たしたとすればいい。その科目の中には「自動車運転」や「ワープロ技能」や「パソコン技能」など、現代社会で重要性の高い実用技能科目を入れれば、生徒は楽しく真剣に学ぶだろう。いや、たとえば「社交ダンス」や「茶道」や「料理」や「家電修理」などを履修科目に入れてもいい。一生使うことのない英語や数学を学ぶより、人生でははるかに役に立つと断言できる。
たとえば自動車運転教習などをいつまでも運転教習所の独占にさせているのがおかしいのであり、これは警察利権でしかない。まあ、それがいいというのなら、指導教官に警察OBを使って教えさせてもいいわけだ。自動車運転など、中学生でも覚えることはできる単純な技能だ。そして必要性は高い。それこそ「義務教育」の履修内容とする資格がある。
というわけで、私は「単位制義務教育システム」を提案する。
で、中学は3カ年では少ないから5年か6年に延長するのがいい。授業は午前だけで、午後は部活か自由研究にすれば、まさしく子供にとっては天国のような中学時代になるだろう。まあ、同じ顔ぶれと5年も6年も鼻を突き合わすのがいやなら、簡単に転校できるようにすればいい。その際にもこの単位制度が役に立つわけだ。


(以下引用)

同じ大阪で、義務教育の留年制度が検討されているそうだ

私はこれには、反対ではない

できないところを残したまま、学年が上がっていくから、雪だるま式にできなくなる

ただ、小学生で留年というのでは、さすがに精神的にもたなかったりみじめになったりする子も出るだろう

昔の赤点や落第の発想では1科目できない科目があれば、1学年上がれないということだったが、科目単位で留年というのなら、まだみじめさも少しはカバーされるかもしれない

そして、最終学年で、フィンランドのように出遅れ科目を精算するために1年学校に残ってもらう

基礎学力がないまま、社会に出る人や高校に行く人が減れば、たぶん生産性は上がる

大阪の労働力の質がいいという話になれば、また大阪の賃金水準も上がるかもしれない

あるいは、もう少し、その子の自己愛を満たすチャンスを与えてやるとすれば、科目単位で飛び級というのも導入すればいいかもしれない

国語は1学年下の代わりに、算数は1学年上とかいうのなら、かなりメンツが保たれるし、自分の得意科目の自覚もできる

ただ、ちょっと心配なのは格差問題だ

おそらく、この制度が導入されればちょっと金のある家は、塾や家庭教師で留年を避ける

あるいは、留年を嫌がって私立の学校に逃がすかもしれない

そうなると公立は貧乏人の行くところというアメリカや東京の一部の区のようになってしまう

大阪の場合、もともと低学力と失業や貧困の問題がリンクしていた

そこのフォローの体制を考えないと、思ったような結果が出ないのではないかと勝手に考えてしまう

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瓦礫処理ビジネスの高額化

東日本大震災の事後処理がビジネス化していること自体はまあ許容できる。むしろビジネス化しないと事後処理は進まないだろう。しかし、そのために税金が使われる以上、その「ビジネス内容」は国民の前に明瞭に示さねばならないはずである。
そこで、震災瓦礫処理が現在どうなっているかを武田邦彦のブログから転載する。直接のネタ元は「東海アマ」からである。なお、途中に「仮説焼却施設」とあるが、これはもちろん「仮設」の誤記だろう。ワープロ原稿ではよくある変換ミスだ。


(以下引用)


「瓦礫」のトリック・・・その危険性とトリックを正しく知ろう



震災瓦礫の問題を「日本の大変大きな問題」としてとらえ、これを国民としての誠意をもって整理をしてみます。数字は丸めてありますが、正確ですから、まずは問題の本質を良く理解するところから始めたいと思います。本当は政府や自治体が出すべき数値ですが、なかなか出さないので私の方から説明します。

1. 瓦礫の量は阪神淡路大震災と大きく違うのか?
阪神淡路大震災の時の瓦礫の量は2000万トン、東日本大震災2300万トン(環境相発表)で、わずかに東日本大震災の方が多いが、地域が広いことを考えるとほぼ同じか、むしろ東日本の方が面積あたりにすると少ない。
2. 瓦礫全体の内、どのぐらいを被災地の外で処理するのか?
瓦礫総量の内、わずか20%の約400トンを東京やその他の地域で処理する。80%が現地処理。
3. 瓦礫の処理が遅れている理由は何か?
「瓦礫の処理が5%しか進んでいない。これは瓦礫の引き受けが進んでいないから」と2月21日に発表した。しかし、もともと被災地外で処理するのはたったの20%だから、被災地外の引き受けが順調で、もし半分が引き受けても10%の処理率になるに過ぎない。つまり、環境省はこれまでと同じように瓦礫の処理が遅れている理由を、国民が誤解するように発表し、専門家と言われる人はこの辺の事情を十分に知っているのに言わない。新聞も同じである。
さらにNHKは2月末の放送で「瓦礫を不当投棄するので、瓦礫処理が進まない」という自治体の言い分をそのまま放送した。山のように積んである震災瓦礫の数100分の1しかないのに、それがあたかも瓦礫の処理が遅れている理由にしている。またさらにそれを知っているNHKが自治体の言い分だけを放送するというのだから、国民が税金や受信料を支払っていることを忘れているとしか思えないのは当然だろう。
4. 処理価格のトリック
阪神淡路大震災の時の瓦礫の処理費用は2万2千円(トンあたり)、それに対して岩手の瓦礫の処理費用(税金)は6万3千円、宮城5万円。なぜ、阪神淡路大震災の時と比べて物価はやや安くなっているのに、処理費が3倍近いのかについても説明はなされていない。
自治体は政府の圧力とお金の魅力で汚染を引き受けているのではないか。この処理費用のカラクリを市民に言わずに「被災地を助ける」ということしか言わない。
5. 被災地には本格的な瓦礫処理施設を作らない
ある宮城県の自治体が仮説焼却施設を作ったと報道された。その能力を計算してみると実に小さい(このような細かいことはまた機会があったら書くようにしたいが本筋が大切なのであまり細かい数字は割愛する)。
つまり、確かに「見かけ」は「焼却施設を作った」と言うけれど、名古屋市にいくつかある焼却施設のどれにも該当しないような小さな焼却施設だ。でも素人を騙すことはできる。「被災地にも焼却施設を作っている。武田はウソを言ってる」などと言う人もいるが、私を批判する専門家なら焼却能力のカラクリを判って言っているはずである。
6. 汚染の可能性
放射能の量としては、1キロ8000ベクレルが基準値なので、2300万トンでは拡散量は約200兆ベクレルになり、日本人ひとりあたり150万ベクレルに相当する。これは1キロ40ベクレルというまともな食材汚染の限界から言うと一人あたり37年間、汚染された食事をすることを意味する。
また山形と東京が瓦礫を引き受けているが、かりに山形市が半分を引き受けたら、お金はかなり来るだろうが、その代わり山形市の汚染は1平方メートルあたり24万ベクレルと規制値の6倍、警戒領域の60倍にも達する。
このような計算をすると、「山形だけが瓦礫全体の半分を引き受けるワケではない」などという反論がでるし、それを承知でここで示している。もし、数値を問題にするなら、自治体自体が「何トン受け入れて、それによって放射線量は何倍になるのか?」を言わなければならない。民主主義だから「瓦礫を引き受けたら放射線量が何倍になり、付近の人はどのぐらい被曝するか」という数値を出すのが第一である。
まだ瓦礫処理にはトリックがあるけれど、たった20%しか被災地以外で処理せず、放射性物質は拡散します。でも、誰が考えても不合理なことをしていますし、それに「どのぐらい被曝するか」、「どのぐらいお金が入るか」、「1円当たり何ベクレルか」などすべてを透明にすることが必要です。

都知事の「黙れ!」に賛成する人は民主主義をよしとしていないのですから、お殿様のいる別の世界にお住みになったら良いのではないかと思います。人間は無意味なことはやりませんので、これほど無意味なことが行われるということは「裏がある」ということです。それがハッキリ判るように報道して、多くの人が判断できるようにするのが民主主義と言うものです。
もう一つ、瓦礫の問題で私に対する「人格攻撃」が盛んですが、これは私にとっては一つの「楽しみ」でもあります。つまり、事実を言えば相手が納得するなら、別に人格攻撃は不要です。ところが、「武田は事実を調べずに言う」(そんなことを言わずに、その人は淡々と事実を述べれば良い)、「武田大先生の信者」(そんなことを言うなら、瓦礫の説明をした方が早い)などがあります。
人格攻撃をするのは、事実や論理では勝てない(ウソを言う)からで、最後の手段が人格攻撃です。ですから、私は人格攻撃があると「おっ!相手も追い詰められているな」という証拠になるので、ニヤッとしてしまいます。
「takeda_20120229no.431-(16:07).mp3」をダウンロード
(平成24年2月28日)

武田邦彦

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大学へ行く意味

東大の秋入学についてのスカイヲーカーさんのブログが面白いので紹介する。
世界大学ランキングなどという怪しげなものを大学の人間が信じているとしたら、よほどの馬鹿である。そもそも、大学の比較など、簡単にできるものか。それも、欧米の人間が選ぶランキングなのだから、欧米大学が上位を占めるのは分かり切った話だ。
だが、東大卒の官僚や政治家が日本を滅ぼしかかっているのだから、東大に関するランキングは妥当と言えば妥当かもしれない。(東大を出た人間が馬鹿だと言っているのではない。最初から官僚を目指して東大に入る人間の大半は権力欲の強いエゴイストが大半であるというだけのことだ。民間にいる東大卒の人間はやはり優秀であり、人格も悪くは無い人間が多い。)
昔から東大は「学生一流、教師三流」と言われている大学である。東大卒というステータス欲しさに皆東大を目指すのであり、そこでの授業内容など誰も期待してはいない。つまり、本当ならば東大合格だけで「資格試験」としては十分なのであり、そこで4年も無駄な時間を過ごす必要もないのである。
ユニクロの社長が大学1年生を社員として採用するという案を出しているが、日本の大学の価値などその程度である。まあ、職業に必要な知識や技術を学ぶ理系学科は別であるが、大学の文系学科に行くことに何の意義があるのか、私には分らない。
せいぜい、学生にとっては、4年間の遊び時間が得られるということくらいか。そのためだけならば、大学の学費は高すぎる。同じ年代で高い知的水準の若者が集まってもっと安価で有意義に過ごせる新しいシステムを考えるのがいいのではないだろうか。
高校の意義にしても、そこには同年代で知的水準の近い男女がいて楽しい夢(つまり青春のドラマという夢)が見られるから誰でも高校に行きたがるだけである。現実には、たいていの場合、その夢はただの妄想に終わり、一部の人間にしか楽しいドラマは起こらないのだが。
そもそも、日本人のほとんどは義務教育で学ぶ程度の知識さえ不確かなのであるし、大学卒業者の知的水準の低さ、知的好奇心の無さ、政治意識の欠如、批判精神の無さを見れば、今の教育システムは間違っていると言わざるをえない。

(以下引用)


2012年02月20日16:21
カテゴリ
秋入学 東大だけで勝手にやってりゃいい。

「メリット・デメリット

【○】国際化に対応できる(海外では秋入学が標準)

【○】交換留学が行いやすくなる

【○】留学生の増加が期待できる

【○】海外の大学と研究や教育の協力関係を結びやすくなる

【×】大学設置基準を変更する必要が生じる可能性がある

【○】半年間の「ギャップイヤー」で社会経験が積める

【○】体調の崩しやすい冬受験よりも、よい状態で受験に臨める

【○】受験失敗した場合、浪人期間を半年短縮できる

【×】就職活動に影響する

【×】「ギャップイヤー」を過ごす学生の受け皿が整っていない

【×】卒業から就職まで半年の空白の時間が出来てしまう

【×】学内のイベントが4月入学に合わせて実施されることが多い」


 私は、大学なんて「いつでも入学、いつでも卒業」にすればいいと思うんだけど、何で東大が率先して秋入学を推進するのかというと、やはり「世界ランキング」が気になるんだろう。

1位 ケンブリッジ大学(イギリス)
2位 ハーバード大学(アメリカ)
3位 マサチューセッツ工科大学(MIT)(アメリカ)
4位 イェール大学(アメリカ)
5位 オクスフォード大学(イギリス)
6位 インペリアルカレッジ・ロンドン(イギリス)
7位 ロンドン大学(イギリス)
8位 シカゴ大学(アメリカ)
9位 ペンシルバニア大学(アメリカ)
10位 コロンビア大学(アメリカ)
11位 スタンフォード大学(アメリカ)
12位 カリフォルニア工科大学(アメリカ)
13位 プリンストン大学(アメリカ)
14位 ミシガン大学(アメリカ)
15位 コーネル大学(アメリカ)
16位 ジョンズ・ホプキンズ大学(アメリカ)
17位 マックギル大学(カナダ)
18位 エズ・チューリヒ(スイス工科大学)(スイス)
19位 デューク大学(アメリカ)
20位 エディンバラ大学(イギリス)
21位 カリフォルニア大学バークレー校(UCB)(アメリカ)
22位 香港大学(香港)
23位 トロント大学(カナダ)
24位 ノースウェスタン大学(アメリカ)
25位 東京大学(日本)
26位 オーストラリア国立大学(オーストラリア)
27位 ロンドン大学(ロンドン)
28位 シンガポール大学(NUS)(シンガポール)
29位 マンチェスター大学(イギリス)
30位 ブリストル大学(イギリス)
31位 メルボルン大学(オーストラリア)
32位 京都大学(日本)
33位 フランス高等師範学校(フランス)
34位 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(アメリカ)
35位 スイス連邦工科大学(スイス)
36位 エコールポリテクニーク大学(フランス)
37位 香港中文大学(香港)
38位 シドニー大学(オーストラリア)
39位 ブラウン大学(アメリカ)
40位 香港科技大学(香港)
41位 ウィスコンシン大学マジソン校(アメリカ)
42位 ソウル国立大学(韓国)
43位 カーネギーメロン大学(アメリカ)
44位 ニューヨーク大学(アメリカ)
45位 大阪大学(日本)
46位 北京大学(中国)
47位 清華大学(中国)
48位 クイーンズランド大学(オーストラリア)
49位 ニューサウスウェールズ大学(オーストラリア)
50位 ウォリック大学(イギリス)
51位 ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)
52位 コペンハーゲン大学(デンマーク)
53位 ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク(ドイツ)
54位 ミュンヘン工科大学(ドイツ)
55位 ノースカロライナ大学、チャペルヒル(アメリカ)
56位 ワシントン大学(アメリカ)
57位 東京工業大学(日本)
58位 南洋工科大学(シンガポール)
59位 グラスゴー大学(イギリス)
60位 モナッシュ大学(オーストラリア)
61位 イリノイ大学アーバナ・シャンペン校(イギリス)
62位 ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(ドイツ)
63位 アムステルダム大学(オランダ)
64位 ロンドンスクール オブエコノミクス(イギリス)
65位 トリニティ・カレッジ・ダブリン(アイルランド)
66位 ベルリン自由大学(ドイツ)
67位 バーミンガム大学(イギリス)
68位 ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)
69位 ジュネーブ大学(スイス)
70位 ボストン大学(アメリカ)
70位(同位) 東北大学(日本)
72位 シェフィールド大学(アメリカ)
73位 西オーストラリア大学(オーストラリア)
74位 ノッティンガム大学(イギリス)
75位 サザンプトン大学(イギリス)
76位 テキサス大学オースティン校(イギリス)
77位 カリフォルニア大学サンディエゴ校(アメリカ)
78位 セントルイスのワシントン大学(アメリカ)
79位 オルフス大学(デンマーク)
80位 名古屋大学(日本)
80位(同位) ユトレヒト大学(オランダ)
82位 オークランド大学(ニュージーランド)
83位 ウプサラ大学(スウェーデン)
84位 ジョージア工科大学(アメリカ)
85位 パデュー大学(アメリカ)
86位 ルンド大学(スウェーデン)
87位 国立台湾大学(台湾)
88位 ライデン大学(オランダ)
89位 ヘルシンキ大学(フィンランド)
90位 KAIST - 韓国科学技術研究院(韓国)
91位 復旦大学(中国)
92位 アデレード大学(オーストラリア)
93位 リーズ大学(イギリス)
94位 ペンシルベニア州立大学(アメリカ)
95位 ダーラム大学(イギリス)
96位 ヨーク大学(イギリス)
97位 Stアンドリュース大学(イギリス)
98位 浦項工科大学校(韓国)
99位 ダートマス・カレッジ(アメリカ)
100位 アルバータ大学(カナダ)


日本一の難関だとか勝手に思っていた東大が25位、京大が32位で、上位はほとんどすべて英米の大学だった。東大京大よりもはるかにアタマのいい連中が目白押しのケンブリッジやオックスフォード、ハーバード、シカゴ大学と互角に競争するためには、アホばっかりの日本人だけではダメなんだ。やはり、グローバル時代に対応しないと世界競争に勝てないのではないのか。世界中からアタマのいい連中をかき集めて東大に入学させさえすればケンブリッジやハーバードに互角に戦えるのだと勝手に思い込んだのだろうか。確かに東大の学者といえば、原発事件で露呈したように、大企業などから札びらちらつかされて御用学者になったようなインチキちょうちん持ちばっかりでろくな人材を輩出していないような印象を受けるのも確か。この際、ゴミ排出所と化した東大から秋入学を実施して社会実験したらどうなんだろうか。もちろん、実施するのは東大だけで、他の大学は追随したら絶対損だ。秋入学したら卒業も4年後の秋になって就職が一年ずれてしまうからだ。一年浪人して大学に入ったら就職で2年分遅れてしまう。それだけで 【×】 じゃないのかな。まあ、グローバル企業が4月が新卒の入社日だなんて考えたらおかしな話だ。「いつでも入社OK」が正しいだろう。そして「いつでもクビにされてOK」ってことかな。大学は必要な単位を取得し次第、いつでも卒業OKにすればいいのだ。何年次卒業したとかいうよりも、「いつ学士号を取得したか」を問題にすればよろしい。だから、標準では4年間だが、3年で単位を取れれば、学士号を取得して、サッサと就職したほうがトクだ。それにしても何でもかんでも何で米国追従なんだろうか。世界で最も成功している国は日本なのに。英米に何を学ぶっていうんだろうか。「人殺しの方法」か「詐欺の方法」かな。もしくは「恐喝」や「他国から合理的に富を強奪する方法論」かな。大体だね。大学世界ランキングなんて嘘っぱちに決まってるだろう。毎年、英国高等教育専門誌「Times Higher Education」で発表されているらしんだが、欧米系の格付け会社の発表する格付け基準がデタラメであるのと同様に、英米が発表するランキングなんて詐欺に決まってるよ。英米機関が勝手に都合のいい基準をでっち上げて決めればすべて「ケンブリッジ」や「ハーバード」などの英米系大学がトップに決まる仕組みだ。そんなワケで私は秋入学なんて「アホくさ」ってレベルにしか感じない。優秀な外人に留学してもらいたければ、それ専用のプログラムをつくって対応したらいいだけのことだろう。まあ、せいぜいゴミ排出所の東大限定で実験をやってみてくださいな。

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あなたは日本国民ではありません。裏切り者です。

武田邦彦のブログから転載。
武田邦彦という人物は、やや軽薄なところや機会便乗主義者的なところはあるが、それはフットワークが軽いということでもあり、科学者というよりはジャーナリスト的な才能がある人物であると私は思っている。彼を科学者と思うから批判が出るのであり、ジャーナリストと見れば、実に有益な人材だ。科学にも強いジャーナリストという立ち位置が彼の本領だろう。
さて、下記記事であるが、これはまさしく昔の陸軍の体質そのものだ。上の人間の命令に絶対服従。それに逆らう者には体罰(懲罰)が加えられる。昔の陸軍が特殊だったのではなく、これは日本人のDNAなのだろう。上への批判や懐疑が許されない、今にも窒息しそうな状況だ。
これが旧陸軍ではなく、今の福島の学校のありさまだとしたら、日本の戦後教育とは何だったのだろうか。民主教育とは何だったのだろうか。


(以下引用)



教育は戦前の暗黒時代へ・・・教育関係者の魂に期待する





福島では小学校教育でまるで戦前に戻ったかと思う教育関係者の発言が見られる。



ある小学校では、福島から避難することを口にした児童を教諭がみんなの前で名前をよび、「あなたは日本国民ではありません、裏切り者です」と言った。



さらにある小学校(特定しています)では登校時にマスクをした児童に対して、先生が、「マスクを取りなさい! その様な行為が風評被害を招くのです!」と叱った。



・・・・・・・・・



こんなことが今の時代にあるのか?!とビックリするが、これに類したことは原発事故以来、かなり多く、私も直接(校長先生からのメールなど)、間接(読者の方からのご連絡)に接してきた。戦後、「日の丸、君が代」も拒否し、ひたすら「民主教育」、「個人の尊厳」を中心にしてきた学校はどうなってしまったのだろうか?



また、朝日新聞をはじめとしたマスコミもおおかたは「個人の尊厳、民主的教育」を支持してきたのではなかったか? 



今回の原発事故は、そのものが「原子力安全審査における不誠実」が一つの原因になったのは間違いない。私たちはここで「福島原発事故の教訓を活かして、どんな場合でも誠実な日本人であること」が求められており、さらに教育、医学、行政などの分野でより強く意識しなければならないのは当然でもある。



福島の汚染地帯にいる子供たちは「違法に滞在している状態」である。子供たちは法律を知らないが、教師は法律や規則を勉強して子供たちを守る立場にある。ここに上げた二つの例は、いずれも土壌汚染が1平方メートルあたり4万ベクレルを超える地域であり、学校の先生は法律の規定に従い、学校の放射性物質を除去することを東電に求めて子供を守る必要がある。



法律の制限を約40倍超える外部被曝をさせた文科省、法律の制限を約40倍超える被曝をさせた給食担当者、短い期間だから問題ないといって汚染された地域へ生徒を修学旅行に連れて行った校長先生・・・今回の福島原発事故は教育界の腐敗を示したとも言える.



・・・・・・・・・



「原発は危険だから東京には作れない」といって、東京の電気を福島で作っていた。なぜ、福島の人がそれを受け入れたのだろうか? 東京にはA級国民が住んでいて、福島の人はB級国民だからだろう。お金を持っている東京の人は「電気は欲しいけれど子供は被曝させたくない」と言い、貧乏な福島の人は「ご主人様がそう言われるのだから我慢しよう」と言う。



この先生方の言葉を聞いて、私は福島の先生が子供たちに「被曝は受け入れなさい。ご主人様のご命令だよ」と言っているように聞こえる。「絆」という字がいかにも欺瞞に聞こえるのはその所為だろう。



被曝を避ける子供に「裏切り者、非国民、風評被害」となじる先生の姿は鬼にしかみえない。政府、マスコミも野蛮人に見えたが、実は福島の先生も野蛮人で、被曝を良しとするなら、仕方が無い。



しかし、残念だ。そんな日本に住んでいると思うと残念だ。今まで、なんで先生の言うことを聞き、新聞を読んできたのだろう・・・・・・



・・・・・・・・・



昨日、「医師と被曝の限度」について記事を書いた.記事に対するご意見を医師の方からいただき、今、また深く考えている.医師、教師など社会的に尊敬され、また尊敬されなければいけない職業が危機に瀕していることは確かだ.



福島の保護者も先生も児童を被曝させたいなら、それもそれでよいのだろうか?



今、教育の本を執筆している.どう考えるべきだろうか? 何が起こって、また起ころうとしているのだろうか? 拝金主義の蔓延というそれだけだろうか? このことについて深い考察をすることもまた、将来の日本社会にとって必要なことだろうと思う.



「takeda_20120227no.433-(11:50).mp3」をダウンロード






(平成24年2月26日)

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放射能汚染拡大防止措置を求める動きを起こそう

「山科恭介のブログ」から転載。ブログ名は「夢想弄翰」だったか、難しい漢字のタイトルだ。今、うろ覚えで書いたのだが、他人のブログを引用するときに困るのが、名前をきちんと覚えるのが難しいことである。記事と筆者名やブログ名が同時にコピーできないので、筆者名やブログ名はついいい加減に書いてしまうことになる。まあ、そのあたりは許容してもらうしかない。
しかし、「山科恭介」という名前はいいなあ。まるで推理小説かハードボイルド小説の主人公みたいにカッコいい名前だ。
さて、本題だが、下記記事は拡散されるべき記事だと思うので転載した。説明は不要だろう。今や、日本中に放射能汚染された食品が出回っていて、日本人を蝕んでいるわけだが、我々のような老人はもういいとしても、若い人間や幼児、子供にそうした食品が与えられることは防がねばならないし、また汚染瓦礫に由来する建材などが出回ることも防がねばならない。日本政府がこの点において一般国民の生命と健康を守る意思が、カケラも無いことは明らかである。それどころか、汚染食品や汚染建材の拡散に一生懸命に協力しているありさまである。
まあ、そういう政府(べつに民主党だけの話ではない。原子力村を作ってきたのは自民党である。)の存在を許してきたのが国民なのだから、自業自得ではあるが、子供には罪は無い。子供が選挙で彼らを選んできたわけではないからだ。
選挙でいい加減な行動を取ることの恐ろしさを、まだ国民が理解できないなら、この国は滅びるしかない。いや、もはや滅びかかっているのだが。

(以下引用)


ドイツ放射線防護協会から日本の政府への勧告と、市民、科学者への呼びかけ

放射線防護協会 (訳注1)    

Dr. セバスティアン・プルークバイル
 
   プレスリリース          2011年11月27日 ベルリン

放射線防護協会は呼びかける:
福島の原子炉災害の後も放射線防護の基本原則を無視することは許されない。

放射線防護協会は問う:
日本の住民は、核エネルギー利用から結果するどれだけの死者と病人を容認したいのか?

放射線防護における国際的な合意では、特定の措置を取らないで済ませたいが為に、あらゆる種類の汚染された食品やゴミを、汚染されていないものと混ぜることによって特定の放射線量を減らし 「危険ではない」 ものにすることを禁止しています。日本の官庁は現時点において、食品の分野、また地震と津波の被災地から出た瓦礫の分野で、この希釈(きしゃく)禁止に違反をしています。ドイツ放射線防護協会は、この 「希釈政策」 を停止するよう、緊急に勧告します。さもなければ、日本の全ての住民が、忍び足で迫ってくる汚染という方式で、第二のフクシマに晒(さら)されることになるでしょう。これによって、明確な空間的境界を定め、安全に設置され、良く監視された廃棄物置き場を利用するより、防護はさらに難しくなります。「混ぜて薄めた」 食品についてもそれは同じことが言えます。現在のように汚染された物質や食品を取り扱っていくと、住民の健康への害をより拡大することになります。

現在日本では、汚染物質が全県へ分散され、焼却や灰による海岸の埋め立てなどが始められようとしていますが、放射線防護の観点からすれば、これは惨禍であります。これでは、ごみ焼却施設の煙突から、あるいは海に投入される汚染灰から、これらの物質に含まれている放射性核種が計画的に環境へと運び出されてしまいます。放射線防護協会は、かくなる諸計画を中止するよう緊急に勧告します。

ドイツでの数々の調査では、チェルノブイリ以降、胎児や幼児が放射線に対し、それまで可能だとされていた以上に大変感受性が強いことが示されています。チェルノブイリ以降の西ヨーロッパでは、乳児死亡率、先天的障害、女児の出生率の減少などの領域(訳注2)で非常に著しい変化が起こっています。すなわち、中程度、さらには非常に低度の線量の増加に何十万人もの幼児が影響を受けているのです。ドイツの原子力発電所周辺に住む幼児たちの癌・白血病の調査(原注:KiKK研究)も、ほんの少しの線量増加でさえ、子供たちの健康にダメージを与えることを強く示唆しています。
放射線防護協会は、少なくとも汚染地の妊婦や子供のいる家庭を、これまでの場合よりももっと遠くへ移住できるよう支援することを緊急に勧告します。協会としては、子供たちに20ミリシーベルト(年間)までの線量を認めることは、悲劇的で間違った決定だと見ています。

日本で現在通用している食物中の放射線核種の暫定規制値は、商業や農業の損失を保護するものですが、しかし住民の放射線被害については保護しません。この閾値は日本政府が、著しい数の死に至る癌疾患、あるいは死には至らない癌疾患が増え、その他にも多種多様な健康被害が起こるのを受容できると表明したものに等しいものであると放射線防護協会は強く指摘します。いかなる政府もこのようなやり方で、住民の健康を踏みにじってはならないのです。
放射線防護協会は、核エネルギー使用の利点と引き換えに、社会がどれほどの数の死者や病人を許容するつもりがあるのかについて、全ての住民の間で公の議論が不可欠と考えています。この論議は、日本だけに必要なものではありません。その他の世界中でも、原子力ロビーと政治によって、この議論はこれまで阻止されてきたのです。

放射線防護協会は、日本の市民の皆さんに要望します。できる限りの専門知識を早急に身につけてください。皆さん、どうか食品の暫定規制値を大幅に下げるよう、そして厳しい食品検査を徹底させるように要求してください。既に日本の多くの都市に組織されている独立した検査機関(訳注3)を支援してください。

放射線防護協会は、日本の科学者たちに要望します。どうか日本の市民の側に立ってください。そして、放射能とは何か、それがどんなダメージ引き起こしえるかを、市民の皆さんに説明してください。

放射線防護協会
会長 Dr. セバスティアン・プルークバイル



(この翻訳は、blaumeise.leinetalさんの翻訳を梶村太一郎が手直ししたものです/12月13日訂正)

(訳注1)ドイツの放射線防護協会の歴史と活動それを担う代表的な人々について、また松井医師については第38回を参照:
日独の脱原発を実現する人々:松井英介医師とドイツ放射線防護協会
http://tkajimura.blogspot.com/2011/10/blog-post_09.html

なを同協会の会長の姓の日本語表記に関しては、彼がこの秋に日本を訪問して以来の報道などで、かなり混乱しています。日本のメディアでは欧米の固有名詞を英語読みにしてカタカナ表記し、本人が聴いても理解できないことがしばしば起こります。Pflugbeil氏のPflugは「プルーク/意味は『鋤』」、Beil は「バイル/意味は『鉈』」です。したがって表記は「プルークバイル」としました。この姓の原意は「鋤鉈/すきなた」です。根気づよく核汚染と闘い続ける氏にぴったりです。

(訳注2)西ヨーロッパ各国での調査研究では、チェルノブイリ以降、例えばそれまでの男女の胎児の比率が女子の目立った減少として確認されている。2010年。
出典:
Von Dr. Hagen Scherb, Epidemiologe, Institut für Biomathematik und
Biometrie am Helmholtz Zentrum München:
http://www.strahlentelex.de/Stx_10_558_S01-04.pdf

(原注)ドイツ連邦環境省の原子炉安全及び放射線防護庁による委託研究:
「原子力発電所周辺における幼児発癌に関する疫学的研究」 2007年。
出典:KiKK-Studie:
Peter Kaatsch, Claudia Spix, Sven Schmiedel, Renate Schulze-Rath,
Andreas Mergenthaler, Maria Blettner: Umweltforschungsplan des
Bundesumweltministeriums (UFOPLAN), Reaktorsicherheit und
Strahlenschutz, Vorhaben StSch 4334: Epidemiologische Studie zu
Kinderkrebs in der Umgebung von Kernkraftwerken (KiKK-Studie), Mainz
2007.
http://www.bfs.de/de/bfs/druck/Ufoplan/4334_KiKK_Gesamt_T.pdf (7,27 MB)
これは2003年から4年をかけた非常に膨大(330頁)な研究ですが、冒頭に簡単な英文サマリーもあります。

(訳注3)
ドイツ放射線防護協会は、チェルノブイリの直後からドイツ全国で盛んになった市民による、独立した「市民放射線測定所」設立の経験に基づき、日本全国の47都道府県で、主に食品検査に必要なガンマー線測定器を寄贈する募金を始めており、11月に最初の送金をしています。

日本の市民放射線測定所:
http://www.crms-jpn.com/


【資料】
Y・バンダシェフスキー教授
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患

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橋下、ジャパンハンドラーと手を組んだ模様

板垣英憲情報局から部分的に引用。
この後は有料になるので、(と言っても百円だが)ここまでしか読めないが、これだけでも情報としては十分だ。
公明党の現在の役割は、「票集め機関」である。つまり、政権が欲しい人間や組織の手助けをして、選挙で票を集める組織だ。なにせその下に奴隷的信者がゴマンといるから、上の人間が指示すれば忠実に投票してくれるし、無報酬で折伏もしてくれる。
まあ、信仰を持つこと自体は悪いことではない。しかし、それが政治と結びつき、権力と結びつき、金と結びつくとロクなことにはならないというのが、歴史的事実である。
ともあれ、橋下の正体がどんどんばれてきているようである。しかし、表マスコミでは、こういった話はほとんど報道されないから、橋下人気はまだ続きそうだ。


(以下「NEWS U.S」より引用

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
米国対日工作担当者マイケル・グリーンが、大阪市の橋下徹市長と公明党を結
びつけて、次期政権に向けての絵を描き、日本政治を操縦しようとしている
───────────────────────────────────

◆〔特別情報①〕
 「大阪維新の会」を率いる大阪市の橋下徹市長は、次期総選挙に候補者300人
を立てて戦い、200議席の獲得を目指すと鼻息が荒い。

 マスメディアのなかには、「ただの市長が、いい気になっていると、反動が
大きいぞ」と冷ややかな目で見ている向きもあるけれど、橋下徹市長の勢いは
衰えそうもない。それどころか、「公明党」(800万票)との連携話もまと
まっており、いまや鬼に金棒の様子だ。

 だが、橋下徹市長の鼻息の荒さの秘密は、これだけに止まらないのである。
背後で「橋下戦略」の絵を描いている組織とフィクサーがいるのを見逃しては
ならない。

 組織とは米CIAであり、フィクサーとは、米国対日工作者のマイケル・ジ
ョナサン・グリーン戦略国際問題研究所日本部長である。

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町の妖精

最近、寝ざめに夢を見ることが多い。夢は五臓の疲れと言うから、内臓にガタがきているのかもしれない。しかし、夢はまた映画を見るのと同じことで、面白くもある。
他人の見た夢の話ほどつまらないものはないというが、備忘のために書いておく。

私は会社を辞めることになって、その最後の仕事に、病気療養中の同僚の見舞に行くように上司に命令される。夢の中では私はまだ40代になったばかりという感じである。
で、その病院が沖縄市の北区というところにあるらしいのだが、私はその場所を知らない。沖縄市は私が子供時代を過ごした町だが、現在の地理は現実にもあまり分からないのである。私はバスに乗り込むが、中の様子が妙だ。入口付近に座っている人がほとんどいない。その理由はすぐに分かる。入口付近に座っている若い男が嘔吐し、その吐瀉物があたりに飛散しているのである。私はそれを避けて席に座る。多分、私と入れ替わりにその若い男は降りるのだが、私が席に着くと、私の後ろにいた若い娘、まだ16、7歳くらいの白いドレスを着た娘が、辺りに付着したその吐瀉物を紙で拭いてきれいにする。気が付くと、その若い娘は3人連れで、妹らしい少女と弟らしい少年が一緒にいる。
私は、例の病院の場所を知らないか、とその若い娘に聞く。すると、多分、あのあたりではないか、と答える。その場所は、私が何度か夢に見た場所で、何度もそこで道に迷って困り切った町である。
どうやら、それらしい場所に着いたので私はバスを降りる。その娘たち3人も同じ場所で降りる。この子供たちは孤児らしい。浮浪者らしい薄汚れた身なりであるが、しかし娘たちは可愛らしい顔である。下の弟はまだ7、8歳くらいだが分別臭い顔をした、落ちついた少年だ。
私は、なぜかバスの中で赤ん坊を拾っていたらしく、その赤ん坊と、見舞の花束と、そしてなぜか差し入れの弁当を持って病院に行くが、そこの受付で、同僚は既に亡くなっていたと聞かされて途方に暮れる。べつに親しい同僚ではなかったので、私が途方に暮れたのは、手に持った花束や弁当の処理をどうするかということである。
(そう言えば、その前に、近くの交番で病院の場所を聞いたのだが、その時に赤ん坊を交番に引き渡すことを少しも考えなかったのはなぜだろう)
病院を出てからか、病院の中かは知らないが、私は、先ほどのあの娘が人気のない地階フロアでくるくると回りながら踊っているのを見つける。その側には妹、弟以外に、若い男がいて、その娘の踊りを眺めている。娘は、町の妖精のように見える。
その若い男は、彼女に気があるのだろうな、と私は考えるが、その時に、私の抱いた赤ん坊の足の間が生暖かくなっているのに気づく。オシッコをしたのである。
私が困っていると、娘は踊りをやめて私の側に来て、私に代わって赤ん坊を抱っこする。その様子を見て、若い男は不満顔で立ち去る。
娘が赤ん坊をあやす様子を私がぼうっと見ていると、妹の方が私に、姉は私が好きらしいというような意味のことを言う。弟は、「この人では頼りないな」みたいな批評をした気もするが、よく覚えていない。
で、そこまでで夢はだいたい終わりなのだが、なぜ長々とこんな話を書いたかというと、町角で、あるいは無人の地下道やビルのフロアでくるくると踊る少女の姿が非常に印象的で、そのイメージだけで映画が一つ作れそうな気がするので、備忘のために書いたわけである。現実の私は40代ではないし、若い娘とどうにかなりたいというような年齢ではない。
映画の最後は、こうだ。その若い娘は妹や弟と引き離され、一人だけになる。(もちろん、私などただの通りすがりの人間にすぎない)そして、夜明けの町の中でただ一人踊るのである。いつまでも、くるくる、ひらひらと、妖精のように。

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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